二話-7 浄化
数度の深呼吸の後、落ち着きを取り戻した僕は目を開けて片桐さんを見る。
気持ちを新たに、自分が為すべきことだけを見据えれば自然と片桐さんが薄着であることなんて気にしなくなるはずだ。
恥ずかしいよりも彼女の覚悟に応えてあげたいという気持ちが勝っているから、なんとかやれる。
「じゃあ、この水を体に少しずつ浸していくからね。直接水が触れた部分からだったらどんなに小さな異常でも発見出来るはずだから」
「やり方は一切お任せします。どうか、よろしくお願いします」
霊力で生み出した水球は宙に浮かんだままその時を待っている。
僕は他人を治療した経験はさほど多くはないものの、自分を治した経験の感覚からおおよその出来ることは把握している。
限界まで浄化の力の濃度を高めた水を手に取り、そこから人差し指で描くように水を伸ばしていく。
「お待たせ。そう時間は掛からないはずだからすぐに始めよう。まずはベッドに寝転んでくれる?」
「わ、分かりました」
言われた通りに片桐さんがソファを変形させたベッドに寝そべる。ただやはり緊張しているのか、少し汗を掻いているようだ。
ベッドのシーツをギュッと両手で握り、少しでも何かに耐えようと踏ん張っている。
会ったばかりの僕達だ。気持ちの面では僕のことを心から認めたとは思えない。そんな急には気持ちの切り替えなんて出来るはずがない。
それでも藁にもすがる思いでここに来た彼女は、自分の為ではなく家族の為にここにいる。彼女にとっては浄化の水なんてものは元々自分にはない物なのだから。こんな思いをしてまでここにいるのが自分の為だとは僕は思わない。
だからこそ、そんな子がこんな目に遭っているのは間違っていると憤りを覚える。
「まず頭からいくよ。冷たいだろうけど、楽にしていてね」
「はい。どうか、宜しくお願い致します」
「全力は尽くすよ」
口だけではなく、本気でそう返す。それが伝わったのか、片桐さんの体からふっと力が抜けていった。
早速作業に取り掛かると、まずは引っ張ってきた水を彼女の額に垂らす。それが頭全体に広がっていき、後頭部まで浸透していく。
今回行うのは外傷の治療ではなく、体内の治療だ。どこにあるか、そもそもあるかどうかも分からない力が使えなくなった要因を探す作業になる。
実を言えば体内の治療なんてことをするのは今回初めて行うことだし、果たして自分にそんなことが可能なのかは分からない。
けれど、今回が駄目でも二回、三回と続ければ精度は間違いなく上がっていくはずだ。
それまで根気よく付き合ってくれるなら、僕はいつまでも続けていくつもりで事に臨んでいる。
「次は胸にいくよ」
頭には何も異常はなく、首から心臓、重要な臓器類にかけてまで水に含まれる浄化の力を浸透させていっても何も見つからない。
そのことに焦りは感じない。それは全て隈なく見てからすることだから。今するべきことは焦らずに何も見逃さないこと。ただそれだけだ。
「もう少し下の方にいくけど、大丈夫そう?」
治療に専念しているからあまり彼女の様子に気を配ってはいられなかったけれども、少し息が激しくなっているあたり何か異常があったりしたのかもしれない。念の為に確認をすると、片桐さんは苦笑する。
「く、くすぐったいだけなので気にせず続けて下さい」
「分かった。何かあればすぐに言ってね」
心臓部付近には何もなかった。人間の最も大切な機関と言っていい心臓になかったというのは少々拍子抜けしたけれど、それは転じて見つけにくいところに隠されているかもしれないということ。改めて気を引き締め直す必要がありそうだ。
そして、今から探っていく場所は女の子の中でも一際大事な部分だ。一番繊細なところと言ってもいい。
例え今が冷静になっている自分だとしても、そこに気安く触れるのは躊躇われる。そんな場所。自分が男だということを隠しているから尚更に気後れする。
