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ある研究所での記録

 目の前で起きている状況をこの世のものだと思うことが出来なかった。


 この職に就いてから怪物のなり損ないは何体も見てきた。


 今までどんな攻撃が当たろうとも割れることのなかったこのマジックミラーが何もされていないのにも関わらず木っ端微塵になった。


 赤と青の光が部屋中に充満した。それは少女を中心にして渦巻いていた。


 聞いたことの無いような悲鳴が聞こえる。


 ーーー彼は、ルインは、その少女を、実験体を愛してしまった。それも、『テラー』を。


 知識を力にするという、私達が密かに研究していたテラーを。


 まさか、天然のテラーがいるとは思っていなかった。でも、まだその少女は力が無かった。だから、私達は何か違う実験に使おうと思って、しばらく放置していた。


 でも、何人かの研究員からルインが頻繁にテラーの部屋に出入りしていることを聞いた。


 必要以上の実験体との接触は禁止されている。それは、彼もわかっていることだと思っていた。


 だから、ただ注意するだけでいいと思った。


 でも、テラーを連れてきた時の彼の顔は何処か、恋をしているような表情に見えた。


 念を入れて彼に忠告をした。でも、彼は聞いてはくれなかった。


 だからテラーの部屋に盗聴器を仕掛けることにした。


 そしてある日、盗聴器に決定的な一言がはっきりと録音されてしまった。


 彼はテラーに名を与えてしまった。もう、そうなってしまえば研究者を辞めるしかない。だが、この研究所において愛を与え、研究者失格となるということは、死と同じことだった。


 私は、その事実をもみ消そうとした。でも、彼の実績を妬む研究員がその音声を手に入れてしまった。


 彼は拷問され、事実を吐くまで監禁された。事実を言っても解放されず、彼らのストレスが発散されるまで痛めつけられ、苦痛の末に彼は、ルインは死んでしまった。


 彼らは、ルインだけでなく、能力を発動させる兆しのないテラーに苛立っていた。


 ルインの話で、テラーもルインを好いていたと思ったのだろう。ルインの死体を麻袋につめ、テラーの前にぶちまけた。


 彼らの予想通り、テラーはルインを愛していたらしい。


 そして、その麻袋を持っていった男は床に倒れていた。遠目から見ても死んでいることは分かった。


 それを見た私達は本当のテラーの恐ろしさを知った気がした。


 その男は、ルインと全く同じような怪我を負って死んでいた。


 身体中の骨が折れ、真っ白な何かが鮮やかすぎる赤に染められた肉を割いて突き出ている。あらゆるところが青あざだらけで、血の色と混ざり気持ち悪い色になっていた。


 そしてもうひとつの変化に気づく。


 テラーの、少女の泣き声が突然ピタリとやんだのだ。


 彼女は首を項垂れたまま動かない。逃げようと思った、でも足がすくんで動かない。


 そのまま、彼女を中心にして夜の光が渦巻いて部屋を、私達を飲み込んでいく。


 真っ暗な中に私達と彼女はいた。どこまでも闇が続くその世界で、光がないのにも関わらず彼女の姿ははっきりと見えた。


 そして、彼女の耳がエルフのようにとんがり、元々白かった肌がさらに白くなるのを見た。


 私達は恐怖のあまり何かを言うことも、動くことも出来なかった。


 そのままどれだけ時間が過ぎたのだろう。いや、一瞬だったかもしれない。


 彼女から緑色の光が出てくるのが見えた。その光は人の形になり彼女の身体に入って行ったように見えた。


 それと同時に黒の世界は弾け飛んだ。


 目の前には先程までと同じ格好で蹲るテラーの姿。


 意識を失っているようだった。その場にいた研究員達と協力して彼女をより丈夫な部屋へと運び、手足に枷をはめた。


 この少女を敵に回してはいけない。だが、拘束を解くわけにもいかない。


 悩んだ末の処置だった。研究所内でもその存在は知れ渡ってしまった。何か異常な者がいると。本当の怪物が生まれたと。


 だが、それは真実ではない。彼女は決して完璧な怪物ではなかった。


 検査をしようとした時、彼女は全く抵抗せず愛したものを殺されたとは思えないほどの落ち着きぶりだった。それどころか、様子を見に来る研究員に微笑みすら向けていた。


 来たばかりの頃とは別人のようだった。


 検査の結果、彼女は左耳の聴力がなくなっていることが分かった。そして右目の視力も。しかし、視力がないのにも関わらず両目が見えているように振舞っていた。


 さらにその目を検査したところ、緑色の光がチラチラと揺らめいているのが観測できた。どうやらあの光は彼女の能力のうちには入らないようだが、彼女に何らかの影響を与えていることは確かだった。


