さらば
月日が流れるのは早い。年とともにそう思うようになった。いや、正確には気がつかないうちに時間が過ぎていて、ふとした拍子にそんなに経ったかと思うようになった。考えてみれば『つい、この間』が一ヶ月前となり、二ヶ月前となり、やがては半年前さえも、そう呼ぶようになっていた。少年と思っていた松尾たちも青年と呼ばれる年齢になっていたのも納得だ。もっとも、私からするとやはり幾つになっても少年たちなのだが。
その子供たちには申し訳ない話だが、彼らには『貴子様』に仕えるべき教育を施してきた。なにしろ竜安寺家には信頼できる奉公人がいないのだ。
権蔵様の元にいるザルグ家縁の者は論外だ。新規召し抱えの者も誰と繋がっているか、将来的に誰と繋がるかわかったものではない。
富蔵様のところにいる旧マサラ子爵家の者たちはまだ信用できる。しかし、彼らは竜安寺商会の中核であり、多くは引き抜けない。しかも、元々小さい家なのに加えて、先代バトラーの存在によってそもそもの人数が極端に少ない。その上に没落から久しい。貴族に仕えるのに相応しい礼儀作法と教養を備えている者は商会内でもそれなり以上の地位にある。彼らを除外して商会を抜けて貴子様に仕えても構わない者となると皆無であろう。
信頼の点において松尾たちほど優れている者はいない。それは累積された情報からも明らかだった。
問題は三点あった。一つは教育。貴族に仕えるのに相応しい礼儀作法、教養、常識、貴族に関する知識が必要だった。その点に関しては教育を施した。平民が教育を受けるなどということは、貴族と接触する機会の多い王都の住民でもない限り非常識なものだった----王都の住民が最低限の教育を受けるのは貴族を不快にさせないため----。貴族の所有物である奴隷以上に教育の名分がたたない。しかし、ここはナウル伯領。領主は権蔵様であり、実質の統治者はスチュワートだ。苦情などはでることなく問題は生じなかった。
二つ目は血統。貴族に仕えるにはそれなりの家格が求められる。これに関しては奉公人、郎党とせずに所有物として奴隷に近い扱いの使用人とすれば誰からも文句は言われないはずだ。
一番の問題は三つ目だった。これは血統の問題と近い。戦闘力だ。貴族を貴族たらしめ、圧倒的な違いを生み出す『魔法力』が足りなかった。これは私が『魔法力』を理解できれば解決できたのかもしれない。しかし、残念ながらそれができない。かろうじて周囲の変化などによって認識出来る程度だった。
この解決の為に子供たちに『訓練』を施した。これも本来なら大問題なのだが、教育と同じくナウル伯領であることが解決してくれた。『訓練』はもちろん『魔法』や『魔法力』に関することではない。教えたくても私にはわからないのだ。教えたのは『武器』の扱いだ。なにしろ私は『武器』の扱いに関しては執事の穴でもトップ、望んでいないが緩やかに扱っても完璧な型を保つ達人なのだ。
棒や剣、弓やボウガン。グローブの様な殴るだけの武器も教えた。複数の武器を扱えるようになった者がいれば一つしか習得できなった者もいる。
しかし、それは些細な問題だった。重要なのは、彼らが『武器』を持つことなのだ。完璧に扱えれば扱えるほどに好ましい。しかし、本質的に『魔法力』が少なく、その分配すら満足にできない----私には教えることができない----のだ。本来であれば戦力とならない。しかし、彼らは街の犯罪者はもちろん、私と戦うことを求めた強者さえも単独で撃退した。それも一度や二度ではない。
肝は『武器』だ。『武器』は私が創造したもので、ナノマシンを組み込んだのだ。彼らに配布した『武器』は私の『目』であり『耳』だった。北の地を寒冷化した失敗から、無制限な空中散布の危険を私は知ってしまった。だが、個人に持たせた『武器』はそのリスクを最小限に抑えつつ様々な情報を与えてくれるアンテナであった。