(ただ……何かあるとしたら間違いなくここだ)
いつか自分の性別がバレてしまったとしたら、謝り倒そうと決めて施術に取り掛かることにしよう。
「はぁ……はぁ……っ」
「片桐さん?」
胸部から少しずつ下に行くにつれ、少しずつ片桐さんの様子がおかしくなってくる。
息が荒くなり、何かに苦しみ出しているような顔をしていた。
「んっ、何か……違和感のようなものを、感じます。下の方……お腹の中から……かも?」
「…………やっぱりそこか」
お腹から、その下へ取り掛かった時に"それ"は起きた。
彼女の言葉が発せられる前から感じた違和感に不測の事態に備えて霊力を使って水を大量に生成する。
「清花」
「うん。どうやら正解だったみたいだね」
僕と片桐さんが違和感を感じた場所は多分だけど一致している。不用意にそこへは触れないようにしているけども、そこから不穏な気配が今も放ち続けられている。咲夜も視て何がそこに巣食っていたのかを理解したらしい。
こうなるまで咲夜にさえ目視出来ない高度な呪いということだ。少なくとも並の術師の仕業ではないことは確かだろう。
「何か……見つかったんですか……?」
「うん。ただ……」
言い淀んだ言葉を咲夜が紡ぐ。
「場所は恐らく……子宮ね。そこに呪いを植え付けられているわ。それが原因で子孫が力を使えないようになっていたのね」
「そんな……っ」
「動かないで。呪いが今にも動き出しそうなんだ。動かれると対処し難くなる」
咲夜の言葉に思わず起きあがろうとするのを制し、僕は何かあった時の為に神経を尖らせていく。
「そんな……呪いだなんて、一体どうして……」
図らずも自分たちを蝕んでいたものの正体が判明し、いきなりのことに片桐さんは茫然としていた。
「力が途切れた世代に何かがあったと考えるのが自然な流れでしょうね。子宮なんて、女性退魔師にとって一番防御の硬い場所じゃない。自らの意思で受け入れでもしない限りは呪いなんて定着しないはずだけど……。それも浄化の力を持つ一族なら尚更に」
浄化使いはそもそも呪いなんてものはそうそう効きはしない。自分の実力を遥かに越える者の仕業ならば或いはとは思うけど、それだって自然に過ごしていれば自然と完治していくはずだ。
だとすると自分の意思で受け続けるということになるけれど、何代も跨いで発動し続ける呪いなんて普通の感性ではまず受け入れられるはずがない。
それでも治さないで残していたのだとすれば、それは術者本人の意思によるところが大きいはずだ。
「何とかなりそうなの?」
「うん。それに何となくだけど、この呪いの正体が掴めてきた気がする」
いつ何が起こってもいいように呪いの外縁部を包み込むように浄化の力を送り込んでいく。
この呪いは何者にも決して感知をされないように、その力自体は弱く、人を殺せるほど強いものではない。精々が赤子のような抵抗力のない相手に対してしか効果らしい効果は見込めない程度のもの。
けれど、今の片桐さんは霊力的には赤子同然。やけっぱちになって体内を傷つけられたりしないよう、細心の注意を払わなければいけない。
そうして呪いに対して触れ続けていると、その呪いに残る記憶の残滓とでも言うべきものが僕の脳裏に流れてくる。
恐らくは、この呪いの主と僕とが血縁関係にあるからこそのこの現象なのだろう。何が原因でこうなったのか、それを探る為に記憶を辿ることにする。
ただ、それは決して気持ちの良いものではなかった。
この呪いの大元となった人物とは絶対に相容れないと、人に対してそう強くそう思ったのは生まれて初めてのことだった。
「清花さん?」
「……多分だけど、この呪いの原因を作った人は浄化の力を扱う為の才能が他の姉妹たちと比べて低かったんだ」
「つまり、嫉妬がだということかしら?」
