覚醒
(39)
一月一日、王都ヴィサン…
近衛騎士団の新年の手合せ始めは、凄まじい激闘の連続であった。隣席していた王と王妃、リシャールとシャルロット、アルトワ大公やセギエ卿といった高位の貴族達は、激戦を固唾をのんで見守っていた。
第五中隊の、ヴィクトール・クラムニックが、愛刀ロタールに青白い炎をのせて鋭い攻撃を放つ。呻き声と共に、スィンバーン・ラシュフォードがその場に崩れ落ちる。
「さすがに、ソードマスター同士の戦いは見ごたえがある」
王は顎鬚をしごきながら唸る。リシャールが王に口添えする。
「クラムニック殿は、銀騎士シュテッケン様のお弟子でございます」
「見事な技じゃ」
リーシェは無言で闘場を眺めている。その憮然とした表情に、リシャールは溜息をついた。
それに気付いたリーシェは、リシャールに言う。
「殿下、どうなさいました」
「いや、リーシェがそんな表情をしているから、何かあったかと思ってさ」
リーシェは闘場に視線を戻し、表情を改めると、
「…クラムニックもまだまだ甘い、と思ってね」
「厳しいの、我らが団長殿は」
王がニヤリと笑って言う。リーシェは苦笑して言う。
「すぐにわかります。私はクラムニックに、この程度の技を期待しているのではありません」
第一中隊の席で、ギュンターが腕組みしながら、王と高位の貴族たちの様子を眺めていた。
「…ありゃあ、かなりご機嫌斜めな顔だな」
ギュンターはそう言った。彼は傍らのクリスティンに視線を向ける。
「おい、クリス」
「はい」
ギュンターは軽い調子で言う。
「…お前に任せる。後全部、ぶっ倒して来い」
「よろしいので?」
クリスティンはギュンターに気遣わしげな視線を向ける。第一中隊はギュンター、イレーネ、クリスティンの三人を残していた。ギュンターは苦笑して言う。
「俺やイレーネの出番は、必要ねえ。全部お前にやるから、手早く頼むぞ」
「アルトワ公は、きついです」
そう言って、クリスティンは立ち上がる。
「ご褒美は、はずむぜ」
「では、団長にご予定を伺っておいてください」
え…という顔になるギュンターに、クリスティンは笑って言う。
「『お疲れでなければ』と…」
あっけにとられるギュンターをおいて、クリスティンは闘場に上がる。
あの野郎…。
ギュンターは苦笑する。
「ね、副長代行」
「なんだイレーネ」
「その、…く、クリスが…全員、抜いたら…」
「あいつ、夜伽を要求しやがった」
「えー!?」
「俺のじゃねえぞ、念の為だが」
「そ、そりゃ、そうでしょうけど…」
イレーネは闘場を見やる。
「…団長もだが…みんな災難なことだ。今日のクリスは、とんでもなく強いぞ」
「おお、ここでクリスティンか」
リーシェの隣にいたソシエール公爵が、隣にいるドレス姿のラーリアに言う。
「これも見ごたえがありそうだな」
しかし、ラーリアの顔には驚愕の色が張り付いていた。
「ううん…、残念だけど…一瞬で終わるわ、アーク」
ソシエール公爵とリシャールの間にいたリーシェは、左を向いてラーリアの顔色をちら、と伺う。
「…ちょっと見ない間に、どんな修業をしたの…」
リーシェは苦笑する。
「見ていれば、わかるさ。…でもさすがはラーリアだ、勝敗は分かったようだね」
「アタシを誰だと思ってんのよ」
クリスティンとクラムニックが正対する。クラムニックの剣からは、青白い剣気の炎が吹き上がる。
クリスティンの気は、凪いだ湖の水面のように静かであった。
王が椅子から身を乗り出す。
二人は無言で騎士礼を交わす。
そのまま間合いを広げ、両者構えに入る。
「えやあ!」
気合一閃、クラムニックの大剣がクリスティンを襲う。
クリスティンの剣の間合いより外からの、大剣ならではの攻撃である。
しかし、一瞬の後、闘場が驚愕に包まれた。
クリスティンは剣に気を込めるでもなく、クラムニックの大剣の一撃を、まるで水が流れをすり抜けるように受け流しつつ、一気に相手の懐に飛び込んだ。
突きの構えをいったん取った後、剣を持っていない方の手で、クラムニックの水月に掌底突きを放つ。
攻撃を仕掛けたはずのクラムニックが、五メートルほど吹き飛ばされ、ころころ…と後ろに転がって場外に落ちた。
