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一話-1 もう一人の僕




 波乱ばかりであった会合から帰って早々、僕は……いや、僕たちはまた新たな局面に立ち会っていた。

 結界や常日頃から浄化の水を撒いていることによって半ば聖域と化しているここは悪意ある者が入ることは難しく、従って安心安全だと思っていた。

 だというのに────


「お帰り。咲夜、清花」


 そう僕の変身前の葛木清光としての姿で語り掛けてきたのは一体誰なのか。

 衝動的に口に出してしまいたい言葉がある。ただ、この場で言うのは駄目だ。まだ声の聞こえる範囲に人の目と耳がある。清光はこの場所に住んでいる。なのに不審者として扱えば怪しまれる可能性が高い。ここは慣れ親しんだ間柄の相手として接する必要があった。そう必死に理性に言い聞かせた。

 言葉をグッと飲み込んでいると、一瞬だけ目を閉じた咲夜は次の瞬間にはいつも通りの顔に戻って笑顔を相手に向ける。


「ただいま、清光君。短い間だったけどお留守番ありがとう」


「別にこれくらいどうってことないよ。それよりも積もる話もあるだろうし、まずは中へ入って話さない?」


「えぇ、そうね。分かったわ。行きましょうか。……清花」


「……うん」


 今この場ではどれだけ考えても分からないことだけは理解した。

 車椅子に乗って建物の中を進むことに一切の躊躇がない。まるでこの建物のことを知っているかのように澱みなく進んでいく。車輪が地面を転がる音を聞きながら、後ろでそっと咲夜に耳打ちする。


『咲夜は知ってた?』


『いいえ。何でも昨日から突然現れたらしいわよ。私もついさっき聞いたところなの』


『……もしかして幽霊だったり?』


『お馬鹿。常識的にあり得ないでしょうが』


『そうだった』


 そもそも本人は僕なのだから、幽霊の説はあり得ない。となると、実態のある誰かが僕のことを真似ているということになる。

 方法が物真似だとするならば…………特定の人物は分からないものの、何だか少しずつ分かって来たような気がする。

 つまりは何かしらの方法で持って僕の姿を、そして仕草や話し方までも真似出来る人がいるということ。

 悪意もなくそんなことが出来る人の数は限られているに決まっていた。


「そんなに僕のことが気になる?」


 進みながら唐突に投げかけられた言葉に僕達は足を止める。


「ふふっ、まぁその話についてはこの後にするので今はついて来て下さいな」


 既に人の視線がない今ならと考えたのか、僕の姿をした人は僕ではない笑い方をした。

 その重みを感じさせる話し方は、経験上ではおそらくは幾らか歳をくった女性のものだと思われる。それでいて話し方やこんな真似が出来る人となると頭の中では答えはほぼ出ていた。けれど、それを口に出すのは後にすることにした。

 咲夜にも今は付いて行こうと目線で伝え、頷いた彼女と共に後ろをついていく。

 無言の中に車椅子の車輪が転がる音だけが響き、奇妙な緊迫感が漂う中で僕達は談話室に辿り着く。

 僕と咲夜は席に着いたけれど、僕の姿をした人は車椅子に座っているからそのままでいるみたいだ。

 どちら側から話すか逡巡していると、向こうが咳払いをして切り出し始めた。


「別に正体当てゲームしたい訳じゃないし、そろそろ変身を解くとするかな」


 言葉や態度から僕が本当の清光だということを知らずにここに居ることは考えづらく、態度からしてこの人は清光がここにいないことを半ば確信に近いものを持っている。僕のフリをすることに絶対の自信を持っているから。

 そんな情報を持ちかつ僕の模倣を出来る人、そして何よりも変身という言葉でほぼ決まりと言っていい。


「初めまして、宝蔵家の皆様方。そして、お久しぶりですね。清光君」


「……お久しぶりです。柳さん」


 僕の姿であることを止めて元の姿に戻った人は柳優子さんという人だった。詳しい年齢までは知らないけど結婚をして子供がいて、その中でも一番小さい子供で確か小学生くらいの子がいるということは知っている。だから年齢としては三十台半ばくらいだろう。

