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思いを込めて【1】

第6章。アサギの話です。











 かたかたとPCのキーボードをたたく音が響いている。そして、水がざばあんと波を立てている音。ここは巨大な室内プールだった。それをどこか遠い目で眺めていたアサギ・ノースブルックは口を開いた。


「……ねえ。何で僕らこんなところでハッキングしてるんだっけ」

「んー?」


 アサギと同じく白いチェアに座り、PCをかたかた言わせているローレンは、区切りのよいところで顔をあげた。


「そりゃ、行って来いっていう指示があったからでしょ」

「そうなんだけど……」


 ちなみに、アサギとローレンはこんなところにいるが、他五名はそれぞれプールに入っている。クリスティーナとフェイは放っておくと絡まれるので、それぞれ男どもが一緒だ。クリスティーナなどはどう見ても泳ぐ練習をしているが、遊びに来たわけではない。

 ここは娯楽を目的とした室内プールなのだが、ここで機密情報の取引が行われていると言うのだ。実際に目で探しているのがオスカーたち、サイバー側から探しているのがアサギとローレンである。

 まあ、仕事だからいいのだが、アサギとローレンは、溶け込もうとして失敗した感が否めない。二人とも水着は着用しているが、その上にパーカーやらジャージやらを着ているのである。その格好でプールサイドでPCを触っているのである。どう考えても怪しい。


「ローレン、そっちの様子は?」

「かわりなーし」


 とあるサイトを監視しているローレンはそう言って椅子の背もたれに寄りかかった。

「うーん。見てると入りたくなるわよね。そんなに好きじゃないけど」

「ローレンって泳げたっけ」

 アサギやローレンは割と幼いころから機密情報局にいるため、娯楽にはあまり縁がないのである。ローレンなら水練とかしていても不思議じゃないけど。

「泳げるし、走れるわよ」

「あー……」

 比喩ではなく、ローレンは本当に水面を走れる。もちろん、彼女の能力の一端を使っての話だけど。

「泳げるなら、いってくればいいじゃん。僕一人でも大丈夫だよ」

「いやぁ。どう考えても大丈夫じゃないわよねー」

 へらっと笑ってローレンは言った。恰好が格好のため、ローレンはもちろんアサギも美少女に見えるらしい。最近、ちょっと背が伸びたりして骨格もしっかりしてきたかなと思うのに、他の男性陣を見るとそうでもないのだな、とがっくりする。少なくとも、ローレンよりはまだ背が低いし。


 そんなわけでこの二人は男女二人組であるのに男から声がかかる。アサギだけだと相手を怒らせてしまうので、ローレンがすげなくあしらっている。万が一暴力沙汰になっても、ローレンが負けるようなことはめったにない。戦闘力ほぼ皆無のアサギにとって良い護衛である。……情けないが。

「じゃあ仕方ないから一緒にここにいるしかないよね」

「そうねぇ」

 そう言ってローレンはアイスコーヒーを口にする。ちなみにアサギはトロピカルジュースだ。アサギはコーヒーが苦手なのだ。


 実のところ、ローレンがプールの方に行かないのは、アサギを一人にしたくない、と言う以外にも理由があると思う。彼女は、背中に大きな傷跡があるのだ。小さいころに負った傷で、魔法を使っても完全に消えることはない。よく見なければわからない程度のものだが、意外に乙女なローレンは気にしているのかもしれない、とも思う。

 それはさておき、仕事に戻る。とはいえ、アサギたちの仕事はネット監視なので何か起こらなければグータラしつつ飲み食いしているだけだ。

 声をかけてくる男が十人目を数えた。普段へらへらしているローレンも面倒になってきたのか、あからさまに舌打ちした。


「ちっ。パーカー脱いで背中見せつけてやろうか」


 頭にきて傷跡を見せつける、などと言い出す始末である。アサギは冷静に言った。

「止めないけど、意味ないと思うよ。余計に声がかかると思うし」

「マジで?」

「マジで。僕なら後ろから抱き着きたくなる」

「……」

「……」

 何となく沈黙。アサギも、妙なことを言ってしまった自覚はある。その沈黙を破るように、通信機が鳴った。


「はーい。こちらローレン」


 小型のそれを手に取り、ローレンは耳に付ける。相手は誰かわからないが、ふんふん言いながらPCのキーボードをすごい勢いでたたいている。これだけはまねできない。そもそも、アサギは技術者であってもハード系の技術者なのだ。

