ナウル伯領へ
ファームル伯領を後にした私はそのままナウル伯領へと向かった。
筋としては富蔵様に報告に行くべきだろう。しかしその必然性は低い。わざわざ報告に戻り「お孫さんには会えませんでした」などと伝える意味はない。
富蔵様ならば察するだろう。いや、富蔵様の目論見は「バトラーを息子のもとに行かせた」時点で達成したとみるべきだ。
むしろ「報告した」という事実や「報告内容」を誰かに知られる方が不利益が大きい。だから私はそのままナウル伯領へと向かうことにした。富蔵様の情報網ならば私の滞在を知ることができるし、用事があれば何か伝えてくるはずだ。
ナウル伯は格の高い貴族とはいえない。だからこそ平民だった権蔵様が叙任することができた。格だけでいえば、子爵とはいえ王都に近いマサラ子爵の方が高いくらいだ。極秘事項で考慮されないが、権蔵様は九伯家当主の孫と考えると不相応に低い爵位であった。逆説的に低い地位だからこそ、隠し子の流れを汲む権蔵様が貴族の端くれになっても問題ないと九伯家からお目こぼしがあった----本来ならば子供ができることもなかったのもあって----とも考えられる
ナウル伯の領地は格に相応しい土地だった。生産力は低く、魔法力にも乏しい。いっそ魔法力がもっと少なければ最高位貴族が好む魔法力に乏しい作物が育つ土地ともなれたのだが、そこまで低いというわけではない。ようするに使い道のない貧しい土地だった。
しかし、それは私がこの時代に来る前の話だ。数代に渡る百年近い領主たちの奮闘によって、非常に高い生産力をもち、王国屈指の豊かさを持つに至った。私が富蔵様と出会った頃は竜安寺商会もその開発に関与していた。
もっとも、今となってはその富は存在しない。先代ナウル伯ボルグ様がカガチ様との戦いに全て使ってしまったからだ。カガチ様の投げた只の石コロで、自らの富のみならず領土から根こそぎ徴発した資産は泡と消え、一族郎党に自らの命、かき集めた領民たちの命に至るまでの全てが一瞬で霧散したのだ。
それでも民というのはたくましいもので、残された人々はなんとか生活を立て直していったと聞く。
問題はその後だ。新たにナウル伯となったのは権蔵様だが、実質の統治者はスチュワートだった。
彼にとってナウル伯領は実験場だ。往時の影も形もないほどに開発されたファームル伯領を昔日の姿に戻すための試金石なのだ。
ゆえにナウル伯領は今のファームル伯領がそうであるように豊かでなくてはならない。価値観も似たものにする必要がある。貧富の差や犯罪等の社会問題も同じくする。その様に似せて造りあげた上で、それらを完全に破壊し、人々の心から全てを否定をさせなければならない。
非常に時間のかかる実験だがスチュワートはそれを実現し、生涯を賭してファームル伯領に導入しようとしているのだ。
現在の進捗段階は豊かにしている途中だろう。幸いなことに順調に開発が進んでいる噂しか聞かないからだ。同時に犯罪をコントロールし起こさせているようだ。住民の意識もファームル伯領と同じ経過を辿っていることだろう。都合の良いことに経過こそ違うが、人口が激減したこの土地にはファームル伯領と同じく移民が多い。それでも、完全なコントロールが可能なのはスチュワートが超人中の超人だからだ。
多くの領民たちはスチュワートによって作り上げられた仮初めの繁栄を享受している。しかし、それは破壊が約束されている一時のやすらぎだ。哀れな領民たちが再び混乱の坩堝に放り込まれるのは時間の問題だった。
私がナウル伯領を訪れる理由。それは当のスチュワートに会うためだ。
様々な噂、観測されているデータ、歴代の『私』が経験した実績。それらからある程度以上の確度をもった推測はできる。しかし、実際には会って見なければわからない。ベアトリクスさんが暗殺者とならなかったように歴史的には些細でも私にとっては大きな変化があるのかもしれないのだ。
もしスチュワートの説得に成功し、無意味で不毛な復讐を諦めてくれたらそれがなによりだ。
そうでなくとも私がナウル伯領に行くことが『過去』の実績上、スチュワートへの牽制になり彼の行動を制限する可能性が高い。
幾つかある分岐的にはもっとも安全性が高く、有利な条件が整えられるパターン。一種の定石だ。定石を外して、竜安寺商会が破産する、九伯家や王家と明確に敵対したといった流れよりはベターな選択肢だった。
……思い切って全く違う方向に動いてみれば全く違う展開もあったのかもしれないが、少なくとも私にその思い切りはできなかった。なによりも無理をして引き継ぎができない状態だけは避けなければならない。
かくして、私は従来と同じ道を選んだ。