哀れにも、クラムニックは口から泡を吹き、完全に気絶していた。
ここまでの攻防を、完全には見きれなかった者の方が、闘場の周りには圧倒的に多かった。
しかし、見えた者の背には、驚愕と恐怖が走った。
今の受けは、紛れもない、「蒼のリーシェ」の受けだ。
これから彼女と戦うラスカー卿の膝に、震えが走った。
第一中隊の席から、歓声と拍手が起こる。
「クリス、ラスカー卿だ!『お馬鹿隊』の強さを、思い知らせてやれ!」
ギュンターが応援か野次かわからない声援を、クリスティンに送る。
クリスティンはちょっとだけ応援席に手を上げて答え、また元の通り静かな気をたたえる。
ソシエール公爵は言葉を失い、闘場を呆然と眺めていた。
「昨年の年末に、僕からマスターを許したばかりだ。見届人は、フェリアにお願いした」
「…とんでもない使い手だ」
ラーリアはリーシェに言う。
「こ、このままいくと…」
「抜くだろうね、五人は」
第五中隊の副長クラムニック。
第二中隊長ラスカー。
第三中隊副長代行、カール・スヴェート。
第四中隊長ヴェスタール。
第五中隊長ジェット。
近衛騎士団の副長から始まり、中隊長四人を倒す…そう、リーシェは言う。
「グリムワルドが、止められるかどうかがカギだよ」
「どうじゃな」
王の言葉に、リーシェは答える。
「まずは見てみないと、わかりません」
リシャールはリーシェの表情が、さっきまでとは全く異なる、満足げな微笑みに満たされているのを見て取った。
間違いない、グリムワルドでも大苦戦するはずだ。
リシャールは確信して、闘場に目を戻す。
ラスカーはクリスティンに正対しながら、目の前の相手がとんでもない難敵であることを肌で感じていた。
強い。
何時の間に、こんなに強くなった?
ラスカーはやや遠い間合いから、軽い牽制の一撃を放つ。
しかしクリスティンは構えた足を動かしもしない。
剣を受け流されたラスカーの表情に、驚愕の色が張り付く。
剣がぶつかった手ごたえが、全くない。
しかし自分の振るった剣が、あらぬ方向に向けられ、彼女にあたらなかったことは理解できた。
クリスティンが一歩前に出る。思わずラスカーの左足が半歩下がった。
その瞬間に、勝負は決した。
「ぐ…はっ…」
左の脇腹に、とんでもなく重い一撃を受け、ラスカーは前のめりに崩れ落ちた。
リシャールが呟く。
「速い…!『炎旋』か」
「峰打ちだけどね」
リーシェはこともなげに言う。
「実戦なら、ラスカーは腰斬されておったな」
「御意」
ラーリアの顔は蒼白であった。
自分に、止められただろうか。
自信はない。
あの踏込の鋭さ。正確な、全くブレの無い剣筋。
そこにひとかけらの迷いも、恐れもない。
リーシェは満足気な微笑みを浮かべながら、静かに闘場を眺めている。
ラーリアの顔から、血の気が失われる。
強い。強すぎる。
確かに、素質は感じた。最強クラスの精霊剣の持ち主でもある。
にしても、これまでの彼女の強さには、大きなムラがあった。
今のクリスティンには、その不安定さが全く感じられない。
まさか。
ラーリアは恐る恐る、リーシェの横顔を眺めやる。
リーシェの気にも、全くブレはなかった。
ラーリアの目から、涙が一滴零れて落ちた。
リーシェは一瞬だけラーリアの方を見やると、軽く目を伏せ、頭を下げる。
「…分かったわ」
ラーリアは涙を拭って、ソシエール公爵に言う。
「どうしたんだ、ラーリア」
「何でもない、心配しないで。クリスティンの強さの秘密が、分かったような気がして」
「どういうことだ」
「後で説明するわ、それより始まるわよアーク」
ヴェスタールはクリスティンと正対し、美しい騎士礼を取る。
クリスティンも騎士礼を取る。
二人はぱっと左右に分かれた。
ヴェスタールは剣を腰だ目に構える。高密度の気が、彼の剣に集まっていく。
闘場を、重い剣気が満たす。
「流石はヴェスタールだね」
リーシェは満足そうに言う。
「どっちが勝つ」
リシャールが尋ねる。間髪を入れず、リーシェは答える。
「もちろん、…」
その瞬間。
クリスティンの鳩尾めがけ、ヴェスタールが放った得意の平突きが、クリスティンの身体をすり抜ける。
「!?」
今のは、「幻影斬」!?