その『武器』は時として『手』にもなった。武闘会でそうしたように並の貴族なら一撃で倒せる火力を出せる。その『手』を地球人など問題にしない人々が扱うのだ。時として私を遥かに上回るパフォーマンスを発揮した。
貴族の流れを汲む挑戦者たちを完璧な武器の取り扱いで度々退けた子供たちはいつしか『バトラーの使用人』として平民ながらも貴族以上の一騎当千の者たちと知られるようになっていた。
子供たちの仕事は街の巡回と訓練と勉強だった。
もちろん、私の仕事は別にあった。主な仕事は『薬局』。
取り扱う商品は一つだけ。宣伝も看板もない店に、その商品を求めて遠地より人を寄越す貴族は一人や二人ではなかった。商品は『虹色軟膏』。
むしろその秘匿性が好ましかったのだろう。見栄を張りつつも、本心では病や怪我を癒やしたい貴族にとっては都合が良かったはずだ。彼らの使者は度々訪れた。もし、将来において貴子様の為に利用できるなら、非常に喜ばしいことだったろう。しかし彼らの助力は期待できない。あくまでも匿名の客だった。
大小様々な貴族が客だった。さすがは貴族と言うべきだろう。街への影響は計り知れなかった。落とす金や振る舞いが違うのだ。そしてスチュワートも彼らを敵に回す愚を犯さなかった。ゆえに彼らが成す街への影響を放置せざる得なかった。
いつしかナウルの街はファームル伯領とは似つつも明らかに異なる街へと変貌していた。
もはや、類似の存在として実験することはできなかった。再び近づけるには世代交代をするか、ファームル伯領からも近づける必要があるレベルに達していた。
そして、スチュワートに貴子様の血統を切り出せないままにその日がやって来た。私はスチュワートに会った。
私が口を開く前に彼は言った。
「これですか?」
そう一枚の紙をみせてきた。そこにはナウル伯竜安寺家が分家することについて書かれていた。
「そうです」
私は続けた。
「まだ、決めたわけではないのですが……」
スチュワートは諦めた様子で応じた。
「それが貴方の決断なら私から言えることは一つだけです」
彼は無念そうな表情で続ける。
「朋輩の旅立ちを祝福します。……歓迎はしませんが。おっと、二つになりましたな」
そう笑った。
間違いなく本心だった。
彼は私がもっとも長く付き合った相手の一人であり、最も強く観察を続けた対象であり、最も注意を払い続けた敵だった。
だからわかる。あれは心からの言葉だった。
いや、彼は敵ではなかった。友だったのだ。
私は大恩ある『貴子様』をお救いしたいとここまでやってきたつもりだった。
そこに偽りはないし、今でも変わらない気持ちだ。
だが、時とともに心が整理されていくと理解できたことがある。
『お嬢様』と同様、あるいはそれ以上に助けたいのが『彼』だと。
『彼』を殺せる機会はいくらでもあった。握手しているときに分解をさせてみてもよかっただろう。その他にも幾らでもあらゆる手段がとれた。それほどまでに『友』は無防備だった。あるいは暗殺は失敗したかもしれないが、そもそも試す気が起きなかった。
『友』であり、彼こそが助けたい存在だったからだ。
これは地球の、日本の倫理から脱却できない私のエゴだ。ここの常識、倫理、美徳に従えば『友』の本懐である復讐は正義であり、叶えさせることこそが唯一の救いだった。それはわかっている。
しかし、私の心が「違う!」と叫んだのだ。
そこには少年時代のお嬢様への思い、権蔵様や富蔵様への情が混じっていることは間違いない。あるいは愛着が湧いている、ナウル伯領やファームル伯領が巻き込まれることに耐えられないのも否定しない。
だが、それ以上に『友』にそれをさせたくなかったのだ。
そのために『友』の邪魔をし、『異なる個体の私』を巻き込み続けたのだろう。
理解できれば、なんということはなかった。全ては私の我が儘で、松尾たちを含めて周りを巻き込んできたのだ。これは『私』の戦いだった。
「では、いずれ会いましょう」
私は『友』に笑い返すと、別れを告げた。




