第343話 地図の端
六層の森を一人で調べ始めてから、半日が過ぎていた。
戸張は地面へ残った足跡を見て、三度目になる木の根を山刀の鞘で叩いた。根元には赤茶色の苔が付き、二本に分かれた先が倒木の下へ潜っている。最初に見た時と何も変わっていない。
「またここか」
同じ場所を選んで歩いたつもりはなかった。目立つ岩や倒木を避けながら範囲を広げていたはずなのに、気づけば似た場所に出ている。
高い木へ登って周囲を見下ろしても、葉と枝が折り重なった森が続くだけだった。石造りの構造物どころか、不自然に開けた場所も見当たらない。
戸張は枝から地上へ降り、近くの倒木へ腰を下ろした。自分の目だけで見つけたかったが、探し方そのものが合っていないらしい。
「結局はこの手に限るな」
寄生体を通じ、森にいる個体たちへ探索する範囲を伝えた。
狼型が木々の間へ分かれ、小型生物は落ち葉や根の隙間へ入っていく。鳥型は枝の上から広がり、ワーム型も地中で方向を変えた。戸張が受け取れるのは、進路の変化や停止、何かへ触れた時の粗い感覚であり、個体たちが見た景色までは分からない。
それでも、自分一人で歩くより比較できる情報は増える。
最初の異常は、森の奥へ向かわせた狼型から届いた。真っすぐ進ませたはずが、途中から大きく右へ逸れている。別方向から近づけた小型生物も同じ区画を避け、その向こう側へ出ていた。
たまたま地形に沿った可能性を考え、戸張はさらに三方向から個体を向かわせた。結果は変わらず、中央だけを空けるように進路が曲がる。
警戒や恐怖とは違う。本人たちは自然に進んでいるつもりらしく、避けた場所へ意識を向けようとすると反応が曖昧になった。
「この辺りか」
戸張は個体たちが方向を変えた位置まで移動し、木の幹へ白い糸を固定した。区画の周囲を歩いて別の地点にも糸を置き、向かい合う二点を細く結ぶ。
二本目、三本目と増やしていくと、白い糸が交差する場所が絞られてきた。
そこへ向かおうとした直後、右側に大きな獣の爪痕があることへ気づいた。確認した方がよい。そう考えて数歩進み、戸張は足を止めた。
爪痕は古く、今になって優先する理由もない。明らかに認識阻害を受けている。
交差点へ顔を向け直すと、今度は左奥の水音が気になった。あちらの川幅を確認しておけば、今後の移動に使えるかもしれない。
「なるほど」
戸張は目を閉じた。
視界の代わりに、白い糸へ加わる張力を拾う。左右から引く感覚を揃え、交差点の方向だけを基準に足を進めた。途中で何度も別の場所へ意識が移りかけたが、そのたびに糸の角度を確かめる。
十数歩進んだところで、靴底へ硬い感触が加わった。目を開くと、苔と落ち葉の下に平たい石が敷かれている。
周囲にも同じ石材が続き、土の地面と人工物の境目を作っていた。木々の根は石の縁へ触れる前に向きを変え、広場の内側へ一本も入り込んでいない。
「見えてたのか、これ」
戸張が石床へ一歩踏み込むと、それまで次々と気になっていた爪痕も水音も、急にどうでもよくなった。広場の中から見れば、苔に覆われた石床も、周囲を避けて曲がる根も、森へ埋もれた人工物として普通に目へ入る。
認識を逸らす作用は、外から近づく者を広場の周囲へ誘導するものらしい。一度内側へ入ってしまえば、調べることに支障はなかった。
石床の表面には苔や土が積もっていたが、崩れた壁や柱、入口らしい構造は見つからない。山刀の鞘で石を順番に叩き、継ぎ目へ指を入れてみても、動く気配はなかった。
広場の端から中央まで二度調べ、戸張はその場へしゃがみ込む。見つけるまでに手間がかかり、見つけた後は入口探しが待っていた。
「今度は入口か」
地中を進んでいたワーム型を、広場の下へ向かわせた。
外周では土と根の反応が続いていたが、石床の下へ入った途端、振動の伝わり方が変わった。中央付近には土の詰まっていない範囲があり、その周囲を固い構造が囲んでいる。
地下に空洞がある。
戸張は中央付近へ移動し、ワーム型の位置と自分の足元を合わせた。石床を細かく調べ直すと、一枚だけ周囲への振動が鈍い石がある。その隣の石へ体重をかけた瞬間、内部で何かが噛み合う音がした。
中央の石床がわずかに沈み、そのまま横へ移動する。下には、石段が続いていた。
「ここまでやるか」
白い糸を階段の先へ伸ばし、床と壁を確かめてから下りる。地上の光が届かなくなる辺りで明かりを用意すると、石段の先に小さな石造空間が浮かんだ。
目につく場所にあるのは、宝箱が一つだけだった。
床や天井へ白い糸を触れさせても、動くものはない。ここまで散々探させた場所で、最後だけ慎重に構えるのも馬鹿らしくなり、戸張は半ばやけくそで蓋を開けた。
中には二本の剣が並び、その上へスクロールが置かれていた。
剣は山刀より短く、片手で一本ずつ扱う造りになっている。柄と鍔の形は対になっており、二本一組で使う武器らしい。
「また俺向きじゃなさそうなのが来たな」
双剣を箱の脇へ置き、スクロールを開いた。
表面の文字と図形が淡く光る。これまでに使った物と反応は同じだ。
