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かつてゲームの大魔王  作者: 一崎
第一章 ミロン・アケディが恐れること
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痛み

 湖面に写る悍ましいモノから目を背けて、ミロンはその場で蹲った。


 その行動は現実逃避の表れである。


 ミロンの脳内で、何かが駆けずり回る。それは記憶であった。

 今までの、記憶。


 幼馴染の言動をする中年男性と過ごした日々。両親を真似た化け物との日常。

 妹を自称する腐敗した何か。


「ぼくはあんなのと」


 己が犯してきた間違い。狂気しかなかった日常に、ミロンは慄いていた。

 身体を覆うのは、身を潰しそうなまでの嘔吐感。いっそ、吐いてしまえれば楽なのに、身体がそれを許してくれなかった。


「……何が起きてるんだ?」


 いつの間にか始まっていた非日常。ただ生きているだけだった。

 それなのに、いつの間にやら地獄に落ちていた。気が付いたのは偶然。

 小さな違和感から生まれた、偶然なのだ。


 偶然がなかったらと想像すると、ゾッとする。ミロンは未だに、あの地獄を心地の良い場所だと盲信していたであろう。


「怖い」


 ミロンには自分が誰なのかすらもわからない。ここが何処なのかも、最早あやふや。


「ぼくは誰なん……痛、い?」


 ミロンは己の左目を押さえつけて絶叫を上げた。眼球の中で何かが暴れ回っているような感覚。


 突然現れた痛みから逃げようと、ミロンは必死にのたうち回る。けれども、痛みからは逃れられない。

 目の奥が焼けるように熱い。


 絶叫で声がどんどん枯れていく。

 苦痛から涙が零れ落ちる。


「ぃぃひぁいいあ、ああぁあぁぁ! ごめんなさい、ごめんなさい、やめて。ぼくが、ぼくが悪かったから、許してぇ!」


 意味もなく許しを乞う。無論、許してくれる者など存在しなかった。


 筋肉が痙攣し、身体が魚のように跳ね回る。痛みに身体が反り返り、頭が脚に触れかける。壮絶な痛み。

 それでもミロンは止まらない。彼の痛みは止まらない。意識を失うことすらも、できはしない。


 痛みを堪えようと握り締めた地面に爪痕が残る。爪が剥がれ落ちるのも気にしていられない。

 それ程までの激痛。


「はぁはぁ」


 呼吸を素早く繰り返して、焦点を失った目で周囲を見渡す。誰でも良かった。

 あの偽物でも良かった。

 誰かに助けて貰いたかった。


 しかし、ミロンの願いとは裏腹に、ここには誰もいなかった。

 助けてくれる者などいない。


「う、ぅぅ。一体、何……が」


 痛みの正体を確かめようと、ミロンは戦々恐々といった様子で湖に再接近する。

 這うようにして、どうにか湖面を覗き込む。


 そこに写っていた彼の瞳は異様な輝きを放っていた。紅い閃光が爛々と輝く。

 何よりも目を引くのは、その瞳に浮かび上がる紋様であった。


 三つの小さな円が浮かんでいる。そして、その三つの円を結ぶように線が走る。逆三角形のように、ミロンの目には見えた。


 まるで御伽噺に出てくるような、魔法陣である。その模様の中に、謎の言語で文字が羅列されていた。


「何だよ、これ!?」


 悲鳴で疑問の声を上げ、ミロンは錯乱したように己の眼を掌で覆う。

 それでも湖面には、紅い輝きが反射している。


「これが……この痛みの原因か?」


 痛みのストレスかそれとも他の何かが原因なのか。理由は不明であるが、ミロンの髪に白いものが混じり始める。その現実が、彼の焦りを更に加速させる。


「そうだ。これが、なければ」


 自らの眼球に指を入れて触れた。しかし、そこにあった感触は予期していたモノとは違っていた。


 硬い。


「これがぼくの目?」


 違う。

 このような硬いものが瞳である訳がない、とミロンの錯乱は強まる。


 脳に浮かぶのは、たった一つのこと。


 潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。潰さないと。


「うわあああ!」


 地面に落ちていた木の枝を拾い上げ、勢い良く眼球へと突き立てる。


 カラン、と無機質な音が響いた。

 だから無理矢理押し込んだ。


 眼球の潰れる音がした。泥を掻き混ぜたような、耳に残る不快な音。目から何かが滝のように流れていく。


 鋭い痛みが瞳に走り、脳を焦がす。けれども、痛みはそこで止まった。


 狂いそうな痛みはまだまだズキズキと残るが、それすらも最初の痛みと比べれば気の所為程度であった。


 はぁ、と息を吐く。


 溢れ出る血液が、地面に小さな池を作り出した。疲労からか、ミロンはその場に倒れた。べちゃり、と血溜まりを踏む音が耳に入る。


「な、何だったんだ、一体」


 眼球から木の枝を引きずり出す。痛みが麻痺している今だからこそ、簡単にできる行為であった。


「だけど、まあ、もういいや」


 苦痛から解放された安心感からミロンはようやく意識を手放せた。



 それから何時間眠り続けていたのだろうか。ミロンはゆっくりと目を覚ます。


 異音が耳を擽り、その不快感が彼の意識を覚醒させたのである。


「もう痛くはない、けど」


 片目が見えない。

 ただでさえ暗くなっているというのに、片目ではほぼ何も見えないのだ。

 周囲を見渡すが、それも意味はない。何も見えないのだから。


 ただただ音だけが聞こえる。


 ぬぷぬぷ、と。

 何かを汚らしく咀嚼するような音である。


 ミロンは警戒する。

 あの中年男性のような化け物が、この辺りを彷徨いているのかもしれないからだ。


 耳を澄ます。

 音の出所が判明する。それはミロンの足元からであった。


「何!? 何なのさ!」


 闇に瞳が慣れていく。そして、音の正体が判明する。


 幸か不幸か。ミロンの予感は不発に終わった。それは中年男性のような化け物ではなかった。


 ……別の化け物であった。

 ナメクジのようなぶよぶよの肉体。そこには無数の蛭のような口が蠢いている。


 それがミロンの肉体へ向かって来ていたのだ。


 また、その化け物の数は一体ではない。何十、何百もの化け物がここには存在していた。

 中には、ミロンの身長を超える巨大なものもいた。


「っ!」


 最早、悲鳴すらもでない。


 多量の汗がミロンの額に浮かび上がっていく。


 ……もう、嫌だ。


 ミロンはその時、全てを諦めた。もう、頼むから終わってくれ。諦念に満ちた心に、彼は身を任せる。


 そんな時だ。


「ようやく見つけたわ」


 少女の鈴のような声が、ミロンの鼓膜をくすぐった。

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