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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第339話 信頼できる相手

 中国政府の声明は、午前六時に公開された。


 日本とアメリカが異常空間由来の安全情報を囲い込み、国際機構を利用して自国の軍事的影響力を拡大している。エクアドルへの自衛隊派遣も、人道支援の名を借りた海外展開であり、アメリカで確認された白い群体についても、関係国は保有する情報を直ちに国際社会へ開示すべきである。


 文章そのものは、これまでの主張を並べ直したものだった。


 官邸地下の会議室では、外務省が作成した仮訳と原文が全員の端末へ配られている。発表から二時間も経っていなかったが、中国国内の報道機関は既に同じ論調の記事を並べ、日本による異常空間技術の独占を批判し始めていた。


「こちらがエクアドルへ出したのは七十二人です」


 防衛省の出席者が、画面を見たまま言った。


「現地軍と警察の救助を補助し、住民を救出した。その七十二人を海外展開の既成事実と呼ぶなら、何をしても結論は変わらないでしょう」


 外務省の審議官は反論せず、声明の末尾を指で送った。


「相手も、こちらを納得させるために出した文章ではありません。国内と第三国へ、日本とアメリカが情報を隠しているという印象を残すためのものです」


「だから放置するんですか」


「短い反論は出します。ただし、声明の応酬へ付き合う必要はありません」


 机の向こうで、経済産業省の局長が眼鏡を外した。隣には在中国日本企業の業種別分布、現地従業員数、主要工場、物流拠点、部品供給網をまとめた資料が置かれている。


「反論の文面より先に、企業側への影響を詰めさせてください」


 画面が切り替わり、中国沿岸部を中心に点が広がった。製造、物流、小売、金融、医療、食品。日本企業の現地法人だけでなく、合弁会社や取引先まで含めれば、関係する人数はさらに増える。


「台湾との協力を表へ出せば、中国側が何らかの反応を示す可能性があります。関税や輸入停止のような大きな措置とは限りません。消防、税務、衛生、労務、データ管理、通関。個別の検査を増やすだけでも、現地法人は止められる」


 企業を罰したとは言わずに動けなくする方法はいくらでもあり、会議室の誰も、その説明を大げさとは受け取らなかった。


「現地社員もいます」


 局長は続けた。


「日本人駐在員だけを退避させれば済む話ではありません。現地採用の従業員と家族、取引先、共同研究者までいる。政府が意趣返しで台湾へ接近したと見られ、その負担を企業側へ押しつける形は避けるべきです」


「意趣返しではありますよ」


 内閣官房の政務担当者が口を挟むと、外務省の審議官が視線を上げた。


「表で言う話ではありません」


「だから、ここで言っています」


 政務担当者は中国側の声明を閉じた。


「戸張氏へ正規窓口を通さず接触し、家族情報を交渉材料に使った。本人の独断だったとしても、その後に日本の海外支援を批判し、アメリカで起きたことまでこちらの情報独占へ結びつける。こちらが関係を維持しようとするたび、相手はその関係を国内向けの攻撃材料へ変えている」


 中国政府全体の意思と工作員個人の暴走は分けて考える必要があるものの、実際に起きたことまで消えるわけではなかった。


「信用を下げた相手と、以前と同じ距離で付き合い続ける理由はありません。正面から殴り返す必要もない。外側へ、こちらが信用できる相手との関係を増やしていけばいい」


 外務省の審議官は数秒黙り、台湾側の資料を開いた。


「そのための台湾案です」


 画面には、台湾で確認された異常空間の管理状況が表示された。


 台湾側は深層攻略を抑え、入口の監視と低層の安定維持を優先している。登録制度、回収品申告、活動停止命令も整備されていたが、若年層の無断進入が増え、地方では未申告入口の発見も続いている。


 配信映像や海外掲示板の攻略情報を見て、学生が友人同士で入る。身体能力の変化を軍事訓練や将来の就職へ結びつける言説も広がり、封鎖を強めるほど、正規制度を避ける者が出た。