 薄情と思われるかもしれないけれど、それ以上のことに関してはあまり知らないと言ってもいい。

 それに最後に顔を合わせたのはあの事件が起こる前だから、この人とはもう何年も顔を合わせていないことになる。


「清花、知っている人なの?」


「葛木家の分家筋の人で使用人の方なんだ。分家筋だから化装術を使えはするし、一時は僕の世話をしてくれた人だから僕の真似を出来たんだと思う」


 問いかけの意味を込めて柳さんを見ると頷いたのを見て、咲夜が軽く息を吐いた。


「成程、そういうことね。……それで、その葛木家の人がどういう目的でここに?」


 柳さんに関しては今の説明の通りで、僕としてはそれ以上でもそれ以下でもない関係性だ。

 心情としては親代わりという訳でもないし、今の今までで特別親しく会話をした訳でもない。食事を用意してもらったことのある顔見知り以上の言葉が僕の中には見当たらなかった。

 だから僕としても柳さんがどういう理由でここにいるのかは知りたい。

 僕たちの問い詰めるような視線を受けても柳さんは揺らぐことなく毅然とした様子で受け応える。


「今回、私はある提案をしに参りました」


「提案ですか?」


「はい。宝蔵家並びにこの家の中の事情はこちらでもある程度理解しているつもりです。葛木清光と大蓮寺清花が同一人物だということ、そのことでお困りのことはありませんか?」 


「その二人がどうして同一人物だと?」


「では本物の葛木清光をお出しになって下さい。そして大蓮寺清花さんとお二人をここに並べてみて証明をしてみては如何ですか? 逆説的にはなりますが、それが証明と言っていいでしょう。私はその証明がなされるまでいつまでも待つことも構いません」


 秘密を知っていてもその秘密を悪用するつもりがないことはここにいることである意味証明がされている。

 もしも脅しや揺りをする目的で来たのならば結界が作用しているだろうから。

 今だってそう、僕の感知能力にはそれらしい意図は微塵も感じていない。その背後にいるであろう人物にもだ。


「肯定も否定もしなくてもいいです。ですので、その上での提案です。私を清光君の影武者としてここに置く気はありませんか?」


 それはこちらにとっては魅力的な提案だった。

 僕達の中で一番の問題と言えば僕の正体が露見することだから、それを防げるのならばそれに越したことはない。

 先程みたいに完璧に僕の真似を出来る人が代わりに居てくれるのなら、その可能性は限りなく低くくなったと見ていいはずなのだから。

 でも、だからこそ唇を強く結び直す必要がある。

 実家が絡むとなると私的な感情が出そうになってしまいそうだから。

 ここは冷静になって対話を咲夜に任せるのが得策だと自分に言い聞かせる。

 咲夜はそんな僕の方を一瞥してから視線を前に戻す。


「その提案をこちらが受け入れたとして、そちらに何の利があるのですか?」


「ありませんし、要りません。これは清光君を救うことの出来なかった我々なりの贖罪だと思い受け入れて下さればと思っております」


「贖罪と言うと、彼に悪いことをしたと思っているということですか?」


 咲夜が問うと柳さんは"眉一つ動かさずに"頷く。


「葛木家当主である清光君のお父君は確かに人間的な家族愛は薄いお方です。しかし、決して情がない訳ではないのです。でなければ動物と心を通わすことは出来ないですし、動物側から心を開いてくれることもないでしょう。ですので、あの事件に関してはお父君も心と頭を悩ませておりました、ということをまずは伝えさせて頂きます」


「私が聞いた話ですと、その割には大怪我をしてすぐにあの病院に幽閉していたようですが? その後も碌に見舞いにも来なかったと聞き及んでいます。その認識に間違いはありますか?」


「ありませんね。……あの人たちは普段から動物の相手ばかりで人間の言葉で会話しないので、人と会話することが苦手なんです。だからあの病院に入れたのは清光君に大自然の中で駆け回る自分の姿を想像して欲しいと願った彼らなりの愛情の形なのですよ。酷く歪で、見え辛いかもしれないですが」