一瞬ヴェスタールは躊躇した。しかし、彼は直ぐに記憶を呼び覚ます。
違う。リーシェ殿の技は、全く見えなかった。
今のはクリスティンの体捌きが、そう見せただけだ。
ヴェスタールは突いた剣をそのまま右に薙ぐ。
グシャッ…
鈍い衝撃音が響き、ヴェスタールはその場に倒されていた。
ヴェスタールの剣の下を掻い潜ったクリスティンが、クラムニックの時と同じように、重く深い掌底をヴェスタールに見舞っていたのである。
「…クリスティンの突きが、まさったようだね」
リーシェの言葉に、ラーリアは彼の顔を見る。
「ヴェスタールの突きは、超一流だよ。あのラルフォン・ベヒシュタインを倒した突きだからね」
「ヴェスタールは、手加減…」
ラーリアは恐る恐る尋ねた。しかしリーシェは首を横に振る。
「してないさ。あの殺気だよ」
それじゃ、手加減したのはクリスティンの方?
「フェリアの剣筋を見たのが、大きかったようだ」
成程…。
リーシェの言葉に、貴賓席の一同が大きく頷いた。
アルトワ家の護衛士隊から近衛騎士に抜擢されたカール・スヴェートも、一太刀でクリスティンに打ち倒された。とんでもない強さである。
「何て奴だ…隊長格四人倒して、涼しい顔してやがる。剣の力か…?」
リーシェは闘場に上がって来たジェットに、声をかける。
「ジェット、クリスティンは…その剣の力を、ここまで一切使っていないよ」
「な、何だと!?」
リーシェは頷く。
「じゃ、さっきの『炎閃』は…」
「多分、壁の木剣でも、一度なら出せるだろうよ。剣が焦げるだろうけれど」
クリスティンはリーシェの方に振り向いて、小さく頷く。
「よく修行したね、クリスティン」
「まだ終わっていません、閣下」
リーシェは苦笑して言う。
「そうだったね。…ここからの二人は、強いよ」
「はい」
ジェットは彼の大剣に十分に気を乗せる。
「俺とて近衛騎士団副隊長の一人だ。むざむざやられはせん」
「最強のお馬鹿隊、第一中隊の名にかけても、手合わせだけは譲れません、クレーメル男爵」
「行くぞ!」
「参ります」
二人は騎士礼を取ると、斬り結ぶ。
ジェットは完全に本気だ。クリスティンを斬る勢いだ。
ラーリアは、久々に本気のジェットの立ち回りを目にした。
その大剣で、フィルカスの操る首無騎士を打ち倒すなど、魔物やウィルクスの正騎士など、ラーリアが知る限りジェットは一度も一騎打ちでおくれを取っていない。
ジェットはクリスティンに衝撃斬を放つ。それに対する反応を見て、ジェットは攻撃しようとしたが―――
その足が止まる。
クリスティンはその剣にわずかに剣気を込め、ジェットの放った衝撃斬をサラリ、と受け流した。
ジェットは剣を正眼に構え、ぴたりと動きを止める。
リーシェが表情を改める。
「流石はジェット」
ジェットはリーシェに言う。
「リーシェ、またとんでもないのを育ててくれたな」
彼はクリスティンに正対したままで言う。
「こりゃ、お前の受けに本当にそっくりだぞ」
「まだまださ。…さ、どうする?」
ジェットはニヤリと笑う。
「行くぜ」
ジェットの剣気がふっ…と緩む。
見ている者達が一瞬、えっ…と思った瞬間、ジェットはあっというまに間合を詰め、凄まじい連続攻撃を放った。
殺気をまるで感じさせないその攻撃は、余人に剣筋を読ませない。
クリスティンもさすがに二歩後退し、構えを半身に変える。その背中側から、ジェットは大剣で打ち込む。
躱せない。
取った!
