第379話 倉庫を埋める方
ANVILの共有スペースへ槙野が入ってきた時、亀山は装備の手入れをしていた。
少し離れた長机には、互助会の頃から残っている古参が何人か集まり、次の探索予定や装備の修理について話している。壁際には回収品の仮置き棚があり、今日持ち込まれたらしい甲殻片の箱には、まだ分類札すら付いていなかった。
槙野はその長机まで来ると、抱えていたファイルを机へ置いた。
「皆さんに一つ報告があります」
声の調子が普段よりわずかに明るく、それに気づいたのか、亀山が顔を上げるより先に古参の一人が槙野の表情を見た。
「何か決まったんですか?」
「はい。まだ契約書の最終確認は残っていますけど、倉庫内の売却品について、定期的な買い取り先がほぼ決まりました」
手入れしていた布を止め、亀山もそちらを見る。
「東央産業さんです。危険物や特殊管理品は別ですが、こちらで売却対象に回した物については、基本的にまとめて引き取ってもらえる予定です」
数秒ほど静かだった。
「……全部ですか?」
「売却対象にした分は、ですね」
「中身を選ばず?」
「原則は」
長机の奥にいた男が、椅子の背へ深く体を預けた。
「負けた……」
隣にいた一人は両腕を机へ置き、そのまま額まで落とした。
「本当に決まったんですか……あと少しだったのに」
別の席では椅子からずり落ちるようにしゃがみ込む者まで出た。事情を知らない若い探索者だけが、急に沈んだ古参たちを見比べている。
槙野は腕を組んだ。
「何に負けたんですか」
「槙野さん、分かってますよね?」
「何の話でしょう」
「倉庫ですよ。倉庫」
互助会の頃からANVILへ出入りしている連中の間では、かなり前から半ば遊びになっていた。
探索から戻れば、使う予定のない回収品を申告して倉庫へ持っていく。値段が付きやすい物は売却され、研究や装備開発で使える物ならそちらへ回るが、どちらにもすぐ入らない物もかなりあった。
形の悪い甲殻片や少量だけ残った骨、用途不明の皮。何かに使えそうではあるが量が足りない植物まで、捨てる理由もなければ倉庫に残る。
棚が一つ増え、保管箱が増え、それでも足りなくなって別の倉庫まで借りた頃には、古参の間で妙な話になっていた。
槙野が売却先を見つけて在庫を減らす方が先か、自分たちが持ち帰る回収品で倉庫を埋める方が先か。誰が言い始めたのかは、もう亀山も覚えていない。
「競ってはいませんって」
槙野はそう言ったが、口元はかなり緩んでいた。
「槙野さん、その顔で言われても説得力ないですよ」
「普通の顔ですが」
「どう見ても勝った側の顔ですよ」
「皆さんが勝手に倉庫の収容能力と戦っていただけでしょう」
しゃがみ込んでいた男が床から見上げる。
「第二倉庫まで借りてもらったのに……」
「おかげで保管環境も良くなりました。ありがとうございます」
「そう返されると何も言えないです」
槙野の口元がさらに上がるのを見て、亀山は少し離れたところから呆れていた。
本人は、そんな勝負に参加した覚えはないという態度をずっと崩してこなかった。倉庫へ物が増えれば保管方法を考え、売れる物は売り、研究へ回せる物は回し、必要になれば棚も倉庫も増やす。ただ仕事として処理していただけ、という顔だったはずである。
今の槙野を見る限り、古参が倉庫へ何か持ち込むたびにきっちり覚えていたらしい。競っていないと言い張るわりに、あの笑い方である。
素直じゃない人だなあ、と亀山は思った。
「それで、本当にかなり広く買ってもらえるんですか?」
亀山が聞くと、槙野はようやくこちらへ顔を向けた。
「何でも、ではありませんよ。危険性が確認できない物や、法的にそのまま動かせない物は別です。極端に希少な物まで定期在庫に混ぜるつもりもありません」
「普段、倉庫に置いてあるような物が中心ですか?」