「大体の要因はそれじゃないかな。まだ表面的なことしか伝わって来ないけど、これから浄化する際にはもっと分かるかも」
こんなにドス黒い怨念が籠っているというのに今までの誰もが気付かなかったのは、それが子供を産む際にしか働かない作用だったからだ。
女性退魔師が子供を宿している時は一番霊力が乱れやすい時期だと読んだことがある。そんな時に無理をして呪いの正体なんて確かめられるはずがない。下手に外部から刺激を与えれば母子ともに危険な状態に陥りかねないのだから。
この呪いは子供が生まれる際にのみ効力を発揮し、終わればまた見つからないように隠れてしまう。だからこれまで見つからなかった。
だけど、役割を終えたはずの呪いが今回こうして浮上してきたのは、狂うほどの恨みつらみを募らせてきた浄化の水の力が近づいてきたから。
隠しても隠し切れない憎しみや怨恨の念が滲みだしてきて、とうとう隠し切れなくなったというだけの話だ。
この呪いを発見する為には衰退し、使えなくなったはずの浄化の水という力が必要という矛盾。それを鑑みれば今まで見つからなかった理由にも納得できる。
それだけのことをする程の恨みをこの呪いの人物は持っていたということだろうけれど、それが子孫にまで呪い続けていいという理由には決してなりはしない。
「活性化した呪いをこのまま放置をすると片桐さんの体を傷つけかねない。だから、ぶっつけ本番で悪いけどこのまま浄化させて貰うよ」
今はお互いに睨み合いの状態だけど、日を改めてなんてしてくれる相手ではない。僕がいなくなった瞬間にその牙を彼女へと向けるに違いない。
それを許さない為に、向こうに察知されないように、浄化の力を濃く、深く、より強く、邪悪な怨恨の念に負けないように研ぎ澄ます。
「お願いします。母の……祖母の無念を、どうか……」
力が使えなくて苦悩してきた家族の姿を見ていたからか、片桐さんは自分ではなく家族のことをただただ想っていた。
その想いを決して無駄にはさせない。
「安心して。僕はこういった相手には無敵なんだ」
こんな人の不幸を望むような奴相手には絶対に負けたりはしないのだから。
「鬼や鵺に比べたらこんなのへの河童だよ」
僕の軽口に反応するように、呪いが蠢きだした。
おどろおどろしい姿形をした女性の怨霊のようなものが彼女の中に感じられる。
直に対面しているから分かる。これは元々は人間の成れの果てだということが。
『オノレオノレオノレオノレオノレオノレオノレオノレオノレオノレオノレオノレ』
「醜いよ、お前。もう自分の形すら覚えていないのか」
辛うじて人型を保ってはいるものの、不定形の靄のようなそれはただの怨念の塊のようなもので自我はない。
ここまでくるといっそ清々しく浄化に踏み切ることが出来る。祓うことに躊躇いなんて一切ない。化け物でいてくれてありがとうと言ってやりたいくらいだ。
『ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ』
「それはこっちの台詞だよ。僕の方がお前を許さないんだ」
暴れ出そうとする呪いを無理矢理に押さえつけてこれ以上何も出来ないようにしていく。
「くっ! うぅ……っ!」
「もうちょっとだから頑張って耐えて! こんな呪い程度に負けたら駄目だ!」
「負け……ないっ! こんな、卑怯な奴なんかに! 負けない!」
片桐さんが耐えてくれてはいる。それでもすぐに祓うことが出来ないのは恐らく、呪いの元になった人が大蓮寺の血を持っていたせいで浄化の水に抵抗力があるのだと思う。早めに呪いを取り除いてあげないと彼女の方が参ってしまいそうだ。
どうにかして彼女の体から追い出さないと……。
「いい加減に出て来い、この卑怯者。自分の家族だけじゃ飽き足らず、無関係の子孫にまで迷惑を掛けるんじゃない!」
元来の性格が腐っていたのかは分からないけれど、どちらにせよ他人の苦しむ様を望む性根には同情の余地すらない。