 そこで柳さんは一旦口を閉じた。こちらが話の内容を飲み込むのを待ってくれているのだろうことは何となく分かった。

 飲み込むのに時間が掛かりそうな内容だったから。


「…………清花」


 咲夜がそっと僕の肩に手を置いてくる。

 柳さんの話は、頭では理解は出来た。確かにあの人たちは人と話を交わす時間は極端に少なく、何なら家族団欒の時間なんてあってないようなものだった。

 心がなければ獣とは通じ合えない。きっとその言葉は真実で、葛木家にも当て嵌まるのだろう。

 でも、そう、だからこそだ。その言葉はすぐには受け入れられそうにはない。

 頭では理解しても、心が動かないというのは初めての経験だった。

 それでも思考停止はしていられない。向こうに悪意がなくとも、弱みは見せられない。


「──あの人たちの考えは分かりました。しかし、僕にはそこに愛があったとは思えません。あるのならば、一度くらいは顔を見せに来てもいいでしょう?」


「それは全くの同感ですね。私もあの人たちにそこまでの愛情があったとは思えません」


「……は?」


 いきなり前言撤回して、眉を寄せて呆れたような息を吐く柳さんに僕達は呆気に取られる。

 それを分かっていてか柳さんは少し冷たく醒めた笑いを浮かべた。


「あくまで先ほどのものは本人たちの伝言です。私だったらまずは怪我をした我が子を手元に置いて看病をしますし、病院に入れたとしても出来るだけ顔を見せには行きます。というか、毎日でも見に行って安心をさせてあげるのが親心というものでしょう。それをせずに愛を語った所で信じられる訳がありませんよ」


 ハンっ、と蔑みの籠った笑いを浮かべる柳さんを見るのは人生でも初めての事だった。


「…………えっと」


 僕に対してではなく、彼女の思い描く別の誰かには悪意ある感情たっぷりで吐き捨てていた。

 本人たちのいないところでもの凄い毒を吐くものだからどういう反応をしたらいいのか。

 こちらが言葉に詰まっているのを見て柳さんは笑い出す。


「今の今まで放置をしていたというのに今更愛情を語っても清光君が信じられるはずもありません。その点も含めてあの人たちは人の心を蔑ろにし過ぎだと言わざるを得ないでしょう。それは使用人の立場からしても擁護は出来ません。自業自得というやつですね」


「柳さんって、そういう人でしたっけ」


「えぇ、そうですよ。使用人という立場上は感情を曝け出せませんから。そういう清光君は随分と変わりましたね。姿も勿論ですが、内面も良い変化があったようで何よりです。人間的に色々終わっているあの人たちと比べるのはある意味で失礼にも当たりますがね」


 そう言っている彼女の言葉に嘘はない。だからこそ分からない。そう思ってくれているのなら、なぜ僕への対応が淡白なものだったのか。

 咲夜にもその頃の話はしていたので不思議に思ったらしい、少しムッとした表情をしていた。


「貴方は清光にあまり興味がなかったと伺っていましたが?」


「その言葉には語弊があり事実ではありません。母屋にあまり顔を出すことのなかった清光君に、当家の事情を知らない咲夜お嬢様。お二人は葛木家の使用人のすることが何なのかを知っておりますか? ただの人間の世話ならいくらでも出来ますが、我らが本家葛木家では他にも飼っている動物のお世話、その環境の整備、大量消費する餌の買い出しに動物たちの病気などにも気を配らなければなりません。あの家では使用人なんていくら居ても足りないくらいなんですよ。清光君からすれば自分に構ってくれなくて寂しい思いをしたのでしょうが、動物たちの場合はお世話を放棄すれば直接生き死にに関わる場合もあります。使用人としての優先順位の問題で仕方がなかったのだとご理解して頂きたいですね」