次の瞬間、森が頭の中へ押し込まれた。
「うっ……」
視界が傾き、戸張は宝箱の横へ膝をついた。喉の奥から一気にせり上がったものを抑えきれず、石床へ吐く。
目を閉じても状況は変わらない。
脳の片隅に、地図が開いていた。薄い霧に覆われた輪郭の中で、戸張が通った場所が次々と形を得ていく。森の道、水場、崖、小人の拠点。それだけなら耐えられた。
狼型が移動した地表、鳥型が使った上空、蜘蛛型が渡った木々の間、小型生物が潜り込んだ隙間まで、霧が一斉に晴れていく。さらに地中では、ワーム型が通った経路と振動で捉えた空洞が重なり、別の高さの情報として意識へ入り込んできた。
自分の探索範囲だけではなく、寄生体を通じて繋がっている個体たちの行動まで、まとめて戸張の地図へ組み込まれている。
戸張は石床へ手をついたまま、現在地だけを強く意識した。すぐには変化しなかったが、地下室の周辺へ注意を絞ると、遠くの地形が薄い霧へ沈み始める。
頭へ加わる情報が減り、胃の動きも落ち着いた。
口をすすいでから、戸張は宝箱へ背を預けた。表示する範囲を狭く保ち、少しずつ広げる。何度か繰り返すうちに操作の加減が分かり、急に全域を開かなければ吐き気もほとんど意識せずに済むようになった。
「魔法以外にも手に入るのか、いや、これも魔法か?」
火や水を生み出す感覚はない。代わりに、探索した場所を地図として整理し、必要な部分を選んで表示できる。
戸張は地下室を中心に地図を拡大した。石段と地上の広場が重なり、その下へ地下空間の形が収まっている。未確認の場所は霧に覆われ、壁の向こう側まで勝手に見える様子もなかった。
地図を横へ動かし、角度を変える。真上から見下ろしていた森が傾き、木々の高さと地面の起伏が立ち上がった。
「おおう、まさかの3D」
鳥型が移動した高さには細い空間が伸び、木の根とワーム型の経路は地表の下へ沈んでいる。地下室も平面の記号ではなく、広場の下へ収まった空洞として表示されていた。
戸張は面白がって地図を回していたが、上空へ傾けたところで動きを止めた。
鳥型が到達した高さから先には、霧が残っている。地中も同じで、ワーム型が潜った深さより下は何も確定していなかった。
「このダンジョンの空は、どこまで高いんだ?」
六層には太陽があり、七層の砂漠では星も見えた。あの空の向こうに宇宙まで続いているのか、宇宙があるように見せているだけなのか。地面の下も、地球と同じように深く続いている保証はない。
今までは階層の先と生物ばかりを見ていた。空の高さも地面の深さも、確かめる方法がなかったという理由で放置している。
戸張は地図を上から見下ろす角度へ整え、探索済みの森を眺めた。水場や獲物の多い方向には領域が広がり、何も見つからなかった方角では霧が近い。
「そういえば、横の限界も試してなかったな」
空と地下へ進むには準備が要る。横なら、今の装備と個体たちで調べられる。
戸張は双剣を持って拠点へ向かい、水と食料を整えた。翌朝、探索済みの範囲が浅い方角を一つ選び、狼型と鳥型、地中のワーム型へ同じ進行方向を伝える。
これまでの探索では、水場や獲物、危険な個体の位置へ応じて経路が曲がっていた。今回は地図で向きを確認できるため、倒木や崖を避けても元の線へ合流できる。
戸張は狼型の背を借り、先行する個体たちの反応を追った。脳内では霧が細長く晴れ、森の地形が一方向へ伸びていく。
途中で休憩を挟み、日が傾き始めた頃、先頭の狼型が停止した。
正面に敵はいない。崖や川もなく、森はその先まで続いている。
別の位置を進んでいた個体も、ほぼ同じ線上で先へ進めなくなった。鳥型は上空で進路を変え、地中のワーム型も同じ位置を境に横へ逸れている。
戸張は狼型から降り、最後の距離を自分の足で進んだ。
向こう側にも木々が並び、風に揺れる葉の隙間から斜面が見える。遠くの枝には小さな鳥らしき影まであった。
何もない空間へ手を伸ばすと、指先が途中で止まった。
冷たさも手触りもない。力を込めても腕は先へ進まず、負荷だけが手首から肩へ加わる。
「……本当に端があったのか」
足元の小石を拾って投げる。小石は同じ位置で前への勢いを失い、落ち葉の上へ落ちた。
山刀の鞘を当てても音は鳴らず、見えている景色にも変化はない。白い糸を広げると、糸も一定の面から先へ進めず、左右へ沿う形で伸びていった。
マッピングを開く。
未探索領域なら霧が残る。目の前の境界では、霧へ続くはずの地図そのものが途切れていた。
景色は向こう側にも存在しているように見える。それでも、戸張たちが移動できる空間はここで終わっている。
鳥型をさらに上へ向かわせると、確認できた高さまで見えない壁が続いた。ワーム型も地中へ潜ったが、境界の位置は変わらない。上端も下端も、その日の探索範囲には現れなかった。
戸張は見えない壁へ手を触れたまま、木々の向こうにある夕方の空を見上げた。
横方向には端があり、脳内の地図では森を断つ境界の線が、空と地中の霧へ伸びたまま終点を見せていなかった。