ジェットがそう思った瞬間。
ジェットの大剣が、クリスティンの身体をすり抜けた。
「な、何だと!?」
クリスティンの反撃を、ジェットは紙一重で躱す。その顔に驚きの色があった。
クリスティンは僅かに笑みを浮かべて言う。
「クレーメル男爵の秘剣、『影の剣』…手合せでは初めて拝見いたしました」
ジェットの顔に、緊張が張り付く。
こいつ…どうやって躱した?
彼は暫し動きを止める。
重い空気が闘場を支配した。
クリスティンは仕掛けない。
その間に、ジェットはいくつか頭の中で、仮説を立てていた。
そして、そのうち一つに行き着いた。
彼女の使った技は、リーシェの持つ「幻影斬」とは異なる。
恐らく、何の変哲も無いただの「歩法」だ。
重要なのは、それがとんでもないレベルで使われていることだ。
ジェットは決断した。
彼は再び剣気を消す。
俺の技が途切れるのが早いか、
奴の足が乱れるのが早いか。
乾坤一擲の勝負を挑む。
ジェットの身体が、一瞬消えた様な錯覚を、その場にいた多くの人間が覚えた。
キィン!カキィン!…
鋭い金属音が連続して起こる。再びジェットの連続攻撃が始まった。
ジェットはそれを延々と続ける。
クリスティンはその場に立ち続け、ジェットの攻撃を捌き続ける。
こいつ…、いつまで…
ジェットの顔に、驚きの色が張り付く。
クリスティンは後退しない。それどころか、巧みに剣で捌きながら、じりじりと間合を詰めて来る。
「!」
ジェットの連続攻撃の間に、白銀の輝く重い剣気の乗った一撃が割り込んできた。
「炎旋」。
ジェットはそれを見て取ると、体を開いて躱し、逆にクリスティンが前に出した右足を薙ぐ。
その剣が、足を素通りする。
しまった、とジェットが思ったその瞬間。
ジェットの鳩尾に、クリスティンの右の掌底が突き刺さっていた。
カラン…と、クリスティンの剣が闘場の床に転がる音がする。
「お見事」
静かにリーシェが言う。
「剣を、捨てたのか」
王がクリスティンに尋ねる。
「捨てねば、そのまま男爵を貫いておりました。掌底ならば、死ぬ可能性は下がります」
クリスティンは答える。
見ていたグリムワルドは戦慄を覚えた。
ありゃあ、「閃撃」だ。リーシェの奴、クリスティンにどこまで何を教えた?
剣技に関しては、下手するとあの赤騎士並かも知れねえ。…いや、そうだと考えた方が良さそうだ。
グリムワルドはそう考えた。
彼はのしのし…と闘場に上がる。大の字になって気絶したジェットに、彼は活を入れる。
「…死んだかと思ったぜ」
「真剣勝負ならな。完全に串刺しの筈だ」
ジェットは担架に乗せられ、闘場をおりる。
グリムワルドはクリスティンに正対した。愛用のブラクステアードの大きな戦斧を立て、堂々たる騎士礼を取る。
「…あれと正対して、正気でいられることが、既に賞賛に値するぜ」
ギュンターはそう呟く。
側に座っていたマイアとイレーネも頷く。
闘場の二人は互いに騎士礼を終え、三メートル程の間合で対峙した。
グリムワルドが、やや遠い間合から斧を振るう。飛び退いたクリスティンだったが、斧の柄いっぱいまでスライドさせたグリムワルドの一撃はクリスティンを捉えた。両手で剣を支え、クリスティンは左へ四メートル程吹き飛ばされた。
おお!と、観衆から嘆息が漏れる。
しかし、グリムワルドは斧を構え、警戒したままであった。
当たった瞬間の手応えが、軽すぎる。
奴自身が跳んで、衝撃を逃したのだ。
グリムワルドは全く動揺していない。
むしろ、それが当然という顔をしていた。
彼は斧に剣気を集める。
徐々に斧は赤く染まり始めた。
リシャールはリーシェに言う。
「決めにきたか?」
「どうかな」
リーシェはもう微笑んでいない。
グリムワルドの剣気の集まり方はかなりの高密度である。つまりそれだけ範囲が狭まる、ということであり、躱された際のリスクは増す。しかし当然ながら、当たった場合の威力も大きい。