 台湾特有の問題は、その先にあった。


「台湾側は、探索者団体への外国資金の流入を強く警戒しています」


 審議官が説明を続ける。


「入口の位置情報、回収品の流通経路、管理施設の警備体制。どれも中国側の情報活動と切り離せない。民間探索を広げれば潜り込む経路が増え、抑制を続ければ若者が地下へ潜る。制度はありますが、身元確認と資金調査に時間がかかり、受け皿を増やせていません」


 防衛省の出席者が資料へ目を落とした。


「抑えているが、扱えていない」


「台湾側も、そう認識しています」


「そこへ日本が制度を売り込むんですか」


「売り込みません。共同で作ります」


 画面へ表示された提案書には、「日台異常空間防災・探索安全協力会議」と表題が付けられていた。


 政府間条約とはせず、既存の対日窓口と日本側の交流機関を通し、自治体、研究機関、企業、登録探索者団体を参加させる。政治的な看板を先に立てず、実務を積み上げる形だった。


 日本側から出すのは、若年無断進入者への対応、未申告入口の自己申告制度、撤退基準、装備破損記録、帰還後の身体測定、モンスター死体の隔離、入口と内部構造への攻撃制限に関する情報。


 物資は、量産可能な盾、長柄武器、固定具、記録機器、ガス測定器、回収品隔離容器、死体処理用の密閉資材を中心とする。高階層装備や製作者を秘匿している装備は対象から外されていた。


「ポーションについては?」


 厚生労働省の担当者が尋ねた。


「緊急備蓄の相互融通までです。恒常供給を約束すれば、台湾側の自前の備蓄制度を歪めます」


「こちらも余っているわけではありません」


「だから相互です。台湾側で確保された分を日本が必要とする事態もあり得ます」


 日本が一方的に与える枠組みにはしない。


 台湾企業は、通信機器、センサー、小型探査機、記録端末の耐環境化を担当する。日本企業は防護具、固定具、素材管理、保険、探索者団体の運営支援を提供し、台湾国内での共同生産を組み込む。


 研究成果と利益も、片側へ集めない。


「在中国企業への影響を抑えるなら、企業の参加は任意にすべきです」


 経済産業省の局長が言った。


「中国で大きな事業を持つ企業へ、台湾案件への参加を政府が求めたと見られるのは避けたい。参加企業の選定も、現地法人への影響を個別に確認する必要があります」


「企業名を一斉に公表する案は外します」


「台湾側の生産拠点に、中国側の部材や資金が入り込む経路も確認してください。共同事業を作った結果、内部情報がそのまま抜かれる可能性があります」


「台湾側も同じ要求を出すでしょう」


「なら、最初から共同審査にするべきです」


 局長は在中国企業向けの対応案を開いた。


 外交発表より先に、主要企業へ非公開で説明する。中国国内の工場、店舗、研究施設について、行政検査、通関遅延、通信制限、抗議活動の兆候を報告させる。


 駐在員と家族の退避経路を確認する一方、急な撤退指示は出さない。現地従業員を残したまま日本人だけが消えれば、企業の信用を失い、中国側へ報復の口実も与える。


 重要な設計情報、顧客情報、研究データについては、中国国内だけに保存しない体制へ移す。特定地域へ偏った部品供給も洗い出し、日本、台湾、東南アジアを含む複数経路へ分散させる。


