地獄穴の戦い 開戦
進軍を開始してから数時間後、幾度かの休憩と襲撃を経て遂に件の大きな縦穴が見える小高い丘にまでやって来た。南方の海がよく見えるこの丘のことは土地の地理に明るい疵人と四脚人からこの場所の存在を聞いていて、ここは布陣する場所としての第一候補としていた。
縦穴が上から一望出来る上に、開けた場所なので敵がどこから来るのか一目でわかる。同時にこちらが隠れる場所もないのだが、無いのならば作れば良い。その準備はきっちり行っている。
件の縦穴はイベントで潜ったものに比べて圧倒的に大きく雰囲気が異なっている。穴の直径は一キロメートル以上はあり、盛り上がった穴の縁には岩が盛り上がっている。その岩は瘴黒岩と赤茶色の岩が混ざっているのだが、この岩は何故か激しく炎を噴き上げていた。
燃える岩は見たことがないが、四脚人の口伝によるとあの穴は地獄に繋がっていると聞く。ひょっとしたらあれは地獄の鉱物なのかもしれない。
「ウヨウヨと無数に居るな…地面にも空中にも。頭数だけならこちらよりも遥かに多いぞ」
「そうだなァ、兄弟。こんだけ居りゃァ強ェ奴もいそうだぜェ」
巨大な穴の周囲には蟻の群れのように、上空には蚊柱のようにとてもではないが数えきれない獄獣がたむろしている。あれを全て倒すのはおそらく無理だ。追い返すか、数を減らしてから穴を塞げれば…いや、あの大きさの穴を埋めることの方が無理か。
私が頭を悩ませている間も、ジゴロウは楽しそうに笑いながら拳をぶつけている。目を凝らす必要もなく、無数の獄獣に交ざって明らかに形状が異質な個体や大型の個体がいたのだ。
あの辺の大物は数の力では太刀打ちできない可能性がある。その場合は個人の武勇で打ち倒して貰わなければ厳しく、そうなると任せられるのはジゴロウや源十郎、邯那のような凄腕だけだ。その大物が無数に居たなら…その時は疵人達のような住人達を逃がすのに全力を尽くすか。
「まだ此方に気が付いておらんようじゃが…それにしても、この音は何かのぅ?」
源十郎の言う通り、穴の近くにいる獄獣達はまだ我々に気付いた様子はない。もし気付いていたなら連中の性質上、即座に襲い掛かっているからだ。
この丘までたどり着いたことを気付かれていないのは好都合である。最も良い立地を確保し、戦いの準備も行えていることは僥倖であろう。
各種族の主だった者達は、すでに事前に決めた通りに動いている。彼らの準備は大体終わっていて、後は戦いが始まるのを待つばかりだ。ちなみに、シラツキと航空戦力は縦穴から見て丘の向こう側に待機させている。空に浮かぶ巨大な戦艦が近付けば、流石に襲ってくるだろうと予想されたからだ。
「ゴーゴーってずっと鳴ってるよね。風の音なのかなぁ?」
源十郎の肩の上でプルプルと表面を震わせながら、ルビーが疑問を口にする。この疑問はきっとこの軍に所属している者ならば誰もが抱いていることだろう。それほどに大きな音が縦穴の中から断続的に聞こえてくるのだ。
単なる風の音なのか、地獄とはあのような音がずっと鳴り響いている騒がしい場所なのか、それとも縦穴と繋がっている場所が特別なのか。どれが正解なのかは全くわからないが、確証もなく決めつけるのは良くないだろう。
「もしかしたら途轍もない大物の獄獣がいるのかも知れませんよ?穴を通るのもやっと、って感じの怪獣みたいなヤツが」
「その声ってこと?嫌なこと言わないでよね」
エイジがニヤリと笑いながら冗談を言うと、兎路が嫌そうに顔を顰めた。確かにそれは嫌だなぁ。巨大な敵とは少し前にイベントで戦ったばかりだし、その厄介さは骨身に染みている。しばらくはそんな相手と戦いたくはないものだ。
そんなことを話している間にも、穴からの音はずっと続いている。この音をBGMに戦うことになるのだろうか?いや、戦闘になれば音など気にしてはいられなくなるか。
「イザーム殿、準備は整ったようであるぞ」
私がどうでもいいことを考えていると、四脚人のレグドゥス殿がやって来て報告してくれた。私は頷くと、クランチャットでシラツキの艦長代理として残ってくれているアイリスに伝えた。戦闘開始、と。
チャットを送って数秒後、シラツキの動力が稼働して浮かび上がっていく。同時に起動した飛行型魔導人形がその周囲を飛び始め、護衛としてカルとモッさん、七甲と彼が召喚した鳥類も大空へと姿を表した。
「「「ギャギュギャアアァァァァ!!!」」」
空中に現れたシラツキを見た獄獣達は、耳障りな雄叫びを上げながら大挙して襲い掛かってきた。それは空中も地上も同じであり、これだけでも獄獣の好戦的な性格が良くわかるというものだ。
「工夫も何もなく、ただ真っ直ぐに来るのも恐ろしいが…だからこそやり易いというものだ。最初の一発は任せるぞ、アイリス」
私の呟きが聞こえる訳がないのだが、まるで計ったようなタイミングでシラツキの船首から極太の光線が放たれた。
