第377話 倉庫ごと
翌朝九時、東央産業の役員会議室には、異常空間関連の横断窓口を中心に、営業、調達、研究開発、医療、装備、物流、法務、財務の責任者が集まっていた。以前なら各部門が別々の資料を持ち込み、自分たちの事業へどう取り込むかから話を始めていたが、今では最初から同じ資料を見ている。
久世隆一は席へ着くと、正面の大型モニターへ目を向けた。今日の主な議題は国内探索者ギルドとの連携状況であり、東央産業が接触している団体と、競合他社の動きが一覧にまとめられている。
「では始めよう。主要ギルドとの交渉状況から頼む」
横断窓口の責任者が資料を切り替えた。医療、物流、装備開発、素材取引を最初から一つの契約へ詰め込むやり方はすでに止めており、現在は相手側が必要としている分野を確認したうえで提案を分けている。
「全国型ではANVIL、ABYSS LINE、北辰へ情報提供を行っています。地方側についても数団体と接触中ですが、今日は動きのあったANVILについて先に報告します」
その名前が出ると、営業だけでなく研究開発と調達の担当者も資料へ目を落とした。ANVILは探索者の育成や安全管理を前面へ出している一方、所属者が増えれば回収品の流通量も大きくなると見込まれており、東央産業以外にも複数企業が接触している。
会長が眼鏡越しにモニターを見た。
「返答が来たのか?」
「昨日夕方、先方から条件案が届きました。正式締結前なので確定とは言えませんが、こちらが大きな変更を求めなければ提携まで進められる見込みです」
「それは大きいな」
会長の声に続いて、営業側からも「取れそうなのか」と声が上がった。調達担当は隣の役員と顔を見合わせ、研究開発側では露骨に表情を明るくした者までいる。久世自身も、思っていた以上に早い返答だった。
「先方が前向きという理解でいいんだな?」
「はい。東央産業との継続取引には利点がある、という回答です。ただし、先方から条件があります」
モニターへANVIL側の提案が表示された。
最初の条件は予想の範囲だった。ANVIL所属探索者へ東央産業製装備の使用を義務づけず、医療や保険についても利用は本人の選択とする。所属者が他社へ回収品を売却することも妨げず、東央産業側から独占的な取引を求めない。
そこまでは、これまでの交渉でも何度も話に出ていた。
「問題は次です」
横断窓口の責任者が資料を一枚進める。
「ANVIL側から、倉庫内回収品の定期買い取りをお願いしたいという提案が出ています」
調達担当がすぐに反応した。
「倉庫内というのは、所属者から預かっている回収品か?」
「主にそうです。探索者本人が保有を希望しなかったもの、少量で個別売却するには手間が大きいもの、用途が分からず一時保管されているものなどをANVIL側で管理しています。それを一定期間ごとにまとめて東央産業へ出したいとのことです」
「種類は指定できるのか?」
「できません」
財務担当が資料から顔を上げた。
「数量もですか?」
「安定しません。探索結果次第ですので、次回も同じ品が入る保証はありません。甲殻、骨、皮、腱、膜、植物、鉱石、魔石、用途不明の回収品まで混在する可能性があります」
久世は契約条件の欄を読み進め、少し眉を上げた。
「これは、こちらが欲しい物だけ抜く契約ではないんだな」
「はい。危険物、法令上そのまま取り扱えない物、特殊管理が必要な物は別ですが、通常の売却対象については原則としてまとめて引き取ってほしいという条件です。売れやすい物だけ選ばれて、残りがANVILの倉庫へ積み上がる形にはしたくないとのことでした」
説明が終わると、何人かが同時に手元の資料をめくった。久世は財務か調達から慎重論が出るものと考えていたが、研究開発担当が先に顔を上げた。
「それなら受けたいです」
「中身を選べないんだぞ」
「むしろ、その方が研究側にはありがたいです。用途が分かっている素材だけ市場へ出ると、こちらには既に価値が知られた物しか来ません。使い道の分からない物まで定期的に入るなら、試験対象としてはかなり魅力があります」
装備部門も資料を引き寄せた。
「甲殻や骨、腱が混ざるなら、うちでも引き取れます。外側が使えなくても内層だけ性質が違う例はもう出ていますし、加工して初めて用途が分かる物もある。小さい端材でも構いません」
「膜類が来るなら研究開発で先に確認させてください」
「生物素材なら医療側にも回してください。縫合材、止血材、生体適合性、抗菌性を見るだけでも候補はあります」
少し前までANVIL側の条件を確認していた会議が、いつの間にか届いた品をどこへ回すかという話へ変わっていた。物流担当まで受け入れ倉庫の温度帯をいくつに分ける必要があるか確認を始めている。
財務担当が片手を上げた。
「皆さん、一度価格を忘れていませんか?」
声量は大きくなかったが、役員たちの話がそこで止まった。
「買い取り価格の算定方法は?」
「搬入前に大分類と保管状態の一覧をANVIL側から受け取り、搬入後に当社で確認します。定期在庫については分類ごとの基準価格を設け、一点ごとに市場最高値を付ける方式にはしません。明らかに希少性が高い物や、通常在庫の範囲を超える物は別途協議です」
「返品条件は?」
今度は法務担当が答えた。
「安全上の問題、申告内容との重大な相違、法令上保有できない物を除けば、価値が低かったという理由で返却はできない契約案です。当社がまとめて引き取ること自体が、先方の希望条件です」
「了解しました」
財務担当は価格算定の資料へ視線を戻した。
ANVIL側からすれば、買い手に選別させず、倉庫内の売却対象をまとめて処理するための条件なのだろう。普通の仕入れなら扱いづらいが、東央産業には事情が違う。
「確認したいんだが、この条件を嫌がる部署はあるか?」
