深淵探索 その三
我々はリャナルメから有意義な情報をいくつも聞くことが出来た。まず、この無限に広がっているかのように思える深淵だが、意外にも狭い場所であるらしい。深淵はすり鉢状になっている訳だが、中央部から離れるように真っ直ぐ進むといつの間にか反対側に出てしまうらしいのだ。
気付かぬうちに【時空魔術】の影響下にあると考えるべきか、単に深淵はそういう設定になっていると考えるべきか。何にせよ深淵にも限界があると知れたことはありがたい。あてもなく動き続けるのは苦痛であるからだ。
次に深淵には今の私達がいるような場所がいくつもあるらしい。どうやらこの建物は古代人が住んでいたアパートらしく、現在は『深淵に飲まれし無名遺跡』と表示されている。この深淵にはこのような古代文明の残骸がいくつも沈んでいるようだ。散見された島のような場所、古代文明の遺跡だったのである。
その中でも妖人にとって住みやすい場所の一つがここらしい。他の遺跡の残骸には別の妖人の村もあるようだが、中には会話の通じない凶暴な魔物の巣もあるのだとか。リャナルメ達との出会いに油断していると、凶暴な魔物に襲われていたかもしれないな。
最後に深淵を満たす軽液の中だが、当然のように魔物が住んでいるらしい。深淵の中央部に近付けば近付くほど強く巨大な魔物が住んでいるが、逆に中央部から離れれば離れるほど弱く小さな魔物が住んでいるようだ。
この村の周囲にはそこそこの強さの魔物がそこそこの数潜んでいるらしいが、妖人の強さを感じ取って避けていると言う。シュネルゲという英霊を排出しただけあって、妖人は相当に強力な種族なのかもしれない。
ちなみに外縁部には小突いただけでも倒せるような魔物しかいないそうだが、ある意味で中央部よりも危険な場所だとリャナルメは警告する。何故なら、その数が膨大過ぎて洒落にならないレベルであるからだ。
七甲が好んで用いる戦法なので、群れの強さはよく知っている。リャナルメの忠告を軽視するつもりはなかった。
「ああ、一つだけ申し上げるべきことがありました。実はこの深淵には我々妖人の他にも理性的な者達がおります」
「ほう、それは?」
「千足魔。かつて古代人によって変異させられた蛸の魔物、その末裔です」
◆◇◆◇◆◇
「貴重な情報に感謝する。本当にありがとう」
「いえいえ。これから我らの村へお立ち寄り下さいませ」
「近い内にまた寄らせてもらう。その時には土産も持ってこよう」
「地上のモノなら皆が喜びますわ」
リャナルメから様々な情報を聞いた私達は十分な収穫を得たとして今日のところは引き上げることにした。リャナルメから得た情報を持ち帰るだけでも成果だと言える。後はこの情報を持ち帰った上でこの妖人の集落と交流を深め、交易するようになれば嬉しい限りだ。
妖人の住む『深淵に飲まれし無名遺跡』にはキノコが生えているのを見かけたが、彼らはそれを収穫しているらしい。ひょっとして栽培しているのだろうか?もしそうなら分けてもらいたい。後日、交渉してみよう。
あと、大昔に地獄の獄吏が来なかったかと尋ねたのだが、少なくともリャナルメは知らないとのことだった。ならば彼らはどうなったのか?単純に魔物に殺られたというのが最も確率が高い推測だ。
しかし、実はリャナルメ達と揉め事を起こして倒されたという可能性もある。隠しているのか、本当に知らないのか。それを判断する材料すらもない中で色々と教えてくれたリャナルメ達のことは信じたい。信じたいのだが、万が一ということもある。今のところは妖人を盲目的に信じることは止めておこう。
リャナルメ達に見送られながら、私達は来た方向へと帰っていた。その最中、私は忘れかけていた『深淵の軽液』の採取を行う。どうしても自分で触れたくなかったので、空き瓶を放り込んでから闇腕で回収した。
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深淵の軽液 品質:可 レア度:R
世界の底に位置する深淵を満たす液体、その中でも軽いもの。
成分のほぼ全てが水であり、使い道はほとんどない。
深淵の力は弱いものの、深淵に近い存在が接触すればわずかに魔力が回復する。
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一応【鑑定】してみたところ、表示された文章は異なっていた。第一に品質が『可』になっている。深淵を満たす海から直接汲み取ったのだから当然っちゃ当然だ。むしろここで劣化しているのなら、劣化していない場所を探す方が難しいだろう。
第二に、誠に遺憾であるがこのベタベタした液体は私にとって神の雫とでも言うべき恩恵をもたらしてくれる液体であるらしい。魔力の回復は魔術師にとって継戦能力に直結する効果と言える。精製すれば効果も上がるのだろうか?しいたけに渡すのが楽しみだ、と独りごちながら私はこれをインベントリに放り込んだ。
「それにしても、一度も戦闘が起きませんでしたね。少し残念です」
「うむ。ちと消化不良じゃのぅ」
「…そんな二人に朗報だよ。下から何かの群れが来てる」
