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寮を抜け出すのは案外簡単だった。表立って深夜外出が許可されているわけではないけれど、そもそも学院外に出ることができない前提のこの学校で、深夜に寮の外に出ようとする生徒がいるかと言われると、必然的に数は少ないのだ。例外はもちろんあるけれど。
だから人目を盗めばあっさりと寮の外にでることができた。深雪ちゃんの言われた通りの、この時間帯に警備員の通らないルートをこそこそと通って、研究棟の裏手にたどり着いた。丁度同じタイミングで、屋敷から抜け出してきた深雪ちゃんと、あたしと同じように男子寮から抜け出してきた赤石くんと落ち合う。
「裏口から侵入はできるのか」
「鍵持ってきたから大丈夫や。研究棟自体は生徒出入り自由やから、入退室ログとか取られてへんし」
ピッ、とカードキーをドアにかざすと、鈍い機械音と金属音とともにロックの解除される音がした。そろりと扉を開けて、細い隙間から三人体を滑り込ませる。
夜間用に照明設定されているのか、所々蛍光灯がついていた。深雪ちゃんに案内されて、非常階段を上り、機密室のあるフロアへたどり着く。
フロアの中は、一度入ったことのある、適性検査をした部屋と同じようなレイアウトの部屋だった。ただ違うのは、あのフロアよりもどこかごちゃついていて、紙の資料だったり、モニターが乱雑に置かれていたりする。とてもこのフロアに機密室なんてものがあるように思えないけれど、それも踏まえての誘導のようなものなのかもしれない。
「あのちっこい部屋や」
あたしたち三人は近くにあった机の影になるようにしゃがみこんだ。深雪ちゃんの指さす先には、なんてことないドアがある。言われなければ見逃してしまいそうなプレートの付いてない、普通のドア。ただの資料室かなと思ってしまうほどだ。けれど、その部屋の横には大きな端末が置かれていた。古ぼけた扉と、堂々と鎮座するモニターと、丁寧に手入れされていそうな機械がちぐはぐだ。
「この時間だと、ちょうど副学院長たちが入室して数分経ってるはずや。滞在が何分か分からんけど、すぐ出てくることも無いと思う」
作戦では、深雪ちゃんはここに残り、赤石くんはもう少し近づいた棚の影でそれぞれ監視をする。そしてあたしが深雪ちゃんが教えてくれた隠し穴に潜入して、盗み聞きをすることになっていた。あたしたちは顔を見合わせると同時に頷き、それぞれの持ち場に着いた。
あたしは四つん這いになりながら、機密室に近づく。付近に設置された古ぼけた棚。やっぱりここに特殊な隠し穴があるなんて思いもしないけれど、これもまた欺くための手段なのかも。
あたしは一歩、また一歩と膝を擦りながらフロアを進んだ。大丈夫、監視員が来ることはないはずだって言ってたし、いきなり中から人が出てきても、とっさに隠れればなんとかごまかせるはず。あともう少し。あと数メートル。あたしは機密室の隣だけをまっすぐ見つめていて、だからだ。だからこそ、あたしは気づかなかった。
「ちとせ!」
「っ!」
焦ったような小声で名前を呼ばれて、後ろから勢いよく口元を手で塞がれた。そのまま腰に手を回されて、勢いのまま後ろ向きで、機密室側に引きずられていく。目的だった隠し穴のある棚の影に隠れる形になった。
「声を立てるな、入室者が来る」
「!」
そんな、深雪ちゃんの情報だと既に入室しているはずだったのに。
おそらく赤石くんの視点からだと、こちらに入室するためにやってくる人たちから、あたしが隠れる場所が存在しなかった、すべて丸見えになる未来しかないからあわてて機密室側へ引きずってきたんだろう。こうなったらもう二人で、隠し穴に急いで隠れるしかない。あたしは深雪ちゃんに聞いていた通りに、棚の下の段の鍵穴に、教わった通りアメピンを突っ込んで正確に動かした。
それなのに、扉はぴくりとも動かなかった。
開かない……そんな、深雪ちゃんの情報だとここに隠れ穴があるはずなのに。
考えられるのはただ一つ。誰かにここの隠れ穴の存在がバレてしまっていて、何故だか知らないけれど、事前に塞がれてしまっていたのだ。
赤石くんにもあたしの焦りが伝わったみたいだ。こつこつこつ、とこちらに足音が近づいてくる。もう少しで機密室の前に人がやってくる。そうなれば終わり。あたしたちがこそこそ機密室前でなにやら企んでいたことを、学院の人にばれてしまう。
ばれちゃだめだ。まだ、あたしたちには確かめなきゃいけないことがたくさんある。どうにかしなくちゃいけないのに、手は小刻みに震えて、手汗がじんわりと滲む。アメピンが手から零れ落ちて、細かい金属音が小さく鳴った。
どうしよう。どうしようじゃない。どうにかしたい。
どうにかさせてよ、みんなで協力してたどり着いたこの場所で、なにかしら教えてくれたっていいじゃん!
