第10話「甲羅を背負った猫」
風が吹いていた。
ミロは一人で道を歩いている。
背中には甲羅型バッグ。
腰にはオカリナ。
もう隣にジンはいない。
最初の数日は妙だった。
何かを見つけるたびに話しかけそうになる。
「じいさん、見て」
言いかけて止まる。
返事はない。
それを何度も繰り返した。
ある日の昼。
ミロは小さな村へたどり着いた。
広場には動物たちが集まっている。
何やら困っている様子だった。
「どうしたの?」
ミロが聞く。
リスが答える。
「井戸の桶が落ちちゃったんだ」
村の井戸は深い。
縄も切れている。
「水が汲めないんだよ」
ミロは井戸を覗く。
確かに底に桶が見える。
以前の自分なら。
「大変だね」
そう言って通り過ぎていたかもしれない。
だが今は違った。
「ちょっと見せて」
背中のバッグを下ろす。
中から縄を出す。
金具を出す。
小さな道具を取り出す。
全部。
ジンが入れていたものだった。
ミロは作業を始める。
縄を結ぶ。
金具を取り付ける。
何度か失敗する。
村の動物たちも手伝い始める。
やがて。
「引っ張って!」
皆で縄を引く。
ギギギ。
ゆっくり桶が上がる。
そして。
無事に井戸の上へ戻った。
歓声が上がる。
「やった!」
「助かった!」
「ありがとう!」
ミロは少し照れる。
その時だった。
ふと、あの川辺の橋を直した日のことを思い出した。
渡れなくて困っていた動物たち。
完成した橋を、おそるおそる渡っていった小さなウサギ。
そして、向こう岸に着いた瞬間の、あの嬉しそうな顔。
ジンは橋を見ながら、静かに言っていた。
「橋を作るのは大変だ。だが、橋を渡る顔を見るのは悪くない」
ミロは思わず笑った。
「なるほどね」
誰にも聞こえない声だった。
その日の夕方。
村を出る前に。
ミロは丘の上へ登った。
風が吹く。
遠くまで道が続いている。
終わりの見えない旅路。
少し前なら不安だっただろう。
でも今は違う。
ミロは背中の甲羅に触れる。
重さはある。
けれど。
その重さが自分を支えている。
ふとオカリナを取り出す。
そして吹く。
ピィ――。
まだ完璧ではない。
それでも。
初めて聞いた時とは違う音だった。
まっすぐで。
少しだけ優しい音。
風がそれを運んでいく。
ミロは空を見上げる。
「行ってくるよ」
返事はない。
けれど。
どこかで聞こえた気がした。
『行ってこい』
ミロは笑う。
そして歩き出す。
一歩。
また一歩。
背中には甲羅。
腰にはオカリナ。
旅は続く。
今度は、自分のために。
そして、誰かのために。
これは。
雨の日に捨てられていた一匹の子猫が、
旅人から受け取った生き方を背負い、
自分の旅を始めるまでの物語。
― 終 ―