◆◇◆◇◆◇
「計器類のチェックは終わって…うーん、もう一回しておこうかなぁ」
シラツキの艦橋にて、艦長代理を任されたアイリスは落ち着かないように今日何度目かの計器類のチェックを終えていた。彼女がそわそわしている原因は、大きな戦いを前にしての緊張なのは明白である。
「アイリス様、少し休憩されてはいかがでしょう?先程から同じ作業を繰り返しておられます」
「そーそー。気楽に行こうぜー」
同じく艦橋にいたトワは心配そうに休憩を促し、しいたけはカラカラと笑いながら椅子にもたれ掛かって短い脚を組んでいた。トワはともかく、しいたけは寛ぎ過ぎなのではないかとアイリスは思ったが、彼女は二人の言う通りだろうと思って触手を垂れさせた。
「うぅ…何かしてないと落ち着かないんです」
「生産組は実際の戦闘だと役に立ち難いからねぇ。気持ちはちょっとだけわかるぜ、艦長代理」
「ですが、アイリス様としいたけ様は戦力の拡充に努められたではありませんか」
しいたけはうんうんと腕を組んで何度も頷いた。アイリスとしいたけの二人は生産職であるが故に、戦闘力ではクラン内で最も低いと言わざるを得ないのだ。
だが同時に、トワが訴えるように事前の準備では二人が最も働いていることは言うまでもない。アイリスは武具の生産と戦術殻の改良、しいたけは魔導人形兵団の製造と各種薬品を充実させている。シラツキに搭載されている古代の技術が結集した工房の力があってこその生産体勢だが、二人の尽力があってこそ今ある戦力を用意することが出来たのは誰もが知る事実であった。
「それはわかっていますし、自分の仕事に自信もありますよ。でも、いざ戦いだって時に自分は安全なシラツキから砲撃を繰り返すだけなのは申し訳ない気持ちになっちゃうんです」
「真面目だねぇ、アイリスは。アバターですら動かすのが苦手なこのしいたけさんなんて、戦場に立つ必要がないって言われてホッとしてるくらいなのに!」
しいたけはそう自嘲して責任感が強すぎるアイリスの不安を笑い飛ばした。それを見たアイリスは、しいたけを見習って何事も難しく考える癖を直した方が良いかもしれないと自戒していた。
「お言葉ですが、アイリス様。敵の航空戦力は想定よりも遥かに高いと報告がされています。シラツキの計算によると主砲によって大多数を葬り去ることが出来るようですが、それでも空中は激戦になるとの予測です」
「うへぇ…聞きたくなかったぜぃ」
トワの予測を聞いて、しいたけはガックリと肩を落とす。シラツキの性能は破格であり、生半可な攻撃では撃沈することはないと知っている。にもかかわらず激戦になるとトワが断言しており、それをシラツキのAIも否定しないことから自分達も楽が出来るわけではないのだと思い知ったのである。
空中の戦いも激しいものになるとするなら、甲板にいる鉱人と空を飛べる仲間達もその渦中に放り込まれることになるだろう。上空から地表に向かって撃ち下ろすだけの簡単な作業ではないと、既に敵の数を見た彼らも理解して気を引き締めていた。
「なら、最初の一撃はとっても重要な…あっ。イザームから連絡です」
「大将は何だって言ってる?」
「戦闘開始、だそうです。シラツキ、発進!」
『了解シマシタ』
そんな折り、イザームから戦闘開始を告げるチャットが届いた。艦長代理としてシラツキを任されているアイリスは、空中に浮上するように命令する。するとシラツキは短い返事と同時にエンジンを唸らせて空中に浮かび上がった。
地面から隠れる場所のない空中に上昇したシラツキは、即座に発見されて無数にいる飛行型の獄獣が真っ直ぐに突撃してくる。甲板にいる鉱人は身構え、飛行可能な者達はその翼を羽ばたかせた。
だが、先走って攻撃を仕掛ける者は一人もいない。それは作戦が全員に伝わっているからだった。
「主砲、展開します」
艦橋でトワが操作すると、シラツキの船首が二つに分かれて内側から四本の金属棒のようなモノが迫り出して来た。前から見ると正方形に見える棒はゆっくりと、しかし徐々に加速しながら回転していき、数秒後には一本の円筒に見えるようになった。
これがシラツキに搭載されている中で最も強力な兵器である主砲だった。四本の棒の中心にある部分は激しく発光しており、その輝きは直視するのも難しいほどだった。
「魔力充填も完璧!何時でも撃てるよん!」
「シラツキ、最も多くの敵を巻き込むことが出来るように照準してください」
『ロックオン、完了シマシタ』
「じゃあ…発射!」
しいたけは準備は整ったと報告し、シラツキは素早く最も効果的な弾道を計算する。そしてアイリスは開戦の合図となる主砲を発射した。これが後に『地獄穴の戦い』と呼ばれる戦争の開戦を告げる嚆矢となるのだった。
次回は9月30日に投稿予定です。




