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REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
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【断章:灰色の日常に灯る火④】


 ロビーの喧騒から隔絶された非常階段の踊り場。

 そこは、コンクリートの冷気が壁を伝って這い上がり、薄暗い闇が溜まる場所だった。

 康二は、その冷たい段差に腰を下ろし、膝の上に広げた古びたポケットラジオと対峙していた。


 それは先日、市役所の備品倉庫の隅、瓦礫の下で押し潰されるようにして見つけ出した代物だ。

 外装のプラスチックはあちこちが欠け、アンテナは中ほどで無惨に折れ曲がっている。

 康二は、救護所から密かに分けてもらった少量のアルコールを脱脂綿に浸し、

 接点が錆びついた回路を一つひとつ、外科手術のような手つきで清掃していた。


「……康二くん、まだ粘っているのね」


 背後からかけられた穏やかな声。

 暦が、数冊の古い行政資料と、書きかけのメモを抱えて階段を上がってきた。

 彼女はこの市役所の地下で、過去の記録を整理し、自分たちの歩みを後世に残そうとする

「記憶の番人」のような役割を自らに課していた。


「……電波の増幅器は生きてるんです。ただ、受信側の感度がどうしても戻らなくて」


 康二は眼鏡のブリッジを押し上げ、ピンセットの代わりに使っている細い針金で、

 ラジオの内部を微調整した。

 彼にとって、この小さな機械を直すことは、単なる暇つぶしではない。

 壁の向こう側、この沈黙した世界で、

 まだ自分たち以外の誰かが「声」を発しているのではないかという、

 身を切るような期待の裏返しだった。


 指先がかすかに震え、接点が噛み合う。スピーカーから、

 それまでの死のような静寂を破る「バリッ」という乾いた音が漏れた。

 康二の顔に緊張が走り、慎重にダイヤルを回す。

 しかし、そこから流れてきたのは、誰かの歌声でも、救いを求めるニュースでもなかった。


「……ザー……シュウ……ザザ……ッ……」


 ただの激しい砂嵐のような、ホワイトノイズ。

 康二の期待が、音を立てて崩れ落ちる。

 彼は力なく肩を落とし、スイッチを切ろうとした。


「……ダメだ。電波を飛ばす側が、もうこの国には、

 どこにも残っていないのかもしれない。僕たちが聴いているのは、ただの死んだ世界のノイズだ」


 絶望が、康二の声に色濃く滲む。

 だが、その腕を、暦の白く細い指が静かに、しかし毅然と制した。


「待って、康二くん。切らないで。……よく聴いてみて」


 暦は康二の隣に腰を下ろし、耳をラジオのスピーカーに寄せた。

「この、低く唸るような音の中に、ときどき混じる高い弾音はじきおん

 ……聴き覚えがないかしら。昔の、静かな夏の夜に、

 実家の瓦屋根を叩いていた『雨の音』に似ていない?」


 康二は息を呑み、再びノイズに意識を集中させた。

 言われてみれば、それは無機質な電子信号の残骸というよりは、どこか懐かしく、

 そして慈悲深い自然の営みのようなリズムを刻んでいた。

 ザァ、という深いノイズの合間に、パチ、と微かなノイズが爆ぜる。

 それは確かに、かつての平穏な日々、窓の外で降りしきる雨を眺めていた時の、

 あの心地よい孤独感を呼び起こさせた。


「……本当だ。雨の音みたいだ」


「ええ。情報の海から切り離されて、私たちは独りぼっちになったように感じるけれど。

 ……でも、このノイズは、地球がまだ呼吸をしている証拠なのよ。

 宇宙線や大気の揺らぎ。それをこの小さな箱が拾っているの」


 暦は、膝の上に置いた手帳を愛おしそうになぞった。

「康二くん、あなたが直したのは『通信機』じゃないわ。

 この沈黙した世界で、私たちがまだ『大きな世界の一部』であることを思い出させてくれる

 ……魔法の箱よ」


 康二は、砂嵐の中に文明の残響を聴こうとしていた自分を少し恥じ、そして救われた気がした。

 二人はそれから、ラジオが吐き出す「雨音」をBGMに、かつての世界について語り合った。

 ネット掲示板のくだらない冗談、深夜まで夢中になったオンラインゲーム、

 今は瓦礫の下に埋もれた図書館の蔵書。

 そして、もう二度と新作を見ることが叶わないかもしれない、古いSF映画の結末。


「情報の海は枯れてしまったけれど、記憶の中にだけは、まだ世界が鮮やかに残ってるんですね」


「そう。だから、それを書き留めるのが、私の、そしてあなたの仕事よ、康二くん」


 康二は再び眼鏡を押し上げ、今度は慈しむような手つきでラジオのダイヤルを微調整した。

 ノイズの向こう側に、確かに人類が築き上げた、何十億という人生の重なりを感じながら。

 非常階段に響く「砂嵐の雨音」は、二人の心を、灰色の壁の外側にある果てしない空へと繋いでいた。


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