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REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
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【断章:灰色の日常に灯る火⑧】


 藤沢市役所の夜は、昼間よりもずっと深く、そして残酷だった。

 非常用電源の限界により、ロビーの照明は最低限まで落とされる。

 暗闇は物理的な光の欠如以上に、避難民たちの心から余裕を奪い去っていた。

 窓の外からは、夜の冷気を含んだ風が建物の隙間を鳴らし、

 時折、遠くでレヴァナントが獲物を求めて放つ、乾いた獣のような咆哮が届く。


 拠点の隅で、栞は亜希子の膝に顔を埋め、小さな肩を震わせていた。

「……こわいよ、ママ。お外に、おめめがいっぱいあるの」

 幼い子供の感性は、大人が無理やり蓋をした「恐怖」という名の真実を、鋭敏に感じ取ってしまう。

 一度火がついた恐怖は、母親の優しい言葉や使い古された毛布だけでは、

 到底消し去ることはできなかった。


 その隣で、康二は自衛隊のネットワークから盗み出したデータの解析を一時中断し、

 眼鏡の奥の瞳を細めた。

 彼にとって、コードを書き、システムを構築することは、

 この理不尽な世界を御するための唯一の手段だった。

 しかし、目の前で泣きじゃくる小さな少女を救うための「関数」を、彼はまだ知らなかった。


「……康二くん、ごめんなさいね。集中したいのに」

 亜希子が申し訳なさそうに小声で言う。康二は首を横に振り、

 手元の高性能タブレットを一度見つめ、それから周囲を見渡した。


「……栞ちゃん。ちょっと、こっちを見て」


 康二の声は、普段の計算高い冷徹さを欠き、どこか戸惑うような優しさを帯びていた。

 栞が顔を上げると、康二は空のペットボトルのキャップをいくつか取り出し、

 そこに救護所から譲り受けた微量のグリセリンと、自分たちが以前拾った万華鏡の

 破片を慣れた手つきで組み込み始めた。


「今から、魔法をかけるよ。僕たちの味方の、光の妖精を呼ぶんだ」


 康二の指先が、タブレットのバックライト設定を強制的に書き換えていく。

 画面から放たれる輝度は、本来の制限を越えて増幅された。

 彼は即興で、複雑な幾何学模様がゆっくりと回転し、明滅するプログラムを組み上げた。


「……いいよ。上を見て」


 康二がタブレットを床に置き、その上に自作の「レンズ」を被せた。

 次の瞬間、無機質で冷たいコンクリートの天井に、奇跡が起きた。


「わあ……っ!」


 栞の口から、感嘆の吐息が漏れた。

 薄汚れた天井一面に、無数の光の粒子が、まるで満天の星空のように映し出されたのだ。

 万華鏡の破片が光を乱反射させ、青、白、そして微かな金色の光が、

 銀河のようにゆっくりと渦を巻いて踊っている。

 それは、排気ガスと煤に汚れた本物の空ではもう二度と見られないかもしれない、

 完璧な「星」の輝きだった。


「お星さま……! こーじくん、すごい、綺麗だよ!」


 栞が指を差し、光の粒を追いかけるように小さな手を伸ばす。

 その瞳からは、先ほどまでの恐怖の涙が消え、代わりに希望の光が宿っていた。

 康二は、その様子を静かに見守りながら、再びキーボードを叩いた。

 光の明滅を、人間のリラックスした時の心拍数と同じ周期に同期させる。

 光のプラネタリウムは、呼吸するように優しく、ロビーの片隅を包み込んでいった。


「……本当の星空はもっと綺麗だけど、今はこれで我慢して。

 ……大丈夫だよ、栞ちゃん。僕がここで起きている間は、

 この星は絶対に消さないから。お外の怖いのは、この光が全部追い払ってくれる」


「うん! ……こーじくん、魔法使いさんみたい」


 栞は、天井の星々に見守られるようにして、やがて安心したように亜希子の腕の中で眠りについた。

 康二はタブレットの光を調整し、自分の顔が眩しくならないよう角度を変えた。

 青白い光に照らされた彼の横顔は、もはや冷淡な「蜘蛛」ではなく、

 一人の幼い妹を守る、どこにでもいる優しい兄のそれだった。


 暦が、背後から音もなく近づき、康二の肩に手を置いた。

「……素敵なプログラムね、康二くん。軍事用のタブレットでこんなことをするのは、世界中であなただけよ」


「……計算外の稼働ですよ。バッテリーの無駄遣いだ」


 康二は照れ隠しにそう言ったが、画面の隅で回り続ける星たちのコードを止めることはなかった。

 星のない夜、窓の外の地獄。

 けれど、このロビーの天井にだけは、

 一人の少年が技術と優しさで紡ぎ出した「明日」への道標が、静かに、そして力強く輝き続けていた。

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