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蒼の剣士 ~ fantasy ~  作者: 紅の豚丼
40/53

蠢動

(40)


ブラウエンブルク…


三月に東方で起こった小競り合いと、そこから五月にかけての海賊退治を一段落させ、リーシェはブラウエンブルクで休養をとっていた。

フェリアは二人目の子、レスフィーを無事に産み、子育てに奮闘していた。彼女は身重になったエルマの仕事を楽なものに変えさせ、エルマの母親をブラウエンブルクの館に呼び寄せて来たるべき出産に備えさせるのであった。

「それにしても、羨ましいことです」

リュートを弾く手を止めて、リリーが言う。

「焦らなくても、リリーにもできますわ」

フェリアはそう言ってレスフィーを揺りかごに寝かせる。よちよち歩きで、フランソアが揺りかごの方に近づいていく。

「エルマの子は、どちらかしらね」

リーシェはフェリアに言う。

「名前を考えなくては」

「まずは、エルマの意見を聞きましょう」

フェリアは応じた。


「あら、また泣いている」

エルマの母親は、揺り椅子の上に座っていた我が娘にそう声をかけた。

「お優しい領主様のお子を身籠って、こんなにも大切にしていただいて…何をそんなに泣くことが」

エルマは声を立てずに、ただ涙を流していた。彼女はじっと母親を見る。

「彼女にとって初めてのことだ。…不安にならない方が、どうかしているさ」

部屋に入ってきたリーシェが、エルマの母親に声をかける。エルマは立ち上がろうとし、母親はその場に跪く。それを、そのまま…と制して、リーシェはエルマの側に歩み寄る。

「仕事をしたいだろうと思うけれど、暫くは我慢してくれ、エルマ」

「リーシェ様」

エルマの求めに応じて唇を与え、リーシェは優しい表情を見せる。

「お許し下さい…余りに幸せで、何だか不安になってしまって…」

「僕も不安だ」

リーシェは優しく言う。

「子供を産むことは、女性にとって命がけの仕事だ。とにかく無事で、元気な子を産んで欲しい」

「はい」

エルマはそう答える。

「…必ず、元気な赤ちゃんを産みます」

リーシェは傍の母親に言う。

「くれぐれも、よろしくお願いします」

「勿体無い、ありがとうございます」

リーシェはエルマの側に椅子を寄せ、書類を手渡す。それがリーシェ自身の筆跡であることを確認するのに、エルマは一秒も必要としなかった。

「地区毎の作況だ」

エルマは頷き、注意深く数字を見ていく。

その顔に安心の色が浮かんだ。

「今年も悪くありません。良かった」

「水路を強化しようと思う」

リーシェはエルマに言う。

「金ならあるんだ。どう使えば一番いいか、よく考えないと」

「ご自身の為にも、お使いください」

「今でも十分すぎるくらいさ」

リーシェは苦笑する。

「それより、領民の暮らしだ」

エルマの母親が言う。

「ブラウエンブルクは暮らしやすいし、仕事が沢山あるせいか、あちこちから人が移り住んできて、だいぶ人が増えました」

「そうだね」

リーシェは満足そうに言う。


そこに、レミがやってきた。

「リーシェ様、あの…」

レミは口ごもる。エルマがその表情を見て言う。

「私のことは気にしないで。…必要な報告を、お願い」

リーシェはエルマの言葉に頷く。

「その通りだ、レミ」

レミは頷いて語り始める。

「…ブラウエンブルクの街に、『黒の使徒』が一名入り込んだようです」

「場所は」

「五番街の西です。自警団が囲んでいるそうです」

「わかった」

リーシェは立ち上がる。

「すぐにエルマを、フェリアと子供達の傍に」

「リーシェ様は」

エルマがリーシェに声をかける。

リーシェは二人に笑って見せる。

「僕は、少し運動をしてくる」

リーシェは二振りの剣を背と腰に帯びる。彼はフェリアのもとにエルマとレミを連れて行く。

「こちらはお任せください」

「動けるかい」

フェリアはにっこりして言う。

「多少、腕は鈍ったかもしれませんけれど」