 どうやら彼女はどんどん姿を変えていっているようだった。


 視力のある左目はだんだん赤から青色へと変わっていき、身長はどんどん低くなっていた。


 あまりにも穏やかで、大人びていた。まだ彼女は13だった。


 カウンセリングを受けさせると、彼女から感情が消えてきていることが分かった。


 彼女が能力を最大限発揮するには感情が高ぶるか、感情を無くして能力を使うことに躊躇しなくなる必要があるだろう。


 そして何より、問題は彼女の記憶力が落ちている事だった。


 それでは知識を武器として振るうテラーとしては武器を出せなくなっていることと同じだ。どうすれば良いのか、私達は対策を考えられていない。


 ある日、彼女の能力が暴走した。彼女の周りにたくさんの本が現れた。そして様々な現象が起きた。まるで本の世界のようだった。


 そして、あの日の出来事が目の前で再生された。


 テラーの能力は知識を武器に、知識を具現化するものだった。それは、魔法を使うのと全く同じことだった。だから私達はそんな究極の力を手に入れたかった。






 全てが終わったあと、そこに残されていたのはあの彼女ではなかった。


 髪は伸びきり、目は海の底のような深い青色へと変わり、服装すら変わっていた。まるで変身でもしたかのようだった。


 直ぐにその姿は変わり、今までの彼女の姿へと戻った。


 その後、私達は彼女の能力についてより研究を進めた。


 彼女の能力発動のトリガーは、強い精神的ストレスであることが分かった。


 彼女はあの日から人の事を嫌うようになっているようだった。


 彼女の瞳はどこまでも空虚で、見ていると自分が吸い込まれそうになる。


 より強力な能力の発動を目指し、私達は彼女の知り合い達を拐ってきては彼女の前へと出した。そして、両親を殺しさえした。だが、彼女はずっと微笑んで血飛沫が顔に飛びちろうとも全く動じなかった。どんなに酷いことをされていようとも、親とは子にとって大切なものだろうに。


 何を考えているのか、全くわからない。


 試しに、実験体と戦わせてみた。


 結果は引き分けだった。どちらも傷つくことは無く、相手の実験体が能力の利用で疲弊しただけだった。彼女は元々体力が無いためか、能力を必要以上に使わなかった。1歩も動かずいたのにも関わらず、それでも彼女は少し息を切らしていた。


 戦う時も力が暴走した時と同じように、本が現れた。だが、1冊だけだった。どうやら通常は、1冊しか出せないようだ。そして、能力発動のためには本がなくてはいけないらしい。彼女の記憶力はそうしなければならないほどに無くなってしまっているようだった。


 そして、能力によって呼び出した本に書かれていることのみ具現化できるらしい。そして例外がひとつ。その本で彼女の人生だけを記した本がある。それは、1冊のうちに入らず常に彼女の傍らにあるようだった。その状態で彼女はもう1冊の本を取り出していた。


 その人生を記した本はあるだけでは意味が無いらしく、彼女の日常での記憶はその本が傍らにあったとしても直ぐに抜け落ちてしまっていた。



 まだ、未知の部分が多すぎた。



 完璧に見えた。だが、私たちの望む怪物にはならなかった。少しテラーとしては欠陥が多すぎた。


 完璧なようだったが、感情がなくては意味が無い。


 だが、感情があるままでは私たちの望む力の発生は望めない。


 だから、彼女は怪物になり損ねた化物だ。












 研究所が真っ暗になり、誰ともしれぬ声が研究所内に響き渡ったあの日。


 私たちの全てが無に帰して、私たちのしてきた事がそのまま返ってきたあの日。


 私は彼女の本当の姿を見た気がした。







 いつも柔らかく笑っていたあの顔が、狂気に染まり、静かに笑いながら私のかつての仲間達を嬲り殺していく。


 恍惚の表情を浮かべながら彼女は静かに、静かに歩みを進めた。


 彼女の中にはなにか得体の知れない者がいた。


 でも、私たちは彼女の仮面に惑わされ、その事に今の今まで気づくことが出来なかった。


 下手をすれば世界すらも壊しかねないナニカ。


 私達はそんな得体の知れない何かを目覚めさせてしまった。

















 彼女は、死神だった。夜を纏った白い死神。それに気づくのは、全てが終わる最後の瞬間。














 彼女は最後に残った私にこう言った。


「今まで、面倒を見てくれてありがとうございました。不自由でしたけど、楽でしたよ。シャノの中の無駄だった感情を、消してくれてありがとうございました。」


 ……何を言っているのか分からなかった。


「シャノは人形になりたかったんです。人形にさせてくれてありがとうございました。あなたは、シャノの事を少し怖がっていたけど、シャノはあなたのこと、少し好きでしたよ。彼に、ルインに似ていたから。」


 そうだった、彼女は「シャノ」という名前だった。


「シャノは人間が嫌いです。でも、シャノを愛してくれる人間は好きです。だからね、シャノはこの反乱に力を貸すのです。シャノ達を、自由にしてくれるその人に。」


「……あなた、は、一体………何、なの……。」


「シャノ?シャノのことですか?ふふ、そうですね、今までのシャノは仮面をつけていたから、この私を見るのは初めてですもんね?」


 彼女は妖艶に笑う。


「ーーー私はシャノ、シャノ・ルイン。あなた達がテラーと呼ぶものあなたの兄に愛された怪物。いや、化け物。怪物になり損ねたもの。」


 そして彼女は1歩近づく。


「いつもシャノの中で全て忘れてしまえと囁いているシャノの怪物に、シャノは今日だけ身を委ねることにします。そして、全てが終わった時。その怪物とシャノは戦います。」


 彼女の姿がいつか見たあの少女へと変わっていく。


「今までお世話になりました。ーーーさよなら。」









 最期に見た彼女の顔に表情は無く、ただどこまでも続く闇が広がっていた。



















 これが、研究所に残っていた少女に関する資料の全てだった。
































 少女は全てを終わらせて、生き残った者達とまた新たな物語を紡ぐだろう。


 そして少女は夢を見る。束の間の幸せと、悲しみの連鎖を。



 その物語が、どうなるのかはまだ誰も知らない。人ならざるものと、人になり損ねた者達の。彼らの決断のその先に待っているものは、まだ誰も知ることも、見ることも出来ない。
















 ーーーこの世界は残酷だ、だがその結末を最終的に決めるのは自分自身だということを忘れるな。
















お付き合いありがとうございました。

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