第7.5話 海を穿つ氷結の槍と『最強の騎士』
爆煙と濁流が吹き荒れるアトランティクス王国の地下港。
爆破された水魔導障壁から絶え間なく押し寄せる海水と、崩落する天井の石材が轟音を立てて水面を叩き割っていた。
エルネが反乱分子の小型潜水艇によって連れ去られたその現場で、アルディスが解き放った圧倒的な極寒の魔力が、侵入してきた暗殺者たちを瞬く間に氷漬けにしていた。
「エルネ……っ!!」
あたりを見回してももうその姿はない。
アルディスはガクッと膝を落とした。
「ひとまずここは助かったな。氷のおかげで水は止まった。だがまだしたがなんともなってねえぞ」
ガルドが叫ぶが、アルディスには耳に入らないようだった。
「王宮へ伝達しなさい、ガルド」
セシリアが冷静に言った。
「もうしているんだが、あちらでも何かあったのかもしれん」
下に空いた大きな穴から、護衛騎士たちが氷の柱を登って上がってきた。
「ガルド殿、敵は氷に封じられ、残りは対象完了しました。それより地下の方がまずそうです」
「だろうな」
皆がアルディスを見るが、明らかに使えない男に成り下がっていた。
その時、外から大きな音が聞こえ始めた。
「エルネ!」
アルディスが氷の刃を手に、濁流が渦巻く地下へと飛び込もうとしたその瞬間、ガシッとその肩を掴み止めた手があった。
第一王子、レオンである。
「離せ、レオン王子! …が……エルネが囚われたのだぞ! 一刻の猶予もない!」
窓を破壊して入ってきたのはレオンとルチア、騎士団だった。
風の魔法で木製のボートごと空を飛んできていた。
彼らも寝巻き姿で荒れた姿をしており、何者かに襲撃されたのは見てわかった。
アルディスの瞳には、冷酷なまでに狂おしい怒りと、焦燥の色が渦巻いていた。
「すまない、我々も襲撃を受けた。王宮は父上と母上が取り仕切り納めている。こちらも連絡が取れず、確認しにきたが……」
レオンとルチアは顔を見合わせた。
ここにはいないものがひとり、そして様子がおかしい男がひとり。
「エルネが連れていれた!」
その全身から溢れ出る凍気が、足元の水面をパキパキと音を立てて凍らせていく。
「落ち着け、氷結男! 気持ちは分かるが、飛び込んでどうする!? この水路の先は、高水圧と死の冷気が支配する深海ぞ!」
レオンは激しい濁流を指差し、叫んだ。
「我が国の最新鋭潜水艇は爆破された! 水深四千メートルの深海だ、陸の人間が生身で飛び込めば、魔術を張る暇もなく水圧で骨ごと叩き潰される!!」
「潰されようが関係ない! エルネが冷たい闇の中で俺を待っているんだ! 骨の一本や二本、砕け散ろうと救い出す!!」
「アルディス様、お待ちになって!!」
ルチアがナイトドレスの裾を翻し、果敢に二人の間へ割り込んだ。
拳をギュッと握りしめ、兄の顔をまっすぐに見据える。
「エルネを想う気持ちはわたくしも同じですわ! ですが、貴方が途中で命を落としたら、誰がエルネをあの恐ろしい元院長の手から抱き上げるのですの!? 支離滅裂なまま飛び込むのは、ただの犬死にですわ!」
「ルチアの仰る通りですわ!」
セシリアも濡れた髪を拭いながら駆け寄ってきた。
「少し落ち着きなさい! あなたらしくもない。レオン、ルチア。この事態等するつもりですの?」
二人を見るセシリアに、ルチアが真っ先に口を開く。
「アトランティクスの海底宮殿には、王家に伝わる『秘宝の防護具』と、宮廷魔導士たちが代々受け継ぐ『極限の強化術式』があります! お兄様、今すぐ宮廷魔導士部隊を招集してくださいまし!」
「……何をする気だ、ルチア?」
レオンが妹の顔を見つめる。ルチアは力強い眼差しで頷いた。
「潜水艇がないのなら……人間を最強の潜水兵器へと仕立て上げれば良いのですわ! アルディス様の圧倒的な氷魔法の器に、アトランティクスの誇るすべての水魔導術式をブースト(重複付与)します!」
◇◇◇
急遽、王国中で動ける魔導士が招集された。
地下港安全確保、整備、そして一角に臨時の魔導陣が展開された。
集結したのは、アトランティクス王国が誇る五十名の宮廷魔導士部隊と、レオン、ルチア、そして使節団のアルディス、セシリア、ガルドである。
円形の魔導陣の中央に立つのは、魔法陣の付与が施された外套を纏うアルディス。
「これより、アルディス公爵閣下に『極限多重魔導付与』を執り行う! ……閣下、正気かい? 人間の肉体が耐えうる魔力付与の限界値など、超えることになるぞ」
アトランティクス宮廷魔導士長が、冷や汗を流しながら警告する。
人体の許容量を超える魔法付与は、激痛を伴うだけでなく、下手をすれば肉体が内側から崩壊するリスクを孕んでいた。
「構わん。……早くしろ。エルネの恐怖を思えば、どんな激痛も甘やかしに過ぎん」
アルディスは一切の躊躇なく言い切った。
「くっ……相変わらず狂気的な男だな! だが、気に入ったぞ!」
レオンが不敵に笑い、自らの王家の指輪を掲げた。
「我がアトランティクス王家の秘宝——深海竜の鱗より削り出せし腕輪『ドラゴンフラワー』、そしてセイレーンの『潮騒の首飾り』、海底神殿の秘宝『水神の指輪』……すべて装着させろ!」
首飾り、腕輪、指輪、背章。
次々とアトランティクスの至高の防護魔道具がアルディスの全身に装着されていく。
「術式開始! 第一重『高圧無効障壁』!」
「第二重『超耐寒生命維持結界』!」
「第三重『海流加速脚』!」
「第四重『酸素永久循環術式』!」
五十名の魔導士が一斉に杖を掲げ、詠唱を紡ぐ。
蒼、緑、銀——幾重もの巨大な魔術陣が重なり合い、アルディスの身体を包み込んだ。
ズドドドドド・グォォォォンッ!!
