第5話 契約成立:私の全力を受け止めて
「黒竜騎士団長、ギルバート・フォン・ガルドだ」
その大男は、私の作ったおたまを握りしめたまま、真剣な眼差しで名乗った。
黒竜騎士団長。
辺境を守る要。
そして、「破壊神」の異名を持つ生ける伝説。
そんな雲の上の存在が、なぜ私の薄汚れた工房で、おたまに感動して膝をついているのか。
状況が飲み込めない。
だが、彼の目は本気だった。
「頼む。このおたまと同じ強度で、俺の剣を打ってくれ。素材はこれを使う」
彼が懐から取り出したのは、漆黒の塊だった。
長さ五十センチほど。
表面には濡れたような光沢があり、禍々しいほどの魔力を放っている。
「……黒竜の牙?」
私は息を呑んだ。
Sランク魔獣、ブラックドラゴンの牙。
市場に出れば城が一つ買えるほどの超稀少素材だ。
鍛冶師なら一生に一度拝めるかどうかの代物。
「報酬は金貨百枚。成功すれば、今後も専属として契約したい」
金貨百枚。
塩どころか、工房を最新設備にリノベーションして、一生遊んで暮らせる額だ。
(……断る理由がない)
職人としての魂が疼く。
何より、この最高級素材を私の手で加工してみたい。
「……わかりました。お引き受けします」
私はおたまを彼の手からひったくり(すごい力で握っていたので指を一本ずつ剥がした)、宣言した。
「ただし、条件があります。作業中は私の指示に従ってください。あと、壊れても文句は言わないでくださいね?」
「ああ、構わん。俺の全力を受け止める剣ができるなら、魂だって売ろう」
大げさな人だ。
でも、その熱意は嫌いじゃない。
*
作業開始から三日。
私は壁にぶち当たっていた。
「……硬い」
炉の前で、私は汗を拭った。
目の前の金床には、熱せられた黒竜の牙。
炉の温度は限界まで上げている。
私の魔力で酸素を送り込み、鉄なら蒸発するほどの高温だ。
牙は赤熱し、加工できる温度には達している。
だが、ハンマーが通じない。
カィィィン!
甲高い音が響くだけ。
私の自作ハンマー(重量十キロ)を振り下ろしても、牙は僅かに凹むかどうか。
反発力が凄まじいのだ。
「どうした? 手伝おうか?」
ふいご係をやらされているギルバート様が、心配そうに声をかけてくる。
彼は上着を脱ぎ、筋肉隆々の上半身を晒して風を送ってくれている。
目のやり場に困るが、それ以上に困っているのはこの状況だ。
(手加減しすぎだわ……)
私は唇を噛んだ。
ギルバート様が見ている。
だから、私は無意識に「淑女の仮面」を被っていた。
脇を締め、優雅に、力任せに見えないようにハンマーを振るっていた。
それでは、この伝説の素材には届かない。
もっと強く。
腰を入れて。
全身のバネを使って、殺す気で叩かなければ。
でも、そんな姿を見せたら?
『野蛮だ』
『女のくせに』
『ゴリラ令嬢』
かつて王都で浴びせられた言葉が、脳裏をよぎる。
手が止まる。
ハンマーを下ろす。
「……無理かもしれません」
弱音がこぼれた。
「私の……今の打ち方では、この素材には勝てません」
ギルバート様がふいごの手を止めた。
静寂が落ちる。
失望されただろうか。
やはり、たかが女の鍛冶師などと。
「セシリア」
彼は静かに私の名を呼んだ。
怒気はない。
「俺は、ずっと一人だった」
「え?」
「触れるものを壊してしまう。握手も、抱擁もできない。加減をすれば剣が折れ、本気を出せば周りが引く。……ずっと、自分の力を呪っていた」
彼は自分の大きな掌を見つめた。
そこには、無数の古傷があった。
「だが、君のフライパンは壊れなかった。君のおたまは、俺の馬鹿力を笑わなかった。……嬉しかったんだ」
彼は私を見て、不器用に笑った。
「君が何を恐れているかは知らない。だが、俺の前で取り繕う必要はない。俺を見てみろ。こんな規格外の怪物がいるんだぞ? 君が多少乱暴でも、俺が引くわけないだろう」
「……」
胸の奥が、熱くなった。
炉の熱気のせいじゃない。
この人は、知っているのだ。
強すぎるゆえの孤独を。
周りに合わせようとして、自分を押し殺す苦しさを。
(……馬鹿ね、私)
(何を怖がっていたのかしら)
素材が泣いている。
『もっと本気で来い』と、黒竜の牙が挑発している。
目の前の顧客が、『君の本気が見たい』と言っている。
職人が、これに応えなくてどうする。
「……ギルバート様」
私は髪を留めていたリボンを解き、きつく縛り直した。
作業着の袖を、肩までまくり上げる。
細腕に見えるかもしれないが、中身は違うわよ。
「少し、音がうるさくなります。耳を塞いでいてください」
「いや、この目で見届けさせてもらう」
「そうですか。……じゃあ、後悔しないでくださいね」
私は足を開いた。
大地を掴むように踏ん張る。
呼吸を変える。
吸って、止めて、循環させる。
体内の魔力炉をフル稼働。
全身の筋肉が、魔力の奔流で悲鳴を上げる直前まで『強化』される。
「ふぅぅぅぅ……」
ハンマーを握る手に、血管が浮き出る。
もう、淑女の所作なんて知ったことか。
狙うは一点。
牙の核。
「せいっ!!!」
裂帛の気合いと共に、私はハンマーを振り下ろした。
ドゴォォォォォン!!!!!
