0203ジギタリス
「……」
当然受け入れられると思っていた申し出を、ラルフにバッサリ断られてしまい、リリーは一瞬言葉を失う。
「信じられないかもしれませんが、ノエルさんは女性として生きたいと思っています。このまま後継として神輿に担がれ続ければ、願いは叶えられません。」
「分かってねえな……」
はあ、とため息をついてラルフは頭を掻いた。そして、彼は人差し指を立てると、リリーの鼻根を小突きながら、彼女に顔を近づける。
「いいか、どちらかが負けなければ外野は絶対納得しない」
女だが剣術に関して誰よりも才能のあるノエル。彼女に男爵家を継がせ、ゆくゆくは次期騎士団長にと画策する派閥がある。彼らを黙らせるには、ラルフは本気のノエルを倒さなければならないのだ。仮に、ラルフが不戦勝したとしても、再びノエルを担ぎ上げる者が現れかねない。
ラルフは意地悪く口元を歪めるも、リリーは表情を変えず、未だ自身の顔をノックし続けている彼の指を払う。
「じゃあ適当なところで、ノエルさんにはわざと負けてもらいましょう」
「アイツにそんな器用な真似ができるかよ……」
リリーから顔を離して、ぼそりと毒づくラルフの頭に、ティーポットの底が激突した。
「イッッテ!」
「『アイツ』じゃなくてお、姉、様!」
息巻いて説教をしながら、ライラは手に持ったティーポットから紅茶を注ぐ。
「この子ったら、口が悪くてごめんなさいね。はいどうぞ」
「いただきます……」
続いて、シャーロットの為に別のカップを紅茶で満たす。シャーロットは嬉しそうに匂いを堪能していた。彼女の手の中にそれが納まると、ライラは言いづらそうに話始める。
「ノエル様には家督を継いでいただく必要があります」
「ライラ様は、ノエル様が男爵家を継ぐ事に賛成なのですか?」
「ええ、この子がどう思っているかは別として、私は奥様に恩がある身ですので」
自身も椅子に腰掛けると、ライラは更に続ける。
「旦那様は過去、数種類の薬草を遠方での山岳訓練中に発見されたのですが、そのうちの一つが胸の病に効くと分かりまして……」
しかし不幸なことに、気候が合わないのか、国内でいまだ流通していないその薬草を病気のライラは手に入れることができなかった。例え流通されていたとしても、高価で手が出せなかっただろう。
「奥様が気をもんで、旦那様が保管していた株を色々と融通してくださったのです」
どうにか自分で栽培しすることができました、とライラが窓の外を眺めるので、何気なくリリーは尋ねる。
「それって家の前の花壇ですか?」
「ええ、でも触らないでくださいね。毒性が強いものも植えてあるので」
少し慌てた様子で念を押すライラに、ラルフはバツが悪そうに目線をそらす。
リリーは黙って彼の動作を見ていたが、何を言うそぶりも無いので本題に戻ろうとライラに向き直る。
「では、協力できないと」
「奥様の思いは、踏みにじれません……」
「つまり、ノエルさんの思いは踏みにじって良い、とおっしゃるのですね?」
「……ッ」
言葉に詰まるライラを見て、ラルフはリリーが次の言葉を言う前に、声を張り上げる。
「別にそこまで言ってねーだろ。だいいち、俺は負けねーよ」
「ラルフッ!」
ライラは声を荒げて、ラルフを叩こうと腕を振るが、避けられて距離を取られてしまった。彼は既に口笛を吹きながら、竃の中を覗いている。
ラルフが勝ってくれたら良いのだけれど、実際にゲームでは敗北して性格を拗らせているからなあ。なんて悩みを、リリーはとてもじゃないがラルフに言えなかった。
あの後、結局意見はまとまらず、馬車の時間に間が迫ったため、二人はラルフの家を後にした。
小道を少し進むと、先に帰ったと思っていたノエルが、ソワソワしながら木にもたれ待っていた。彼女は二人に気づくと駆け寄ってくる。
「置いていってすまない。戻るに戻れなくて……」
ノエルは恥ずかしそうに、ポリポリと頭を掻いた。
「もー、なんで喧嘩買っちゃうんですか」
「いつもの癖だ。馬鹿にされた時にやり返さないと、女だからとなめられるから……」
リリーが軽くたしなめると、ノエルの言葉は小さくしぼんでいった。
最初はパフォーマンスのつもりだったが、段々と性格が変化していったらしい。行動は習慣になり、習慣は性格になる、とは誰の言葉だったか。ともかく、この流れはまずい。
「ああ言った手前、もう負かすしかない」
ノエルの言葉に、やっぱり、とリリーはため息をつく。予想通り、プライドの高い彼女を説得するところから、始めなくてはいけなくなってしまった。