幼く、まだ力のない赤ん坊に狙いを定めたのは神罰ですら生温い。
卑怯で卑劣でどうしようもなく低俗な人間性、そんな妬み嫉みを爆発させながら怨霊は浄化の力を身に纏う僕に呪いをぶつけてくる。
しかし、幼児にしか干渉出来ない程度の呪いなんて僕にその意思がなくても勝手に消滅していく。
『オネエサマオネエサマオネエサマニクイニクイニクイーーーーー』
果たして僕にどんな影を見たのか分からない。けれど、僕ではない誰かを幻視して彼女は叫んでいた。
言葉から察するに恐らくは相手は姉、しかも優秀な姉だったのだろう。
叫ぶ毎に嫉妬の念が更に濃くなっていき、その憎悪は無数の蛇のようにとぐろを巻いて激しさを増していく。
このままでは片桐さんに傷が残りかねない。
残るもの全てを彼女から引き摺り出して、完膚なきまで完全に浄化をしないとこの戦いは終わらない。
「優秀な姉たちと比べられてきたせいで歪んだのだとしても、僕はお前には一切同情出来ないよ。その下劣な人間性は本当に見るに堪えない。お前には浄化の力を操る才能がなかったんじゃない。ただ資格がなかったんだよ」
『──────』
もはや言葉すら介さなくなった怨霊は最後の抵抗とばかりにこちらに向かって飛んできてその身を爆発させようとする。
これを放って置けば片桐さんの身に傷が少し残っていたかもしれない。だからこれで良かった。
「無駄だ」
場所が場所だけに慎重に事を為しているだけで、この程度の怨霊が僕に対して出来ることなんて何もない。
呪いがより強く、よりその効力を発揮しようとする程に僕の浄化の力は更なる力で対抗することが出来る。
放って置けば力が使えなくなる程度の人畜無害な呪いではなく、恨み憎しみを増長させ人を呪い殺そうとする極めて有害な異物に対し、浄化の力は十全の力で以って力を示す。
だから体から出た所を浄化の水で包み込んで閉じ込める。呪いはどうにか一矢報いようと力を外部へ向けて放ち始めた。
最後の抵抗にとその牙を向けそうとしたその瞬間、浄化の力は最高出力で呪いを迎え撃つ。
「浄滅しろ」
結末は言うまでもない。体内を傷つけないようにという配慮がなければ息を吹く程度の力で容易く消し飛ばすことの出来る相手なのだから。
『オノ……レ……』
呪いは恨み言を残して跡形もなく消え去った。結果として何もさせずに怨霊を消し去ることに無事成功した。微塵も片桐さんの体を傷つけることなく、完璧に作業は完了したはずだ。
(……………………あれは)
……ただ、消し去る直前に視えたものが脳裏に焼き付いて離れない。
通常であれば、ただの嫉妬心程度だけでここまでの呪いには至らないとは思っていた。
果たしてこの呪いを施したのは誰なのかと考えてはいた。けれど、まさか……。
「清花……清花!」
「…………っ!」
耳元で聞こえてきた僕を呼ぶ声に意識が戻される。
そうだった、今は彼女たちに無事に解決をしたことを報告をしないといけないのだった。
「聞こえてるよ。とりあえず施術は無事に完了したと思う。これで片桐さんから力を奪っていた元凶は無くなったはず」
念の為、全身隈なく探してみるつもりだけど、あれは女性の特定の部位にいなければ意味のない呪いだっただろうからもう問題はないはずだ。
僕の報告を聞いて片桐さんは勢いよく上体を起こし、そのままソファベッドから飛び降りた。
「本当ですか!? そんな、嘘みたい……っ! ありがとうございます!」
「ちょっ」
「あっ」
その拍子に体に張り付いていたタオルが剥がれ落ちて濡れた肢体が僕の目に入ってきて。
先程まで目の裏に焼き付いて離れなかったはずのものが、瞬く間に更新されてしまった。
「あっ、ごめんなさい……っ。つい感極まってしまって!」
「いいから隠しなさい。喜ぶのは分かるけれど、はしたないわよ」