ラーリアは聖都ロードポリスでの手合せを思い出していた。
グリムワルドが集めた気の量、そして密度は、マリューのそれと遜色ない。
むしろ、密度は明らかに上に見えた。
当たれば、明らかに無事では済まない。
しかし、クリスティンは落ち着き払っている。といって、それまでの彼女にありがちだった「捨て身の勝負」を仕掛けることは
なかった。ただ自然体で、グリムワルドの攻撃を待ち受けていた。
グリムワルドの斧が、明るい紅色の光を放つ。
「喰らえ、クリスティン!」
クリムゾン・ストライク。
赤騎士マリューの必殺剣である。
本来は、火炎剣であるロタールの大剣で放つ技であるが、グリムワルドは大きなブラグステアードの斧に、のせられるだけの剣気を全てのせて、クリスティンに叩きつけようとしていた。
その時、クリスティンが古代語を唱える。
一瞬、ギョッとした顔になるグリムワルドであったが、もう止まれない。
ヤバい、古代語魔法が来るのか!?
しかし、彼女が唱えた言葉は、古代語魔法ではなかった。
「|O rex spiritus argentus《白銀の精霊王よ》 !」
その瞬間。
彼女の剣からまばゆい光が迸った。
グリムワルドは真正面から、剣気の塊を叩きつける。
鈍い金属音が響いた。
赤と銀の光が弾ける。
光がおさまると、両者は闘場の端と端に
分かれていた。
グリムワルドの騎士服の所々が、ズタズタに裂かれている。
彼の上半身は、半裸であった。
かたやクリスティンの騎士服も、所々ボロボロになり、彼女も肌が露わになりかけていた。
「…そんな手が、あるとはな」
グリムワルドは荒い息を整えながら、やっとそれだけ言った。クリスティンは全く動じた風も見せない。
クリスティンが、闘場の床を蹴る。
空気が裂ける音の一瞬後、高い金属音が響く。戦斧を盾のように使い、グリムワルドはクリスティンの打ち込みを何とか凌ぐ。
「何とっ」
グリムワルドは戦斧の石突でクリスティンを攻撃する。受けたクリスティンの身体が、空中でコマのように一回転する。
キィン!
グリムワルドの力をそのまま受け流し利用して、クリスティンは反撃する。グリムワルドはまだ余裕を残しながら、それを斧で受ける。
「…すげえ剣だな」
クリスティンはにっこりする。彼女は剣に気を込め始める。
「…全力で参ります、閣下」
「面白え!」
グリムワルドも愉快そうに笑うと、再びブラグステアードの戦斧に剣気を込める。
気合一閃。
二人は武器を振るった。
鋭い金属音が、二つ響く。
「!」
「リーシェ様!」
リーシェが二人の間に割って入っていた。
「…それまでだ」
リーシェは右手の大刀でグリムワルドの一撃を、左手の長刀でクリスティンの打ち込みを受け止め、両者の技を己が気で押さえ込んでいた。
「リーシェ」
グリムワルドの言葉に、リーシェは言う。
「このまま行くと、明らかに相討ちになるんでね。両者ともお見事。これまでにしよう」
クリスティンはその言葉に剣を納め、騎士礼を取る。
「…悔しいが、否定できねえ」
「済まない、グリムワルド。今回は第一中隊が優勝だ」
リーシェはそう言うと、自分が纏っていたマントを外して、クリスティンにかけてやる。
「着替えておいで、クリスティン」
その言葉に、クリスティンはようやく羞恥の色を見せる。彼女はリーシェのマントにくるまりながら、屯所に戻って行った。
「そう、そんなことが…」
リリーはラーリアにワインを注ぎながら、そう返事をした。
「…あの子も、エルマと同じように…」
ラーリアはそこで言葉を切る。
リリーは無言で頷く。
二人に、その先の言葉は必要無かった。
「驚かないのね?」
ラーリアの言葉に、リリーは苦笑する。
「遅かれ早かれ、そうなると思っていたわ」
リリーはワインを一気に干す。
今度はラーリアが酒を注いだ。リリーは言葉を続ける。