「そうですね。売ること自体は決めたものの、少量だったり用途が分からなかったりして、個別に売却先を探す手間の方が大きかった物が中心になります」
東央産業側も、毎回同じ物が来るとは考えていないという。骨だけ多い時もあれば、甲殻ばかりになる可能性もあり、植物や名前すら決まっていない物が箱ごと混じっても構わない。
古参の一人が在庫棚の方を見た。
「じゃあ、あの茶色い板みたいなやつも売れるんですか?」
「売却対象に入っています」
「丸まった皮は?」
「入っています」
「三層の、最後まで使い道が分からなかった細い骨もですか?」
「それもですね」
質問するたびに、長机の周囲から呻き声が増えた。
「あれまでなくなるんですか……」
「結構長くありましたよね、あれ」
「倉庫の守護神みたいになってましたけど」
「そんなものを作らないでください」
槙野は笑いながらファイルを開き、現在の倉庫在庫一覧を取り出した。
そこへ別の古参が手を上げる。
「でも、今後持ち帰った物も全部東央産業さんへ出すんですか?」
「そこは今までと変えません。まず所有者本人の希望を確認しますし、装備班や研究側から使用希望が出ている物まで外へ出すことはありません」
「装備班が黙ってないですもんね」
「黙っていないでしょうね」
誰かが笑った。
ANVILの装備班は、珍しい素材が持ち込まれるとかなり早い。探索者本人が売却を考えていても、その前に一度試験させてほしいと声が掛かることもある。
「特に大きな甲殻とか、変わった骨なんてそのまま東央産業さんへ送ったら、後から絶対言われますよ」
「ですから、これまで通りです。本人が残したい物、装備班で使う物、研究へ回す物、個別に高値で売却した方がいい物を先に分けます。その後に残った売却対象を、定期便へまとめる形ですね」
「じゃあ東央産業さんは、本当に残った物をまとめて買うんですか」
「先方はそれで構わないそうです」
「すごい会社ですね……」
「向こうは向こうで、欲しい部署が多いみたいですよ」
槙野は在庫一覧を数枚に分け、長机へ回していった。
「せっかくなので、契約が通る前に売却対象をもう一度整理します。個人所有の物や、今後使う予定の物まで間違えて出すわけにはいきませんから、自分の名前が付いている物は確認してください」
古参組もすぐに自分の欄を探し始めた。負けたと騒いでいた者まで、残す物、売る物、装備班へ確認する物を一つずつ見直していく。
「でも、空くなら助かりますね。最近は本当に置き場所が怪しかったですし」
「第二倉庫を埋めるって言ってたの、誰でしたっけ?」
「あなたも結構持ってきてたでしょう」
「自分のは使い道があると思ってたんですよ」
「皆さんそう言うんですよ」
槙野の返事に、また笑いが起きた。
亀山は自分の装備へ視線を戻し、手入れを再開した。ただ、少しすると長机の方へまた目が向く。売却先が決まったという報告をしてから、槙野はずっと機嫌がいい。
古参が悔しそうにするほど嬉しそうに見えるのだから、やはり本人の中でも多少は勝負になっていたのだろう。そう言えばまた「競ってはいません」と返ってくる気がして、亀山は口には出さず、そのまま手元の装備へ視線を戻した。
長机では、すでに槙野が在庫表の次の欄を確認している。
「では、所有者未設定になっている『乾燥すると丸くなる黒い皮』ですが」
「あ、それ自分です」
「残しますか?」
持ち主は少し考え、在庫棚の方を見た。
「……東央産業さんに使ってもらいましょう」
「装備班への確認は?」
「ああ……それがありましたね」
今度は周囲から笑いが起きた。
「先に聞いてきます。勝手に売ったら後で言われそうなので」
「では保留で」
槙野は売却の印を付けかけたペンを止め、別の欄へ小さく印を入れる。東央産業へ渡るまでにも、倉庫の中では装備班との相談が先に残っているらしい。




