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「お願いお願いお願いのお願い!」
「お前にはプライドってもんは無いのか!」
「テストの前にはそんなもんは無い!」
あの一学年の試練から数週間が経過していた。
正直ドキドキしたし、もうダメかも知れないと何度も諦めかけたけれど、なんとか全員で試練を通過した時は、喜びよりも安堵の方が優っていた。
試練の一件から、赤石くんと深雪ちゃん、そしてあたしの三人の距離はグッと近づいたように思う。
今は放課後。と言ってもいつものような情報収集会じゃない。最初はいつも通りの予定だったのだけれど、来る中間試験への話へと話題が移り、いつの間にか試験対策検討会になってしまった。
あたしはコツコツやっていく形で、そもそも授業もみんなが受けている分の半分しかないし、それほど危機感はない。予習復習の時間もバッチリ取れているし、あとは試験が近くなったら応用問題を集中的に解いていこうかな、なんて計画表を作っている最中だ。
赤石くんは試験日なんていつだっけ、と聞き返してくるほどだった。それはつまり、別に試験に対して危機感なんて微塵も抱いていないし、余裕も余裕といったところ。赤石くんが授業で先生に当てられて困っているところなんて一度も見たことないし、体育の後の授業でみんながついうたた寝してしまいそうな時だって、背筋をピンと伸ばして真面目に授業も聞いている。さすが学年首席様。きっと試験の結果もぶっちぎりで一位なんだろうな。
問題は、深雪ちゃんだった。
深雪ちゃんってば、典型的なやればできるタイプなのだ。頭の回転も速いし、別に理解度が遅いわけじゃない。けど授業では眠りがちだし、ノートにはミミズが走りがち。得意科目にはぐんとやる気を出すけれど、そうじゃなかったら授業の内容が右から左へと通り抜けていく、らしい。そんなわけで深雪ちゃんは前回の期末で相当な点数を取ってしまい、学院長であるお爺様の怒りを買ったらしい。
「今回の中間試験で、全教科平均点以上を取らなかったら、帰宅後の自主学習の時間を増やされてしまうんや……なんてこと。うち、いま悲劇のヒロインになってしもた心地や」
「悲劇でもヒロインでもないだろ」
自業自得、と赤石くんは冷たい視線を向けている。あたしは黙った。その通りだと思ったからだ。
「で、でも深雪ちゃん。学院長孫ってことで、色々とお家のお仕事振られてたりで……大変なんですよね」
「せやねん! ちとせならわかってくれるやろ!」
「だとしても授業くらいはせめて真面目に聞けよ」
「うぐ」
ぐうの音も出ないとはまさにこのことだった。
けれど、深雪ちゃんは美少女の眼をキラキラうるうるさせて、あたしたちに懇願してくる。
「やって、困るやろ。もしもうちが補修対象になって、自主学習時間増やされたら、色々と調査進まんやん!」
「……」
まあ、その通りではあるのだがそれを理由に教えを乞うのもそれはそれでどうなんだ。
と、あたしは思ったし、内心赤石くんも思っていたに違いないけれど、あたしたちはしばらく調査の頻度は落として、放課後は深雪ちゃんの試験対策に時間を割くことになった。赤石くんの「普段から真面目に授業受けてりゃこの時間も要らなかったんだけどな」という嫌味に、深雪ちゃんがぎりりと歯軋りを立てていたけれど、大きな喧嘩に発展することはなかった。
あたしたちが試験対策を真面目にしていることに、一世さんはひどく感激していた。深雪様のお世話をありがとうございますと、放課後に高級茶菓子と高級紅茶が差し入れられるようになり、あたしと赤石くんの溜飲もまあまあ下がったある日。
試験も一週間前になった頃、そういえばと赤石くんがペンを回しながら疑問を口にした。
「木曽って関西のどこの育ちなんだ?」
「ん?」
「関西弁って色々種類あんだろ。俺は関西に行ったこと無いから、お前の言葉を聞いても、どこの地方だな、とか見当もつかないし」
そういえば深雪ちゃんの出身について考えても見なかった。深雪ちゃんの両親は海外を飛び回っているらしく、会ったことは無い。ご両親も関西弁なのかな。
深雪ちゃんは事もなさげに首を横に振った。
「ああ、うちの関西弁はエセや」
「は?」
ポカンとした赤石くんの腕を、あたしはシャーペンの頭でつつく。
「赤石くん、エセってなんですか」
「偽物ってことだろ。つまり、こいつは関西人でもなんでもないが、関西弁を使ってるらしい」
「えー!」
そうなの? そんなのってありなの?