「了解。そっちはよろしく」

 ローレンはそう言うと一度通信を切り、アサギを振り返った。

「フェイから。スパイを発見したって。今、クリスとロデリックで追ってくれてるから、私たちは情報監視。必要とあれば、ハッキングを仕掛けて情報をブロックするわよ」

「わかった」

 アサギはうなずくと次々に情報にアクセスしていく。今回対象なのは。

「あ、あった」

「こっちも。いくつかに分けてるってことね。賢いわ」

 完璧に暗号になっているが、探していた機密情報……投獄されている犯罪者たちの情報、さらに刑務所の監視情報である。アサギとローレンはただ消去するのではなく、カウンターを仕掛けておいた。ローレンが「誰か引っかからないかしら」とにやついている。


「ローレン、きもいよ」

「きも……っ!」


 ショックを受けたようで、ローレンがうなだれた。その時、アサギのPCが背後からつかまれた。どきっとした。

「おとなしくしていてくれ、お嬢さん方。人の多いところで騒ぎは起こしたくないだろう」

 アサギは顔を引きつらせた。お嬢さん、と呼ばれたことだけではない。ローレンならともかく、この状況からアサギは抜け出すことができない。室内なのにサングラスをかけた男の腕が邪魔で、身動きが取れないのである。

 ローレンはと言うと、感情のない表情ですっと男を見た後、アサギを見てニコリと微笑んだ。大丈夫、とでもいうように。


「騒ぎが起こると厄介なのはそちらの方でしょう?」


 かわいらしく小首を傾げてそんなことを言うと、ローレンは普段はいくらか落ち着いて聞こえる声を、限界まで高くして叫んだ。


「きゃあぁぁぁああっ! 変態っ!!」

「!」


 なるほど、と思った。これなら絶対に監視員が飛んでくる。そして、男はアサギのPCを放して逃げ出した。

「適当に言いつくろっておいてね!」

 ローレンはそう言うと男を追って行った。プールサイドを走ると危ない、と場違いなことを思った。

「お客様、大丈夫ですか!?」

「あ、はい」

 ローレンと入れ替わるように係員がやってきた。アサギはなんと言って言いつくろおうかと考える。野次馬も集まってきた。

「その、何かされましたか?」

「……される前に、友達がそいつを追って行きました」

 事実だ。事実を言うことにした。はしょっているだけで、間違ったことは言っていない。

 係員は「そいつの顔とか覚えてます?」と尋ねてきたので、あいまいに答える。実際、アサギは横顔しか眼にしていないので、あいまいでも不思議ではない。


 そうこうしているうちにハリソンが迎えに来た。ローレンが置いていった機材を片づけ、係員を適当にはぐらかしハリソンはアサギを連れてプールを出た。考えてみると、ハリソンは精神干渉を使ったのかもしれない。係員の納得の仕方が不自然だった。

 着替えてから玄関に行くと、すでにみんな待っていた。ローレンは目深にパーカーのフードをかぶっていた。何をやらかしたんだ。

「ローレン。忘れ物だ」

「ああ、ありがと」

 ローレンがハリソンから機材を受け取る。電話をしていたオスカーが、全員そろったのを見て言った。

「よし、撤収!」

 たまに思うが、このノリの軽さ、どうにかならないだろうか。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ローレンとアサギは、自由な姉としっかりものの弟みたいなイメージで書いてます。ここにハリソンが加わると、慕われているけどなめられた兄になります。


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