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「――ちとせ、ちとせ。大丈夫か?」
深雪ちゃんが優しくあたしの肩を揺する。いつの間にかあたしは気を失っていたみたいだ。その間、地下書庫へ二人掛りで運び込んでくれたみたいだ。
あたしは全てを思い出してしまった。そして現状を完全に把握した。あたしも組織側の人間だったということ。一世さんは自由の身で、学院の結界を破壊しようとしていること。そして、ここであたしと雷くんを庇ったら深雪ちゃんの立場が危ういということ。
「深雪ちゃん、あたし」
「ちとせが意識失ってる間に、なんとなくは聞いたで」
多分、雷くんはあたしと二人で受けた残酷な部分は多少省いて、深雪ちゃんに事情を説明してくれたんじゃないかと思う。今ならわかる。雷くんはそういう優しい気遣いのできる子だから。
あたしは、雷くんと別れた後の話について、口に出した。一気に記憶を失わなかったことが、事件を引き起こしたのかと、雷くんは多分悔しがっていた。多分雷くんはあの時焦っていたから、うまく記憶を消しきれなかったんじゃないかと思う。
「俺はどうすればいいのか分からなかった。俺らをこんな目に合わせた組織も、そしてその組織を作るきっかけになった学院も信じられない。学院だって、ちとせを利用するかもしれない。どっちにも、ちとせは本当の意味で渡せない。……けど、もし学院が安全な場所なら、ちとせは守ってもらえる。だから組織の目的を探ろうと思った。例えば目的が、学院の悪事を世間にバラそうとしている、とかだったら……俺にとっては、両方悪になる。けど、そうじゃないなら救いの手になるかもしれない」
それが、雷くんが事実を隠してまであたしたちと行動を共にしてた真実だった。
「ちとせが、能力検査を受けることになって……焦った。あの時、ドラゴンの検査結果が出たら、どうしようって、俺は」
「そっか、それも……それも、雷くんは必死で止めようとしてくれてたんですね」
すごく嫌な言い方をして、自分が嫌われ者になってでも、雷くんはあたしを守ろうとしてたんだ。
「俺はちとせが入学するまでの半年間は、本当にスパイ活動を続けていた。ちとせを人質に取られてるようなものだったから……」
「じゃああたしが入学してからは」
「スパイとして、組織とは会ってはいた。けど、もうちとせが傍にいるから協力するのはやめて、嘘の情報を流したりしてた。組織もそれで焦りに拍車が掛ったんだろう。それで、一世をそそのかしたんだろうな……一世の言う通り、俺はそんな状況になってるなんて知らなかった。俺が組織を見切ったと同時に、組織も俺を見切ってたんだ」
あたしに関する状況の整理が付いたけれど、時間がない。いまのあたしたちにできること。三人に共通した、学院を守りたいと願う心からの思い。それを叶えるためには、あたしたちが一世さんを止めるしか、ない。
「ちとせ。――うち、逃げへんからな」
「深雪ちゃん」
全ての話を聞いて、真実を飲み込んだ深雪ちゃんは、もう一度、ゆっくりとあたしの肩を優しく掴んだ。
「絶対最後まで、あんたたちのこと守る。そんで……学院も守る」
「でも、深雪ちゃん、それは」
それは、一世さんを断ち切るってことなんだよ。
深雪ちゃんにとって一世さんは、あたしにとっての雷くんみたいに、とても大切な存在なはずだ。そして、一世さんの言葉の通り自由の身になって、一世さんと逃げ出すチャンスもある。
けれど深雪ちゃんはううん、と首を横に振った。
「一世が、あんなになるまで、うちのこと考えてくれてたの、うち知らんかった」
深雪ちゃんの瞳は澄み切っていた。けれど、涙の一粒も流れそうにない。揺らがず波紋のひとつも起きない湖のようだった。