 柳さんたちはあくまで使用人。実子に対して愛情を注ぐべきは血の繋がった両親だ。

 であるならばこの人に対して恨みを抱くのは筋違いというもの。最初から恨みなんて持ってはいなかったけどそう再確認した。


「……そうですね。あの頃はそんなこと考えられませんでしたが、今ならその苦労も分かる気がします」


 それに倉橋さんや大門先輩の仕事を一部でも手伝ったことのある身としては柳さんの言っていることは理解出来る。今言っていたことをこなすには確かに人手はいくらあっても足りないだろうと想像出来たから。

 ただ、昔の自分はそこまで想像出来ていなかった。視野の狭いただの子供だった。

 そんな僕に柳さんは何か感情の籠った瞳で見つめて来ていて。

 そこで疑問に思ったのか、咲夜が質問を投げかける。


「貴方の言ったことが全て事実だとすると、葛木家が貴方を寄越した本当の理由があるではないですか?」


「ありませんよ」


 咲夜が首を傾げつつ僕を見る。嘘ではないと首を振る僕を見て再度首を傾げて。

 その姿を見た柳さんは苦笑して語り出す。


「葛木の人間に……本家の人間に交渉の類を求めても無意味な話です。経理や他家との折衝すら使用人に一任している根っからの研究者気質の人たちですから。その点で言うと本家の血筋であるというのに清光君は上手くやれているようですね。やはり環境が違うと育ち方も違うということなのでしょうか」


 つい先日に葛木の血が流れていることを自覚した身としては耳が痛い話ではある。

 それでも本家の人間と比べれば僕の方が幾分か理性的というか、常識的なのは間違いないだろうけれども。


「つまり、葛木家が貴方を寄越した理由は先ほど言った贖罪が理由の全てだと?」


 本音がどんな理由だろうと、葛木家の許可なく柳さんがここに訪れることは絶対にない。

 例え辞職していたとしたら本家からの伝言について嘘が発生するはずだから。

 そういう理由で咲夜は葛木家の意向で柳さんが来ているという前提で話している。


「その通りになります。それで果たして全てを許して貰える気なのかはご本人たちのみ知ることですが、少なくとも私はそう仰せつかっています。清光君からすれば当人たちが直接言いに来いという思いもあるでしょうが、その場合に発生する弊害を考えると私のみが極秘裏に来るのが最善だそうです。謝罪をするのに新たに迷惑を掛けては意味がありませんから。私もそこには同意しています」


「葛木家の意向に関しては理解しました。その上で質問ですが、その葛木家の人たちはどれくらいまで私たちのことを知っているのですか? それと、どうやって知ったか経緯についても教えて貰っても?」


「勿論です。まずはどれくらいまでの話になりますが、これについては清光君と世間で噂の大蓮寺清花が同一人物であること以外については殆ど知り得ていません。というのも、それ以外のことについては興味がないからです。興味のないことについては思考から外してしまうのが葛木家の人たちだとご認識下さればと思います」


「なるほど。それだけ知っていれば十分ということですね」


「左様で御座います。知った経緯に関しては閃きと申しますか、清光君の兄君の『清光と大蓮寺清花が同じ建物に住んでいる』という情報から推測に推測を重ね、そこから活動初期の大蓮寺清花の動画や写真を漁り、動きや仕草からほぼ間違いないと結論を出しました。殆どが当人たちの脳内で出された結論を出し合う形での会話なので、第三者では詳細な経緯を語れないのはお許し下さい」


 研究職の人間というのは頭の回転こそ早いけれど、だからこそ自分の中で結論を出してしまう傾向にあるという。

 咲夜にもその心当たりはあるのか納得したようだ。


「おおよその事情に関しては理解しました。私としては清花に問題がなければそちらの提案を受けようと思っています。しかしながら、清光の代わりに貴方がいなくなっては周りに怪しまれませんか?」


「元々私の存在など一介の使用人に過ぎません。代わりなど幾らでもいますし、それを気に留める人などいません。ちなみに人選が私となったのは清光君を詳しく知る人物が少ないからですね。他にも試した子はいましたが、そもそも関われる時間が少なかったので変身が出来たのは私だけでした」


