第6話 大爆発分断の罠
『深海の大穴』への出発を明朝に控えたの夕刻。
王宮の会議室では、作戦会議がひと段落し、しばしの憩いの時間が訪れていた。
「……というわけで、深海の第三層までは我が国の精鋭潜水部隊が先行し、安全を確保する。これで準備は完璧だ!」
レオンが海図をバンと叩き、満足そうに胸を張る。
「ご苦労様でした、レオン殿下。これで明日は安心して出発できますね」
エルネがお茶を差し出すと、レオンはその可憐な微笑みと手際の良さに、再び胸を強く打たれたような顔をした。
「……ああ、エルネ。君という存在は、見れば見るほど……触れれば触れるほど素晴らしいな!」
「えっ……?」
突如、レオンが真剣な表情になり、エルネの両手をガシッと握りしめた。
「頼む、エルネ! しがない田舎でくすぶっているのは勿体ない! 俺の妻になれとは言わん! だが、我がアトランティクス国の『筆頭鑑定士』として迎え入れさせてくれ! 報酬は望むままだ! 王宮調合院のトップの地位と、無制限の深海素材の研究予算を約束する!!」
「え、えええっ!??!?」
またしても始まった命知らずな熱烈スカウトに、エルネが目を丸くしてパニックに陥る。
「ちょっと、タコ足王子!! 懲りずにまたエルネを勧誘しようとしていますわね!?」
セシリアが扇子を振り上げて叫ぼうとした——その瞬間。
ドギャギィィンッ!!!!
会議室の温度が急降下どころか、物理的な大気が一瞬で凍りついた。
壁や窓ガラスが一面氷漬けになり、レオンの足元から太もも、そして肩先にかけて、カチカチカチッと凄まじい速度で絶対零度の氷結晶が駆け上がっていく。
「な……ッ!? こ、声が出な……ッ!?」
「……レオン王子」
レオンの背後に、ぬっと影が落ちた。
そこに立っていたのは、全身から青白い凍気を揺らめかせ、瞳を氷の刃のように細めたアルディスであった。
「……喉から上を凍らせて差し上げてもよろしいですか? 二度と我が妻に不躾なスカウトなど口にできないよう……声帯ごと永久凍土に封印して差し上げます」
「ひっ……!? ひぃぃぁぁぁーッ!?」
全身をガチガチに氷漬けにされたレオンは、顎だけをガタガタと震わせながら、助けを求めるようにルチアとシリルに視線を送った。
「あーあ、お兄様ったら。昼間あれだけ怒られたのに、学習能力が皆無ですわね。自業自得ですわ」
ルチアが呆れたように冷ややかな視線を送る。
「ええ。アルディス様の『氷結領域』は感情の高ぶりに比例して威力を増しますので、あと数秒放置すれば全身の細胞が壊死しますね」
セシリアは扇子をクイと上げながら冷静に解説を加えた。
「も、もう……! アルディス様、レオン殿下が本当にお凍りになってしまいますからっ!」
エルネが慌ててアルディスの腕にしがみつくと、アルディスは氷の殺気を一瞬で消し去り、甘く柔らかい表情に切り替えた。
「ふう……エルネがそう言うなら溶かしてあげよう。だがレオン王子、次はないぞ」
「ぷはっ……! た、助かった……! 死ぬかと思ったぞ、氷結男……ッ!」
氷が解けて崩れ落ちたレオンは、床に手をついて激しく咳き込んだ。
懲りない王子のコメディ劇に、呆れつつも和やかな空気が部屋を包み込んでいた。
しかし、この時の彼らはまだ知らなかった。
真の罠が、すぐ足元まで迫っていたことを。
◇◇◇
夜半。
アトランティクス全体が深い静寂と青い夜光石の光に包まれていた頃。
ドォォォォンッ!!!!
