表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
47/69

【断章:灰色の日常に灯る火②】


 深夜の藤沢市役所。地下ロビーを支配するのは、重く沈殿したコンクリートの冷気と、

 断続的に響く非常用発電機の遠い唸りだ。

 高い天井から降り注ぐ非常用照明の淡いオレンジ色は、

 剥き出しの床に、長く、そしてどこか不吉な歪みを持った影を落としていた。


 その影の淵で、村田沙耶はかつてない強敵と対峙していた。

 彼女の眼前に置かれているのは、血に飢えたレヴァナントでも、狡猾な黒田一尉の罠でもない。

 栞から手渡された、端が少し擦り切れ、色も褪せかかった一枚の青い折り紙だった。


 沙耶の指先は、戦場において「神の領域」と称されるほどの精度を誇る。

 ナイフの柄を握れば、皮膚の下を走る頸動脈の拍動を読み取り、

 コンマ数ミリの狂いもなく刃を滑らせる。

 狙撃銃を構えれば、自身の心臓の鼓動と鼓動の合間、世界が静止した一瞬を見計らって引き金を引く。

 彼女にとって身体を動かすという行為は、

 目的を遂行するための「演算と出力」の結果に過ぎなかった。

 しかし、この正方形の紙を、寸分の狂いもなく正確に半分に折る。

 ただそれだけの、生産的でも破壊的でもない純粋な「遊戯」において、

 その研ぎ澄まされた精度は皮肉にも、彼女の動きを縛り付ける足枷となっていた。


「……角が、合わない」


 沙耶の唇から、微かな、しかし明らかな困惑を含んだ呟きが漏れる。

 折り筋をつけようとする指先が、わずかに震えていた。

 それは銃の反動を抑えるために鍛え上げられた強靭な筋肉が、

 紙という無抵抗な物質に対して、どの程度の「負の出力」をすべきか判断できずに

 混乱している証拠だった。

 彼女にとって、抵抗のない対象を扱うことほど困難なことはなかった。


 隣で膝を突き合わせ、覗き込んでいた栞が、クスクスと喉を鳴らして笑った。

 その屈託のない笑い声は、殺伐としたロビーの空気を、一瞬だけ透明なものへと変えていく。

「さやちゃん、力入れすぎだよ。紙さんが『痛いよー』って言ってるもん。

 もっと、優しく『どうぞ』ってしてごらん?」


 栞の、小さくて驚くほど温かい手が、沙耶の冷たく強張った指をふわりと包み込んだ。

 沙耶の身体が、一瞬だけ強張る。施設での訓練において、他者の体温が自分に触れるのは、

 制圧するか、あるいは制圧されるかの二択しかなかった。

 だが、栞の指先に宿る体温は、沙耶の皮膚を通して、

 彼女の深い場所にある警戒心をじわじわと解かしていく。


「こうやって、ゆっくり……ぎゅっ。ほら、できた!」


 栞に導かれ、沙耶の指が紙の上を滑る。

 戦場において「優しさ」は即ち、判断を鈍らせる致命的なノイズ、あるいは死を招く脆弱さだ。

 しかし、この小さな少女の手から伝わる温もりは、

 沙耶がこれまで「生存に不要」として切り捨ててきた感情を、静かにしかし力強く肯定していた。

 長い時間をかけて完成したその折り鶴は、お世辞にも美しいとは言えなかった。

 首は曲がり、左右の翼は非対称で、今にも崩れそうなほど頼りない紙の塊。


 沙耶は、その歪な形を掌に乗せ、食い入るように見つめた。

 施設で叩き込まれた「効率」や「殺傷能力」という物差しでは、測ることすらできない。

 何の役にも立たず、腹を満たすこともなく、敵を退けることもできない無価値な存在。

 しかし、その小さな翼を指先でなぞったとき、沙耶の胸の奥で、

 厚い氷がパキリと割れるような、鋭くも温かい衝撃が走った。


「……飛ぶのか、これは。この、不完全な翼で」


「うん! さやちゃんが持ってれば、どこにだって飛んでいけるよ。

 お外の怖いのがいないところまで、きっと連れて行ってくれるの」


 栞の無邪気な瞳が、沙耶を射抜く。沙耶は返事をしなかった。

 ただ、その歪な鶴を、戦術ベストの胸ポケットへ、予備の弾倉よりもずっと慎重な手つきで収めた。

 コンクリートの床に座り込み、小さな紙を折る。

 そんな無意味な時間の積み重ねが、彼女の中に「守るべきもの」という名の、

 最も重い戦術的価値を刻み込んでいた。


 ポケットの中で、紙の翼が微かに触れる。

 それは、血の通った人間だけが知る、静かで、しかし何よりも確かな「充足」という名の戦果だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