「みんなを頼む」

「お気をつけて」

二人は短くそれだけ会話を交わす。

リーシェは自警団の伝令に先導され、ブラウエンブルクの街に消えていった。

不安そうな顔をするエルマに、フェリアが優しく言う。

「心配ですか」

エルマはフェリアに頷く。

「…リーシェ様なら、大丈夫ですわ」

フェリアは確信に満ちた表情で言う。

「『黒の使徒』が五人来れば五人、十人来れば十人全て、リーシェ様が退治してくださいます」

「本当ですか?」

そう言って尋ねたレミに、フェリアは苦笑して言う。

「今の産後の私でも、普通の『黒の使徒』なら必ず倒せるでしょう。大切なのは、周囲の人々に犠牲者を出さないこと。彼らは何といっても、毒の刃を使いますからね」

「吹き矢が、あるのでしたか」

「さすがはエルマ、よく覚えていますね」

フェリアは感心したように言う。



ブラウエンブルクの裏通り…


リーシェは一人の男と斬り結んでいた。

彼は周囲の自警団のメンバーに、大きな盾を構えさせ、周辺の住民たちに戸締りをさせ、逃げ場を封じた上で男を路地に追い詰めていた。

金属音が響く。男が魔法銀の投げナイフを放った。リーシェは剣でそれを打ち落とす。

男は表情一つ変えない。

リーシェは内心で男を称賛した。

できる。間違いなく、今まで対峙した「黒の使徒」の中でも、最強クラスの腕利きだ。

「降伏しないか」

リーシェは男に声をかける。

「僕の名ぐらいは、知っているだろう」

返事の代わりに、男はもう一本投げナイフを放った。

リーシェは再びナイフを打ち落とす。

後ろに盾を持って控えていた自警団のメンバーの一人が、打ち落としたナイフを拾おうとする。

「直接触るな、呪いがかかっているぞ」

リーシェは後ろを振り向かずに言う。

「は、はい」

「それでいい」

そのやり取りに、ナイフを投げた男は感心したように言う。

「さすがは『蒼のリーシェ』だ」

「お褒めにあずかり、光栄だよ」

リーシェは剣を構えて言う。

「無限にナイフを持っているわけでもないだろう。あと二本。そしてその手の剣と、吹き矢だけのはず」

男の顔色が変わる。リーシェは表情を改めて言う。

「僕をなめてもらっては困るよ、『黒の使徒』。そんなに強い毒と魔法の効果を持つ武器を携えて、僕の領地を素通りできるとでも思ったか」

「成程」

黒の使徒は構えを小さくする。

「―――全員、もう二十歩離れろ」

リーシェの後ろにいた自警団が後ろに下がる。リーシェは男に歩み寄る。

彼の口から、静かな歌がつむぎ出された。

「な…」

それを耳にした男の表情が一変する。

目の輝きと殺気が失われ、剣を取り落す。

しかしリーシェは歌をやめない。

静かな声で、歌い続ける。周りの自警団員は全員耳を両手で塞いでいる。

リーシェの歌が止んだ。

彼は目の前の黒の使徒に語りかける。

「…気分はどうだい」

「あまり良くない」

「疲れているのさ」

リーシェはそう言うと、目の前の黒の使徒に尋ねる。

「君の名は」

「ウルグ・アリ」

リーシェはその名を口の中で転がす。

「―――首席だったよね」

「ああ」

リーシェの目の前の男は、ウィルクス王国の誇る諜報集団兼暗殺者集団である「黒の使徒」の首席。

すなわち一の手練であった。

まともに戦えば、少なからぬ犠牲者が出ていたはずである。

「どこへ行こうとしていたんだったっけ?」

「本国へ帰る途中だ」

「そうだね、他の皆は?」

「…私が最後だ。最後の五名が、オスティアの港で待っている」

「待ち合わせ場所は?」

「オスティアの船宿、『コランジェロ』だ」

「いつ本国へ?」

「次の船で」

リーシェは頷く。

「疲れただろう、眠るといい」

「そうさせてもらう…眠い…」

黒の使徒の長、ウルグ・アリはそれだけ言うと、その場で深い眠りに落ちた。

リーシェはウルグ・アリの身体をじっと眺め、古代語魔法(ルーン)を唱え始める。

リーシェの身体が明るい水色の光を帯びる。

自警団の団員たちはその間じっとその様子を眺めていた。

「―――思った通りだ」