急いで体を隠してくれたはいいものの、暫くはあの視界は消えてくれない気がする。
(やっぱりいつまで経っても慣れないよ……)
やはりこういうところはまだ女に成り切れていないのだと自覚する。それと同時にまだ男の心があることに安堵もしたりする自分がいて。
咲夜が新しいタオルを渡して片桐さんが体を拭いている間にこちらは精神を落ち着かせておく。
少しして布が擦れる音がして「もう大丈夫ですよ」と声を掛けられたのでそちらを向いた。
「あっ、まだ恥ずかしいみたいですね」
「いや、その……色々と見ちゃってごめん」
「いえ、同性同士ですし平気ですよ。というか清花さんって、そこまで他人の肌に免疫がないと修学旅行とかはどうされているんですか?」
「あー、修学旅行かぁ……。そういうのは行ったことないから分からないかな」
片桐さんの体を見ただけで先程の光景が蘇ってしまうけど、どうにか平静は保つことは出来た。顔は赤いみたいだけどもうこれは仕方ない。
投げかけられた疑問に素直にそう答えていると、横からため息交じりで咲夜が入り込んでくる。
「片桐さんはこの子のことを才能溢れる退魔師として嫉妬していたかもしれないけど、この子はこの子で普通とは言い難い、それこそ普通の人からすれば恵まれていないような人生を送っているのよ。彼女が真に学生生活を謳歌したのなんて、本当に僅かでしかないのだから」
「そう、なんですか……?」
「まぁ、そうだね」
真偽を問うような視線に別に隠すことではないので肯定する。清花の設定的に答えても問題はないはずだ。
僕自身、小学校の頃から修行ばかりで友達と遊んだことはあまりないし、中学に入ってからはすぐに事故が起こって入院生活。それで今だから、咲夜の言う通りおおよそ普通の生活とはかけ離れたものだとは思う。
自分にとってはそれが普通だったし、自分のしたいことを考えれば特別不満のようなものはなかったけれども。
「そんな……私、何も知らないで……」
ただ普通に日々を過ごしてきた彼女にとっては僕の環境はあまりよろしくないものに感じたのか、それに加えて先日に食ってかかった時のことを思い出しているのか、片桐さんの顔色が悪くなっていく。
僕としては中学校にあまり行けていないことには多少の後悔はあるものの、今の自分を形作る為には必要な時間だったとも今は思っている。なので別に彼女がそのことに罪悪感を感じる必要はない。
「今は色々あって高校に通えているし、片桐さんはあまり気にしなくていいよ。それに退魔師だったらそんなことはざらだしね」
「それは……そうかもしれないですけど……」
「本当に気にしなくていいからね。色々とあって今があるんだから、僕は今に満足しているよ」
片桐さんがそれでも謝罪の言葉を吐き出しそうになったところ、咲夜が軽く手を叩いて注意を自分に向けさせた。
「はいはい、そこまで。さっきの清花の様子も気になるけど、今は片桐さんの方が重要よ」
咲夜が言っているのは浄化の力のことだろう。確かに、浮かれていて大事なことを忘れていた。
「そうだったね。浄化の力が使えるようになったのか確かめないと。呪いがなくなったと言っても力が使えるのとは別問題だし。片桐さんは今まで霊力を扱ってきた経験はある? なければ僕が指導させてもらうけど」
「お、お願いしてもいいですか? 血筋のせいか、どうしても他の術とかが使えなくて霊力を扱う練習もままならなかったので……」
「分かった。同じ力を持っているってことで指導はし易いはずだし、とりあえずこのまま練習してみようか。水を扱う以上、濡れるかもしれないからね」
同じように腰掛けて座り、片桐さんの手を取る。
やはり同じ力を持っているだけあって、直接触れていた方が彼女の状態をはっきりと認識出来る。
「霊力自体はあるね。堰き止められていた物がなくなったからかな、浄化の力も少しだけど感じられる。どうかな、感覚さえ掴めればどうにかなると思うけど」
