レポート 006 「平和な朝は未だ来ず」
灰色ウサギが逃げ回る、高い草木を掻き分けて。ウサギが進路を変えるたび、大きな爪痕が地に残る。それでもウサギは、ただ走る。
獣が入り込めないこの比較的平和な森のエリアでウサギの天敵となるのは空を飛ぶグリフォンだ。他にも空飛ぶ魔獣はいるが、安全地帯の小動物を好んで襲うのはグリフォンだけだった。
グリフォンは群れで行動し、定期的に住処を変えて森の内地の秩序を保っていた。もしグリフォンがいなければ大量繁殖した小動物が森の草木を食べつくしてしまっていただろう。グリフォンは森にとって欠かせない存在なのだ。
ウサギはいつもの隠れ家へと走った。そこには洞窟の泉へと通じる小さな穴がある。そこは動物たちにとってのオアシスだ、今でも十数匹の小動物が戯れている。
数々の猛攻を掻い潜り、なんとか隠れ家に辿り着いたウサギは、周りにいた他の動物のことなど気にもせず洞窟へ通じる穴へと、文字通り、脱兎の勢いで駆け抜けた。
オアシスを横切り、穴へと疾走するウサギを見た他の動物たちは彼を眼で追い、振り返り、そして気づいた、木の上に高尚と立つ天敵の存在を。
「「「なに連れてきてんだよ!」」」
動物の言うことを理解できる人がいるのなら、そんな絶叫をあげ、一斉に穴へと走りこむ動物たちの姿を見ることができただろう。
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雨が降っていた。水ではない、砂の雨だ。
揺れ動く地面の振動で舞い上がった土が寝ていたケンタに降り注ぐ。
知ってた。また何かが起こるのだろう。
「最近のフラグは即回収するのが主流だからな」
わけの分からないことを呟く俺の横を猛然と走り去っていったのは一匹のウサギだった。
「なんだ、ただのウサギか」
安心して再び眠りに就こうとする俺の上を数多の小動物が走り去っていった。
「だ~、もう何なんだよ。ネズミ一匹入ってこれないんじゃなかったのかよ!…って、は?」
勢いよく起き上がったケンタは壁から飛び出している黄色いクチバシを見つけた。
それは一度引っ込んだかと思うとまた壁を轟音とともに崩していく、そしてとうとう崩れ落ちてしまった壁から現れたのは、巨大な鳥と馬を合わせたような獣だった。
「グ、グリフォンかよ。」
俺はさっきの揺れと小動物の疾走の理由を遅まきながら理解した。
「なに連れてきてんだよ!」
…人間の言葉を理解できる動物がいるのなら、そんな絶叫をあげ、無様に洞窟を走り回る変人の姿を見ることができただろう。
俺は全力で逃げた。
あのクマの時とは事情が違うのだ。捕まった瞬間にゲームオーバー、すなわち死だ。
「アイツは…」
俺はアリスのことを思い出していた。彼女は無事なのだろうか、上手く隠れられたのだろうか。本当はここで引き返して彼女を助けに行くべきなのだろうが、俺にはそんな勇気はなかった。
第一助けに行ったところで俺に一体なにができるって言うんだよ。俺は少女一人助けに行けない自分の無力さを嘆いた、呪った、そして何より、それを理由に助けに行かない自分の醜さが嫌になった。
それでも俺は引き返せない、助けろと囁く理性が逃げろと叫ぶ本能に打ち消されていく。
俺は最初のウサギを見つけた。生きるために必死に走るその姿は自分の醜さを肯定してくれるかのようだった。
俺はそのウサギの後を縋るように追った。洞窟の構造を把握できてない自分より迷わず走るウサギのほうが信用できそうだったからだ。
そして、
ペフッ
「…おい。」
ウサギはそんな信用を見事に裏切ってくれた。
入口の透明な壁に思いっきり突っ込んだのだ。すなわちそこは行き止まりだ。振り返ると大きな鋭い眼が闇の中で光っている。どんなものでも握りつぶせそうな大きな足が迫ってくる。見つかるのも時間の問題だろう。
俺は透明な壁を睨みつけた。邪魔だ。外敵から守る役目も果たさないで、ただ俺らを閉じ込めているだけじゃねえか。俺はカンナに向けるべきである怒りを壁に向けた。なぜだろう、今ならこの壁を壊せるような根拠のない自信が芽生えたのだ。
「キェェエェー!」
見つかった。もう選択肢はひとつしかない。俺は大きめに助走をつけ、壁に向かって走り出した。
「ぶっ壊れろーー!」
そして少し前で跳躍し、小さな穴めがけてドロップキックをかました。
が、壁にあたらない。いや、元から壁なんて存在しなかったかのように俺は外へ飛び出した。
さて、現状を整理してみよう。
ここは森の奥の崖にできた洞窟で、俺は勢いよく外へ飛び出した。すなわち目下に地面などないわけでして…
「ひいぃぃぃ…」