リーシェは吐き捨てるように言う。

「どうなさったので?」

「こいつを殺すと、それをきっかけ(トリガー)にして、深淵(アビス)が開くように魔法がかけられているんだ」

「では、縛り上げましょう」

「そうだね」

リーシェはウルグ・アリの身体を縛らせ、再び古代語魔法(ルーン)を唱える。

そして二本の蒼の剣を構える。

リーシェの側に、美しい蒼い翼を広げた、剣の精霊が現れた。

『お呼びかしら』

『わかるだろう』

『ええ』

兼の精霊はリーシェの呼びかけに答える。彼女はリーシェの右手の大剣に手を添える。

リーシェは剣を振り下ろす。

ウルグ・アリの身体が両断された。

鮮血が吹き出し、地面に流れる。

見ていた自警団員が思わず後ずさりする。

その血が、大きな逆五芒星と円からなる魔法陣を描き始める。

『…無駄なこと』

剣の精霊がその魔法陣に右掌を向ける。と、描き出された魔法陣に、物凄い速さで上位古代語(ハイ・エインシェント)の呪文が上書きされていく。

魔法陣にひびが入り、粉々に砕け散る。

天から明るい光が差し、地面は元の土の色に戻った。

リーシェは安堵の表情を浮かべる。剣の精霊もわずかに微笑み、かき消えるように剣の中に消えていった。

「オスティアと王都に早馬を。僕もすぐにオスティアに向かう」

リーシェはそう宣言した。

「自警団の皆は、引き続き警戒を怠るな」

リーシェは馬を飛ばして館に戻った。

館の玄関では、ナタリーが安堵の表情を浮かべリーシェを出迎える。

「ご無事のお戻り、お喜びを申し上げます」

「ありがとうナタリー。フェリアは」

リーシェがそう言い終わらないうちに、その場に騎士服を着たフェリアが現れた。

「お帰りなさいませ」

フェリアは既に旅支度まで終えている。

「…オスティアまでだが、乗れるかい?」

「大丈夫かと思います」

「フランソアとレスフィーは?」

「ダリアとエリザベス達が見てくれますわ」

リーシェはフェリアに言う。

「…黒の使徒の最後の生き残りが、オスティアの港から帰国しようとしている。迂闊に殺すと、最悪深淵(アビス)を開いたり、悪疫や毒を撒き散らされるおそれがある」

「一刻を争いますわね」

リーシェは頷く。

「残りは五人だ。倒すだけなら、僕一人でもいいのだが、何かあった時に僕一人では対処しきれない」

「お任せ下さい、リーシェ様」

フェリアはそう言うと、ナタリーに言う。

「子供たちをお願いしますね。それから、エルマに無理をさせないように」

「かしこまりました、奥様」

フェリアはリーシェに言う。

「オスティアには、どうしても一泊しないと着けませんわ」

「そうだね、すぐに出よう」

フェリアはパンパン!と二回手を打つ。チュールとフローレンが、美しい白銀の魔法銀の鎖帷子を持ってくる。彼女たちはリーシェの騎士服をいったん脱がせ、下着の上に鎖帷子を着せ、上から騎士服と上衣(サーコート)を着せる。

「では、参りましょう、リーシェ様」

「準備のいいことだね」

二人は馬上の人となり、一路港町オスティアを目指す。

フェリアはリーシェの後をついて、馬を走らせた。



王都ヴィサン

グロワール宮殿…


王の前に、リーシェとフェリアが並んで立っていた。

「此度のそなた達両名の働き、誠に見事であった」

「勿体ないお言葉」

リーシェは深々と頭を下げる。

「奥方も、めざましいお働き…さすが紅騎士(クリムゾン・ナイト)の妹君じゃ」

フェリアはトーラスⅢ世に騎士礼を取り、にっこり笑う。

「ともあれ、これでエルフィアに巣食っていた『黒の使徒』は全て片付けたことになるな」

コーディアス大公がリーシェに言う。

「リーシェ殿、お見事じゃ」

「ありがとうございます、宮宰様」

リーシェが王都に送った早馬の知らせを受け、宮宰コーディアス大公は迷わず第一中隊五十名全員をオスティアに向かわせた。現地でリーシェの指揮下に入らせるためである。クリスティンとギュンターは全員をまとめてオスティアに急ぎ、ブラウエンブルクから一泊で強行軍のリーシェ夫妻と合流したのである。