「それに、フェリア様がお許しになった…というより、リーシェ様にお勧めしたとのこと…ならば、私たちが口出しすることでは」
ラーリアは溜息をつく。
「はぁ…何だかなあ」
早まった…という表情を見せるラーリアに、リリーは再び苦笑すると、
「かわいいお嬢様がいるのですもの、後悔しない、後悔しない」
「アタシだけ、抱いてもらってないのよ」
ラーリアは口を尖らせる。
「それは、その通りね」
リリーはにっこりする。
「む〜、その余裕が、気に入らないなぁ」
ラーリアは膨れて見せ、そして苦笑する。
ギュンターは、マイアとイレーネを連れてリリーの店に来ていた。
今夜は、リーシェの姿は見えない。
ギュンターからクリスティンの言葉を聞いたリーシェは、手合せが終わるとすぐ、クリスティンを連れて上屋敷に戻ってしまったのであった。
「しかし、本当にご褒美になるとはな」
「団長も団長だけど、クリスもクリスだわ」
「チャンスと見たら、多少強引でも取りにいく。そしてものにする。見習わなくちゃ」
ギュンターは感心したようにイレーネを褒める。
「分かってんじゃねえか、イレーネ」
「馬鹿は馬鹿なりに、考えてますからね」
イレーネは一番テーブルで語り合うラーリアとリリーを眺めやりながら、そう言った。
「明日の夜は、宮中だからな」
「はい」
「礼儀は頭に入ってんだろうな」
「勿論ですよ」
王都ヴィサン…
一月二日、朝七時…。
エッシェントゥルフ家、上屋敷
リーシェはシャツのボタンを掛ける。
クリスティンがリーシェの背に、セルリアンブルーの騎士服の上着を着せる。
「ありがとう」
自然にそう言うリーシェに、クリスティンの頬は熱くなる。
まるで、彼女自身がリーシェの妻であるかのような、この状況。
永遠に続けばいいのに…
そう、クリスティンは思った。
「よく、お似合いですわ」
リーシェはクリスティンの言葉に苦笑して言う。
「君も、支度を」
「はい」
「すぐに朝食にさせるよ」
リーシェはそう言うと、洗面所に向かった。
クリスティンはその背中を上気しながら見送っていた。
蒼のリーシェを、一夜賜れ…。
クリスティンは、口の中でその言葉を転がした。
余りにも有名な、その台詞。
リリーならずとも、口にしたくなる。
彼女が慕い、愛する上司の名を、クリスティンは小さな声でもう一度口にした。
エッシェントゥルフ家に限らず、エルフィアでは元旦だからといって特別に何かをするということはなかった。ただ、敬虔な聖十字教徒にとっては、新年の祈りは大切な行事であり、リーシェは屋敷にある聖堂で静かに祈りを捧げていた。
「閣下」
「クリスティンか」
「はい」
リーシェは呼びに来たクリスティンに答えて、立ち上がる。
彼は既に近衛騎士団長の儀礼服を一部の隙もなく身に纏っていた。
二人は朝食のテーブルについた。
ライ麦パンとチーズ、そして落とし卵、熱いミルクティー。
ごくごく普通の朝食。どちらかというと質素な食事である。
館のメイドたちが、てきぱきと動き、二人に給仕をする。
「今日は忙しくなりそうだから、しっかり食事をしておかないと」
クリスティンは頷く。
「今夜は、リリーさんがこちらにおいでになる、と伺いました」
「耳が早いな」
クリスティンは苦笑する。
「男爵夫人から」
「ラーリアか」
リーシェも苦笑する。
「口が軽いことだ。…彼女はご機嫌斜めだったんじゃないか」
「お分かりに?」
リーシェは溜息をついてみせる。
「大方、『自分だけかわいがってもらってない!』とか言ってそうだ、と思ってね」
クリスティンはくすっ、と笑う。
「どんなにお願いされたとしても、結婚してるひとは、さすがに対象外だよ」
「そうですね」
クリスティンは頷く。
「―――一連の新年の行事が終わったら、またブラウエンブルクに行ってこなくてはならない」
「留守はお預かりします」
「任せる」
リーシェは表情を改める。