 先ほど重労働だと語っていたばかりなのでその理由には納得しかない。

 ……動物の世話というのは大変な重労働だ。自らでも犬の世話をしていたのでその気持ちはよく分かる。その数が一匹や二匹ならともかく、二桁以上となると管理は相当に大変なものとなるのは明白だから。


「その辺りについてはまたお話を聞くとして、それでは貴方自身の意向はどうですか? 身代わりが出来るのが自分しかいないから嫌々やろうとはしていませんか?」


「そんなことはありません。化装術は自分の望まない姿には変身が出来ないという制約があります。正確に言えば対象の心の内を知りたいと思い得ない相手ですが」


 咲夜はこちらに向くことなく頷いた。


「そうですか。私としては受けてもいいと思うけど……清花、貴方はどう思う?」


「僕に聞くの?」


「一応は貴方の知り合いでしょう。貴方が信用出来ないというのならこの話はなしにするだけよ」


 本人を前にして直球で言葉を言えるのは流石肝の太い咲夜らしい。

 言われた本人は何てことないことだと涼しい顔をしているが、内心では動揺しているのが感じ取れた。

 その動揺がどういった理由なのかを詳しく知りたい。


「僕は柳さん個人としての言葉で聞きたいです。出来れば使用人という立場を抜きにして。今の僕には嘘を見抜く力があるので、そこの辺りを考慮して答えて頂けると嬉しいです」


「嘘を見抜く力……ですか」


「えぇ、ご存知の通りに僕の母親の血筋は大蓮寺家のものなので。そのお陰で浄化の力が使えるのはご存知でしょう。本当は悪意を感じ取る力なんですが、力を身に着けていった結果として力の応用で嘘も見抜けるようになりました」


「そうですか。……そのことをお母上に報告するつもりは?」


「ありません。柳さんならどうしてかはご理解して下さると思います」


 そう言葉を返すと柳さんは目を伏せた。柳さんの立場ならきっと僕以上に僕の事情について知っている。だからこそのやり取りになるけれど、咲夜たちには事情は僕視点での説明はしてあるので内容は理解して貰えているはずだ。

 柳さんは暫く考えた様子を見せた後、顔を上げる。


「私の言葉で、ということでしたね。分かりました」


 言葉遣いは身近に感じられるようなものだったけれど、どこか本家と分家の壁を感じていた。

 今はその壁を取り払い、柳さんはおそらくは本来の自分で語ろうとしてくれている。


「……清光君からすればあまり受け入れ難いことかもしれないけど、私に贖罪の機会をくれないかな?」


 嘘……ではない。けれど頭に浮かぶのは何故という言葉で。


「両親とは違い、実の子供でもない僕に対して育てる義務のない柳さんが罪の意識を感じる必要はないはずですが」


「それでも私が一番近くにいて、何とか出来るかもしれない位置にいたのよ。確かにあの時は忙し過ぎて貴方のことにまで手が回らなかったけど、そのことに罪悪感を感じていなかった訳じゃないの。この気持ち、その嘘を見抜く力にはどう見えてる? 私はそのことに何も感じない血も涙もない女だった?」


「…………嘘では、ありません」


 感じた限りでは柳さんの言葉に嘘はない。

 罪悪感を感じていたことは確かみたいだし、そのことについて贖罪したいという気持ちも嘘ではない。

 その表情だって自身の罪を自覚して罰を欲しがっているようにすら見える。

 そもそもここに入れた以上、悪い人ではないはずだ。それは理解していた。

 だけど……だけども……。


「嘘ではないと、頭ではそう理解しているものの心が納得していない自分がいるのも確かです。例えば、そういう風に自分を騙しているのではと」


「そういう風に思われても仕方ないと思っているわ」


 顔は鉄のようにそのままで、一度は明るくなりかけた柳さんの心が曇っていくのを感じる。

 心からの言葉を信じてもらえなかった。そのことに対する自罰的な感情。決して他責ではない。ただ信じてもらえるような行動をしてこなかった自分への失望。そんなところだろうか。