「ううん。そもそも霊力なんて感じたことないから……。ど、どうしよう? このまま使えなかったら……っ!」
触れている手を通して不安だという彼女の気持ちが強く伝わってくる。
ここまでして貰ってもしも何も出来なかったら、その時は本当の本当に役立たずになってしまうと。
けれど、そんな心持ちで事に望んでも良い結果は出ない。
「まずは深呼吸をして。そう、吸って、吐いて。吸って、吐いて。……そうしたら、今度は僕の手の方に意識を集中させてみよう。霊力を少しずつ君の中に流していくから、それを感じ取ってみるんだ。同じ浄化の力だからそこまで抵抗感はないはずだよ」
「うん。や、やってみる……」
けれど、何も起きない。けれどこれはある意味では当然だとすら言えた。
本来なら物心つく前から意識させられることを、今になって初めてやるのだから戸惑うのは当然だ。
小さい頃なら感覚で覚えられることを、大人になってからは知識で理解する。霊力という、目に見えないものだからこそこの壁を乗り越えるのは試練だとすら言える。しかし、退魔師として当たり前のように出来るはずのことに出来ない彼女は段々と焦り出した。
「出ない……何で、何で出て来ないの……」
「落ち着いて。大事なのは想像力だよ。自分の中の力に輪郭を与えるんだ」
初めてだから出き来ないことは別におかしいことではない。けれど、原因がなくなったのに未だに使えないのは不安にもなるか。
自分の場合は有り余る霊力で無理矢理に発現した感じなので、彼女への適切な助言が出来るかどうかは分からない。
だから言葉での手助けは難しい。けれど、もしかしたらと思い、浄化の水で水球を作りだして片桐さんの手に乗せた。
「まずは初心に返って思い出してみて。浄化の力はきっと君の想いに応えるはずだよ。……ねぇ、片桐さんはどうして浄化の力を使いたいの?」
「どうして……って、私は……」
「今まで自分たちを見下してきた人たちを見下したい? 誰よりも強くなって見返したい?」
「そんなじゃない。私は、もっと……っ」
「それとも妖怪をやっつけたい? お金を稼げるから?」
「違う……違う! 私は……っ!」
「なら……お母さんやお婆ちゃんの為?」
僕の言葉の直後、それは起きた。
「────出来、た」
やはりというべきか、流石は大蓮寺家の娘。どんな苦境にいたとしても、その心根は優しいもののままだったのだろう。
力を手にしたとしても他人の為にという志に血は応えた、そう僕は思いたい。そうであるべきだと思う。
合わせた手の平に僕が出した乗せた量以上の水が生成されていて、彼女の体を濡らしていた。
それが浄化の水そのものであることは他ならない彼女自身が理解したはず。
「おめでとう。これから厳しい修練が必要になるだろうけど、これで浄化の水は大蓮寺家の娘である君の物だよ」
その力は凄く強いものではない。退魔師の等級で言えば良くて八か七等級くらいだろう。下から数えた方が早いし、身体能力から考えても僕のように戦えはしない。
けれど、それで構わない。浄化使いに求められるのは力を使えることであり、前線で戦うことではない。ただその力を持っているというだけで価値になる。もう消えることのない彼女の大事な財産だ。
そんな力を何度も試しては床を水浸しにするほど没頭していたけれど、肩に手を置いたところで我に返り、そして目の大粒の涙を溜め始めた。
「あり、ありが……っ! ほん、本当に……っ! ぐすっ、あ゛りがどぉーーーっ!」
「どういたしまして。とりあえず、今は泣けるだけ泣いちゃおう。それで、最後に笑おうか」
「わがっだぁぁぁ! ぜいが゛ざん゛ん゛ん゛ーーーっ! ほんどにありがどお゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!」
