第四話
十一月に入ると、エリアーナの体に変化が現れ始めた。
朝、起き上がるのに時間がかかるようになった。
昼過ぎになると疲れが出て、横になることが増えた。
胸の痛みは波があり、良い日は何でもなく、悪い日は息をするのも辛い。
それでも、エリアーナは周囲に辛さを見せないように努めた。
侍女には気づかれていたが、彼女は主人の意を汲んで何も言わなかった。
エドヴァルトに至っては、毎日執務に忙しく、エリアーナとすれ違うことも少なくなった。
ある穏やかな昼下がり、エドヴァルトがエリアーナの部屋を訪ねてきた。
「ピクニックの用意ができた」
エリアーナは寝台から起き上がろうとして、少しよろけた瞬間、エドヴァルトが一歩踏み出して、何か言おうとしたが、エリアーナはもう立ち上がっていた。
「ありがとうございます。今日ですか?」
「天気が良い。今日を逃すと次はいつになるかわからない」
「そうですね。少し着替えを」
着替えを終えると、二人は王宮の裏庭から森へと続く小道に出た。
側近であるルードヴィヒが遠目に控えているほかは、護衛も最小限。
小道を歩いて十五分ほどで、視界が開けると、緩やかな丘の上、枯れ始めた野草の中に、毛氈が広げられている。
傍らには木製の籠があり、中に食べ物が詰まっているのが見えた。
「まあ、きれい……」
エリアーナは思わず、声を上げる。
空は高く、青かった。
秋の日差しは柔らかく、枯れ草の間から顔を出す野の花が、風に揺れ、王宮の整えられた庭園とは違う、生きている野の美しさがそこにあった。
毛氈に腰を下ろすと、エリアーナはすうっと息を吸う。
草の匂い、土の匂い、風の匂い。
「こんなところが王宮の近くにあるとは知りませんでした」
「ルードヴィヒが探してきた。あいつは何故かこういうことに詳しい」
「優秀な側近様ですね」
エドヴァルトは籠から食べ物を取り出す。
チーズ、薄く切ったハム、焼きたてのパン、リンゴ、それからワインと紅茶。
エリアーナはパンを一口食べ、チーズと合わせ、目を細めた。
「美味しい」
「王宮の料理人が作った」
「それでもこうして外で食べると、一段と美味しく感じます。なぜでしょう」
「さあ」
短い答えの後、しばらく沈黙が続いた。風がゆっくりと吹き、二人の間を通り抜ける。
エリアーナは寝転んで、空を見上げた。
「殿下も、横になってみてはいかがですか」
「……」
「空が広いです。一人で見るより、二人で見た方が得した気分になりますよ」
エドヴァルトは少し間を置いて、シートの上に背中をつけた。
「こうしていると、故郷を思い出します」
秋の空が、頭上に広がっている。
薄く白い雲がゆっくりと流れ、その向こうに青が深まっていた。
「殿下は星がお好きですか」
唐突にエリアーナが訊く。
「星?」
「三番目の願いが、星空を見ることなので。殿下はお好きかと思って」
「特別好きというわけではないが、嫌いでもない」
「私は好きです。故郷は辺境ですから、夜になると街の灯りが少なくて、星がとてもよく見えました。天の川が川のように流れていて……王宮に来てからは、あんな星空は見ていません」
「王宮でも星は見える」
「はい。でも王都は明るいですから、辺境の星とは少し違って。いつかまた、あのくらい濃い星空を見てみたいと思っていました」
エドヴァルトは黙っていた。
「辺境は寒かったか」
「冬はとても寒かったです。でも、好きでした。雪が降ると世界が静かになって。馬に乗って雪野原を駆けると、信じられないほど清々しい気持ちになりました」
「そうか」
「殿下は辺境に行かれたことはありますか?」
「一度だけ。視察で、十二歳の頃」
「それでは随分前ですね。お子さまだったのでは」
「覚えている。冬の景色が……珍しかった」
それがこの会話の中で最も長い会話だったかもしれない。
エリアーナはそれがなぜか嬉しかった。
日が少し傾き始めると、エドヴァルトが「そろそろ戻る」と言った。
エリアーナは起き上がり、立ち上がろうとしたが、体が言うことを聞かず、膝に力が入らずよろめくと、エドヴァルトの手が伸びてきて、エリアーナの腕を掴み支えた。
エリアーナは驚いて、その手を見ると、それからエドヴァルトの顔を見た。
彼はまっすぐ前を見て、顔を逸らす。
「……ありがとうございます」
「歩けるか」
「はい、大丈夫です。すみません、足がしびれてしまって」
エドヴァルトはゆっくりと手を離し、二人は並んで小道を歩き始める。
エリアーナの歩調に合わせて、エドヴァルトがわずかに足を緩めているのを、エリアーナは気づいていた。
だが何も言わなかった。
ただそれを、胸の奥に丁寧にしまっておくだけ。
二つ目。叶った。
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