びっくりしてシャーペンは机の下に転がり落ちてしまった。てっきりコテコテの関西人だと思っていたのに、関西出身じゃないんだ。あたしからしてみれば、その地方出身じゃないのにその地方の方言を使う人がいるってことが驚きなんだけど、実はそれが今の流行りだったりする? でも、赤石くんが驚いてるってことは、そんなことはないよね。相当珍しいことなんじゃないだろうか。あたしは疑問を素直に口にした。
「なんでですか?」
「よくぞ聴いてくれました!」
「どうせしょーもない理由だろ」
「ちゃうで!」
どん、と自分の胸を強く叩き、深雪ちゃんは演説を始めるみたいに椅子の上に立ち上がった。ちゃんと室内履きはちゃっかり脱いでいる。
「昔々、あたしは一世と共にテレビ番組を見てたんやけども」
「その話長くなるか?」
「はよ終わるから焦らせんなや! でな、急にお笑い番組が始まったんよ。うちその頃別にお笑いなんて興味なかってん。でもなんとなく見てたら、これがまあ面白くて面白くて、気がついたら夢中になってテレビに釘付けで。そっからやな、うちが使い始めたのは」
「……ん? お笑いが面白かったからってことですか?」
「どっちかっていうと、面白いことに憧れたからや! で、どうしたら面白くなれるかなあって思ってん。ほら、うち見ての通り美少女やし、面白さから縁遠いやん」
「お前、割と滑稽だけどな」
「そのディスり方やめえや。……で、まずは形から入ろう。そう思て関西弁使い始めました。以上、深雪ちゃんの語るも涙のヒストリーでしたー」
思ったより単純な理由だった。パチパチパチと両手を壮大に叩く深雪ちゃんに釣られてあたしも手を叩いた。赤石くんはぴくりとも動かなかった。
「てゆうかさ、うちも言いたいことあんねん。赤石に」
「俺?」
「あんたさ、あたしとちとせのこと名前で呼んでくれへん? うち、あんたのこと下の名前で呼びたいねん」
深雪ちゃんは椅子に座り直した。美少女ならではの可愛らしい唇をうりゅんと口角を上げて強請るように微笑んでいる。
「……」
深雪ちゃんにおねだりされた時の赤石くんの怪訝な顔と言ったらなかった。眉を顰め、眉間には皺が寄っている。ぐしゃ、とおでこから後頭部にかけて髪の毛を掻き上げて、口をへの字に歪ませている。
「赤石くん。嫌なら別にいいですよ。下の名前で呼ぶのってハードルありますし」
「そおかあ? 別にないやろ」
「深雪ちゃんはそういうところ豪胆ですよね」
「うちら、もう仲間やん。なのに苗字呼びってよそよそしいやん。前から思っててん。それに赤石、ちとせのことは、『飛騨』とも『ちとせ』とも呼ばんやん。あんた」
そうだったっけ、と思い返してみても、確かに名前で呼ばれた記憶はない。おいとか、お前とか呼ばれていた気がする。それで困ることもなかったし、こちらが呼ばれていることも判別できていたし、深雪ちゃんに指摘されるまであたしは気づいていなかった。
「……木曽が、テスト無事に通過できたら、考える」
「うわあ、馬ににんじん理論や!」
なら、より一層頑張らな! と深雪ちゃんはラインマーカーを握り直し、教科書に齧り付いた。急に静かになった深雪ちゃんに釣られて、あたしも机の下に落ちてしまったシャーペンを握り直した。
静かな時間が訪れた中、そういえば話の流れであたしも巻き込まれたな、と気づいたのは問題を二問解き終わった頃。
つんつん、と深雪ちゃんに肘を突かれた。
「なんですか?」
「赤石寝とるな」
「あ……」
珍しい。赤石くんがこくりこくりと船を漕いでいた。ひそひそと耳元で深雪ちゃんが囁く。どこか楽しそうにころころと、鈴が鳴る音の様に笑った。
「あんな。ちとせ。さっきの話やけど。うちが関西弁使てる理由、あれ続きがあってな」
「え? そうなんですか?」
さらにぐっと距離を近づけて、耳元で囁かれたとっておきの秘密を聞かされて、あたしは驚いてなにも言えなかった。深雪ちゃんは、内緒な、ときれいな唇に人差し指を重ねていた。




