第309話 看板の重さ
ANVILの内部掲示板に新しい相談が入ったのは、午前七時を少し回った頃だった。槙野は朝食のトーストを片手に、通知欄へ表示された件名を開いた。
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【相談】入口利用について
投稿者:石橋班・補助登録
今日使う予定だった入口で、東都の系列だという人たちから、今日は三班入るので別の場所へ回ってほしいと言われました
予約制の入口ではなかったので、そういうものなのかと思って移動しました
相手の団体名は覚えていません
東都の腕章みたいなものはつけていました
こういう場合は従った方がいいのでしょうか
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槙野はトーストを皿へ戻した。
文章だけでは、判断できることが少なかった。東都の系列という言葉が正式加盟を指すのか、提携団体なのか、共同訓練へ一度参加しただけなのかも分からない。相手が本当に移動を命じたのか、混雑を避けるために提案したのかも、投稿だけでは確定できなかった。
投稿者に悪気がないことだけは分かる。揉めるより別の入口へ行った方が早いと判断し、その後でANVILへ相談した。それ自体は責める必要がない。
槙野は管理者権限で返信欄を開いた。
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槙野
現場で対立せず移動した判断については問題ありません
確認したいので、覚えている範囲で日時、入口の場所、相手の人数、実際に言われた内容を書いてください
団体名や所属関係が曖昧なため、現時点では東都側へ問い合わせません
同様の経験がある方は、この投稿へ直接書かず、運営用フォームへ送ってください
団体名、入口、日時、発言内容、管理窓口へ確認したかどうかが分かると助かります
相手団体への直接連絡や、外部掲示板への転載は控えてください
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送信してからトーストを取り直したものの、冷めてはいないのに食べる気は薄れていた。こういうことはいずれ起きると思っていたからだ。
ギルドの名前が知られれば、その名前だけで相手の態度が変わる。正式な権限がなくても、相手が権限だと思えば働いてしまう。東都ほど大きな看板なら、なおさらだった。
ANVILも無関係ではない。東都や地方代表ギルドほどの規模はなくても、互助会だった頃とは扱われ方が変わっている。ANVIL所属だと名乗っただけで、装備店の担当者が席を用意し、企業からの返信が早くなる。槙野自身、交渉の場でその変化を何度も利用していた。
利用しておきながら、他人が同じことをするとは考えない。それでは運営側として都合が良すぎる。
午前九時までに、運営用フォームへ三件の報告が入った。
一件は、最初の投稿と同じ程度に曖昧だった。地方代表ギルドの協力先を名乗るパーティーから、装備試験があるので入口前を空けてほしいと言われたというもの。相手団体の正式名称は不明で、管理窓口への確認もしていない。
二件目は、ボス挑戦の順番を譲るよう求められた例だった。推薦候補のパーティーだから記録を先に作りたい、次回はこちらが譲るという説明を受け、相手も納得して交代している。少なくとも投稿者本人は、強要されたとは感じていなかった。
三件目だけは、日時、入口、団体名が揃っていた。相手は東都の提携団体として公式サイトにも掲載されており、ANVIL所属者二名が入口へ到着した時には、すでに六名が装備を広げていたという。
言われた内容も残っていた。
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今日は東都との共同案件で使います
そちら二人ですよね
別の入口へ行ってもらえませんか
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投稿者は移動せず、その場で管理窓口へ電話した。排他的な利用申請は出ておらず、相手側も管理窓口から説明を受け、その場では引き下がった。
ただし最後まで、東都との共同案件を通常探索と同じに扱うのか、と不満を口にしていたらしい。
槙野は団体名を検索し、東都の公式ページで提携関係を確認した。問い合わせに必要なものは、これで揃っている。
東都の対外窓口へ送る文章を作り始めたところで、事務担当から通話が入った。
「槙野さん、例の入口の件なんですけど」
「今、東都へ出す文面を作っています」
「その前に確認です。抗議文ですか?」
「問い合わせです。抗議にすると、こちらが確認前に結論を出したことになります」
「ああ、良かった。相手の名前が大きいので、ちょっと身構えました」
「名前が大きいからこそ、事実だけ送ります」
