第408話 高くついた
槙野がアビス・ラインと提携企業へ連絡を入れた翌日、企業側から最初の回答が届いた。
『社内確認の結果、ANVILの供給元特定を目的とした外部調査を正式に発注した事実は確認できませんでした』
そこまでは予想の範囲だった。昨日の連絡だけで決定的な証拠が出てくるとは考えていない。会社として正式発注していなくても、営業部門が取引先へ聞いた可能性はあるし、関係会社が自分たちの判断で調べた可能性も残る。
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『競合他社を含む市場動向、異常空間由来素材の流通量については、通常業務の範囲で情報収集を行っております』
「まあ、そうでしょうねえ」
市場調査をしている。それ自体は企業として普通の話だった。槙野が気にしているのは、そこから先で何を聞き、どこまで情報を持ち帰ろうとしていたかだった。
「槙野さん」
事務担当が扉を開け、紙を一枚持ったまま入ってきた。
「今度は何でしょう」
「取引先から電話です。ちょっと気になることがあったそうで、先に概要だけ送ってくれました」
渡された紙へ目を通す。
ANVILから素材を購入している主要取引先の一社。その会社がダンジョン素材の加工を委託している外部技術者へ、別企業から接触があったという。
転職の勧誘自体は珍しくなく、提示された待遇もかなり高い。技術者本人が条件を気に入れば、転職するのも本人の自由だ。
「ここです」
事務担当が一か所を指した。
採用担当との面談で、現在扱っているダンジョン素材の階層、継続供給量、今後増える可能性について質問されていた。機密資料を持ち出せと言われた記録はなく、本人も詳細には答えていない。
「なるほど」
「昨日連絡した会社の関係先だそうです」
「どのくらい関係があります?」
「子会社とかじゃないです。資本関係もないみたいですけど、共同開発を何度かやってます」
「また微妙なところですねえ」
これだけで誰かを責める材料にはならない。ただ、技術者本人の経験や能力ではなく、現職で扱っている素材の供給状況まで採用面談で聞いていたとなると、話を受け取る側の警戒は強くなる。
「取引先は何て?」
「情報管理を見直したいそうです。槙野さんと直接話したいって」
「繋いでください」
数分後、会議用の端末に先方の担当者が映った。
『急な連絡ですみません』
「いえ。資料は見ました」
『こちらとしても、転職の勧誘そのものへ口を出すつもりはありません。ただ、現在扱っている素材について質問していたというのが少し気になりまして』
「こちらも同じ認識です」
『以前いただいた供給方針の文言が外へ出ている件もありますよね』
「あります。ただ、今回の件と同じところが動いているとは、まだ判断していません」
『そこまで慎重なんですね』
「間違っていたら困りますからねえ」
相手が軽く笑った。
『ただ、弊社としては少し対応を変えようと思っています』
「と言いますと?」
『高階層素材について、加工先への情報共有を減らします。必要な仕様だけ渡す形にして、供給量や入手時期は切り離します。それから、今回名前が出た企業と関係の深い加工先については、新規案件への参加を当面見送ります』
槙野は少しだけ姿勢を直した。
「こちらからお願いしたことではありませんよ」
『分かっています。弊社側の判断です』
「理由を聞いても?」
『単純ですよ。どこから情報が漏れるか分からない状態で、希少素材を扱わせる理由がありません』
企業として考えれば、分かりやすい判断だった。相手を罰するために取引を切るのではなく、余計な情報経路を一つ減らしておく。
『あと、今後の高階層素材についてですが、可能なら弊社の直轄設備か、こちらで指定する二社を優先していただけますか』
「条件は確認します。独占は約束できませんよ」
『もちろんです』
「では、倉庫側とも相談して返答します」
通話を終えたところで、事務担当が椅子へ座った。
「これ、結構大きくないです?」
「向こうにとっては痛いでしょうね」
