終
きーるど のね、ふえのおと、だいすき
とっても きれい
とっても あたたかい
あしたも、あそぼう
また、あしたも
ふえをふいてね
ずっとずっと
「ラヴェンナ、身体に障る」
「気づいていらしたのですか」
湖畔に佇む影が、ゆっくりとこちらを振り返った。
今日はその色が濃い夕日が、湖に落ちていた。
「ここでよく、そなたのために笛を吹いていた」
「あの侍女も、そう言っていました」
わたしが胸に抱いているものを見たひとは、静かに言った。
「――キールドの父は、こちらに留めることにした。あの娘にも、しばらく暇を出す。あの者には、見ていてもらおう。キールドが幾年過ごしたこの地で、わたしが成すことを」
割れた笛とリボンが、森からの風に揺れた。
「――いつか手紙をくれたことがあったのです。わたしがきっと、かなしい顔をしたから」
忘れてしまった手紙。なくしてしまった思いも輝きも、本当はずっとそばにあった。
いいえ、もっと近くに。わたしは腹にそっと手を伸ばした。
キールドが遊学すると話したとき、とてもかなしくて、ただ早くかえってきてくれることを願った。キールドの思いを真に知ることもなく。
キールドの苦しみを、わたしはひとつでも解っていたのだろうか。
手紙に託された思いを、わたしが理解していたら――
「わたしは償うことを赦してほしかった、キールドに」
ふたたび湖に目を戻したひとが、そう言った。落葉に湖面が、波紋をつくった。
「叶えたかった。キールドが望んだことを。争いのない穏やかな国をつくりたかった。臣も肉親も自らの手で葬ったわたしを、キールドに赦してほしかった」
声が、揺れた気がした。
「泣いて、いるのですか」
わたしはこのかたの、厳冬の夜空のような瞳を何度見たことだろう。痛みに沈む、この瞳を。
泣かないで ラヴェンナ
キールド、あなたは、ずっとこんなにかなしい瞳を見ていたのね。
「泣かないで」
そのひとの頬に、手をあてた。熱い雫がわたしの手を濡らした。
その手を掴まれ、引き寄せられた。逞しい腕に、背を抱かれる。
「ラヴェンナ、ラヴェンナ」
――キールド、あなたはここにいる。いつまでもこの心に。
かなしみの塊は、いまとけた。それは血となり水となり、わたしの身体から抜けることはないだろうけれど。
「本当はずっと、待っていたのですねあのひとを」
背に回された腕が、一層の力を帯びた。
「待っていた。ずっと。だがここには、そなたがいる。ラヴェンナ」
ふいに身体が離され、正面から瞳が合わさった。
「どうかわたしと共に、あってほしい。キールドの、ためでいい。ラヴェンナ、泣いていい。望んでいい。望め、もっと、より多くを。新しい命と共に、あってほしい」
ふとその一点に閃いた。否定しがたい、強固な確信となってその考えはわたしの前に現れた。
「もしかして――わたしを妃になさったのは、そのためですか」
対面にある瞳は、大きく見開かれた。苦いような顔をして、その視線はずらされた。
――なんだろう。可笑しい。
いつまでもこのかたは、わたしを通してキールドを見ているのだ。そしてそれは、わたしも。
――可笑しい。笑いたい。泣きたくて、笑いたい。
「――可笑しい。可笑しいですよ」
そう言って、涙が零れた。笑って、顔をおおった。
「――ラヴェンナ」
首をふる。
かなしみの、涙ではない。苦しみの、心ではない。ひらかれた、傷ではない。
なつかしくて、あたたかくて、さみしい。光の戯れに、わたしはいたのだ。
同じあこがれでは、ないけれど。いまきっと、めぐったのだろう。
思いは、めぐる。光に、とけて。音に、つつまれて。
わたしたちは、いつの日でもきっと互いが望んだようになった。
わたしは生きていたいと、本当は望んでいたから。
償いの責も後悔の思いも、きっと消えない。けれど。
わたしはともにあろう。この命と。かたわらに立つひとと。
あたたかい手が、わたしの涙をぬぐう。
「あなたがぬくもりを、伝えてくれたのですね」
風が、森を渡り、湖面を伝う。
茜色の湖水をすべる。
「そばにいてくれて、ありがとう」
わたしはふたたび、笛とリボンを胸に抱いた。
湖面に落ちた葉の陰が、ゆれる。
入り日は濃く、濃く、落ち葉を染める。
けれど湖水はきらめく。
澄んだ風を、光とするように。
湖水の茜が、一層のかがやきを帯びる。
光が、笛とリボンを照らす。
わたしは、ゆっくりと瞳を閉じる。
思い出の音を、抱くように。
わたしは、ゆっくりと、目を開ける。
音は、染まる。
なつかしくて、あたたかくて、ときにやさしい落日に、染まるだろう。
春の暁
夏の木漏れ日
秋の落陽
冬の星影
めぐる 季節はともに
光は 永遠に 君のなかに
ラヴェンナ
輝きは 永遠に
(終)
ここまでお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。
これにて連載を終了いたします。
たくさんの応援が、ここまでくる力となりました。
長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。
お読みくださいましたすべてのかたに、心よりの感謝を申し上げます。