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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第88話 捨てられた文明


訓練場の端に、小銃が並んでいた。

置き忘れではない。訓練前に、全員がそこで一度装備を置かされる。銃口の向き、弾倉の有無、安全確認。いつもの手順を踏んだあと、銃はラックへ収められた。

その隣に、別の装備が並んでいる。

盾。長柄の打撃具。短い鉈に似た刃物ではなく、刃を潰した試作品。捕獲用の網。太い繊維で編まれた拘束索。耐切創手袋。膝や肘を守る防具。見慣れた自衛隊の訓練場に、どこか警備会社と工事現場と古い戦場を混ぜたようなものが置かれていた。

一等陸曹の真壁は、自分の小銃をラックへ戻し、少しだけ手を止めた。

長年、手に馴染ませてきた重さだった。

訓練で何度も構えた。分解し、整備し、射撃姿勢を叩き込まれた。災害派遣でも警備でも、実際に撃つ場面がなくても、それは自分たちが持つ力の形だった。

だが、今から行う訓練では、その力を主役にしない。

「捨てるわけじゃない」

隣で誰かが小さく言った。

若い三曹だった。自分に言い聞かせたのか、周囲へ向けたのかは分からない。

真壁は答えなかった。

訓練開始前、隊員たちは簡易の講義を受けていた。大型の画面には、水門事案の加工済み映像と、命中後も停止しない敵性生物の動きが映されている。何度も見た映像だ。画面の中で、弾が当たる。肉が裂ける。体勢が崩れる。だが、敵は止まらない。少なくとも、人間が期待する速度では止まらない。

講師役の幹部は、感情を入れずに説明した。

「銃火器は無効ではない。損傷は与えている。怯ませる場合もある。進行方向を変えさせる場合もある。ただし、通常の対人戦闘における停止効果を、そのまま期待することはできない」

何人かが、表情を変えずに聞いていた。

自衛隊員にとって、それは重い言葉だった。

当たっているのに止まらない。

撃っているのに止まらない。

それは、技量の否定ではない。だが、技量の置き場所を変えろと言われているのと同じだった。

「今後の異常空間対応では、銃火器を放棄するわけではありません。対人脅威、撤退支援、音響誘導、限定的な制圧、緊急時の選択肢として保持します。ただし、敵性生物への主たる停止手段としては、近接制御、進路制限、関節部・脚部への破壊、拘束、撤退路確保を組み合わせます」

画面が切り替わる。

盾を持った隊員二名が敵役の進路を狭め、長柄の打撃具を持った別の隊員が脚を払う。後列が網を投げ、拘束索で動きを鈍らせる。綺麗な映像ではない。泥臭く、遅く、危なっかしい。それでも、机上の理屈よりは現場に近かった。

「目標は討伐ではありません。撤退可能な状態を作ることです。相手を完全に破壊するより、自分たちが戻れる形を作ることを優先します」

戻る。

最近、その言葉ばかり聞く。

真壁は画面を見ながら、水門での撤退を思い出していた。現場にいたわけではない。だが、報告書は読んだ。映像も見た。複数方向から接触を受け、非戦闘員もいる隊列で、全員を外へ出した。世間は「自衛隊でも止められなかった」と騒いだが、現場を知る者ほど、あれを単純な敗北とは言わなかった。

全員を戻した。

その事実は軽くない。

だが、それで十分だとも言えない。

十分ではないから、今日、銃を置いている。

訓練場に出ると、隊員たちは班ごとに分けられた。真壁の班は、盾二名、長柄二名、拘束一名、後方記録一名。後方記録には小型カメラが貸与され、隊の動きと接触時間を記録する。これも正式装備ではなく、試験運用だった。

「中世かよ」

若い隊員の一人が、長柄を持って呟いた。

冗談の形をしていたが、声はあまり笑っていない。

別の隊員が盾を持ち上げる。

「中世なら、もっと軽い防具が欲しいですね」

「軽い中世があるか」

そんな会話が短く流れ、すぐに教官の声で切られた。

「無駄口はそこまで。構え」

全員が黙った。

目の前には、敵性生物を模した訓練用の台車がある。低く、速く、横へずれる。ゴム製の突起がついており、正面から受けると普通に痛い。人間相手の訓練ではない。人間なら一拍ためらう動きも、この台車はしない。

