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REVENANT: SHONAN ZERO  作者: 狐目の仮面
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第一章:生存への選択 [第四話] 心配


 沙耶の不器用な慰めによって、ほんの少しだけ心の平衡を取り戻した工藤奈々は、震える遠藤桜を支えながら、教室の隅へと移動した。周囲では、新井恭二の指示のもと、男子生徒たちが必死の形相で机や椅子を運び、教室の入口にバリケードを築き始めている。その物々しい雰囲気と、未だ耳に残る異様なうめき声、そして鼻を突く血の臭いが、奈々にこれが悪夢ではない現実なのだと容赦なく突きつける。

(お父さん…お母さん…)

不意に、奈々の脳裏に昨夜の、いや、ほんの数時間前の光景が鮮明に蘇った。温かい湯気を上げるハンバーグ、冗談を言って笑う看護師の父・雄介、優しく相槌を打つボランティア活動に熱心な母・恵美。食卓を囲む、当たり前だったはずの家族団らんの光景。

『パパ、今日もお仕事お疲れ様』

『おう、ありがとうな、奈々。今日はね、病院もなんだかバタバタしててさ…』

父の何気ない言葉が、今となっては不吉な予兆のように感じられる。病院は今、どうなっているのだろうか。父は無事なのだろうか。母は?昨日の朝、イベントの準備で忙しそうにしていた母の笑顔が、涙で滲んで見えなくなる。

「うっ…」

奈々は、込み上げる嗚咽を必死に堪えた。今、自分が泣き崩れてしまってはダメだ。桜ちゃんも不安がっている。それに、沙耶ちゃんも、恭二くんも、みんな必死に戦おうとしている。

(しっかりしなきゃ…私もしっかりしなきゃ…!)

失われた日常への耐え難い悲しみと、家族の安否を気遣う切実な想いが、逆に奈々の心に小さな灯をともした。それは、この絶望的な状況の中で、自分が何をすべきかを見据えようとする、か細いが確かな意志の光だった。彼女は桜の背中を優しくさすりながら、深く息を吸い込んだ。


「そっちの机はもっと入口に近づけて!」「ロッカーもだ!横にして積み上げろ!」

新井恭二の声が、混乱と恐怖が支配する教室に響き渡る。学級委員として培ってきた責任感と、目の前の危機感が、彼を突き動かしていた。しかし、その額には脂汗が滲み、指示を出す声も時折上擦る。クラスメイトたちの怯えた視線、未だパニックから抜け出せない女子生徒たちの泣き声、そして何よりも、村田沙耶という存在の圧倒的な異質さが、彼の肩に重くのしかかっていた。

(俺が…俺がしっかりしなきゃ、みんな死ぬ…でも、どうすれば…沙耶さんは、一体何なんだ…?)

彼女の戦闘能力は頼りになる。いや、頼りにするしかない。だが、あの人間離れした冷静さと、ためらいのない殺傷行為は、恭二の倫理観を激しく揺さぶっていた。

「…恭二」

不意に、低い声がかけられた。振り向くと、そこには幼馴染の加藤正人が、重い教卓を軽々と持ち上げながら立っていた。彼の額にも汗が光っているが、その表情は普段と変わらず落ち着いているように見える。

「これ、どこに置けばいい?」

「あ、ああ…そこのバリケードの一番手前に…」

恭二が指示を出すと、正人は黙って教卓を運び、寸分の狂いもなく配置した。そして、再び恭二の隣に戻ってくると、その大きな手で、ポン、と恭二の肩を軽く叩いた。

「…お前なら、できる」

短い、しかし確信に満ちた言葉だった。

恭二は、正人のその真っ直ぐな瞳を見返した。幼い頃から、いつもこうだった。自分が何か新しいことを始めようとする時、あるいは困難に直面した時、正人は多くを語らず、ただ黙って自分を信じ、隣にいてくれた。

その無言の信頼が、プレッシャーで押し潰されそうになっていた恭二の心を、強く支えた。

「…ああ、ありがとう、正人」

恭二は深呼吸し、改めてクラスメイトたちに向き直る。まだ恐怖はある。不安も消えない。だが、やるべきことは明確だ。

「みんな、もう少しだ!力を合わせて、ここを安全な場所にするぞ!」

彼の声には、先ほどよりも確かな力が込められていた。


 恭二の力強い声に後押しされ、三年B組の生徒たちは一心不乱に動いた。男子生徒たちは教室の入口と窓際に机や椅子、ロッカーを運び込み、応急のバリケードを築き上げていく。女子生徒たちは、カーテンをしっかりと閉め、恐怖に震えながらも、教室内で使えそうなものを探し始めた。宮増康二は、依然として不安定な通信状況の中、タブレットで学校のサーバーへのアクセスを試み続けている。村田沙耶は、バリケード構築の指示を的確に飛ばしながらも、その意識の大部分は廊下の向こう側、そして窓の外の気配に注がれていた。彼女の鋭敏な五感は、次なる脅威の接近を常に警戒している。

やがて、教室の入口はうず高く積み上げられた障害物で辛うじて塞がれ、窓も机やロッカーで補強された。つかの間の、しかし息詰まるような静寂が教室を支配する。生徒たちは荒い息をつき、汗を拭い、互いの顔を見合わせた。誰もが疲労と恐怖で青ざめていたが、その瞳には、先ほどまでのパニック状態からは抜け出した、ある種の連帯感のようなものが微かに灯っていた。

新井恭二は、バリケードの隙間から廊下を窺いながら、隣で黙々と最後の補強作業をしている加藤正人の横顔を見つめた。汗と埃にまみれたその顔は、普段の穏やかな表情とは程遠い。だが、その瞳の奥にある揺るぎない力強さは、いつもと変わらなかった。

(正人…お前がいなかったら、俺はとっくに心が折れてたかもしれないな…)

ふと、恭二の脳裏に、ほんの数ヶ月前の、ありふれた日常の光景が蘇った。部活が終わった後、制服のまま正人と二人で駅前のコンビニに立ち寄り、肉まんとアメリカンドッグを頬張る。くだらない冗談を言い合い、明日の小テストの心配をし、次の日曜日にどこへ遊びに行くか相談する。それが、当たり前の毎日だった。

『なあ恭二、次の大会のレギュラー、俺ら二人で取ろうぜ』

『当たり前だろ。そのためにも、今日の練習試合、絶対勝つぞ!』

あの頃は、こんなことになるなんて、夢にも思わなかった。コンビニの温かい肉まんの味が、やけに鮮明に思い出される。恭二は、今の状況とのあまりのギャップに、奥歯を強く噛み締めた。

(あの日常は…もう、戻らないのか…?)

だが、感傷に浸っている暇はない。守るべき仲間がいる。そして、隣には、変わらず自分を信じてくれる親友がいる。恭二は、正人の肩を一度強く叩いた。正人は、何も言わずに頷き返す。言葉はなくても、二人の間には確かな信頼が通い合っていた。

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