五名の「黒の使徒」達は、リーシェ達近衛騎士団の襲撃を受け、全滅した。

ウルグ・アリがそうであったように、自分の死をきっかけにして周囲を混乱させるような準備をしていたものはいなかったが、最後にエルフィアに残っていただけあって五名とも武術の腕は確かであった。

しかし、終わってみれば、リーシェ・フェリア・ギュンター・クリスティンがそれぞれ一人ずつを倒し、残る一人もマイアとイレーネが追い詰め、自害させた。

第一中隊には一人の怪我人も出ていない。

何よりリーシェが喜んだのは、住民に一人の被害も出さなかったことである。

「フェリア殿」

王はフェリアに声をかける。

「はい、陛下」

「そなたを、エルフィア王国の近衛騎士団、本部付参謀兼武術指南役に任ずる」

「お受けいたします、陛下」

王妃が苦笑する。

「常勤ではなくて結構ですよ。あなたも、二児の母親なのですからね」

「そうは言っても、こうした時にリーシェ殿が頼りにするのは、やはりフェリア殿じゃ」

フェリアは心からの笑みを浮かべる。

「妻は古代語(ルーン)と神聖魔法が使えますので…」

リーシェははにかんで言う。

「仮に毒を受けたものがいた場合、私ではどうしようもございませんが、彼女なら救えるだろう、と」

フェリアは答える。

「皆素晴らしい使い手ばかり…全員無傷でごさいましたわ」

「それよ」

王はリーシェとフェリアの後で跪き畏まっている第一中隊の騎士達にも声をかける。

「第一中隊の皆、此度は非常によくやってくれた」

ありがたき幸せ!

全員が唱和する。

「仲間たちはそなた達を『お馬鹿隊』と呼ぶらしいが…こんなにも腕が立ち、疾風のような騎士を抱えておれば、余は安心じゃ。多少頭が悪くても、何の問題があろう」

リーシェは王に言う。

「それでも、友好国に対して礼を失したり、陛下の名を辱めることが無い様に、しっかり学ばせる所存でございます。どうか、お見捨てなく…」

「その辺りは、ラスカー卿の力が必要じゃな」

ラスカーの名が出ると、マイア・イレーネの両名が、

「うへえ…」

とうんざりした顔を見合わせた。その様子をみた王は、愉快そうに大笑いした。

「子供たちが気になるとは思いますが、今宵は王都に一泊していって下さいね、フェリア」

王妃がフェリアに言う。リーシェとフェリアは顔を見合わせ、王妃に一礼した。



グロワール宮殿、後宮

王妃のサロン…


第一中隊の騎士達をもてなす宴が無事に終わり、ギュンター・マイア・イレーネ・クリスティン・フェリア・リーシェの六人が、王妃のサロンに呼ばれ、食後酒のグラスを片手に、貴婦人方や令嬢達に囲まれていた。無論その中には、グラナガンと結婚したミューゲや、テオドールと婚約したユージェニーの姿もあった。しかし、そのサロンで貴婦人たちが最も夢中になったのは、ようやく一歳になった愛らしいジョゼフィーナ姫の姿であった。