(小さいな……僕は……)

 

 それを見ても疑おうとする心があるのは、やはりあの頃の思い出があるから。

 この気持ちは決して簡単に拭えるものではない。ドロドロとした粘着質な感情だ。

 倉橋さんには忘れてしまうのも手だと言われたし、咲夜には自分が大きくなることで相対的に小さな思い出にしてしまう方が良いと言われ、大門先輩には何と言われたのだったか。

 ……そう、例え小さな問題だったとしてもそれを大きく見ている自分自身との闘いが人生の中で幾度となくこれからも続いていく。その向き合い方を模索していくのが成長というのだったか。難しい話だったからその時はピンとこなかったけれど、今は何となく分かる気がする。 

 そういえば、大門先輩はこうも言っていたか。

 妖怪退治に比べれば世の中の大抵のことは大したことはない、と。


「──だから、柳さんさえ良ければ僕にそれを信じさせてくれませんか?」


 今でも何が正解かは分からない。でも、拒絶してしまえば何も分からないままになってしまう。

 だからこれでいい。今は自分を信じて前に進み続ければいい。

 

「清光君は……いいえ、清花ちゃんは大人になったんですね」


 一瞬目を大きく見開いた柳さんは、少しばかり目尻に溜まった涙を払う。

 歳で言えば柳さんは僕の実の母とそう変わらない。そんな人から"母らしい"目線を送られるのは何だか胸の辺りがむずかゆかった。


「僕はまだ子供ですよ。周りにいつも助けて貰ってばかりですから」


「それを自覚している人が大人なんですよ」


 少し元気の戻った柳さんは溜め込んでいた悪い気をゆっくりと吐き出していた。

 そして軽く笑うと、僕の方へ手を差し出してくる。それを握ると柳さんは確かめるように強く握り返してきた。


「僕の方からお願いしてもいいですか? 清光と清花が同一人物だと露見しないお手伝いをして欲しいんです」


「是非お任せ下さい。必ずや成し遂げて見せます」


「よろしくお願いします。……あっ、給与に関しては咲夜と相談をして下さいね。葛木家からも貰っているかと思いますが、それはそれなので。大事なことですから」


 多分、清光としての僕に支払っている給与をそのまま与える形になるだろうけれど、それが身代わりをして貰う給与に見合うかどうかは分からない。

 なのでその辺りはきちんと話し合って貰わないといけないだろう。


「分かりました。それでは今日のところはこれでお暇させて頂きます。後日また改めてお話に参りたいと思います」


 柳さんはそう言って大型の猫に変身する。そのまま部屋を出て空いている窓から外に飛び出て行ってしまった。

 分家だけあって化装術が使えるのは当然として、長年仕えてくれていた柳さんは使用人として凄く出来る人だったのを思い出した。その人が化装術を使うのなら、身のこなしが俊敏な猫を真似するのは何故だか当たり前のように思えた。


