日本人、クビになる
——ここまでか。そんな声が聞こえた気がした。
「これより、罪人の処刑を執り行う」
目が覚めると、そこは大勢の人で賑わう広場だった。
全員が私を見ている。侮蔑の感情を込めて。
身体の中で悔悟の念と裏切られた悲しみが渦巻き、熱を帯びる。
恐怖と困惑で身体を震わせたいが、身動き一つできないほどきつく縛られているようで全く身体が動かない。
ぼとり、という音が聞こえ、再び意識が遠のいていく。
——今度目が覚めると、青い空だった。
雲が流れている。草の匂いがする。風が気持ちいい。
のどかだな。
先ほどまで身体に渦巻いていた感情も不快な束縛感もない。というか、身体そのものがない。
「……は?」
首から下がない。腕がない。足がない。
草むらに、頭だけが転がっている。
「え? いや、え?」
慌てて飛び起きようとするが、何も起きない。
だって身体がないのだから。
ここに至るまでの記憶を必死に手繰り寄せる。
名前は六条朱音。東京で10年間会社員を続け——
『端的に言えばそう、“クビ”ってやつ』
上司の言葉が甦る。そうだ、会社はクビになったんだっけ……。
ひとり張り切って、部下の気持ちに気づけず、最後は裏切られて。いや、最初からなんだっけか。もう思い出したくないな。
あぁ、あの広場よりも前にはそんなことがあった。
“クビ”になったので“首”になった——笑えない冗談。
そんな不幸の連続を思い出して落ち込んでいると、視界の端に何かが映り込む。
獣が走ってきた。見るからに獰猛な獣……いや?
近づいてくるそれは一見すると猿のよう。
だが、耳は尖り、体毛は薄く、何より毒々しい紫色で、言うなれば小鬼?
そんな嫌悪感を掻き立てる化け物が、鋭い歯をちらつかせながら鼻を押し付け涎を垂らしてくる。臭い。
「もしかして、私のこと食べる?」
思わず声が出た。
小鬼は一瞬ビクついたが、大口開けておぞましい奇声を上げる。
身体がなくて良かった。恐怖で出してしまうのが声だけで済んだ。
終わらない悪夢。逃げ出したいが身体もない。せめてもの抵抗として目をつぶっていると、どさりと重い音がした。
目を開けると小鬼は消えていた。状況を理解しきらない内に視界が広がっていく。
先ほどの小鬼は不自然な方向に首が折れ曲がっており、それを見下ろしている。身体のない私が見下ろせる理由は一つ、誰かが持ち上げているのだ。
「…………」
今度はぐるりと視界が回転する。目の前が物言わぬ鎧でいっぱいになる。
精一杯見上げると、その鎧には首から上がなかった。もしかして?
「あの」
身体は答えなかった。当然。口がないのだから。
「……品定め?」
鎧はしばし私を持ち上げ観察? した後、通常人なら頭がある位置に私をそっと乗せた。
カチリ、と何かが噛み合う感覚があった。
立っている。ちゃんと立っている。腕がある。足がある。
「これってやっぱ私の身体……?」
淡い期待はしていたが、実際どうか。手を動かしてみる。動く。今度は足を踏み出す。歩く。
あぁ、これからゆっくり身体探しRTAを始めなきゃいけないかとヒヤヒヤしていたが、その心配はなさそう。
「私の、身体だった!」
文字通り手も足も出ない状況から脱却した!
怒涛の展開で余裕がなかったが、これでじっくり考えられる。
まずは情報。この世界の常識が私の常識と違うことは明らかだ。ならば、判断材料はあればあるだけいい。ひとまず持ち物を確認——。
「……あれ?」
私の意に反し走り始める身体。私の身体じゃ……。
戸惑っているうちに、身体は大きく跳躍する。そして、自分が立っていた場所に矢が突き刺さる。身体を疑っている場合ではないようだ。
「落ち着くには早かった?」
身体は答えなかった。
でも、目の前に広がる光景が答えだ。
先ほどより体躯のでかい小鬼……もはや小鬼とは呼べないか。中学生くらいの大きさの化け物が木の影からこちらを伺っている。それも一、二匹ではない。各々武器を携えている。
「さて、どう切り抜け……って!」
考える間もなく、私は宙を舞っていた。身体が、突然首が舞い呆ける化け物が、何より地面が、遠く遠く離れていく。
眼下に広がる光景は、草原から森、そして整備された道。そこから漫画でしか見たことのないような立派な城壁の街。そうか、異世界に来たんだ!
なんてのも束の間、今度は急速に地面が近づいてくる。また声以外のものが出そうになったものの、身体がしっかりキャッチ、そのまま走り出す。
そして帽子をかぶるかのように私を元の位置に置き、迷いなく走る。
そこに私の意思はない。私の身体か疑わしいが、今はとりあえず味方、くらいのことは信じるしかない。
でも、それに頼ってばかりではいけない。私は私にできることをする。
そう思って首を動かしてみると、なんと360°回ることに気づいた。追っ手の様子もよくわかる。
七、八匹の鬼が群れをなし追いかけてきている。弓持ちはいない。呆気に取られた隙に潰してくれたのだろう。
「誰かー! 助け……!!」
さて。身体にはできないこと。
それは声出し、街があるのなら、人がいるかもしれない。まぁ色々と厄介なことにもなるだろうが、今は命が大切。
そう思ったが、身体が慌てて顔を正面に向けさせた上で口を塞いできた。
良かれと思ったのに、なんて自分の身体にイラッとしたのも束の間。目の前からも鬼が現れた。一瞬で自分の短慮を恥じた。人生とはなんてままならないのだろうか。
身体は速度を緩めずに突っ込んでいく。振り下ろされた木の棍棒を躱しながら、顔面に蹴りを叩き込む。そこに両サイドから鬼が飛びかかる。
身体は片側の敵と向き合う姿勢を作る。ならば背面は……私が睨みつける! くらえ、火球!!