槙野は画面へ戻り、文面を読み直した。
ANVIL所属者が、東都との共同案件を理由に一般利用可能な入口から移動するよう求められたこと。管理窓口に排他的利用の申請がなかったこと。現場では管理窓口の説明により収まったこと。同様の曖昧な報告が複数寄せられていること。
処分要求も謝罪要求も入れない。東都との提携関係が、一般利用者へ移動を求める権限を含むのか、その一点だけを確認した。
送信から一時間も経たず、東都から電話が来た。メールで返答が届くと思っていた槙野は、表示された団体名を見て姿勢を直した。
「ANVILの槙野です」
『東都代表の篠宮です。突然のお電話で失礼します』
槙野は一瞬、聞き返しかけた。東都の公式発表や会見で何度も見た名前だった。
「代表ご本人からご連絡いただけるとは思っていませんでした」
『本来なら団体連携室からお返事する内容です。ただ、こちらで確認した範囲では、私からお話しした方が早いと判断しました』
口調は穏やかだったが、言葉の選び方に迷いがなかった。
『まず、問い合わせていただいたことにお礼を申し上げます。外へ出す前に事実確認をしていただけたのは助かりました』
「こちらも、東都が関与していると断定できる状況ではありませんでしたので」
『ええ。それで結構です。こちらも、分かっていないことまで東都の都合で決めつけるつもりはありません』
篠宮はそこで一度言葉を切った。
『ただ、確認できた部分については明確です』
声の温度が少しだけ下がった。
『東都との提携関係に、一般利用可能な入口で他団体へ移動を求める権限は含まれません。共同案件も同様です。専用利用が必要なら、管理窓口へ申請する。申請が通っていないなら、他の利用者と同じ条件です』
「承知しました。現場では管理窓口から説明があり、ANVIL側は予定通り利用できています」
『そこも確認しています。ANVILの方が現場で応酬せず、管理窓口を通されたことについて、こちらから問題にする点はありません』
東都側から責任を押し返される可能性も考えていた槙野は、それがなかったことに、わずかに肩の力が抜けた。
「今後の連絡手順を確認できればと思っていました」
『ぜひともお願いしたい』
篠宮の返答は柔らかいままだった。
『ただ、その前に当該団体の扱いをお伝えします。活動報告を命じ、関係した班は確認が終わるまで東都名義の共同案件から外しました。名称使用も一時停止しています』
槙野は返事が一拍遅れた。
「そこまでの対応になるとは予想していませんでした」
『私は相応だと判断しています』
篠宮は、槙野の反応を読んだように言った。
『早い段階で連絡をいただけて良かったと思っています。規約を読んだうえで、東都の名前を自分たちの都合へ使う者、これは早急に処理が必要です』
最後の部分だけ、声が硬くなった。
『こちらは提携時に説明しています。一般利用へ口を出す権限はない。東都の案件を優先させたいなら、先に正式な調整を取る。それをせず、現場で二人組なら動かせると考えた』
電話の向こうで、紙を机へ置く音がした。
『何のための規約だと思っているんでしょうね』
大声ではなかった。それでも、槙野へ説明している時とは明らかに違った。話し方の丁寧さは保ったまま、問題を起こした側に向けた苛立ちだけが言葉の間から出ていた。
『一度通れば、二度目があります。共同案件だから、提携先だから、人数が多いから、搬入があるから。理由はいくらでも増やせる。要求された側が断りにくいという部分だけは変わりません』
槙野が問い合わせ前に考えていたことと、ほぼ同じだった。
『先に入る。実績を得る。その実績で次の案件を取る。案件が増えたから、また利用調整を求める。そんな循環を東都の名前から作られたら、提携先一つを注意して終わる話では済みません』
「正式な優先利用まで疑われるようになりますね」
『ええ。それも困ります』
篠宮はすぐに肯定した。
『ただ、東都の申請が通りにくくなる程度なら、こちらで引き受けます。信用を削ったのはこちらの看板を使った側ですから、書類でも説明でも増やせばいい』
そこで一度、声が和らいだ。
『ANVILへその負担を移す話ではありません』
槙野は返事をしながら、手元のメモへ線を引いた。篠宮は相手への苛立ちをこちらへ流さず、話す相手と責任を問う相手を分けている。
『もっと困るのは、現場の探索者同士に残るものです』
「感情ですか」
『ええ。中国とエクアドルで何が起きたかを、誰も見ていないわけではないでしょう』
「はい」
『今は、国内で入口を取り合っている時期ではありません』
問い詰める調子ではなかった。槙野に同意を迫る必要さえないほど、篠宮の中では決まっている話らしかった。
『今日、東都の名前で別の場所へ回した相手と、明日は同じ救助線へ入るかもしれない。普段は自分たちを優先しろと言っておいて、事故の時だけ協力してくださいでは通りません』
篠宮は短く息を吐いた。