「開始」

台車が走る。

盾の一枚目が正面を受ける。音が鳴った。二枚目が斜めから入り、進路を壁側へ押す。長柄が脚部に見立てた突起を叩く。空振り。台車がすり抜ける。

「止めろ」

教官の声。

やり直し。

二回目。盾が遅れる。長柄が味方の動線を塞ぐ。

やり直し。

三回目。網が早すぎて味方の盾に絡む。

やり直し。

銃なら、距離と姿勢と呼吸がある。もちろん簡単ではない。だが、当たるか外れるかの線が見える。

これは違う。

隊全体が一つの道具にならないと、敵は抜ける。誰かが焦れば、味方の邪魔になる。誰かが強く当てれば、列が崩れる。近い。音も、息も、肩のぶつかり方も、全部が近い。

真壁は汗を拭う暇もなく、盾の位置を修正した。

「一枚目、正面で止めに行くな。受けて流せ。二枚目は押すんじゃなくて逃げ道を消せ」

自分で言ってから、少し嫌な気分になった。

言葉が、銃のものではない。

撃て。狙え。制圧しろ。そういう言葉ではない。

流せ。逃げ道を消せ。絡めろ。崩せ。

これまで当然のように持っていたものが、一枚ずつ剥がされていくようだった。

休憩時間、若い三曹がラックの方を見た。

「正直、銃を置いてこれをやるの、まだ慣れません」

真壁はスポーツドリンクを飲みながら、同じ方向を見た。

小銃は整然と並んでいる。手入れされ、管理され、必要ならすぐ持てる。捨てられたわけではない。だが、今この瞬間の訓練場では、主役から外されている。

「俺も慣れない」

真壁がそう言うと、三曹は少し驚いた顔をした。

「慣れてるのかと思いました」

「慣れてるように見せる訓練は受けてる」

「それ、慣れてないってことですよね」

「そうだな」

三曹は少しだけ笑った。

その笑いはすぐに消える。

「これ、外から見たらどう見えるんですかね。自衛隊が銃を捨てて棒持ってるって」

「好きに言われるだろうな」

「ですよね」

「だが、言われるために訓練してるわけじゃない」

真壁はラックから目を離した。

「撃って止まらない相手がいる。なら、止まるまでの時間を稼ぐ方法を作る。全員を戻す方法を増やす。銃を置くのは、そのための訓練だ」

三曹は黙った。

たぶん、納得したわけではない。ただ、反論する言葉が見つからない顔だった。

それでいい。

簡単に納得できる方が危ない。

午後の訓練では、実際の異常空間を模した屋内施設に移った。狭い通路、急な曲がり角、低い天井、足元の段差。照明はわざと不均一にされている。敵役は人間ではなく、リモコン操作の台車と、防具を着た隊員が混ざる。

銃を構えれば、射線が通らない場所が多い。

味方が前にいる。壁が近い。跳弾の想定区域が赤く塗られている。後方には要救助者役の人形が置かれている。

ここで撃つのか。

撃てるのか。

撃ったとして、止まるのか。

答えが全部、足元を重くした。

「接触」

先頭の声。

盾が入る。長柄が横から突く。敵役が倒れずに前へ来る。真壁は一歩下がり、要救助者役との距離を確認する。撤退路が狭い。

「右を閉じろ。下がるな、斜めに流せ」

自分の声が通路に響いた。

二枚目の盾が壁側を塞ぐ。拘束索が足元へ落ちる。敵役の動きが乱れた。長柄が膝に入る。倒れたところを押さえ込まず、隊列はすぐに後退する。

「撤退」

全員が下がる。

敵を倒しきったわけではない。完全に勝ったわけでもない。

だが、要救助者役は外へ出た。

教官が時計を止める。

「今のは良い。倒したことより、戻ったことを評価する」

また、戻る。

真壁は息を整えながら、通路の奥を見た。敵役が起き上がり、防具を直している。台車も壁際で止まっている。訓練だから終わる。現場では、終わらないかもしれない。

それでも、戻るための形を一つ覚えた。

訓練終了後、装備返却所で長柄と盾を戻した。汗と土の匂いがついている。手のひらには、手袋越しでも分かる疲労が残っていた。

その横には、小銃のラックがある。

朝と同じように、整然と並んでいる。

真壁は自分の小銃を受け取り、状態を確認した。慣れた重さが手に戻る。安心する。だが、その安心だけを持って異常空間へ入ることは、もうできない。

銃だけで何とかなるという考えは、今日の訓練場で少し削られた。

出口の横では、次の班が盾と長柄を受け取っていた。若い隊員が嫌そうな顔で持ち上げ、教官に何か言われて背筋を伸ばす。

そのさらに奥には、小銃のラックがある。

銃と盾と長柄が、同じ訓練場に並んでいた。

真壁はその横を通り過ぎ、外へ出た。

背後で、金属のラックに装備が戻される音がした。

次の班の訓練が始まる音だった。


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