遅すぎた警告
村人たちが話し合っている間も、赤ずきんは森を見つめていた。
「お願い。せめて子供たちだけでも避難させて」
「落ち着きなさい。川に落ちた狼が、ここまで来られるはずがない」
「普通の狼じゃないの!」
赤ずきんが声を張り上げても、村人たちは困った顔をするだけだった。
母親も隣で必死に訴えた。
「私も見ました。本当に巨大な狼だったんです。猟師も、私の母も殺されました」
その言葉に、何人かの表情が変わる。
それでも、全員が信じたわけではなかった。
「火事で混乱していたんだろう」
「二人とも疲れている。今夜は休んだほうがいい」
「明日の朝、何人かで確かめに行けば――」
そのときだった。
森の奥から、鳥の群れが一斉に飛び立った。
赤ずきんは斧を握り締める。
「来る……」
次の瞬間、獣の咆哮が村中に響き渡った。
空気が震え、家々の窓が音を立てる。
村人たちの顔から、わずかに残っていた笑みが消えた。
森の入口に立つ木が大きく揺れる。
一本。
さらに一本。
太い幹が次々となぎ倒されていく。
やがて、闇の中から巨大な狼が姿を現した。
全身は濡れ、毛の一部は焼け焦げている。潰れた片目から血を流し、身体には猟師につけられた傷が残っていた。
それでも狼は立っていた。
「そんな……」
「本当にいたのか……」
狼は村人たちを見渡し、低く唸った。
「逃げて!」
赤ずきんが叫んだ直後、狼が地面を蹴った。
巨大な身体が、村の入口に立っていた男へ襲いかかる。男は避ける暇もなく弾き飛ばされ、民家の壁へ叩きつけられた。
「うわあああっ!」
「狼だ! 逃げろ!」
村人たちが一斉に走り出した。
押し合い、転び、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
「赤ずきん、行くわよ!」
母親が赤ずきんの手を掴んだ。
二人も村人たちと一緒に走り出す。
狼と戦おうなどとは考えなかった。
猟師が何発撃っても止められなかった怪物だ。斧を持った赤ずきんと、武器すらない母親に勝てるはずがない。
生き残るには、逃げるしかなかった。
「広場から離れて!」
赤ずきんは走りながら叫ぶ。
「家の中に隠れないで! 壁ごと壊される!」
だが、混乱した村人たちは赤ずきんの声を聞いていなかった。
一人の女性が近くの家へ逃げ込む。
狼はその背中を追い、民家の壁へ突進した。
木製の壁が砕け、屋根の一部が崩れ落ちる。
中から悲鳴が聞こえた。
「駄目……!」
赤ずきんは足を止めそうになった。
「見ないで!」
母親が強く手を引く。
「今戻ったら、あなたまで殺される!」
二人は走り続けた。
背後で狼が暴れるたびに、地面が揺れる。
倒れた油灯から炎が上がり、壊された家の壁へ燃え移った。
火の粉が夜空へ舞い上がる。
炎は風に煽られ、隣の家へ広がっていった。
「村が……」
赤ずきんが振り返る。
燃え上がる家。
逃げ惑う人々。
その中心で獲物を追い回す巨大な狼。
狼が顔を上げた。
片方だけ残った目が、逃げる赤ずきんを捉える。
「お母さん……」
「振り返らないで走って!」
狼が咆哮し、二人を追って走り出した。
赤ずきんと母親は村の外へ向かった。
立ち向かう勇気などなかった。
できることは、ただ逃げることだけだった。
しかし、巨大な足音は一歩ずつ確実に近づいていた。