ケンタは呼吸をすることも忘れてひたすら叫んだ。そうでもしないと心臓が飛びてそうだったのだ。走馬灯など見る余裕もない。恐怖を感じる余裕もない。飛び降り自殺をする人は途中で意識を失うらしいが、どうやら本当のようだ。電源を切ったロボットのようにケンタの意識はプツンと切れた。
ふわっと涼しい風が頬を撫でた。綺麗な空気をハッと勢いよく吸い込んで、ケンタは森の中で目覚めた。
「ケンタ?ケンタ〜〜!ぐすっ、」
「アリス、ちゃん?」
「ばかばかばかばかばか!」
「生きてる、んだよな?」
胸元を叩くアリスを気にせず、ケンタは自分の体を確認した。服がボロボロで体が少し濡れているのを除けば落ちる前と全く変わらない。
「無傷だ。かすり傷ひとつない。…もしかして魔法を使ってくれたのか?」
まだ目に涙が滲んでいるアリスはブンブンと首を横に振った。
「回復魔法じゃないとなると超回復ポーションとか」
またブンブンと首を横に振ったアリスはケンタの背後を指差した。ケンタがそっちを振り返ると。
「滝壺か…」
崖を流れる長い滝が巨大な滝壺を作っていた。どうやら運よくここに落ちたらしい。滝の長さを確かめるように上を見上げるとさっきまでいた洞窟が見えた。20メートルは軽く超える高さだ。
「おかしい。あの高さから落ちて無傷だなんて…イテテッ!」
突然の痛みを感じた右足を確認したケンタはその足が自分のものではないのかと一瞬思った。
「肌の、色が…」
右足の肌の色が生まれたての赤ん坊のように白いのだ。そして痛みの源を探るために裾をあげると、膝の少し上のあたりで二つの肌が縫い合わさった、フランケンシュタインようなギザギザの模様が付いていた。
「…まさか、ね。」
傷の理由は容易く予想できた。しかし、その非現実的な推論の導く先が恐ろしすぎて、ケンタは考えることをやめた。
「なぁ、アリスはどうやってここまで降りてきたんだ?」
「グリちゃんがね、のせてくれたの」
「グリちゃん?」
「うん!さっきともだちになったんだ、ほら!」
あぁ、なんで今まで気づかなかったのだろう。滝壺の岸にあの時のグリフォンが悠々と水を飲んでいた。
「……」
「グリちゃんね、すっごーくはやいんだよ。ビューンって、アリスのおともだちのなかでいちばんかも!」
「まてまてまてまて、友達ってどういう事だよ!」
「ともだちはともだちだよ?」
「だからどうやって!」
「アリスがニコッてわらったら、グリちゃんもニコッってわらって、おともだち?」
「はぁ…」
ダメだ。会話が成立しない。グリフォンも大人しくしてくれているようだし、こいつに聞いても拉致があかないから、この疑問は一旦保留する事にした。それよりも重大な案件があるからだ。
「さてと、これからどうしようか。とりあえずカンナが来るのを待つのが最善かな」
「カンナおねぇちゃん、うえだよ?」
「上?まさか、この崖の上か?」
こくこく
「どうくつ、うえからはいる」
「まじかよ、ついでに上への行き方は?」
アリスは首を傾け、少し考えた後にボソッと言った。
「とぶ?」
「飛ぶって…まさか…」
チラッ
「グェ?」
こちらを向いたグリフォンがアヒルのような似合わない鳴き声を上げた。
「し、しっかり掴まってろよアリス。お、落ちたら大変だぞ。」
「にひひ、グリちゃんイケーー!」
「グェーーー!」
「うわっ、うわっ、うわっ、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
何を大袈裟なと思うかもしれないが、少し前に紐なしバンジーを味わった身としては高所恐怖症になってないのが奇跡のようなものなのだ。
そんなケンタを無視してグリフォンは空高く舞い上がった。森を大きく旋回し、風を切るように加速する。ケンタは目を開けられなかった。
「ケンター!お外きれいだよー!」
俺は恐る恐る目を開け、周りを見渡した。
朝日が白い粉のように森に降り注いでいた。地平線を眺めると大きな町の煙突から煙がもくもくと出ているのが分かる。
動物の群れが広大な草原を横切っていく姿も見えた。
グリフォンがまた大きく旋回した。
反対側は横に長く広がる崖が見える。いや、崖ではなかった。山なのだ。山の一部と言うべきか。
その崖の上には森が広がり、またその森の奥には崖がある。そんな段々畑のように続く崖が山が一つの巨大な山を作り上げていた。
その頂の付近にはグリフォンと同じくらい、いやそれより遥かに強そうな獣が陸空共に徘徊しているのが見える。
おいおい、これじゃあまるで、、、
「まるでゲームの階層じゃないか。」
そう、その山は一つの巨大な迷宮、いわゆるダンジョンだったのだ。
本当はダンジョンというよりもラビリンスと言うべきなのですが、一般的な方を使いました。