「そんで、迷いが生じたところに、組織に漬け込まれた。一世にとって、うちは守るべき子供やったんやなあ」
しみじみと、何か胃の奥からさまざまな感情を吐き出しそうな深雪ちゃんの言葉は、〝過去形〟だった。
「あんな、ちとせ。確かにうちの立場って子供の割に苦しいなあとか、忙しいなあとかあるけどな。逃げたいとは思わへんねん。……一世だけやなくてな、色んな大人に言われたことあるわ。子供なのに可哀想ですねって……あんたたちも、そうやない?」
あたしと、本棚に寄りかかっていた雷くんは押し黙った。哀れみや同情の目を、大人から向けられたことは何度だってある。バカにするように笑われて、組織の厳しい教育にも耐えてきた。辛いよと泣いて、それでも自分の立場から逃げ出す方法は、子供の手のひらには存在しなかった。
「せやけどさ、こうも思わへんかった? 大人って、割と子供のこと舐めてるよなあって……子供って子供の割にちゃんと自分の立場とか、大人の顔色とか、色々複雑なことも分かっとるっちゅうねんって」
そうだ。孤児のあたしたちは、行く宛も無かった。だから国の為の行動なんて、どうでも良かった。
でも、しぶとく泥臭く生きてきた。考えることを放棄したこともあったけれど。
大人に適度に逆らわず、それでも自分たちの希望を腐らせずにいた。だからこそ、最後の最後にあたしたちは組織に逆らえた。
「そうだよ。俺たちだって、きちんと考えてる。全部が全部、大人の言いなりじゃない」
「せやろ。うちもやねん。孫の立場に生まれたのは不可抗力やん? けど、それに頷いて勉強するのは自分の意思やねん……一世とは、長年一緒におったのに、最後の最後、そこんとこ、分かり合えてなかったんや」
どたどた、と重い足音が聞こえる。とうとう地下書庫へ、捜査隊が雪崩れ込んできたようだ。この地下書庫の扉がこじ開けられるのも、時間の問題かもしれない。
「どないする? 多分学院外へ抜ける出入口は、隠し通路も全部塞がれとる」
「……俺とちとせなら逃げ出せる」
「あ」
どんどん近づいてくる足音に、あたしは立ち上がった。がこん、と本棚の隠しとびらを動かして、地上につながる隠し通路をこじ開ける。屋敷からの出口は確保した。記憶を取り戻したあたしには、雷くんの言わんとすることが分かった。
「……学院の精密検査でも見つからないマイクロチップ。一世のと同じもの。人一人くらいなら監視結界を潜り抜けられる。俺とちとせには、それが埋め込まれてる」
どんどんどん、と書庫の扉が叩かれる。外から、深雪お嬢様! と声が聞こえる。もうすぐ扉が開かれてしまう。
あたしは、深雪ちゃんを真正面から抱きしめた。深雪ちゃんもあたしをぎゅうっと抱きしめ返してくれた。
あたしを救ってくれた、あたしの大好きな友達。外の世界で初めてできた、あたしに色んなものをくれた、かけがえのない女の子。
そっと、深雪ちゃんはあたしから腕を離した。もう会えないかもしれない。そんなことは三人とも分かっていた。あたしと雷くんは、深雪ちゃんをここに置いていくことが何より辛かった。そして深雪ちゃんは、あたしたち二人を危険に晒すことを、辛いと思ってくれていた。
でも、三人とも何も言わなかった。ただ、深雪ちゃんは
「なあ。一世のこと、頼む。あいつのこと、止めたって。止めて、一世を連れて帰ってきてな」
あたしたちに、とびきりの願いを託してくれた。
「はい。約束します。深雪ちゃんの大切な人のこと、頑張って助けます」
「……必ず戻る」
ドガン!
大きな音がして扉が倒れてくる。あたしと雷くんは穴から地上へと飛び出して、翼を背中から大きく生やし、脇目もふらずに上空へと飛び立った。ぐんぐんぐんぐん空へと舞い上がり、ピリっと静電気みたいなものが全身に走ったけれど、無事に学院から外へと飛び出した。
ここからが、本当の勝負の始まりだ。




