レポート 011 「なぁ、シワ爺さん」
俺は今、慣れない手つきで弓を構え、ぷるぷると揺れる矢先を数メートル先の鹿に向けて狙いを定めていた。気づかれずにここまで近づけたのは奇跡かもしれない。俺は高ぶる鼓動を抑え、冷静に的を絞った。そして最大限まで引っ張った弦をスパッと離した。しかし結果、矢があらぬ方向に飛んで行ったばかりではなく、
「あーーー!痛ってェーーーー!」
ケンタは弓幹の握りではなく矢の真下を握っていたため、指が切れるような激痛を味わった。幸い指が切れ落とされることはなかったが、その傷痕からは大量の血が流れ出している。
「本当にご主人様は何もできないのですね。」
「うっせー。誰がご主人様だ、お前はカンナのメイドじゃなかったのか?」
「お前じゃなくて、淫乱ピンクやよいです!」
「…淫乱ピンクも気に入ったのかよ」
「ご主人様はバカですか?淫乱ピンクなんて名前が好きな人なんて一人しか知らないです!」
「誰だよ」
「私です」
お前かよ。やっぱ気に入ってんじゃねぇか、とツッこむケンタだったが、日常的に呼べるような名前じゃなかったのでヤヨイとだけ呼ぶことにした。
「それで、ヤヨイはカンナのメイドじゃないのか?」
「いえ、私は起動して間もないので、カンナさんとは隷属の儀式を行っておりません。」
「隷属の儀式?なんだそれは」
「ご主人様は体力も知力もないんですか?」
「なんか段々あたりがキツくなってない⁈」
「いえいえまさか、私に名前を与えてくださったご主人様に無礼なんてするわけない…です」
「はぁ、その拙い敬語はなんとかならないのか。ご主人様とかムズムズするんだよ、変態とかロリコンとかよりはましだけど。」
「残念ながら今の私の言語モジュールでは大半の言葉が敬語なのです。ご主人様の汚ねぇ言葉を覚えるにつれて段々とご主人様好みの喋り方になると思うのですが。」
「ねぇ、今さらりと悪口言ったよね!俺ってそんな口調だったっけ⁈」
…あれ、俺ってどんな口調だったっけ。この世界に来た時よりもドゲトゲしくなっているような気はする、けど、、どっちが本当の俺だったっけ…
「ケンタ…ゆび…」
ヤヨイの後ろから突然アリスが呟いた。そうだ、そういえば怪我をしているんだった。出血はだいぶ治ったが皮膚の切れ目がヒリヒリする。
「ご主人様、ちょっと指貸せ」
「なぁ、俺以外の口調を参考にしてくれないか」
ほら、例えばアリスとか…はダメだな。あんな助詞抜き言葉を聞き続けてたら、どうにかなっちゃいそうだ。
「ご主人様、ちょっと指貸せ、です」
「なにも変わってないからな!」
あーもうカンナの真似しろカンナの!
と消去法で残ったカンナだが、彼女の女子高生のような腹を探るような物言いは見習うべきものなのか…
「ケンタ〜、アリスが回復、する?」
「あぁ、また頼むよ」
「もう!」
何故か不機嫌になったヤヨイが俺の怪我した手を勝手に握って顔まで持ち上げた。その顔はほんのりと桃色に染まっている。
「あの、ヤヨイさん?」
俺が声をかけるとヤヨイは覚悟を決めたような表情をすると唐突に俺の怪我した指を舐めだした。
「えっ、ちょ、なにやってんの!」
指先が彼女の口の中で舌と絡まりながらころころと踊った。ヤヨイは口全体を使って俺の指を受け入れている。口内の柔らかな感触は彼女がロボットだという事実を忘れさせた。彼女の顔はトゲトゲしさの消えたトロンとした顔になっている。その神秘的で官能的な体験に俺は意識を奪われてしまった。
「ヤヨイっち〜、何やってるの?アリスもする〜!」
おかしな好奇心が芽生えたアリスが俺のもう片方の手をしゃぶろうと手を伸ばしてくる。
「ちょ、二人ともストップ、ストップ!」
理性が再稼働した俺は二人から離れるようにパッと後ろに跳んだ。ロボットのヤヨイはまだしもアリスは変な病気に罹ってしまったら困る。
…おい、だからこういう偏見がヤヨイを傷つけるんだろ。そろそろ学習しろよバカ。