あれから二週間、リリーとシャーロットは毎日エストレスタ邸に押し掛けている。
門の前で出待ちする、ノエルファンクラブと思われる女性たちの中を、馬車で通りすぎる事にも、リリーは最近少しだけ慣れた。今日も外からの刺し殺されそうな視線を、彼女はいつも通りのやる気の無さそうな半眼で受け止める。
「……」
「リリー様、今日も皆さま亡者のごとく群れていますよ。凄いですね」
そんなリリーと対照的に、シャーロットは無邪気に笑う。どうやらフォスター伯爵家はエヴァグレーズ公爵家よりも、権力の乱用に積極的らしい。シャーロット曰く、「使える権力が無いなんて、お可哀想に」とのこと。
ちょっとその悪役令嬢っぷりを見習おう、とリリーは彼女を拝んだ。
馬車を降りると、屋敷内の庭ではいつものようにノエルが素振りをしていた。
「今日も来たのか」
「はい、今日も呼ばれてないのに説得に来ました」
「正直私もどうしていいのか分からない……」
自分に寄って来たリリーに、ノエルは不安を吐露する。現在彼女は、騎士として引けないプライドと、女性としての本心がせめぎあっているようだ。
「剣にも迷いがでてしまって、勝てるかどうかも不安になってきた」
そう言って、俯いたノエルは手で顔を覆う。
ラルフとノエルの実力は互角。今までの手合わせで相手の強さは身に染みてわかっているらしい。
「試合でわざと負けるのが、一番簡単ですのに」
「それはプライドが……」
シャーロットの嘆きに、そう返すノエルを見て、リリーは彼女を焦れったい目で見ながら口を引き結ぶ。ノエルはここ2週間ずっとこの調子だ。ノエルはなにかにつけて、プライド、プライド、と煩い。
「プライドって何ですかね……」
「プライドは、プライドだ!」
「私には、そういう大局を見ない感情が無いから、納得できる説明になるか分かりませんけど……」
リリーは、「例え話をしましょう」と前置きをしてから続ける。
「試合でわざと負けなければ人質を殺すと言われたら、騎士のノエルさんはどうしますか?」
「それは簡単だ、人質を殺される前に犯人を叩き潰す」
自信満々で答えるノエルにリリーは首を横に振る。
「それは出来ません。騎士としてのプライドか人質、どちらを助けるのか、と問われたら?」
「そ、それは……」
ノエルは言葉に詰まる。
「言い方を変えます。騎士としての『プライド』と、人質にされてるノエルさんの『本心』どちらを殺しますか?」
騎士のプライドを選ぶなら、ノエルの本心が望む人生を殺すということだ。
「そんなふうに考えたことはなかった……」
ノエルは震えながら、ポツリと呟いた。
「私はどうしたらいい……?」
「騎士になる以外の選択なんてありません!」
ノエルの問いかけに対して、突如、神経質そうな声が飛ぶ。声のする方を見れば、彼女に似て、長身で中性的な顔立ちの女性がゆっくりと歩いてくる。
「ごきげんよう、エヴァグレーズ公爵令嬢、フォスター伯爵令嬢。エリン・エストレスタでございます」
綺麗なお辞儀を披露したエリンは、ノエルに向き直ると言葉を続ける
「ラルフとの試合はもうすぐですよ。遊んでないで精進なさい」
「母上、しかし私は……」
「言い訳はおよしなさいっ! 下らない個人の感情より、家督を重んじるのです。これはあなたの為です。……旦那様は今はどちらの子も可愛がって下さいますが、ラルフが家督を継げばそれは分かりません」
エリンは最初に荒げていた声を一旦抑え、最後は淡々と述べた。
その言葉に、リリーが言い返そうとすると、先にノエルが口火を切る。
「わ、たしは……そんなこと、かまわないっ、そんなこと、私の人生には関係、ない……」
たどたどしく言葉を紡ぐ表情は、悲痛に満ちていた。ノエルは今まで何も言い返さず過ごしてきたのだろう。エリンは大きく眼を見開いて、ただ驚いている。
ノエルはグッと目をつぶると、大声で叫ぶ。
「私は、父上のご機嫌を取る為の、道具じゃないーーッ!」
彼女の叫びに、エリンは顔を真っ赤にして大きく口を開けたが、リリーたちの存在を思いだしたのか、言葉を発するのをやめた。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
そう一言告げると、踵を返して屋敷の方に去っていった。
これならノエルは大丈夫かもしれない。リリーはゴクリと唾をのむ。
試合まであと二週間。どうかノエルの心が変わりませんように、とリリーは願い、一人空を見上げた。




