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8

その中を進む子雲さんは、次の扉の前で口を開く。



「陛下。竜眼肉をお持ちしました。それと、私では説明が難しく、尚食の朱麗華さまをお連れしました」

「入れ」



皇帝の声の劉伶さまの返事が聞こえたあと、子雲さんが扉を開ける。

すると、紅色の絹に金糸銀糸で五爪二角の龍文が刺繍された御衣を纏い、深緑色の軟玉でできている璧を組み紐につないだ玉佩を腰から下げている劉伶さまが、凛々しい目つきで私を見つめる。


私の房に来るときは別人だ。

今は皇帝として私に接しているのだと気づき、慌てて叩頭した。私たち女官は陛下と視線を合わせてはいけなかった。



「陛下、竜眼肉です。ひとつ、食させていただきます」



私が顔を伏せていると、隣で子雲さんが毒見を始める。そしてごくりと飲み込んだ音のあと、持っていた器を私に差し出してきた。



「麗華さま、陛下にご説明を。陛下、私は隣室に下がらせていただきます」

「いいだろう。朱麗華、説明を頼む」



劉伶さまの返事があると、子雲さんはすぐに部屋を出ていった。



「こちらは、不眠に効果のある竜眼肉です。また血を養うとも言われております。眠りが浅いなどの場合“血虚(けつきょ)”という状態にあることも多くその状態の解消にもよろしいかと」