「ヤヨイも急に何やってんだよ」
「何って、ご主人様の指を治しただけですが」
俺はハッと指の違和感、と言うよりも違和感の無さに気づいた。
「うそ、治ってる」
「わぁ!ヤヨイっち〜も回復まほー使えたんだね!」
「回復魔法ではないです。私たちは口内に回復薬と同様の効果を持つ液を分泌してるのです。」
「へぇ〜」
流石戦闘型ロビーのお姉さんマジハイスペック〜と俺は感嘆の声を心の中で押しとどめた。
「そんなことよりもご主人様。その猿のような弓の使い方はなんなのですか?学校で習わなかったのですか?貧民街の孤児でもできますよ」
「残念ながら俺の学校では弓道は必修じゃなかったんだよ、誰からも習ってないの、初心者なの!」
「し、仕方ないですね。なら私がご主人様の初めての先生になってあげ、ます。」
そう言うとヤヨイはケンタの背後に回って彼を後ろから抱きしめた。その顔が少し赤くなっているのをケンタは見ることができない。
「あの、ヤヨイさん。当たってますよ…」
ほんとに、このロボット作ったやつマジ天才だろ。
「当ててるんですっ」
「おい、そのセリフどこで覚えたんだ!」
やばい、こいつを止めろ!消される!
「い、いいですかご主人様。弓はここを持って、こう構えて、引いて、パッ!です」
アリスの口調を吸収しているのだろうか、説明が抽象的すぎて分かりにくいが、ヤヨイはケンタの体に覚えさせるように何度も繰り返し教えてくれる。アリスは仲間外れが嫌なのか途中から隣でケンタの真似をしていた。
「おお!なんかできるような気がしてきたよ」
「なら実際に一本射ってみましょう!」
「よし」
俺は本物の矢をセットして少し遠くの木の上に成る緑色の木の実に狙いを定めた。そして僅かな緊張の後、矢を放った。今回は指も切れず、狙ったところに矢が吸い込まれるように飛んでいく。そして見事に狙いの木の実に当った。無論ビギナーズラックの賜物であったが、自身をなくしていた彼にとってその事実はいい薬となった。
「よっしゃあ!」
「…ケンタ。」
服の端をくいくいと引っ張るアリスはその木の方を指差した。木の上にではその緑色の木の実が矢の刺さったままギリギリ落ちてこない。だが彼女が指差したのはそっちではなく、その木の下に見るからにヨボヨボのお爺ちゃんが歩いていたのだ。そして見事に狙ったかのように木の実が落ちる。お爺ちゃんの頭をめがけて。
「あ、危ない!」
と叫ぶも虚しく。お爺ちゃんは足を止めない。そして木の実が頭に当たる直前、老人の目は見開かれた。彼は一歩下がると体の回転を利用して逆回し蹴りを放った。その軌道は木の実の軌跡と重なりその加速度方向を変化させる、ケンタの顔面に目がけて。
「うぉわっ!」
ケンタは辛うじて避けることに成功したが、凄まじい悪寒が走った。あの魔獣に襲われた時とは違う絶対的な恐怖だ。
「何用じゃ」
いつの間にかその老人はケンタに接近していた。彼の指先がケンタの喉を圧迫し、その鋭い眼差しはケンタに一切の挙動を許さない。
「こへっ、ちょっと待ってくれよ爺さん。別に悪気があった訳じゃ…」
言葉はいらないというように、指が強く押される。二人の目線が交錯し、カンナの時と同じように、何かを見透かされているかのような感覚に陥った。
「ふぅ、どうやら本当に何も企んどらんようじゃの」
一気に緊張が解け、ケンタは空気の味を感じながらほっと一息をつく。そして余裕を取り戻したケンタの視界に入ったのは、ご老体を押すアリスの姿だった。
「ケンタに、いじわるしちゃダメ!」
「おいおい、俺が守られる側かよ」
熊に襲われてから、ケンタと同じようにアリスも反省していたのだ。初めて友達を失う恐ろしさを知った彼女もまた、強くなることを決意したのだ。その決意が逆にケンタを苦しめていることを彼女は知らなかった。
「ほっほつ、大丈夫じゃぞお嬢ちゃん。襲ったりしないから安心せい」
「ほんとに?」