「フェリア、あなたにも抱いてやって欲しいの」

シャルロット姫はジョゼフィーナをフェリアに差し出す。フェリアは頷くとジョゼフィーナをそっと胸に抱く。

「いずれはこの子に婿を取って、宗家をついでもらわねばならない」

リシャールは真顔でリーシェに言う。

「気が早いと言うかもしれないが、リーシェ、覚悟しておいてくれ」

リーシェはあきれ顔で言う。

「殿下もシャルロット姫様もまだまだお若いのに…男の子ができるまで頑張っていただかないと」

シャルロット姫はリーシェの言葉に赤面しつつ頷く。フェリアも頷いた。

「そうですわね、ジョゼフィーナ姫様。…ぜひ、ブラウエンブルクに、お嫁さんにいらして下さいませ」

「そ、それは…」

リシャールが慌てて遮る。

「まだ早い、でしょう?」

リーシェが悪戯っぽく言う。

「アルトワ公爵家の、アレクシス殿は、同じ年齢ながら、もう三歳くらいに見えるらしい」

「そりゃあ、あの羆の息子だからなぁ」

ギュンターがそう軽口を言って笑う。ギュンターを取り巻いた貴婦人たちが、まあ、ギュンター様ったら!などと言って笑う。

「ギュンターは、意外とモテるんだな」

リシャールがそう言って感心したような顔をする。

「殿下、ご存じなかったのですか?」

リーシェはリシャールに言う。リシャールはリーシェに答えた。

「…その呼び方、やっぱり息が詰まりそうだ。リシャールと呼んでくれ」

「恐れ多いことです、殿下」

「リーシェ、いじめないでくれ」

リシャールの哀願に、ギュンターが助け舟を出す。

「リーシェ、リシャールがああ言ってるんだ、俺たちの間では昔の呼び名で行こうや」

「ギュンターは甘いなあ」

リーシェはギュンターを窘めるが、リシャールに頷いて見せた。

「ギュンターは僕たちより少し年上で、大人の男性だ。平民の出だが、近衛騎士団でも指折りの使い手で、武勲も上げている。それでいて、下卑たところはない。気配りもできるし、頭もいい。…何より、優しい」

「よせやいリーシェ、あんまり褒めるな。こそばゆい」

照れるギュンターに、リーシェはニヤリとして言う。

「たまにはこういうのも、いいだろう?」

「覚えてろぉ」

ギュンターはグラスを干す。周りの貴婦人たちが、グラスを差し出す。ギュンターはそのうちの一つを受け取ると、軽く頭を下げる。グラスを渡すことに成功したトリボニア伯爵夫人の顔が、喜びに輝く。

「ありがたいことだ。…毛嫌いされるより、ずっといい」

王妃はギュンターに言う。

「ギュンター、そなたも結婚して、家庭をもっては?」

「陛下、私は副長代行とはいえ、ただの近衛騎士…爵位をお持ちの方々に、申し訳ない」

「まあ、ならばすぐにでも、そなたに爵位を与えて―――」

「爵位などなくても、ギュンター様は十分に素敵ですわ」

トリボニア伯爵夫人はそう言ってギュンターの側に寄りそう。マレーネ、ずるいわ!と声がかかり、他にもギュンターの側に美しい婦人たちが近づこうとする。

「喧嘩はよしな」

ギュンターが穏やかに一声。婦人たちはおとなしくそれぞれの椅子に座る。呆れたように王妃が言う。

「成程、これでは誰を選んでも、問題が起こりそうだわ」

ギュンターは王妃に言う。

「流石は王妃様。よく、お分かりで」

コントレラス子爵夫人が王妃に言う。

「ギュンター様の正妻になれなくても…愛人でもいいのです。でも、ギュンター様はつれないのです」

「いつも言ってる筈だ」

ギュンターはコントレラス子爵夫人に言う。

「…俺たちは、何時戦場で死ぬか分からねえ。責任取れねえんだ」

トリボニア伯爵夫人も、コントレラス子爵夫人に同調する。

「エルフィアには現在、私たちのように当主が女性の家が少なくありません。私たちがある程度若いうちに、世継ぎを…。でも、その子の父親が、どなたでもよいわけではないのです。少なくとも、私たち自身が『これは』と見込んだ殿方でなくては…」