あたしに力を、授けてよ!
「……えっ」
あたしはやけっぱちで、強く願った。両方の拳を握りしめた。赤石くんはぎゅっとあたしの腰を抱いた力を強くした。そんなときだった。ほのかに、蛍の光よりもか細い光で、あたしの両手がほんのり光りだした。すると、みるみると握りしめていた拳が形を変えていく。
あたしは両手を広げた。柔らかな人間の手のひらが、明らかに姿形を変えていた。恐ろしいような、それでも自分自身を見つめ直しているような奇妙な感覚。
あたしの手のひらはあっという間に濃紺へと変化した。そして、あたしの爪先は鋭く尖った。陸上クラスで見かけた肉食獣のような鍵爪だ。
奇妙な鱗がびっちりと生え揃ったあたしの手のひらを、あたしはただボケッと見つめてしまったけれど、すぐに我に帰った。これだ。あたしは力一杯隠れ穴があるはずの戸棚を思い切り引っ張った。
パキン、と金属片が割れるような小さな音が鳴った。そして、戸棚が軋んだ音を立てて開く。やった、柔らかな金属で閉じられていた隠し穴は、あたしが隙間に鍵爪を突っ込んで、思い切りひしゃげるくらいに引っ張った途端、本来の姿を表してくれた。
あたしの変化に驚いている赤石くんを思い切り引っ張って、あたしたち二人は穴に転がり込んだ。ひしゃげた扉を引っ張り直してみると、なんという馬鹿力なのか、再び扉がピンとシワのない状態に元通りになった。しめた、これで隠し穴にあたしたちが転がり込んだことはバレることはないはずだ。あたしたちはそっと扉を閉めると、外の様子を伺った。
コツコツコツ、足音は先ほど同じペースで近づいてくる。やがて誰かが、機密室の前でタッチパネルを操作している電子音が聞こえた。何回かの電子音が響いた後、機密室の自動扉の開く音。足音からして、おそらく機密室の中に入って行ったのは二人だ。
あたしは自分の耳が尖っていることを確認して、目を瞑った。機密室の中のわずかな音だって聞き漏らさないために、聴覚に全神経を集中させる。
誰かがキーボードを叩く音、何かの端末を起動させる音。談笑する小さな笑い声。USBを差し込む細かい音まであたしの鼓膜には響いて聞こえる。全てが筒抜けだ。
「それでスパイの捜査状況は、どうなっている」
「何も。詳細はつかめていません」
「そうか……」
あたしは黙って赤石くんに視線を送った。赤石くんにはもちろん聞こえていないはずだけど、あたしにはばっちり聞こえている。しかも、スパイの状況をあたしたちみたいに探っている人たちだ。もしかしたら新しい情報が掴めるかもしれない。組織やスパイについて新しい情報がつかめれば、あたしたちの捜査の進展に繋がるかも。
狭い隠し穴の中で密着しているあたしたちは、お互いの心臓の音が体を通して伝わるくらい身を寄せ合っていた。どっどっどっ、と赤石くんが鼓動を大きく高鳴らせているのを身をもって感じる。それくらい赤石くんも緊張してるってこと。絶対にバレずに情報を持ち帰らなきゃだ。
「なにがなんでも情報は掴みたいんだが」
「そりゃそうだ……組織の目的は、学院の開放と結界の破壊だからな」
開放と結界の破壊? そのふたつの目的の列挙は何?