一瞬の間を置いて、視界が縦に一回転。すでに鬼が倒れている。
もしかしたらと思ったが、火球は出ることなく、身体が華麗にムーンサルトを決めただけだった。
——この身体、強すぎないか? これならなんとかなるんじゃ。
「ギャァァォ!!」
希望は不快な叫びで消え去った。さらに大きい、電車にいたら目立つ長身の外国人くらいの鬼が手下をゾロゾロ引き連れて囲んできた。
いくら身体が強いと言っても、自分より体格の良い相手を複数体は……。
定番の火球くらい無条件で使える世界であれ! とこの状況に追い込んだ何者かを恨んでいると、さらなる増援の気配が。
「……! 屈んで!!」
火球は無言だと何も起こらなかったので、念のため声に出し、屈もうと意識した。すると、すんなり身体が屈んでくれた。
頭の上を火の玉が通り過ぎ、化け物を火で包む。
浮き足立つ一群をまとめようと大きめの個体が口を開けるタイミングで、首が飛んでいく。
鬼の背後から現れたのは、高校生くらいの女子ふたり。
ひとりは杖を握り、複数の火球を器用に操る元気そうな女の子。
もうひとりは可愛い顔に似合わず、先の尖ったハンマーを急加速しながらフルスイングする真面目そうな子だ。
私……の身体も隙を見て加勢する。
女の子たちも強く、鬼は逃げ出すほかなかった。
「助けを呼ぶ声がしたっていうから来てみたけど、間に合ってよかった」
敵がいなくなり、ほっと一息ついていると、杖の子が消火をしながら話しかけてきた。
そうか、私の課題はまだ何も解決していなかった。接し方一つで鬼の二の舞になるかも……。
「あー……聞こえてる?」
日本語なんだ……とかその歳で戦いに身を投じるんだとかさっきのは魔法かなとか、ここを切り抜けようと、とにかく色々な思考が駆け回っていたので、返事ができていなかった。何か言わなきゃ。
私の言葉、通じるか。
「助けてくれてありがとう」
「見たところお困りのご様子。街まで送ります」
「えーと……」
ハンマーの女の子は何かを拾っていたが、終わったようだ。日本なら涙が出るくらいありがたい申し出もしてくれる。だが。
言葉は通じるようでも、問題はたくさんある。
まず、この女の子たちは強さ以外、私もよく知る人間のそれであり、少なくとも首と身体が分かれるびっくり人間ではない。もし、この体質? が退治されるべき化け物のそれなら、また死刑執行になってしまう。今度はもっと凄惨な方法になるだろう。
「まだこの森に用事が?」
おそらく善意からくる質問だが、これも同行できない理由だ。会話の地雷源、何を言ってはいけないのか皆目見当もつかない。
「訳なんて聞かなくていい。私はゴルディーネ。ゴルディでいいよ」
そう名乗ったのは杖の子。すると、ハンマーの子もそうですねと自己紹介してくれた。
「私はレオハ。クラン“天の一撃”の冒険者です」
ハンマーの子がレオハ、杖の子がゴルディ。とってもいい子たち。その優しさが染みる、お姉さん泣きそう。
でも、リスクが……なんて考えていたら、身体がスッと手を差し出した。
迷っていても仕方ないか。
「よし、じゃあ行こう」
ふたりは握手に応じ、そのまま歩き出す。
おそらくあの城壁の街が目的地。見たところかなり距離がある。その間、ダンマリを決め込んで色々考えよう。
「……」
草を踏む音だけが続く。
訳は聞かないと言ってくれた通り、全く会話がなく進んでいく。
ボロが出ないから助かるけれども、化け物を警戒してるんだろうけども……気まずい。
異世界ってこんなに息苦しいんだ……どうせなら前に読んだ悪役令嬢モノの世界に転生したかった。そしたら今頃お屋敷で——。
「止まって」
ゴルディの声かけに身体はピタリと止まる。私が反応するより早く。
考えごとに夢中だったが、目の前に人影だ。
「大丈夫か? 手、貸してやろうか」
向こうから話しかけてきた。敵ではないのかな。
「大丈夫。こっちだって“天の一撃”の冒険者だからね」
「はっ、そうかよ」
ふたりは警戒を解かずゆっくりと進む。互いに距離を保ちながらすれ違って先に進む。どうやら、味方でもない様子。かなりシビアな世界のようだ。
そのまま進み、十分に距離が離れる。緊張が解けてくる。
「この街、多いのよね。人を騙すやつ、人狩人とか」
化け物がいる世界でも人は人を裏切り、襲うんだ。窮地を脱し、少しずつ異世界を楽しい物だと感じ始めていた自分が恥ずかしい。
こんな物騒な世界で助けてくれたふたりには感謝だ。——案内先が地獄でない限りは、だけど。
「ひとまず今日は村に着けそうね。私たちは一泊していくけど、あなたはどうする?」
どうするも何も当ても何もない。身体があっただけマシなほどだ。
しかし、人狩人の話を聞いた今、ひとりで行動する方がハイリスクだ。ふたりの善意に漬け込む形になるが、同行させてもらわねば。いや、むしろ——。
「私を、天の一撃に入れて欲しい」
ひとまず形ある1話になったので、後出しにならないよう投稿します。続きがストックできたらいろいろ修正するかもしれません(タイトルとかあらすじとか)