「槙野さん、何もしてませんよね?」
「失礼ですねえ」
「いや、流れが綺麗すぎて」
「昨日、情報が回っている可能性がありますよ、と教えただけです。それを聞いた取引先がどう判断するかまで私の仕事ではありません」
もちろん、こうなる可能性は考えていた。
ダンジョン産の高階層素材は供給量が少なく、代わりを簡単に確保できる普通の工業材料とは事情が違う。一度取引経路から外れれば、次に同じ素材へ触れられる時期すら読めない。
だから企業にとっては情報を集める価値が高く、同時に情報管理を疑われた時の損失も大きい。
「アビス側には影響ありますかね」
「すぐには分かりません。提携企業が高階層素材へ間接的にアクセスしにくくなれば、多少はあるでしょうけど」
「装備開発とか?」
「そこまで一直線には考えない方がいいです。別ルートから買うこともできますし、自分たちで素材を取ってくることもできる。アビス・ラインなら、むしろ後者を選びそうでしょう?」
「確かに」
峰岸なら、素材が来ないなら自分で取りに行く、と言いそうだった。それで企業側まで一度引いてくれるなら、槙野としては都合がいい。
昼を過ぎた頃には、アビス・ラインから先日の勧誘文について回答が届いた。内部確認の結果、ANVILが合同探索を原則制限していると誤解される表現だったとして、今後の文面を修正するという。
「ちゃんと直しましたね」
事務担当が言う。
「そこは助かります」
「峰岸さん、納得したんですかね」
「さあ。組織として訂正されたなら十分ですよ」
その直後に届いた別のメールは、昨日連絡した提携企業からだった。
『先ほど、弊社関係企業より、高階層素材を扱う共同案件について参加見送りの連絡を受けました。ANVILから何らかの働きかけを行われたのでしょうか』
槙野は文章を最後まで読み、椅子の背へ身体を預けた。
「早いですねえ」
「何がです?」
「向こうにも届いたみたいです」
画面を見せる。
「どう返します?」
「そのままですよ」
槙野は返信画面を開いた。
『ANVILから、貴社または関係企業を共同案件から除外するよう依頼した事実はありません。弊社取引先が独自に行った判断については、当方から回答できません』
そこまで入力して、一度手を止める。
『なお、昨日お伝えした通り、弊社としても今後の取引における情報管理体制について確認を進めています』
「それも入れるんですか」
「事実ですから」
送信した。
「怒りますかね」
「怒るでしょうねえ」
「大丈夫です?」
「何に対して怒るかですよ」
競合の供給状況を調べることも、人材へ転職を持ちかけることも、それぞれ許された範囲でやる分には止めようがない。なら、取引相手が情報管理を理由に誰と仕事をするか選ぶことも同じだった。
「高くつきましたね」
事務担当が言った。
「まだ終わったとは限りませんけどね」
「これ以上やります?」
「峰岸さんはともかく、企業側は一度止まると思いますよ。情報を探した結果、情報への入口を一つ減らしたんですから」
槙野は昨日までの資料を閉じながら、ここまでの流れをもう一度確認した。こちらから契約を切るよう求めたことはなく、取引先へ伝えたのも、情報が複数の経路で外へ回っているという事実だけだ。
そこから先は各社が自分の利益とリスクを計算して決めた。槙野が相手の結論まで用意する必要はなかった。
夕方には、アビス・ラインからもう一通メールが届いた。
『今回の企業間の件について、こちらは関与していない。提携先との契約については今後こちらでも確認する』
峰岸本人の名義だったので、槙野も余計な推測を加えず短く返した。
『承知しました。こちらもアビス・ラインと企業側の動きは分けて扱っています』
送信すると、事務担当が横から覗き込んだ。
「そこはちゃんと分けるんですね」
「最初からそのつもりですよ」
「でも、向こうの提携企業は痛い目見ましたよね」
「それは私に言われても」
槙野は端末を伏せた。
「人の財布を覗こうとして、自分の財布からお金が減っただけでしょう」