戦闘が発生しなかったことを嘆いていたエイジと源十郎の期待に応えるかのように、ルビーが敵の接近に気付いて警告する。私は浮かんでいるので問題はないが、エイジの立っている軽液の揺れているらしい。彼は一瞬だけバランスを崩しかけた。
だが、エイジは慌てず騒がず体勢を持ち直す。そしてどっしりと腰を落として盾を構えると、いつ敵が現れても良いように待ち構えた。
「おおおっ!?」
「これは…何じゃ?」
そんな深淵の海から飛び出して来たのは、灰色の魚のような何かだった。何か、という表現になったのには理由がある。それは二等辺三角形を組み合わせた正八面体だった。片側には尾ビレのような正三角形の板のようなモノがあり、もう片方は口のように二股に分かれている。
口らしき場所はツルリとしていて牙などはない。ただただ真っ黒な空間が広がっている。魚モドキの大きさは中型犬ほどの大きさなのに、口の奥が全く見えないのはどこか空恐ろしい雰囲気を漂わせていた。
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種族:深淵魚 Lv52〜58
職業:Lv2〜8
能力:【大口】
【柔魚皮】
【体力強化】
【防御力強化】
【器用強化】
【知力強化】
【精神強化】
【闇魔術】
【呪術】
【呪言】
【限定水棲:深淵の海】
【完全盲目】
【聴覚鋭敏】
【打撃耐性】
【刺突脆弱】
【闇属性耐性】
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名前は深淵魚。魚のような、ではなく本物の魚だったらしい。ステータスを見ると、深淵の環境に適応した深海魚のような存在であるらしい。
泥のような軽液によって水中の視界など一切届かないので、目は退化して消えてしまったのだろう。一方で聴覚は鋭く、使える魔術もこれまで遭遇した魚系の魔物がほとんど使えていた【水魔術】が使えない。代わりに【闇魔術】に加えて深淵系魔術と分類される【呪術】が使えると、限界まで深淵の海に適応した魚であった。
深淵の魚という特異性には感心するものの、レベル的には大した相手ではない。むしろかなり余裕がある。数も五匹とこちらよりも少ないが、油断して足元を掬われるのは馬鹿馬鹿しい。慎重に行こう。
「レベルは50代だが油断するな。相手は【呪術】を使ってくるぞ。【呪言】という怪しい能力もある。弱点は刺突、耐性は打撃だ」
「わかり!ました!よっと!」
「ふむ、ならば槍に変えようかのぅ」
私の報告を聞きながら、盾で飛び付いてくる深淵魚を叩き落していたエイジは武器を愛用の斧からウォーピックに切り替え、源十郎は槍を取り出す。ルビーも刺突に特化した短剣を装備していた。
ミケロは特に変化ないものの、彼にぶら下がっているネナーシはそのツルを縒り合わせて馬上槍のような形状に変えている。物理での攻撃が主体になる者達は、それに対応した装備や能力を持っているのだ。
「うわっ!?」
「丸呑みにする気か?」
真っ直ぐに突っ込んだ深淵魚は、その口を大きく開ける。深淵魚そのものは中型犬程度の大きさなのに、その口はエイジすらも飲み込めるほどに広がった。この口で獲物を丸呑みにするのが深淵魚の狩りなのだろう。
だが、そんな攻撃が通用する私達ではない。エイジがアッパーカットの要領で盾を叩き付け、弾かれたところを源十郎の槍やネナーシの蔓が貫く。ミケロの魔眼とルビーの短剣に仕込まれていた毒が体力を確実に奪っていった。
接近戦は分が悪いと察したのか、深淵魚は【呪術】によって我々の弱体化を狙っている。だが、私の解呪によって解除されので効果はなかった。
「コオオォォ…」
「シュオォォ…」
深淵魚はあまり打たれ強い訳ではないようで、瞬く間に倒れていく。その度に風船から空気が抜けるような気の抜けた音が聞こえてくる。実際、深淵魚の死骸は空気の抜けたゴム風船のようなシワシワの残骸を残すのみだった。
間の抜けた音であるのにどこか恨めしげな深淵魚の断末魔を聞きながら、我々は危なげなく片付けた。海に浮かぶ死骸を回収しつつ【鑑定】してみる。その結果は以下の通りであった。
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深淵魚の柔軟皮 品質:劣 レア度:S
深淵の海にのみ生息する深淵魚の皮。
柔軟性に優れ、数倍の大きさにまで伸びる。
穴が空いているため品質は下がっている。
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ああ、これはあれか。耐性のある打撃で倒さなければ品質が下がるタイプか。倒し方にこだわる必要がある素材は集めるのが面倒だが、良い素材である可能性が高い。この情報は皆と共有しておこう。
「ちょっと待って…何かがメチャクチャ一杯来るよ!?」
「何だと?」
【鑑定】の結果を伝えようとしたのもつかの間、ルビーが悲鳴を上げるように警告する。その直後、深淵の海から深淵魚の大群が押し寄せて来た。
その数は百をゆうに超えているだろう。逃げるのはもう間に合わないので、迎え撃つしかない。私達は顔を引きつらせながらも連戦に備えるのだった。
次回は1月30日に投稿予定です。