「ただ、結界がある限り、組織の介入なんて当然無理だろ」
「結界に致命的な欠陥は発見されてない。多少のハッキングなど無意味だ」
つまり、組織は結界を突破して、学院を解き放って、なにかをしようとしてるってこと。あたしたちが掴めていなくて、大人たちの掴んでいる情報。これは大きな前進になる。
「それでも、名前は掴めたんだろ」
「名前?」
「組織がそいつを呼んでる音声データが取れたんだよ」
「スパイを本名で呼ぶわけじゃないし、大した情報にならねえだろ」
「そりゃそうだ。だが、何かのきっかけになるかもしれないだろ」
がちゃがちゃと、なにかに鍵を掛けたり、鈍く鳴り響いていたモーター音がどんどんと消えていく。恐らく彼らの目的のデータか何かは確認が完了したのだろう。もうじき機密室の中にいる人たちは出てくるはず。
「『クララ』。それがそいつのコードネームだ」
名前は辛うじて聞き取れた。けど、それから扉の開く音がして、コツコツコツと靴音を立てて中にいる人たちは去ってしまった。
完全に足音が聞こえなくなるまで待って、あたしたちはゆっくりと隠し穴の扉を開けた。二人して転がるように飛び出す。隠れていた深雪ちゃんも、こそこそとこちらに近づいてきた。深雪ちゃんはさぞどきまぎしたことだろう。なんたってあたしたちが当初の作戦とは違う動きをして、間一髪だったのだから。
「それで、聞き取れたのか」
「はい。ばっちりです」
「はあ……心臓潰れるかと思ったで」
「それより……これ。あたし、また違うものが生えてきたんですよ」
あたしは両手の爪を見せた。人間のものじゃない。鋭い鍵爪のようなものが、ニョキっと生えている。びっちりと生えた濃紺の鱗は固く、魚のようなものではない。
「こんなものが出たってことは、やっぱり鹿じゃないですよね。鹿は足に蹄が生えてますもん。こんな肉食獣みたいな爪じゃないですし」
「せやな……って、こんな場所でゆっくりしてる場合ちゃう! はよ出るで」
深雪ちゃんの誘導の元、あたしたちは元来た場所を再びこそこそと戻り始めた。研究棟の裏口からようやく脱出した途端、三人とも力がどっと抜けたみたいにへたりこんだ。
「とりあえずちとせの取れた情報、忘れんうちに書き起こしておいてもらってええ? そんで明日以降落ち着いて整理せんと」
「はい。わかりました。今日のところは、ってことですね」
「あと、ちとせの能力も確認せんとな……動物図鑑とか漁ってみんと……」
あたしは、すでに元に戻った自分の手のひらを見つめた。あれはなんだったんだろう。あたしが知る限り、あんな特徴を持った動物なんてしらないけれど。赤石くんも何も言わないってことは、彼にも知識の無い動物なんだろう。
それじゃあ今日のところは解散、となりかけたところで、あたしはあっ、と足を止めた。
「そうだ。言い忘れてたことがありました」
「……なんだ? 新しい情報でも落ちてたか」
「いいえ。でも先ほど、大切なものが手に入ったので」
「大切な、もの?」
あたしは前を歩こうとしていた赤石くんの袖口をくいっと引っ張って引き留めた。きっと咄嗟だったから零れ落ちただけ。けど、あの時の深雪ちゃんのお願いをずっと考えててくれたんだなって。その気持ちがどうしようもなく嬉しかった。
「助けてくれてありがとうございました。雷くん」
「――!」




