第410話 助けてもらった側
黒瀬が呼び出した時、最初に来たのは長谷だった。
片瀬が続き、榊と八木がほとんど同時に入ってくる。五人で使うには少し広い打ち合わせ室だったが、黒瀬は端末を中央へ置いただけで資料を投影しなかった。
「先に言っておく。今日は攻略の話じゃない」
「珍しいな」
榊が椅子を引く。
「例の人の件?」
八木が座る前に聞き、長谷の顔がすぐそちらを向いた。
「何かあったの?」
「確認できた範囲だけ話す」
黒瀬は全員が座るのを待った。
「峰岸さんがANVILへ、あの人を五層ボスの共同攻略に出してほしいと打診した。そこまでは知ってるな」
四人とも頷く。
アビス・ラインの最前線攻略組が別ダンジョンの五層ボス前まで到達した。戦力に余裕を持たせるため、以前自分たちを救助したANVIL所属の匿名探索者へ協力を求める。
そこまでは黒瀬たちにも共有されていた。
「断られたんだろ?」
榊が言う。
「本人が断った、とANVILから返答があった。それで峰岸さん本人がANVIL本部へ行った」
長谷の眉が寄った。
「何しに?」
「本人が本当に断ったのか確認するためだ」
「……は?」
短く声を漏らした八木へ視線を向けず、黒瀬はそのまま話を続けた。
「本人との直接連絡も求めた。ANVIL側は拒否した」
「ちょっと待って」
長谷が手を上げた。
「最初に断られた時点で、本人が嫌だって言ったんだよね?」
「ANVILからはそう返ってきている」
「じゃあ何で行くの?」
「峰岸さんは、ANVIL側で話を止めた可能性を疑ったらしい」
長谷はしばらく黒瀬を見たあと、椅子の背へ身体を預けた。
「それ、本気で言ってる?」
「本人から聞いたわけじゃない。運営側で確認した内容だ」
「確認したって、何で今それがこっちに来るんだ?」
片瀬の問いに、黒瀬は端末へ視線を落とした。
「人材担当がANVIL所属者へ送った勧誘文について、向こうから正式に訂正要求が入った。その確認の途中で、今回の接触経緯も問題になった」
「勧誘文?」
「ANVILでは、本人が希望しても他団体との深層合同探索へ参加しにくい、と読める内容があった」
「事実なのか?」
「違う。だから文面は修正された」
榊が鼻から息を吐いた。
「馬鹿じゃねえの」
長谷がそちらを見る。
「どっちに言ってる?」
「書いた奴」
「峰岸さんには?」
「そっちはまだ聞いてる」
榊は腕を組んだ。
「会いたがるのは分かる」
「分かるんだ」
「俺だって、もう一回あいつの一撃は見たい」
長谷の目が細くなる。
「榊」
「最後まで聞けって。見たいのと、嫌だって言った奴を引っ張り出すために圧掛けるのは別だろ」
榊はそこで黒瀬を見る。
「実際、どこまでやった?」
「ANVILが優秀な探索者を囲っている可能性がある、という話までしたらしい」
「本人が断ったって返事に対して?」
「そうだ」
今度は誰もすぐに話さず、その間に八木が机の端を指で二度叩いた。
「俺らが助けられた件、使ったの?」
「共同攻略を持ち込む根拠としてはな」
「それは最初からそうだろ。俺が聞いてるのは、その後」
八木の声から軽さが消えていた。
「俺らを助けたくらい強い奴だから、アビスでも欲しい。そこまでは分かる。でも本人が嫌だっつってんのに、ANVILが隠してんじゃないかまで行ったんだろ?」
「そういうことになる」
「うわ」
八木は背もたれへ寄りかかった。
「最悪じゃん」
「八木」
「だってそうだろ。俺、あの人に薬まで使ってもらってんだぞ」
胸当てを潰されて意識を失いかけた八木だけではなく、榊も同じ戦闘で致命傷に近い負傷をしている。あの匿名の探索者が入らなければ、二人とも帰れた保証はなかった。
「助けてもらった側が、今度はそいつを引っ張り出す理由になってんじゃん」
八木が言った。
「俺が本人なら二度と助けたくなくなるわ」
「俺も」
長谷の返事は早かった。
「前にも言ったよね。助けてもらって、その直後から引き抜きとか考えるのは違うって」
「言ってたな」
片瀬が頷く。
「その時は、まだ本人に条件を出して選んでもらうだけの話だった」
「うん。それでも嫌だった。でも今回は本人が断った後でしょ」
長谷は両腕を組んだまま、机の上を見る。
「何でそこまでして会わせてもらおうとするの。こっちは命助けてもらったんだよ。その人が隠れてたいっていうなら、放っておけばいいじゃん」
「攻略に使えるからだろ」
榊がそう返すと、長谷がすぐ睨んだ。
「峰岸さんの考えなら、な」
「だから、それが嫌なの」
榊は反論せず、代わりに片瀬が黒瀬へ向き直った。
「気になるのはそこじゃない」
「何だ」
「これが今回だけかってこと」
黒瀬は黙って続きを待った。
「外部の協力者がいる。私たちを助けてくれた。そいつが強い。だから次も使いたい。断られたから、本当に本人が断ったのか疑う」
片瀬は指を一本立てるような仕草を途中でやめ、そのまま手を机へ置いた。
「次に似たことが起きた時も同じ判断になるんじゃないか?」
「可能性はある」