「護符の使い方は、マスターできたね?」
「はい」
クリスティンは力強く頷く。
リーシェが時間を見つけて作り続けている、対「黒の使徒」用の護符。
市井にどんなに隠れても、どんなに変装をしても、この護符を使えば必ず「黒の使徒」を発見することができる。多くの優秀な戦士達に、リーシェはこの護符を持たせ、各地で「黒の使徒」を仕留めてきた。
「…僕の留守中に、王都を混乱させられてはたまったものじゃない」
「ブラウエンブルクは、大丈夫なのですか?」
リーシェは力強く頷く。
「たとえ身重でも、フェリア相手に生きて帰れる『黒の使徒』はいないよ。国を空にして、フィルカス本人が出てくるなら別だけれど」
「以前、お話に出た首無騎士は?」
「フェリアは神聖魔法も使えるから、全て『解呪』できる。そもそも、彼女相手に首無騎士は意味がないのさ」
リーシェはそう言うと、ミルクティーをもう一杯飲んで立ち上がる。
「王都は、ギュンターと君がいれば大丈夫だろう」
「近衛騎士団の総力を挙げて、王都を守ります」
リーシェは頷く。
「各諸侯の護衛士たちも、我々に味方してくれるだろう。僕たちがここに来た頃より、だいぶマシだ」
「はい」
王都ヴィサン、グロワール宮殿…
一月二日、午後一時三十分…
リューク十五朝エルフィア王国の、新年の謁見が始まった。
トーラスⅢ世、王妃ロザムンデ、皇太子リシャール、皇太子妃シャルロット、そしてシャルロットの腕に抱かれた王女ジョゼフィーナ。宗家の五名が玉座に登場すると、満場の廷臣たち、騎士達から万歳の声が沸き起こる。
宗家の側近くを固めるのは、文武の重臣達。
押しも押されもせぬ、エルフィア一の重臣、宮宰コーディアス大公。
すっかり健康になり、宮廷に重みをくわえるアルトワ大公。
そして、エルフィアの智謀、ソシエール公アルクタス。
その妻、アルマノック男爵夫人ラーリアが、愛娘カレンを抱いて寄り添っている。
財務卿セギエ侯爵。東方の重鎮たる、東部辺境伯。
外務卿フィロンド伯爵と、その嗣子グラナガン。
アブキール侯爵と、その嗣子エセック男爵テオドール。
リヒテンヴァルト侯爵。
他にも、華やかに着飾った多くの貴族たち、紳士淑女たちが大広間に集っていた。
武官の方に目を移すと、コーディアス大公の向かい側、武官の最上位に、近衛騎士団長兼王国武術指南役、エッシェントゥルフ侯爵リーシェ。
以下、近衛騎士団の中隊長が、ロタール伯爵エマニュエル・ラスカー、アルトワ公爵グリムワルド、ロストク伯爵ヴェスタール、クレーメル男爵ジェット・ローゼンフェルドの順に続く。彼らの後には、その影のように副長並びに副長代行が付き従っていた。
既に近衛騎士団に所属することが、エルフィア王国でも屈指の使い手であり、優秀な人物、エリートであることと同義になっていた。
王がリーシェを玉座の前に招く。膝をつき、音もなく跪いたリーシェに、宮宰が目録を読み上げる。
エッシェントゥルフ侯爵リーシェ殿。
上記の者、我がリューク十五朝エルフィア王国に対する、
アル・ドミナン朝ウィルクス王国の諜報集団「黒の使徒」の排除に多大なる功績あり。
この功績により、以下の荘園を下賜する。
オーベル。ミストラル。ナヴァール。
また、自治都市ピアリアの徴税権を下賜する。
「…上記、我が名の下に命ず。」
宮宰が羊皮紙に王が直々に行った署名を廷臣たちに示す。リーシェは静かに頭を下げる。
王はリーシェに言う。
「そして、リーシェ殿」
「は」
「今後そなたは、余に対し跪く必要はない。全て、立礼でよい」
不跪。
エルフィアでは宮宰コーディアス大公のみが、トーラスⅢ世に許されている特権である。
「陛下、勿体ない」
リーシェは深々と頭を下げたが、宮宰コーディアス大公はリーシェを立たせる。
「そなたが頭を下げているところを、暗殺者が狙ったら何とするのじゃ。我等両名で、まず陛下をお守りするのじゃ、リーシェ殿」