「ああやってここに侵入したのね」


「だと思う。なんて言うか、帰って来て早々落ち着かないみたいでごめんね」


「貴方が謝ることではないでしょうに。結果的に良い方向に転がったのだから良しとしておきましょう」


「……だね。身バレの必要がなくな…………」


「清花? いきなり固まったりしてどうしたの?」


 咲夜が突然言葉を止めた僕を怪訝そうな顔で覗き込んでくるけれど、肝心の僕はそれどころではなかった。

 柳さんが清光の代わりをしてくれるということは、つまり————


「僕が男に戻る必要性が……無くなった?」


 化装術しか使えない清光なら代わりは出来るだろうけど、浄化の力を持たない柳さんでは清花の代わりは出来ない。

 だから清花は僕が、清光は柳さんがという役割分担をすることになる。その逆は不可能だから。

 それなら今までも少なかった清光に戻る機会が全くと言っていい程になくなる訳で。


「あぁ、確かにそうね。でも戻れなくなってもいいと決めたのは貴方でしょう。ある意味では後腐れが無くなっていいじゃない。頑張って男のフリする必要もなくなったのだし」


「…………男の、フリ」


 咲夜は喜んでいるでも悲しんでいるでもなく、ただ事実のみを告げてくる。

 確かにそう決めたのは僕だし、そこに後悔はないから別に悔やんでいる訳でもない。

 咲夜の言う通り清光としての僕のことを心配しなくて済むのだから、これで良いはずだ。

 柳さんに協力して貰えれば清光を葛木家に返した状態にも出来るだろうし、それならば大手を振って清花として活動が出来るようになる未来だって考えられる。

 そうなれば余程のことがない限りは僕の正体について問題は発生しなくなる。


「複雑そうな顔ね」


「自分でも何とも言えない気持ちなんだ。後悔とも違うような……あえて言葉にするなら喪失感……かな」


 男としての自分が少しずつ居なくなってきているような、自分という器の中の清光成分と清花成分の割合が逆転してしまったような、そんな感覚を自覚した感じだろうか。

 喉元で何かが飛び出そうな、飛び出て欲しいのに、しかし一向に飛び出てくれないような、そんな絶妙な心持ちだ。


「こればかりは時間が解決するしかないでしょうね。もしも駄目そうなら私がそれを吐き出させてあげるから、もう少しその感覚と自分で向き合ってみれば?」


「そう、だね。その時はお願いするよ」


「えぇ、任せて頂戴。それじゃあ、ようやくだけど帰って来れたということで」


「あっ、うん。そうだね。そういえば、きちんと言えてなかったね」


 帰って来てからいきなり僕の姿を目にしていたからそれどころではなくなっていたけど。

 やはりここは落ち着くというか、まだやって来てそんなに年月は経っていないというのにもう我が家のように感じている自分がいた。


「倉橋さん、大門先輩」


 お茶とお菓子を出してくれる二人が笑顔でこちらを見る。

 咲夜と示し合わせた訳でもないけれど、何故か揃って。


「「ただいま」」


 「はい。お帰りなさいませ。お二人の無事のお帰りを心待ちにしておりましたよ」


 そう言って倉橋さんが僕と咲夜の頭を撫でてくる。

 咲夜は恥ずかしそうにして手を振り払おうとしていたけど、決して無理に払おうとはしていなかった。

 それが終わってから、大門先輩が話の間に用意してくれていた飲み物を手渡してくれる。


「色々とあったと聞きましたよ。しかしその話はまた今度にしましょう。今はお二人のお帰りをただ祝うとしましょう」


「はい。帰って来たら、大門先輩にお願いしたいことがあったので聞いて下さい」


「無理難題でないといいのですが。その話もきちんとお聞きします。それでは咲夜お嬢様、乾杯の音頭をお願いします」


 咲夜にも飲み物が手渡され、ついでにされたお願いに顔を顰める。

 面倒だと抗議する顔も、すぐに仕方ないと言ったように息を吐いてから笑う。


「色々と大変なこともあったけど、とりあえずは無事に帰って来れたわ。良い事があれば悪い事もあった。これからもっと忙しくなるでしょうけど、それでも力を合わせて頑張りましょう」


 コップをぶつけ合う小気味良い音が響き渡り、僕達はそれぞれの飲み物を口に入れていく。

 その後は倉橋さんが丹精を込めて作ってくれた手料理を頬張りながらの僕と咲夜の大大愚痴大会になり、それを二人は時には同調したり、時には諌めてくれたりと、そんな風に時間を過ごしていった。

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― 新着の感想 ―
22222222年ぶり⁉️更新されてルル‼️勝手にお久しぶりです‼️更新ありがとうございます‼️
更新されてる!!? 待っている間二章を何週したことか… 続きを読めるの超嬉しいです!
イヤッターーーー続きだァ!ありがとうございます! しかし他者の好意とかに無頓着なのは、本家の血の影響もなきにしも非ずって所か……なんか説得力増しちゃったな。 しかし「もう一人の僕」がドッペルゲンガ…
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