「こっちはこれから深層へ行く側なんだから」
片瀬の声は変わらなかった。
「現場で誰かの判断を信用しないと死ぬ。撤退するか進むか、応援を頼むか諦めるか。そういう時に、上が攻略効率を優先して、本人が嫌がってる協力者まで引っ張り出そうとする組織だと思ったまま潜れるか?」
榊が組んでいた腕を解いた。
「そこまで言うか?」
「お前は平気なのか?」
榊は答えず椅子の背へ寄りかかったが、その横から八木が口を挟んだ。
「俺は無理かも」
「早いな」
「死にかけた側だからな」
「俺もだ」
榊が返す。
「だから迷ってんだよ」
長谷は迷っているようには見えなかった。
「俺は無理」
黒瀬が長谷を見る。
「今日決めろとは言ってない」
「今日じゃなくても変わらないと思う」
「理由は?」
「今言ったでしょ」
「感情だけで決めるな」
「感情だけじゃない」
長谷の声が少し低くなる。
「救護する側だから言ってるんだ。現場で誰かが倒れた時、撤退させるか続けるかで上と揉める可能性があるなら、俺はそっちに命預けたくない」
黒瀬はすぐには返さなかった。長谷が怒っていることと、その判断に理由があることは分けて考える必要があるし、黒瀬自身も同じ部分を気にしていた。
峰岸の攻略方針は前から知っている。アビス・ラインが深層攻略へ資源を集中するからこそ、自分たちもここまで来られた。攻略に必要なら班を組み替え、装備を回し、能力を持つ人間を前へ出す。その方針に不満を持ったことはなかった。
ただ、本人が拒否した後まで、それを攻略資源として扱うのなら話が変わる。
「一つだけ確認する」
黒瀬が口を開いた。
「今のアビス・ラインに、この五人で次の深層を任せられるか」
八木が黒瀬を見たが、長谷は動かず、片瀬もすぐには答えなかった。
「今のままなら嫌だ」
最初に答えたのは片瀬だった。
「俺も」
八木が続く。
「俺は無理」
長谷の返事も変わらない。残った三人の視線が榊へ集まった。
「見るなよ」
「お前だけだぞ」
「分かってる」
榊は天井を見てから、長く息を吐いた。
「俺はアビスのやり方自体は嫌いじゃない。奥へ行きたいし、行ける奴を前へ出すのも正しいと思ってる」
「うん」
「でも、断った奴まで使おうとするのは違う」
榊は身体を起こした。
「俺も抜けるなら一緒でいい」
黒瀬が頷く。
「俺も同じだ」
四人が少しだけ姿勢を変えた。
「じゃあ決まり?」
八木が聞く。
「まだだ」
「何でだよ」
「抜けることと、次へ入れることは別だ」
黒瀬は端末を取った。
「移籍先を決める」
「北辰?」
榊が聞くと、長谷は即座に首を振った。
「ANVIL」
「早いな」
「今回の件がなくても候補にはなるだろ。安全面を見るなら」
「深層は?」
「行きたいなら自分たちで行けばいい」
榊が少し笑った。
「それ、峰岸さんが聞いたら一番嫌がりそうだな」
「知らない」
長谷は本当に興味がなさそうで、代わりに片瀬が黒瀬を見る。
「ANVILでいいと思う。あそこなら、移籍した後に深層へ行くこと自体を止められるわけじゃない」
「受けてもらえる前提で話すな」
「分かってる」
黒瀬はANVILの連絡窓口を開いた。
「五人まとめて移籍を希望する。理由も隠さない。あの人に会わせろとも言わない」
「そこは絶対入れて」
長谷が言った。
「助けてもらった人がいるから移るって思われるのは嫌だ」
「同感」
片瀬も頷く。
「本人がANVILにずっといるのかどうかすら、こっちは知らないしな」
「会えなくてもいい」
八木がそう言うと、榊は少し考えてから肩を竦めた。
「俺は会えたら嬉しいけど」
「榊」
「条件にはしねえよ」
黒瀬は五人を見回した。
「なら送るぞ」
誰も止めなかった。
翌日の午後、ANVIL本部の応接室では、槙野が向かいに並んだ五人を順番に見ていた。
「……確認なんですが」
黒瀬が頷く。
「はい」
「五人とも、ですか?」
「五人ともです」
槙野は手元の移籍希望書へもう一度視線を落とした。
「先に一つだけお伝えしておきます」
「何でしょう」
「以前あなた方を助けた人物に、会える保証はありません。連絡を取り次ぐことも約束できません」
長谷がすぐに答えた。
「それで構いません」
他の四人も異論を挟まなかったので、槙野は書類から顔を上げる。
「分かりました。では普通の移籍希望として審査します」
「お願いします」
「ただし、五人まとめて受けるかどうかも含めて審査ですよ」
「承知しています」
「アビス・ライン側の手続きも必要になります」
「そちらもこちらで進めます」
槙野は書類を揃えながら、向かいの五人をもう一度見た。峰岸への当てつけだけでここへ来たようには見えず、それなら特別扱いする理由もない。
「では、加入希望者として改めてよろしくお願いします」
五人がそれぞれ頭を下げ、槙野もそれに返した。
ただ、囲い込みだと言われた直後に、向こうの最前線に近い五人がまとめて移籍を申し込んできたことだけはどうしようもない。槙野は揃えた書類を見下ろし、説明する側には非常に面倒な絵面になったなと思った。