「本当じゃ。しかしお嬢ちゃんみたいな子がこんな森で何をしとるのかね」
「アリスはね、ケンタと冒険してるの!」
「おい待て、いつからそうなった」
「ほぉ、その年で冒険者とな。免許証は持っているのかね。」
「めんきょしょー?」
「悪い爺さん、こいつ勝手に言ってるだけだから。気にしないでくれ」
「そうかそうか、この頃は冒険者を自称する輩が多くなってきておるが、ワシが知ってる中では最年少じゃな。ほっほっほ!」
「自称とか免許証とか冒険者って資格が必要なのか?」
「お主はそんな事も知らんのかね」
「申し訳ございません。ご主人様は一般常識が欠けておりまして。」
「なんかさらっと入って来てさらっとディスられた⁈」
ヤヨイの唐突な登場に老人は眉をひそめた。
「ほう、ご主人様とな。彼女でないのならお主は一体誰の僕なのじゃ」
「なんの話だ?」
老人は一般常識のないケンタに淡々と事実を述べた。
「その隷属の首輪の話じゃよ」
「……は?」
まて、まてまてまてまて。獣用だとは聞いていたが、これ奴隷用の首輪だったのか。なんだよ、貴重品とか言うのは嘘だったのかよ。いや、別に無かったら大変だっただろうから感謝こそすれ文句を言う筋合いはないけど、ちゃんと説明してくれよ…
「あぁ、なんか成り行きで付けてるだけだ。別に誰かの奴隷という訳ではない。」
「そうか、道理で目が生き生きしているわけじゃな」
「あんたに睨まれた時は正直死ぬかと思ったけどな」
「ほっほっほ、こんな老体についてこられぬとはお主は軟弱じゃのう。森で1日も生きていけなさそうじゃ。良く二層までこれたものじゃな」
「それは身に沁みて理解したところだよ、二層がどうとか知らないが、この階層に来れたのもグリフォンのおかげだもんな」
「ご主人様、冗談が全く面白くありません。グリフォンが人を乗せるはずないではありませんか。むしろ空飛ぶ冒険者を撃ち落とす存在ですよ」
「いや、でも実際、なぁアリス」
「うん!グリちゃんがビューんって」
「アリスちゃんが言うならそうなのでしょうね」
「なぁ、お前は俺を慕ってるのか慕ってないのかどっちなんだ」
「あらご主人様は自分が慕われるような存在だとお思いなのですか、とんだ自意識過剰ですね。あなたを慕う人なんて一人しかいませんよ」
「ついでにそれは誰なんだ。」
「私です。」
やっぱりお前かよ。とヤヨイとどうでもいいやり取りをしていたら、ゴホンと誰かが咳込む音がした。
「イチャついとるとこ悪いのじゃが…」
「「イチャついてなんかない!」」
「この辺でこの娘のようなメイドが沢山おる宿屋を知らんかね」
「「それなら」」
と、顔を合わせた二人は当然ながら同じ事を考えていた。
包丁を持ったヤヨイは『神居亭』の広間で魔獣の解体を行っていた。その包丁捌きは彼女が最近目覚めたばかりだと信じられないくらいに見事だった。それもそうだ、彼女の遺伝子ならずプログラミングに刻み込まれている事なのだから。
「おっきーーい!ケンタ、ケンタ!このトカゲさんアリスが2人くらいだよ!」
「あぁ、ほんとにデカイな。いいのか爺さん。半分ももらっちゃって」
「どうせワシ一人じゃ食べきれんからのう。売ってもそこそこの金にはなるのじゃが、なんせ老い先短い身じゃからのう。はした金など取るに足らんのじゃ。」
「悪いな、遠慮してる余裕もないからありがたく貰ってくぜ」
「ありがとうね、シワ爺!」
「シワ爺?」
「うん、おでこがシワシワだからシワ爺」
「ほっほっほ、ワシの生徒と同じ事を言うのう」
「爺さん、先生だったのか?」
「今でも先生じゃよ。『学園』で化学と体術の指導をしておる。体術の方はそろそろ限界じゃがの…」
その時ケンタはある決心をした。いや、もしかしたら出会った時にはもう決めていたのかもしれない。彼の口の悪さか、ただの照れ隠しか、そのセリフは人に頼むような態度ではなかったが、彼は言った。
「なぁ爺さん、弟子って募集してないか?」