宮宰はリーシェに強い調子で言う。
「これは、単なる特権ではない。まず真っ先に、陛下をお守りする、という役目なのじゃ」
「宮宰様」
リーシェの顔色が変わる。
「頼む。…皆を守ってやってくれ」
リーシェはその場に跪く。
「御意。お守りいたします」
廷臣たちからわっと歓声が起こった。
既にリーシェには軍団長として、騎士以下の身分の者に対する生殺与奪の権利などが与えられている。
彼が持つ指揮権は、エルフィアでも最上位の物であり、その家格は十五朝の各諸侯と同格であった。
それに対し新たに、その権威を上げる特権が付与されたのであった。
クリスティンは王と王妃の前に跪いていた。
「面を上げよ」
顔を上げた彼女に、王妃が目を細める。
「まあ…何て綺麗な目…」
「ありがとうございます、王妃様」
クリスティンは素直に礼を言う。王も目を細める。
「良い腕じゃ。アルトワ公と互角に戦える騎士は、ヴィシリエン全土を見ても数えるほどしかおるまい」
「ありがたき幸せ」
クリスティンは深々と頭を垂れる。
王はコーディアス大公に目配せする。大公は頷くと、目録を読み上げ始めた。
近衛騎士団第一中隊副長代行
クリスティン・リード
上記の者に、自治都市テューリアの代官兼務を命じる。
コーディアス大公は、クリスティンに目録を手渡す。
「しっかり励むのだぞ」
「ありがたき幸せ」
王は目を細めて見ている。王妃が嬉しそうに言う。
「こうして、若く優秀な人材が出てくるのは、誠に喜ばしいことですわね」
「王妃の言う通りじゃ」
王は満足そうに答える。
「ダライアス殿」
彼はコーディアス大公の後ろにいたダライアスに声をかける。
「陛下、何でございましょうか」
王はダライアスに言う。
「ご覧いただいた通り、この娘、剣の腕は超一流なのじゃが…」
王は苦笑しながら言う。
「領主の仕事は、初めてなのじゃ。」
ダライアスはクリスティンを愛おしむような優しい視線を向ける。
「平民の出であれば、むしろそれが自然でしょう」
「ダライアス殿さえよろしければ、クリスティンに色々と教えてやっては下さるまいか?民も喜びましょう」
クリスティンはダライアスの前に跪いた。
「賢者様、テューリアの民のため、どうか私にご教授下さい。お願いいたします」
ダライアスはワラキス侯妃を見る。ワラキス侯妃はダライアスの前に跪いたクリスティンをじっと見た。
「ダライアス様、この若い騎士様の頼みを、聞いて差し上げて下さいませ」
「よろしいので」
ワラキス侯妃は頷く。
「私達も、この国の為にお手伝いするべきですわ。…一本気で、まっすぐな、よき代官様になられますように」
クリスティンはワラキス侯妃に深々と頭を下げた。
「侯妃様、ありがとうございます!」
ダライアスもようやく頷いた。
「クリスティン殿、どこまでお役に立てますか分かりませぬが、どうぞよろしくお願いいたします」
リーシェがダライアスに言う。
「今のうちに申し上げておきますが、彼女は宮廷の常識には本当に疎いです。どうか、お見捨て無きようにお願い申し上げます」
「何の」
ダライアスは笑う。
「思いやりや慈悲の心は、十分お持ちです。数字にまるで弱くても、仮に文盲でも…民の心に寄り添っていけるなら、それで十分です。物を知らないことは、何ら問題ございません」
ギュンターが言う。
「良かったな、クリスティン。お馬鹿でも、賢者様が教えて下さるそうだぞ」
「いやいや」
ラスカーが言う。
「物を知らないことで、旧習にとらわれない政を行える可能性もありますからな」
彼はクリスティンに言う。
「恥をかかない程度には、勉強するのだぞ、クリスティン」
「はい、ラスカー様」
同日夜七時…
王宮に設けられたいくつものサロンのうち、最も奥のサロンに、黒山の人だかりができていた。美しいリュートの音が響き、歓声と拍手が湧く。
今年もリリーは新年の宴で歌っていた。