「成程、その問題はあるね」

トリボニア伯爵夫人はリーシェの言葉に頷く。

「本当に残念ですわ。リーシェ様や皇太子殿下が独身でいらっしゃったら…」

「リシャールとリーシェは売り切れよ。ね、フェリア」

シャルロット姫はフェリアに言う。フェリアは首を横に振る。

「リーシェ様には、側室を持っていただいていますわ」

王妃は頷く。

「入れ替わりに王都に来ていた、あの六人でしょう?」

「勿論、ヴィサン一の歌姫も」

「そうだったわね」

フェリアは王妃に言う。

「リーシェ様のお子は、今エルマのお腹にいる子を含めれば三人です。まだ頑張っていただかないと」

「困った奥様だ」

リーシェはそう言うと、王妃に言う。

「いずれにせよ、これで当面ウィルクスの蠢動を気にする必要はございません。私はもう一度領国に戻ります」

「まあ、寂しいこと」

「王都には近衛騎士団があります。ギュンター、クリスティンをはじめ、みな優秀です。ご心配なく」

リシャールはフェリアにも言う。

「フェリア殿、お身体を大切になさって下さい。乳飲み子を置いてご出陣下さったこと、お礼を申し上げます」

「殿下、よろしいのです。今夜は一泊させていただき、明日にはブラウエンブルクに戻りますわ」

ギュンターがリーシェに言う。

「王都には、いつ頃」

「今回は、向こうに一週間いたら戻ってくる」

「忙しいことだな」

リーシェはギュンターに言う。

「仕方ないさ。…でも、帰るところがあるって、素晴らしいことだよ」

「そんなもんかねえ」

リーシェは頷く。

「ギュンターにも、いずれわかるさ」



ウィルクス王国、王都キサナバード

ファラージ宮殿…


ウィルクスの王、ヴィエラ五世は、自分の前に跪いた黒衣の将軍からの報告を無言で受けていた。

「…以上です」

フィルカス・ドワイトフォーゼは、静かにそれだけ言う。

ヴィエラ五世は無言で頷いた。

立ち上がったフィルカスに、ヴィエラ五世は言う。

「遺族には、可能な限り報いてやってくれ」

フィルカスは深く一礼した。

己の手足といってもいい「黒の旅団」と並び、フィルカスが己の耳目として育て、重用してきた「黒の使徒」の一の手練であるウルグ・アリが、エルフィアで戦死したとの報告を受け、フィルカスは腸が煮えくり返るような思いでいた。一方で、ウルグ・アリを追い詰め、戦わざるを得ない状況にしたエルフィアの対処能力の高さにも、彼は舌を巻いていた。

エルフィアから送られてきた書簡には、細く美しい筆跡で記されていた。

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フィルカス・ドワイトフォーゼ殿


貴殿麾下の「黒の使徒」ウルグ・アリ殿につき

去る七月二日、ブラウエンブルクにて

私 エッシェントゥルフ侯爵リーシェ・フランシスと交戦し、

戦死いたしました。

同時にオスティアに潜んでいた「黒の使徒」五名も、

全員こちらで討ち取りましたので、ご報告まで。

みなこちらで埋葬いたしました。

彼らの遺品を差し上げます。


我が義兄、枢機卿マリューのお相手でお忙しいかとは思いますが、

次は戦場で相見えんことを。


リーシェ・フランシス


追伸

こそこそしないこと。

我々の後方を混乱させようと思わないこと。

部下を無駄に死なせたいなら、別ですが。

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リーシェはフィルカスに充てて、六名の黒の使徒の佩刀などを集め、旅の商人に託して送らせたのである。

明らかにそれは、リーシェからの警告であった。

余人でなく、黒の使徒一番の使い手であり、部下の教育にも当たっているウルグ・アリが、正体を見破られ討ち取られたのである。

ウルグ・アリを討ち取ったのは、どうやらリーシェその人であるらしい。

…まさか、奴自らが手を下してくるとは。

フィルカスは怒りと苛立ちを覚えていた。

一つには、敵のあまりの手際の良さに。

そして一つには、己の不甲斐なさに。

こうした事態も、想定できなくはなかったはずである。

彼は配下の黒の使徒に、総帰還の命令を下した。エルフィアが何らかの方法で、黒の使徒を識別できるとしたら、フィルカスがいかなる手練を送っても無意味。それどころか、送った者は全員討ち果たされる危険すらある。