答えが出るまで、ほとんど間はなかった。
「調達としては歓迎です。鉱石や魔石が入ればそのまま扱えますし、用途不明でも研究用在庫に回せます」
「研究開発も同じです。毎回内容が変わる点は問題になりません」
「装備側も欲しいですね。特定素材を大量に、という契約ではありませんから量産計画には使えませんが、試作には向いています」
「医療は対象を選びますが、生体由来品が来るなら検査したいです」
営業担当が最後に資料を見ながら口を開いた。
「売る側から見れば面倒な在庫をまとめて引き取ってほしい。こちらから見れば、まだ市場価値が付いていない物まで定期的に入ってくる。相性はかなり良いと思います」
会長が椅子へ深く座り直した。
「願ってもない条件だな」
誰も否定しなかった。
東央産業は事業範囲が広い。以前はその広さのせいで、一つの回収品を見つけるたびに研究、医療、装備、調達が同時に手を伸ばし、社内調整へ時間を使っていた。
横断窓口を作ってからは、最初に一か所で受け、使える部署へ振り分ける形へ変えている。ANVILの提案する不安定な一括在庫は、その仕組みにそのまま載せられた。
「先方が東央産業を選んだ理由は聞いているか?」
「単一分野の企業では扱いにくいから、という話が出ています。素材会社だけでは生体由来品を持て余し、医療系だけでは鉱物や装備素材が余る。東央産業なら複数部門へ振り分けられるので、倉庫在庫をまとめて出しやすいと」
会長の表情が明らかに緩んだ。
「ようやく、手広くやっていることが直接役に立ったな」
「以前は、その手広さをまとめるために会議ばかり増えましたけどね」
久世の言葉に何人かが苦笑し、そのまま横断窓口の責任者が最初の搬入予定へ資料を進めた。
「提携が成立した場合、ANVIL側では現在保管している売却対象を一度まとめて出したいそうです。保管記録を確認したうえで、契約締結後に搬入日を決めます」
「現在分というと、どの程度だ?」
「数量はまだ精査中ですが、先方からはトラック一台では収まらない可能性があると聞いています」
今度こそ会議室の複数箇所から声が上がった。
「そんなにあるのか」
「生物素材の保管状態は?」
「大型品も含まれる?」
「冷蔵と常温は分かれているんだろうな?」
横断窓口の責任者が順番に回答していく間、物流担当はすでに社内倉庫の一覧を開いていた。研究開発担当は大型品を搬入できる試験区画を確認し、装備側では切断前の状態で受け取りたい素材について話が始まっている。
久世はその様子をしばらく見てから、机を指先で軽く叩いた。
「まだ契約前だ。搬入される前提で設備投資まで始めるなよ」
笑いが起きたが、すぐに会議へ戻った。
財務担当も今回は止めるより先に、受け入れ後の処理費用と保管費用を計算している。種類も量も安定せず、欲しい品が必ず来るわけでもないが、どの部署にも引き取り候補がある以上、倉庫で長期間眠らせる可能性は以前より低かった。
「提携条件について、東央産業側から大きな修正要求は?」
久世の問いを受け、各担当が資料を確認する。法務からは危険物混入時の責任範囲、財務からは価格算定基準を契約書へ明記するよう要望が出たが、一括買い取りそのものへの反対はなかった。
営業も独占条項を追加する提案はせず、ANVILの独立性を維持したまま継続取引を優先する。
会長が最後に資料を閉じた。
「なら、この条件を基本的に受けよう。細部を今日中に詰めて、先方へ返してくれ」
「承知しました」
「提携まで持っていけそうなら、余計な欲を出して壊すなよ。最初の取引で全部取ろうとする必要はない」
営業担当が頷いた。
「継続して倉庫から物が出てくる関係を優先します」
「それでいい」
久世はモニターに残るANVILの名前を見た。
国内の有力ギルドと継続的な取引窓口ができるだけでも大きい。今回はそこへ、内容も量も一定しない代わりに、ANVILの倉庫から回収品がまとまって入ってくる話まで付いている。
以前の東央産業は、ダンジョン素材を一つずつ探し、見つければ競合と値段を争い、次の供給があるのか分からないまま研究計画を組んでいた。今度の契約で一定になるのは素材ではなく、ANVILと取引する機会そのものだった。
「最初の搬入までに社内の振り分け基準を決めておこう。届いてから研究、装備、医療で取り合いを始めたら、何のために横断窓口を作ったのか分からなくなる」
研究開発担当が資料へ書き込みながら答えた。
「一次評価後に共同で確認する品と、最初から担当を決められる品を分けます。用途不明品については研究開発で預かって、結果を共有する形でどうでしょう」
「装備素材は切る前に一度こちらにも見せてください。断面を取るなら、その後で構いません」
「生体由来品は保管条件だけ先に分けてください。室温で一緒に置かれるのが一番困ります」
すでに契約後の話になっているが、久世は止めなかった。ANVILをどう囲い込むかではなく、実際に入ってくる物を会社の中でどう扱うかを相談している分、以前よりずっと実務に近い。
横断窓口の責任者が最後の資料を表示した。
「本日中に修正版をANVILへ返送します。先方の確認が取れれば、包括連携協定と定期買い取り契約を並行して締結する予定です」
会長が頷くと、営業担当が小さく息を吐き、調達側でも隣同士で短く言葉を交わした。正式契約はまだ終わっていないが、ここまで来れば大きな取引が一つ形になるところまで見えている。
久世は次の議題へ移る前に、資料の余白へ「ANVIL倉庫――受入先を先に決める」と書き込んだ。横では研究開発と物流が、早くも最初の搬入時に必要な区画について話を続けている。
最初の荷物が来る頃には、ANVILより東央産業の倉庫の方が騒がしくなっていそうだった。