「よしよし。辛かったね。よく頑張ったね」
嗚咽交じりになって、言葉に詰まり、泣きながら礼を述べる。涙やら鼻水やらで僕の服まで大変なことになっているけど、こういう時くらいは胸を貸してあげよう。
僕と違って力を使いたくても使えない状態にあって、辛いことは沢山あっただろうに、それでも心根を真っすぐにあり続けた彼女には褒めてあげる存在が一人でも多くいるべきなのだから。
もう一度出してみてと言い聞かせては成功して、その度に彼女は大いに泣いた。泣いて泣いて泣き続けた。何十分も、ずっとずっと泣き続けて、お礼を沢山言って、そして最後に綺麗に笑った。
目元を真っ赤にしながら、それでも強気に口角を釣り上げて。
「えへへ……折角濡れないようにしたのに、べちょべちょになっちゃいました」
「替えの服に着替えていて良かったわね。今度は鼻水で汚さないようにしなさい」
無粋なようで、今まで口を出さずにじっと見守っていた咲夜に片桐さんは苦笑気味に微笑んだ。
「咲夜さんもありがとう。清花さんの言う通り言葉は強めだけど、浄化の力があるからか何となく優しさが伝わってきますね」
「……これだから浄化使いはやりにくいったら。はぁ……洗濯の代金は出世払いでいいわ。言っておくけど、安物なんてここにはないから高くつくわよ」
「うん、分かりました。ありがとうございます」
完全に毒気を抜かれた咲夜は「そう」とだけ返してそっぽを向いてしまった。
こういう時は大抵照れている時だけど、あまりからかうと本気で怒るのでそっとしておいてあげよう。そう思ったけど、突然に思い出したように咲夜が手を叩いた。
「そうだ。片桐さん、今晩はここに泊まりなさい。これは命令よ」
「えっ? えっと……」
本当なら呪いが解けて力が使えるようになったことをすぐにでも両親に見せたい気持ちがあるのだろう。出来れば拒否をしてすぐにでも帰りたい、でもある意味では僕と引き合わせてくれた恩人の言うことだから無碍には出来ないといったところか。
「咲夜。きちんと理由を説明してあげないとかわいそうだよ」
「分かってる。私だって本当は帰してあげる予定だったのだけど、今日の様子を見てそれは危険だと判断したの」
「き、危険……ですか?」
唐突に不安になる言葉を聞き、片桐さんは胸の前で手を握る。
それに対して咲夜はそう難しい話ではないと前置きした上で述べた。
「あの呪いの反応からして清花に強く影響を受けたことに間違いはないでしょう。つまり、あの呪いは浄化の水の力が近くにいるだけで活性化してしまう可能性が高いの。それは覚醒したての貴方でも同じだけ可能性はある。だからここでそのまま帰してしまうより、明日にでも清花と一緒に行った方が危険があってもなんとか出来る公算が高い。貴方だって家族を危険に晒したい訳ではないでしょう? そんな訳で、今日はここに泊まりなさいと言ったの」
「あっ、そうか……」
僕はその可能性に今まで気付いていなかった。彼女が思うままに帰して家族で喜び合えばいいと思っていた。
けれど、その場合に起こるかもしれない最悪を想定すると咲夜の案の方が良いに決まっている。
「今日中に行くことも検討したけれど、清花の負担を考えると明日以降がいいでしょ…………何よ?」
「いや、流石咲夜だなって思って」
「咲夜さんって頭良いんですね……私、そこまで気が回りませんでした」
僕たちの言葉に気を良くしたのか、彼女は立ち上がって僕たちの方へ歩いてきて。
「この程度のことすら思いつかない頭お花畑ではますます帰らせること出来ないわ、ねっ!」
「「いたっ」」
照れが限界に達した咲夜のデコピンが僕と片桐さんに放たれた。
この後、片桐さんの両親にはこちらで泊まる旨を説明し、快く承諾を貰えた。
そんな訳で、濡れた体を温める為にとお風呂に全員で入ることになり、急遽として女子会なるものが何故か開催されたのである。