現状は、フィルカスの予測の中でも最悪の極みであった。

「…将軍」

「魔道士長殿」

フィルカスはデルマインに深々と礼をした。

「…まさか、あのウルグ・アリが討たれるとは、思わなかったですな」

「間に合わなかった…無念だ」

「お気に病まれるな」

デルマインはそう言った。

「此度ばかりは、あの蒼の剣士にしてやられた」

「借りはいずれ返せばよい。…そなたがあまりに沈んでおっては、自慢の黒騎士達も士気を失いましょうぞ、フィルカス将軍」

デルマインはそう言うと、フィルカスに何事か耳打ちする。

フィルカスの顔色が変わった。

「何と、それは誠か?!」

「こんなことで、閣下に嘘をついても、何にもなりませぬからな」

デルマインはわずかに笑みを浮かべて、フィルカスに言う。

「…直接で駄目なら、別の手を考えればよいだけでございます」

「魔道士長殿は、恐ろしいお方だ」

引きつった笑いを浮かべるフィルカスに、デルマインは言う。

「なに、この程度の嫌がらせは、致しませんと。やられっぱなしは、面白くありますまい」

デルマインはフィルカスに言う。

「策が当たれば、秋に出兵できる可能性が出る。…兵の練度は、お任せしますぞ」

「承知仕った」

フィルカスは騎士礼を取ると、デルマインの前を辞した。


その足でフィルカスは、春宮(とうぐう)のマウのもとへ向かった。


マウはコーディリアと二人でフィルカスを出迎えた。

「…将軍、申し訳ございません」

マウは開口一番、フィルカスに深々と頭を下げた。

「…有能な者達を、こんなにも沢山」

「殿下」

フィルカスはマウの言葉を遮る。

「しかし、…ここまでの苦戦の原因は、あのオルトボレアリスの」

フィルカスは苦笑して言う。

「あの地で大敗したのは、私も全く同じですぞ、殿下。あなたは生意気なあのエルフとあの忌々しいジジイに、私は赤騎士に。…お互い、よく命があったものです」

「その上、西方でも…」

「ソルフィーやタズリウムが力を貸したのです。已むを得ないでしょう」

フィルカスは茶を一口飲むと、マウに言う。

「ともあれ、これで黒の使徒は全員本国に戻しました。次は北西に、兵を出すことになりましょう」

マウはコーディリアと顔を見合わせる。

「こんなにも早く、また兵を?」

「詳しくはまだ申し上げられませんが、魔道士長が何やら策を講じています。当たった場合だけ、取れるものを取りに行くつもりです」

マウは頷く。

「殿下には、西方に注意しつつ留守をお願いすることになるかと思います」

コーディリアはフィルカスに言う。

「すると、聖十字教国(クルーセイド)へ?」

「妃殿下は鋭くていらっしゃる」

フィルカスは苦笑する。

「どうぞ、ご内密に」

コーディリアは頷いた。

さてと、と言ってフィルカスは席を立つ。マウも一緒に席を立った。

「殿下をお借りしますぞ」

コーディリアは眉をひそめながらも頷く。

「…お早く、お帰り下さいね、マウ」

マウは苦笑しつつ、コーディリアに口づけをする。

「なるべく早く帰る」

二人は連れだって、キサナバード一の高級娼館、「プルシャプーラ」に向かった。



七月二十八日、ブラウエンブルク…


ブラウエンブルクと、新たにリーシェの所領になったオーベル、ミストラル、ナヴァールの三つの荘園で、一斉に冬小麦の収穫が始まった。とりわけオーベルの荘園の作況は良く、良質の小麦が豊作であった。

下賜された金貨を使って水路を強化したイビス地区では、荒れ地を開墾してライ麦畑を作り、その後一年家畜を放牧してから小麦畑にする、という方法で、イビスは豊かな集落になった。沢山取れる麦藁を集めて冬場の飼料として活用し、肉の生産も次第に増やしていった。