地鳴りのような凄まじい爆発音が、王宮の地下に位置する軍用深海港から響き渡った。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
衝撃で揺れる客室から、アルディスが即座に剣を手に飛び出す。
近くの部屋からは、ナイトウェアの上に羽織をひっかけたエルネや、セシリアが駆け出してきた。
下の階には護衛騎士たちがいる。
皆大騒ぎをしている様子が聞こえた。
爆発源である地下港へ確認に行こうとすると廊下や階段、各所で爆発の音、揺れが響いた。そこは黒煙と炎、そして荒れ狂う海水で大混乱に陥っていた。
もはや施設内部は海の中となろうとしている。
混乱の最中、爆発によって破壊された水魔導障壁から、大量の海水が濁流となって地下港へと流れ込んできていたのだ。
「しまった! 出入り口がない!」
波の影響による揺れなのか、爆発の揺れなのか。
わからない大揺れがずっと続いていた。
建物の最上階の客席にいたエルネたちは下に行く階段が不自然に水で覆われているのを確認した。
「アルディス様」
「ああ。なんらかの魔法だ」
アルディスは窓の方は歩いていくが、窓ガラスにはやはり水の壁ができており、外の様子は見えない。
何者かが争う音が聞こえる。
建物のどこかで戦闘が発生しているようだ。
アルディスはすぐ近くにいたエルネを庇い、部屋の扉のところにいるセシリアの方を見た。
「セシリア!」
「揺れで動けませんわ! 騎士たちは一体どこに!」
大きな声で返事ができる程度には、セシリアは落ち着いていた。しかしその瞳は不安でいっぱいであった。
「アルディス様、なにが」
エルネが叫ぶが、彼女の瞳でもこの事態の鑑定はできない。
「敵襲だ!」
部屋にはいなかったらしいガルドが水に埋もれた階段から這い上がってきた。
「階段が全部水魔法で水没してる! 下の階の方が崩落がひどいぞ! 俺以外はここも通れんぞ」
屈強な肉体でなんとか水流を押し返して階段を登ってきたようだった。
「くそっ。この国の防衛システムはどうなってる!」
アルディスは柄にもなく叫ぶ。
瞬時に手に魔力を集め、氷の剣を一振り生成した。
ガルドに氷の剣を作り出し投げると、セシリアの方は行くように視線で合図をする。
ガルドは剣を受け取り、セシリアのそばに駆けた。
◇◇◇
その時、王宮でも騒ぎが起きていた。
「大変です! 明朝出港予定だった最新鋭潜水艇『深海皇』が……爆破されました!!」
兵士が血相を変えて叫ぶ。
「何だと!? 誰がそんな真似を——ッ!」
レオンが叫んだその時、闇の中から不気味な黒い仮面をつけた異形の暗殺者グループと、アトランティクス軍部の制服を着た反乱分子たちが一斉に姿を現した。
「ハハハ! 哀れだな、王族ども!」
軍部の制服を着た男が高笑いを上げる。
その胸元には、あの反乱分子の証が輝いていた。
「ご主人様のご協力により、お前たちの足となる潜水艇は破壊した! これで深海へ邪魔が入ることはない!」
「軍部の中にまで反乱分子が混ざっていたというのか……ッ!」
レオンが剣を抜き放ち、牙を剥く。
「くそっ! 一体誰が味方で、誰が敵なんだ! セシリアは! 誰か客室棟を見にいけ!」
大乱闘となる王宮、レオンの叫びがこだましていた。
◇◇◇
海水は度重なる爆発によって徐々に水位を上げていき、エルネたちのいた客室棟まできていた。
下の階は水没しはじめている。
窓を覆う水、階段を覆う水も勢いを増し、少しずつ水のない場所が減っていく。
「みんな、危険です! 水圧が——ッ!」
エルネが近づいてくる水から逃げようとアルディスの手を引き歩こうとした。
「エルネ、俺から離れるな!」
アルディスがエルネの手を強く握りしめようとした——その瞬間。
ドカンッ!!
