不協和音の残響
22対24。
あと1点で、聖華女子の勝利が決まるマッチポイント。
けれど、体育館を支配していたあの冷徹な「静寂」は、もうどこにもなかった。
「繋げ……っ!」
美咲が床にへばりつきながら、狂った軌道のボールを上げる。
私はすでに、跳んでいた。
脳細胞のすべてが沸騰し、思考は完全に停止している。サインも、戦術も、空間の計算すら消え失せた。
ただ、私の指先が、コートという鍵盤を衝動のままに叩き壊す。
――その瞬間、世界からすべての「音」が消えた。
キュッというシューズの摩擦音も、ボールを叩く破裂音も、荒い呼吸の音すらも聞こえない。完全なる無音の世界。
その視覚だけの世界の中で、私の放った乱暴なバックトスに、結衣が一切の迷いなくトップスピードで突っ込んでくるのが見えた。アイコンタクトすらない。ただ、お互いの命の震えをダイレクトに感知し合うような、盲目的なシンクロ。
(これだ。これが、私たちの――!)
結衣が空中で、獣のようなしなやかさで体を反らせ、腕を振り抜く。
いつもなら完璧に先回りしているはずの聖華の三枚ブロックが、初めて焦ったように、不揃いに跳び上がるのが見えた。
怜の、あの常に澄ましていた顔が、信じられないものを見るかのように歪んでいる。
王者のメトロノームが、私たちの狂気的なフリージャズの前に、完全に狂い、バグを起こしていた。
ドッ――
無音の世界を破り、結衣のスパイクがブロックの手を弾いた。
ボールは高く跳ね上がり、聖華のバックゾーンを激しく揺さぶる。
「怜……ッ!」
聖華のレシーバーが叫んだ。
上がったボールは、普段の聖華ならあり得ない、ネット際へルーズに流れる完全な二段トス。
そこへ、怜が猛然と走り込んでいた。
かつてピアノコンクールで、私の演奏に追い詰められた時と同じ――取り乱し、歯を食いしばり、なりふり構わずボールへ飛びつく、泥臭い少女の姿がそこにあった。
「あああああッ!!」
怜が、割れんばかりの悲鳴とともに、限界を超えた速度でタクトを振る。
超高速のバックトスが、聖華のエースへと配給された。
ドンッ!!!
すさまじい金属音が体育館に響き渡り、ボールが私たちのコートのインラインへと突き刺さる。
ピーーーーーッ。
試合終了を告げる、無機質なホイッスルの音が鳴り響いた。
スコアは22対25。
勝ったのは、聖華女子だった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
静まり返ったコート。
勝者と敗者の姿は、奇妙なほどに逆転していた。
勝ったはずの聖華女子のコート。キャプテンの怜は、両膝に手をつき、全身から滝のような汗を流して激しく肩を上下させていた。その指先は、今も微かに震えている。彼女の瞳に宿っているのは、勝利の喜びではない。生まれて初めて、自分の完璧な支配を脅かされたという、恐怖に近い焦燥だった。
対する、負けた私たちのコート。
「あはは! あと一歩及ばなかったかぁ!」
結衣が床に大の字に寝転がりながら、清々しい声を上げた。
「でも宗子、今のラストラリー、最高に気持ちよかった!」
美咲も、膝をつきながらも、その顔には満足げな笑みが浮かんでいる。
私もまた、激しい動悸の中で、不敵に笑っていた。
全身泥だらけで、スコアの上では完璧な敗北。だけど、私たちの胸には、絶対王者の首筋に確かに牙を立てたという、狂おしいほどの手応えが残っていた。
怜が、震える手でユニフォームの汗を拭い、ゆっくりと私を見つめてくる。その目には、かつて私を「おままごと」と見下した余裕は、微塵も残っていなかった。
「……勝ったのは、私たちよ、宗子」
絞り出すような怜の声には、言い聞かせるような必死さが混ざっていた。
「ええ、おめでとう、怜」
私は真っ直ぐに彼女の目を見返し、告げた。
「でも、その耳にこびりついた不協和音は、もう消えないわよ。――本番(公式戦)で会おうね」
怜の顔が、恐怖でわずかに強張る。
絶対王者の完璧な楽譜に、消えないノイズを刻み込み、私たちの激動の合宿は幕を閉じた。