書類に目を通し、エルマが満足げに頷く。ふう!と大きな息をしたエルマに、フェリアが言う。

「無理をしてはダメよ、エルマ」

「はい、奥様」

エルマは素直に書類をテーブルに置く。エリザベスがそれを再びエルマに手渡す。

「奥様、エルマにはこれが一番の薬なのですわ」

フェリアは溜息をつくが、すぐに優しい微笑をたたえる。

「そうね、イビスは今年も豊作のようだわ。安心したでしょう?」

「きちんと収穫祭を見るまでは、安心できませんわ」

エルマは苦笑する。

「でも、どんどん畑も広がって、みんなお腹いっぱい食べられるだろうから、嬉しいですわ」

フェリアはエルマの膨らんだお腹を優しく撫でて言う。

「順調に行けば、十月の初旬にはお母さんになるのね」

「…不安です」

エルマはほんの少し顔を曇らせる。フェリアはエルマを抱いて言う。

「大丈夫、エルマ。きっと元気な赤ちゃんが生まれるわ」

「奥様」

そんな二人の様子を、エリザベスとチュールは嬉しそうに眺めていた。

二人にとって、エルマの懐妊と出産は、自分のことのように喜ばしいことであった。

その一方で、何時かは自分も…そんな思いを、二人は心の中で膨らませていた。


ドアが静かに開かれる。

「閣下、こちらでしたか」

リーシェは剣の手入れをしながら、入って来たクリスティンの方を見やる。

「―――何かあったかい」

クリスティンは黙ってリーシェに書簡を手渡す。

肩に触れたフェリアの掌から、エルマに彼女の緊張が伝わる。

そっとフェリアの表情を伺ったエルマに、フェリアは一瞬驚いたような表情をする。

エルマはそんなフェリアに、軽く頷いて見せた。

リーシェは無言で手紙を一読する。

「リーシェ様」

フェリアが心配そうに声をかけた。

「分かるのかい」

「ええ。…何か、よくない知らせですのね」

リーシェはフェリアに手紙を渡した。

手紙はタズリウムからのものであった。


北方の蛮族が、聖十字教国(クルーセイド)の東北部に大規模な侵入を行い、宮殿騎士団(テンプルナイツ)をはじめとする聖十字教国軍はそちらを防がざるを得なくなった。

流石にマリューは南東部の戦線を動けないため、ヴァルス侯爵シャルルが蛮族を防ぎに出た。

しかし蛮族は四万を超える数である。

百戦錬磨のヴァルス侯爵もすぐには敵を追い払えず、戦線は膠着した。


手薄になった聖十字教国(クルーセイド)の東部辺境に、ウィルクス軍が侵攻したのである。

新たに抜擢された「黒の旅団」の若き軍団長、アルジュナ・サウルに率いられた三千の軍が、四つの都市と四つの荘園、そしてチェディラバードの砦も落として立て籠もった。

あまりの速さに、マリューにも打つ手がなかった。

駆けつけたタズリウムにも、チェディラバードの最寄りの要害トゥールに籠り、アルジュナの動きを牽制することが精一杯であった。

恐らくは、ウィルクスの宮廷が動き、蛮族を動かしたのであろう。

そう、タズリウムは結んでいた。


「お兄様…」

フェリアは不安そうに言う。

リーシェはフェリアの肩を抱いて言う。

「義兄上はこんなことでやられたりはしないよ」

フェリアは不安そうにリーシェの顔を見上げる。リーシェは頷いた。

「確かに、出し抜かれた感はあるけれどね」

「ウィルクスは、どう出てくるでしょう」

フェリアの言葉に、リーシェは手入れしていた剣を鞘に収め、静かに言う。

「恐らく、そろそろ王都から早馬が来るはずだ」

クリスティンも頷く。

「クリスティン」

「はい」

「急ぎ王都に戻れ。いつでも、出陣できるようにしておくんだ」

「兵力は、如何程」

「軽騎兵が千もあればいい。第一、第三の両中隊合計百名に、出陣の準備を」

「はい」

「それと」

と、リーシェは言う。

「…ダライアス様に、僕がお知恵を拝借したいとお伝えしてくれ」

「かしこまりました」

クリスティンはフェリアとエルマに一礼すると、静かに部屋を出ていった。

エルマは溜息をつく。

「…ご出陣ですのね」

「済まない、出産に立ち会うのは恐らく無理だ」

エルマは首を横に振る。

「いいえ、…ご無事でお戻りくだされば、それだけで」

リーシェはフェリアに言う。

「…敵も、若い優秀な人材を前線に送り込んで来る。流石だよ」

「恐らく、フィルカス子飼いの騎士ですわ」

「奴らしい。不要なちょっかいを出して来る…」

リーシェは表情に微かに怒気を含ませる。

「―――部下を全滅させられないと、分からないかな…」

「あまり熱くならないことですわ」

「そうだね」

フェリアはリーシェのその怒りを和らげるように言う。

フェリアの言葉に、リーシェの怒気がすっと消える。

「いずれにしても、嫌らしい手を打ってくるね」

「ええ」

リーシェは本棚から地図を取り出し、テーブルの上に広げる。フェリアがそれをのぞき込む。

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