爆音。
鍛冶場全体が揺れた。
衝撃波で床の砂埃が舞い上がり、窓ガラスがビリビリと震える。
カキンッ! ではない。
爆発音だ。
だが、私の手には確かな手応えがあった。
黒竜の牙が、私の力に屈し、歪んだのだ。
「まだよ! ここからが本番!」
私は休まない。
間髪入れずに第二撃、第三撃。
ドガン! ズドン! バゴォン!
一撃ごとに、火花が花火のように散る。
私は鬼の形相だったと思う。
歯を食いしばり、汗を飛び散らせ、髪を振り乱し。
「曲がれぇぇぇ!」「硬いんじゃボケェェ!」「言うことを聞けぇぇぇ!」と罵声を浴びせながら。
素材との対話?
いいえ、これは屈服だ。
私の魔力(圧縮)を、暴力的なまでの質量で叩き込む。
熱い。
苦しい。
でも、楽しい。
私の全てをぶつけても、壊れない素材がある。
それを見守ってくれる人がいる。
なんて自由なんだろう。
一時間後。
最後の一撃を振り下ろした時、そこには一振りの剣の原型が出来上がっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
私はハンマーを落とし、膝をついた。
全身から湯気が立っている。
魔力切れ寸前だ。
静寂。
あ。
やってしまった。
我に返る。
今の私、完全に「バーサーカー」だった。
淑女どころか、山賊でももっと上品だ。
恐る恐る、ギルバート様の方を見る。
彼は、口を半開きにして立ち尽くしていた。
終わった。
幻滅された。
金貨百枚は没収、契約破棄、そして「野蛮女」のレッテル……。
「……すげぇ」
低い声が聞こえた。
「え?」
「美しかった」
ギルバート様が、夢を見るような目で私を見ていた。
その金色の瞳は、恐怖ではなく、純粋な感嘆に輝いている。
「あんなに力強く、迷いのない一撃は見たことがない。……まるで、女神が舞っているようだった」
「め、女神……?」
汗だくでハンマーを振り回す女が?
この人の目は節穴なのだろうか。
それとも、美的感覚が完全に壊れているのだろうか。
彼は私のそばに歩み寄り、汚れるのも構わず、私の手を取った。
まめだらけで、煤で真っ黒な私の手を。
「ありがとう、セシリア。君こそが、俺の求めていた職人だ」
大きくて温かい手が、私の手を包み込む。
その熱が伝わってきて、私は耳まで赤くなるのを感じた。
「……まだ、研ぎが残っていますから」
私は顔を背け、ぶっきらぼうに言った。
そうでもしないと、心臓の音がうるさすぎて仕事にならなかったからだ。
*
翌日。
完成した剣は、黒曜石のように美しく、夜の闇を切り取ったような刃を持っていた。
名付けて『黒牙』。
名前のセンスがないのは自覚している。
ギルバート様が試し斬りをする。
裏庭の大岩を一刀両断しても、刃こぼれ一つしなかった。
「最高だ……」
彼は剣を抱きしめて頬ずりしそうな勢いだった。
その姿を見て、私は小さく息を吐いた。
安堵と、達成感。
これで契約終了。
彼は帰るはずだ。
そう思っていたのに。
「よし、次は鞘だ。あと、鎧の調整も頼みたい。それから、竜の鱗で盾も作れるか?」
「……はい?」
「言っただろう。専属契約だと。これからも頼むぞ、相棒」
彼はニカッと笑った。
その笑顔が、不覚にも少し可愛いと思ってしまった私は、多分もう手遅れなのだろう。
私の平穏な引きこもり生活は、この「破壊神」によって、完全に破壊されたのだった。