過剰な魔力の奔流がアルディスの全身の血管を浮き上がらせ、漆黒の外套が激しく羽ばたく。
「ぐっ……あぁぁぁぁっ……!!」
あまりの魔力密度と激痛に、アルディスが喉を鳴らし、膝を折りかけた。
「アルディス様っ……!」
セシリアが悲鳴を上げる。だが、アルディスは自身の左手に光る『星紡ぎの月見草』の指輪を強く握りしめ、血を吐くような叫びとともに無理やり両足で大地を踏みしめた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!!! エルネぇぇぇぇーッ!!!」
ドガァァァァンッ!!
アルディスの身体から放たれた極寒の気が、上層からの魔導付与と融合し、輝く『蒼氷の鎧』となって彼の全身を覆った。
人間一人の限界を遥かに超越した存在——水深四千メートルの超高水圧すら物理的に跳ね返す、人類史上最強の『氷結の騎士』がここに誕生した瞬間であった。
「完璧だ……! 本当に全部受け止めやがった……!」
宮廷魔導士長が腰を抜かす。
「アルディス様! 通信機を!」
セシリアが素早くアトランティクス特製の長距離感応通信機をアルディスの耳元に装着した。
アトランティクスの魔術師団の男が話す。
「深海の状況は我々が上層からモニターし、ナビゲートします。……エルネ様を、どうかよろしくお願いいたします」
「ああ、任せろ」
アルディスは短く答えると、激しく波立つ水路の前に立った。
「行くぞ……エルネ。今、助ける!」
ドバァァァァァンッ!!!!
アルディスが跳躍した。
そのまま暗い水路へ飛び込むと同時に、彼の足元から凄まじい密度の氷結晶が爆発的に発生した。
海水を跳ね返すのではない。
押し寄せる高圧の濁流そのものを、彼の足が触れた瞬間に透き通った巨大な氷の筒へと固定・凍結させていくのだ。
「な……なんだあれは!? 海を……海を凍らせながら滑り降りていくだと!?」
後方に残ったレオンが、絶句しながら叫んだ。
暗黒の深海を垂直に貫く、一本の蒼い氷の槍。
重力を無視し、過剰な多重強化魔法によって弾丸と化したアルディスは、氷の回廊の中を猛スピードで滑降していく。
立ちはだかる深海の凶悪な魔物たちが襲いかかろうとするが、アルディスが纏う絶対零度の凍気触れた瞬間、巨大なクジラ型の魔獣も、巨大イカの怪異も、一瞬で断末魔すら上げずに氷となる。
逃げるものも、海の底へと沈んでいくものもいた。
「……邪魔だ。俺とエルネの邪魔をするな……ッ!!」
海を切り裂き、闇を凍らせ、ただ一筋の愛だけを頼りに絶望の深淵へと突進する氷結の騎士。
水深一千メートル……二千メートル……三千メートル……。
常識を置き去りにした爆走の果てに、アルディスの視界の先には漆黒の海底に佇む、不気味な大穴が見える。
そう、その中には怪しげな施設の影が、はっきりと浮かび上がってきた。
『アルディス殿、その奥が今回の目的地です。おそらく付近に敵が。エルネ様もきっとそこです』
「わかった」
アルディスは深海の大穴へと降りる。
そして、禍々しい魔物の気配と、敵の拠点に見える施設を発見するのだった。
「見つけたぞ……エルネ……!!」
騎士の目が、蒼く恐ろしく光り輝いた。