二人の足元の床が、仕掛けられていた爆薬によって爆破された。
「あっ……!? アルディス様——っ!」
「エルネーーーーッ!!」
崩れ落ちる床とともに、水煙と濁流が二人を分断する。
アルディスが伸ばした手は、あと数センチのところでエルネの指先をかすめ……激しい水流が二人を引き裂いた。
「くっ……! 氷の壁!」
アルディスは咄嗟に巨大な氷柱を連続で発生させ、濁流の蔓延を防ぎつつ、崩落を食い止めた。
しかし、煙と水滴が晴れた時、そこにエルネの姿はなかった。
「エルネ! エルネ!!」
氷の公爵と呼ばれ、常に冷静沈着を貫いてきたアルディスの顔が、見たこともないほど蒼白になり、叫び声が響く。
「アルディス様、落ち着いてください! 小型潜水艇の音が聞こえました!」
セシリアが服濡らしながら、通路の奥を指差す。
「逃がすか……ッ!!」
アルディスが殺気を爆発させて追いかけようとしたが、空いた大きな穴からは立ちふさがるように反乱分子の暗殺者たちが襲いかかってきた。
「行かせるかよ! 俺たちの狙いは、最初からあの鑑定眼の小娘だ!」
「なんだと……!?」
「あのお方——マルクス様が言っていたぜ。『あの女さえ手に入れば、海の毒と陸の毒の融合は百パーセント完成する』とな!」
「貴様ら……っ!!」
アルディスの瞳から光が消え、絶対零度を遥かに超える極寒の魔力が一気に噴き出した。
「私のエルネに……手に髪一本でも触れてみろ。……この国の海ごと、貴様らを原子レベルで凍結させてやる……!!」
◇◇◇
……冷たい。
薄れゆく意識の中で、エルネは頬にあたる冷たい金属の感触を覚えていた。
「う……ううん……」
ゆっくりと目を開けると、そこは薄暗く、黒い水滴が天井からぽたぽたと落ちる不気味な広間であった。
全方向を分厚いガラス窓に囲まれており、窓の向こうには、光の届かない漆黒の深海と、気味の悪い光を放つ怪しい巨大植物群が見える。
「……ここは……?」
エルネが身を起こそうとすると、ジャラリと重い音が響いた。
両手首には、魔力を封じる『漆黒の魔導手枷』が嵌められていた。
「私に魔力なんてないのに……」
エルネは横たわったまま、動かせる顔のみで情報を得ようと頭を動かした。
「ハハハ! 目覚めたか、生意気な小娘が!!」
暗がりから、下品でねっとりとした高笑いが響き渡る。
現れたのは、ボロ布のような漆黒のローブを纏い、顔の半分に醜い毒のただれ傷を負った老人、王立学院を追放され、脱走したマルクス元院長であった。
「マ……マルクス様……!?」
エルネは息をのむ。
「ククク……そうだ! 久しぶりだな、エルネ! お前が私を追い落とし、アルディス公爵の寵愛を受けて調子に乗っている間、私がどれほどの地獄を味わったか……分かるか!?」
マルクスは歪んだ笑みを浮かべ、杖で床をコンコンと叩いた。
「だが、それも今日で終わりだ! ここは『深海の大穴』の第二層に存在する、放棄された古代の遺跡ここはそこに秘密裏に作られた『深海廃プラント』……。お前にはここで、我が究極の兵器を完成させるための最後の調合を手伝ってもらう!」
「断ります! 私は……私は絶対に、人を傷つける毒なんて調合しません!」
エルネが強く睨みつけると、マルクスの後ろの影から、ぬっと別の人物が姿を現した。
それは、漆黒の仮面をつけ、胸元に『歪んだ三日月に蛇が巻き付いた血天秤の紋章』を刻んだ、謎の男であった。
「断る権利などないのだよ、可愛らしい鑑定士のお嬢さん」
男が低い声で嗤う。
「君の鑑定眼で、このプラント内に眠る『古代の毒核』の最後の不純物を取り除いてもらう。拒否すれば……君の愛するアルディス公爵も、アトランティクスの街も、今すぐこの深海の毒で沈めてやろう」
「そんな……ッ!!」
深海の底に隔離され、アルディスと引き裂かれたエルネ。
絶体絶命の危機の中で、彼女の試練の刻が始まろうとしていた——。