「なるほど。朱麗華。余の届くところに持って参れ」



彼はあくまで皇帝として命令を下す。私は視線を下げたまま近づいた。



「麗華。誰が聞いているかわからない。だから、すまない」



そして竜眼肉に手を伸ばしたとき、私の耳元に口を近づけてそう言ったあと、私の肩に手を当てて体を起こした。

声さえ聞かれなければ視線は合わせてもいいということだろう。


しかし、自室でもこれほど自由がないとは。

改めて劉伶さまの窮屈な生活に唖然とする。


竜眼肉を口に入れた彼は、「なかなか美味だ」と言いながらも優しい表情で微笑んでいる。声は皇帝、顔は素の劉伶さまという感じだ。



「これは懐かしい味だ」



きっと離宮のことを言っているのだろう。



「こちらは水に浸けて戻したものになります。毎日いくつかお召し上がりになるとよろしいかと」

「そうだな。そうしよう。もうひとつ」



彼はもう一度竜眼肉に手を伸ばしながら、再び耳元で口を開く。



「麗華。水で戻すのは厨房か?」



声に出さないほうがいいと思いうなずくと、彼は続ける。



「できれば麗華の房で頼めるか?」



誰でも出入りできる厨房では、毒が混入する可能性が高くなるからか。宦官や他の尚食、いや、誰でも出入りできるのだから危険は増す。


私はうなずきながら、自室の隠し場所を考えていた。



「美味であった。下がりなさい」



彼は張りのある声でそう指示を出すのに、私の手を握って離そうとしない。

言っていることと行動が真逆で戸惑うが、『下がりなさい』が皇帝で、手を握るのが劉伶さまの意思なのだろう。



「失礼いたします」



だから私は、一度彼の手を強く握り返してから離れた。

隣室で待っていた子雲さんとともに蒼玉宮を出て厨房に戻る。



「陛下の安眠が得られるといいのですが」



そうつぶやく彼に深くうなずく。

博文さんや玄峰さんは後宮に入れない。その代わり、子雲さんが離宮で果たしていたふたりの役割を買って出ているのだ。だからうなされていることも知っているに違いない。



「房でお茶を飲みたいので、お水をいただいていきます」



劉伶さまは『誰が聞いているかわからない』と言っていたが、それならこの会話もそうだ。

私はこっそり竜眼肉と水を持ち、子雲さんと別れて自分の房に戻った。



それから十日ほどは、劉伶さまは私の房には来なかった。

どこか心待ちにしている自分に気づきながら、皇帝が身分の低い女官の――しかも狭い房に――通うなんていいのだろうかという躊躇いがないわけではない。



「尚食としてもっと認められれば」



女官としてもう少し身分が上がれば、そばいられるのではないかと考える。


いや、それでも無理か。

皇帝が女官のもとに渡るということは、跡継ぎを為すことが目的であって、安眠を得るための手段ではない。そんなことを周りに話したところで信じてもらえるわけがない。


やはり子雲さんと入れ替わって、こっそり来てもらうしかないのか……。

そんなことを考えながら、彼のために熟成させている陳皮ゆり根酒をかき混ぜた。



劉伶さまは来なかったけれど、香妃からの依頼が再び舞い込んだ。

やはり肌をきれいにしたいということで、その日は豆腐白玉を作ることにした。



「豆腐で団子なんて考えたこともなかったわ」



一緒に厨房に立つ青鈴は感嘆の溜息を漏らしている。



「水を加えず豆腐を使ったほうが柔らかくできるの。豆腐は体の水を補う効果があるから、肌の張りを保ったりくすみを解消する効果があるのよ」



村でも豆腐は肉よりずっと安価で手に入ったのでよく食べていた。



「麗華と一緒にいると若返れそう」



青鈴はクスクス笑いながら、テキパキと手を動かす。彼女は手際が良く尚食の中でも有能だ。



「餡も工夫しましょう。小豆は新陳代謝を促すから肌荒れに有効なの。でもこれに肌を潤す効果があるゆり根も加えて、一緒に黒砂糖で甘く煮るの」

「ゆり根! 米と一緒に炊くくらいしか思いつかなかったわ」

「そうね。ゆり根は不眠にも効果があるから、寝つきが悪い陛下にもゆり根酒をお出しできればと思ってるの」



そう口走ってからしまったと思った。

余計なことを言ったかもしれない。

陳皮とゆり根を一緒につけた酒は、私の房の見つけにくい場所で熟成中だ。けれども、劉伶さまの口に入るものに関しては、毒を入れる機会をできるだけ排除しなければならない。

この話を誰かに聞かれて探されたらまずい。



「まあ、思ってるだけで作ってなかったから、そのうち作ろうかな」



慌てて言い訳がましい発言を付け足しておいた。


豆腐白玉団子も大成功。香妃は喜色満面の笑みを浮かべていた。

その後、青鈴と一緒に残った団子を持ち、彼女の部屋で食すことになった。



「香妃のあんな顔、初めて見たよ」

「喜んでいただけてよかった。美しくなるためになにかを我慢しなくちゃと考える人は多いけど、おいしいものを摂取しながら実現できるといいと思うのよね。我慢はイライラするし、そうすると肌にもよくないもの」



薬膳料理でも食べ合わせの悪いものや、効果を打ち消し合う食品はある。しかし、それ以外は摂取することで効果を生むことを期待して提供している。



「これ本当においしい。菓子を食べながら美顔まで手に入るなんて本当にすごいわ。白きくらげの菓子を作ってから、麗華の噂が一層広まってるみたいよ」



青鈴は大きな口で団子を食べ進む。



「私の知識が役に立つならうれしいな。もともと作った物を喜んでもらえることがうれしくて、料理に傾倒するようになったんだし」



村の人が私を頼りにしてくれなかったらここまで薬膳を学ばなかったと思うし、料理の腕も上がらなかったに違いない。



「うんうん。自分が作った料理を褒めてもらえるとうれしいよね。だから陛下に『感謝する』と言われると、こう胸がどくんとするの。いつかお顔を拝見したいわ」



私は青鈴の発言を別の意味でドキリとしながら聞いていた。

まさか、よく知った仲だとは言えない。



「そうね」



曖昧に濁しながら、私も団子を口に放り込んだ。



その日の夕食は、いつものようにたくさんの献立が用意されていた。

しかし子雲さんがやってきて白露さんになにやら耳打ちしている。



「麗華、ちょっと」



そしてそのあと白露さんに呼ばれた。



「実は陛下が風邪をお召しになったみたいなの。医者には診てもらっているらしいけど、薬膳でもなにかできないかとの依頼なんだけど」

「お風邪を!?」



そういえばここ数日、食事の残りが多い。

食欲がなかったのかもしれない。



「どのような症状でしょう……」



熱があるのか、腹を下してるのか……。症状によって作るものも変わってくるし、どんな物なら食べられるのかも知りたい。



「それはちょっとわからないわ……」



白露さんがつぶやくと、子雲さんが口を開く。



「麗華さま、陛下のところに一緒に行っていただけませんか。実は医者には食事はいらないとばかりおっしゃって、それではよくないと申し上げているのですが頑なで。陛下に薬膳のご説明をして食べていただけるように懇望していただけないでしょうか」

「私が?」



医者の言うことを聞かないのに?



「はい。ひとつでも望みがあるのなら試したいのです。幸い、陛下は薬膳に関しては興味がおありですし、心が動くのではないかと」



それほどまでどうして食べることを拒むのだろう。



「承知しました。できる限りのことはさせていただきます」



劉伶さまのことが心配でたまらない。

私は子雲さんに続いて厨房を離れた。


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