「撤退ではなく、動ける状態を作るということです」


 局長は資料を閉じた。


「今すぐ中国事業を捨てろと言えば、損をするのは日本企業だけではありません。現地で働く人間も巻き込む。ただし、人質に取られるほど依存したままにもできない」


 政務担当者が頷いた。


「台湾との協力を止めれば、中国側は日本企業へ圧力をかける価値を学びます」


「進め方を誤れば、本当に圧力を受けます」


「だから備える。停止する理由にはしません」


 会議室の空気が少し硬くなった。


 在中国企業を守ることと、中国側の反応を恐れて政策を止めることは、似ているようで違う。前者は政府の責任だが、後者を続ければ、相手が日本の政策へ拒否権を持つ。


 外務省の審議官が、台湾側との協議開始案へ視線を戻した。


「中国側は、台湾との異常空間協力を政治問題として扱います」


「エクアドルの件を考えてください。何をしても扱うでしょう」


「日本企業への働きかけだけで済まない可能性もあります。台湾側への軍事的圧力、情報工作、共同事業への妨害も考えられる」


「その可能性があるから、台湾側は困っているんじゃないですか」


 政務担当者が低い声で返したところで、壁際にいた内閣官房の参事官が、それまで黙っていた口を開いた。


「一つ、確認させてください。この協力案は、中国への対抗策ですか」


 誰もすぐには答えなかった。


 協力案の内容だけを見れば、防災と探索安全の実務協力である。若者の無断進入を減らし、スタンピードを防ぎ、装備と情報を共有する。中国を排除する条項も、中国へ対抗する文言も入っていない。


 それでも、この時期に日本が台湾へ持ちかければ、意図を読まれないはずがなかった。


「対抗策ではありません」


 外務省の審議官が答えた。


「ただ、中国との関係が不安定になったため、別の関係を強くする必要が生じた。結果として中国側の影響力が下がるなら、それは受け入れます」


 政務担当者は苦笑した。


「外交官らしい言い方ですね」


「あなたの言い方で発表すれば、在中国企業の検査が明日から増えます」


「分かっています」


 そこで言葉を切り、台湾側の被害想定資料へ目を移した。


「感情だけで国家事業を決めるつもりはありません。ただ、誰を信用するかという話なら、感情も過去も判断材料です」


 東日本大震災の後、日本へ届けられた支援の記録が画面へ出た。台湾の行政や企業、民間団体、市民から寄せられた物資と義援金に加え、その後も続いた災害時の相互協力が、短い項目の中へまとめられている。


「こちらが弱った時、台湾は助けてくれた」


 政務担当者が言った。


「今度は台湾が、ダンジョンを抑えながら扱う方法を探している。中国への当てつけだと言いたい者には言わせればいい。恩返しだけで制度は作れませんが、信用できる相手と制度を作る理由にはなる」


 防衛省の出席者が腕を組み直した。


「今、日本が欲しいのは、装備を買ってくれる相手だけではありません」


「ええ」


「失敗を隠さず、こちらが困った時にも情報を出す相手です」


 中国は巨大な市場であり、無視できる隣国でもない。対話も経済関係も維持する必要がある。


 しかし、必要であることと、信用できることは同じではなかった。


「共同会議の設置を進めます」


 官房長官が判断を下した。


「発表は防災、若年者保護、異常空間事故の防止を中心にする。中国への言及は入れない。在中国企業には発表前に非公開説明を行い、現地従業員を含む安全確保と事業継続策を確認してください」


 経済産業省の局長が頷く。


「供給網の分散支援も同時に始めます。台湾案件への参加を条件にはせず、中国依存を下げる事業全体を対象にします」


「台湾側との情報共有は段階的に。戸張氏、例の装備、アメリカ側の機密に関する非公開情報は対象外です」


「若年者対応と未申告入口制度は、先行して出せます」


「企業連携は共同審査を通す。中国系資本だけを名指しで排除する形にはせず、資金源と支配関係を確認する共通基準を作ってください」


 決定事項が記録される中、中国へ返す声明は、情報独占と軍事展開の主張を否定し、国際的な安全情報共有を今後も進めるという短い内容に抑えられた。


 一方、台湾へ示す協力案には、制度、物資、企業、研究、若年者対策、緊急時支援が書き加えられていく。在中国企業の保護策と供給網の分散まで含めれば、関係する省庁と民間組織はさらに増えた。


 会議が終わる頃には中国向け声明の文面が固まっていたが、台湾へ送る提案書は、まだ最初のページしか完成していなかった。


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