『大きなギルドに入ったら、助けを求めなくて済むとでも思っているんでしょうか。そんなわけがない』
先ほどまでの組織運営の言葉から、わずかに個人の苛立ちが覗いた。
『小規模団体も、独立探索者も、地域の互助会も必要です。それぞれが別の場所を知り、別の人間と繋がっている。普段押し退けておいて、必要になった時だけ同じ探索者だから協力しろと言うのは、あまりに勝手でしょう』
槙野は、東都がどこまで問題を広げて考えているのかを理解した。
東都は看板を守ろうとしている。それは評判や企業契約だけの話ではなかった。多数の団体を動かす組織だからこそ、普段の小さな軋轢が、緊急時の連携へ残ることを恐れている。
「東都では、以前からこういった事例を想定していたんでしょうか」
『していました』
即答の後、篠宮は苦い調子で続けた。
『想定して、規約にも入れた。提携時にも説明した。それでも出た。そこに腹を立てています』
槙野は、電話口で余計な相づちを挟まなかった。
『看板があれば権威が生まれます。権威があれば、与えた覚えのない特権まで勝手についてくる。分かって使う者もいる。効率の良い調整をしただけだと思う者もいる』
「後者の方が止めにくいですね」
『その通りです。本人の中では善意や合理性になっていますから』
篠宮の声から、槙野へ向けた硬さが消えた。
『槙野さんも、同じ懸念を持たれたから問い合わせてくださったのでしょう』
「ANVILでも、同じことは起きます」
『ええ、間違いないかと』
篠宮は言い切った後、少しだけ言葉を選んだ。
『失礼ながら、もう始まっているかもしれません。規模は関係ありません。その名前を知っている相手が一歩引いた時点で、権威として働いています』
「今回の指針を、こちら側にも出さなければなりませんね」
『同じ考えを持って頂ける人がいると心強い』
先ほどとは違い、相手の判断を認める言葉になっていた。槙野にも、立場の違う運営者と同じものを警戒していたことへの、奇妙な同調意識が芽生えていた。
『今回の件は、東都から全提携団体へ通知します。類似事例も集めます。ANVILさんへ別件が入った場合は、事実確認が取れる範囲で送って頂ければ助かります』
「承知しました」
『あと、外部へ出す前に一度こちらへください。隠してほしいという意味ではありません』
篠宮は念を押すように続けた。
『事実関係が違えば訂正します。合っていれば、東都の名前で説明します。提携先の問題を、問い合わせた側に説明させるなんて恥の上塗りですからね』
通話を終えた直後、東都から正式回答が届いた。
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送信者:東都
件名:一般利用可能な異常空間入口における利用調整について
ANVIL
槙野様
このたびは、弊団体の提携先に関する事例をご連絡いただき、ありがとうございます。
確認の結果、東都および東都の提携団体には、一般利用可能な異常空間入口から他の利用者を排除し、移動や順番変更を求める権限はありません。
共同案件、企業案件、装備試験、所属人数等を理由とする場合も同様です。
専用利用または優先利用が必要な場合は、事前に管理窓口へ申請し、認められた範囲で運用するものとします。
本件を受け、関係団体への事実確認を開始するとともに、全提携団体へ名称使用および現場での利用調整に関する緊急通知を行います。
同様の事例を確認された場合は、日時、入口、団体名、発言内容、管理窓口への確認結果を、東都までお知らせください。
東都代表
篠宮
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メールの文章は短く、篠宮が電話で口にした苛立ちや危機感までは書かれていなかった。正式回答として残すなら、その方がいいのだろう。
槙野はメールを閉じ、作りかけだったANVIL内部向け指針を開いた。最初は、移動を求められた時の対処だけを記すつもりだった。
管理窓口へ確認する。現場で争わない。日時と発言内容を残す。相手団体の名前を外部へ晒さない。
それだけでは片側しか見ていない。槙野は文面の上へ、新しい項目を追加した。
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【ANVILの名称および関係を理由とした要求について】
ANVIL所属者、協力員、提携団体は、ANVILとの関係を理由に、一般利用可能な入口、通路、待機場所、ボス挑戦順などについて、他の利用者へ退去、移動、順番変更を求めてはならない
人数、撮影、企業案件、装備試験、活動記録作成などを理由とする場合も、現場判断で優先権を主張しない
調整が必要な場合は、事前に管理窓口と相手団体の責任者を通すこと
相手が自主的に譲ると申し出た場合も、管理窓口の運用に反しないかを確認すること
他団体から移動や順番変更を求められた場合は、その場で所属団体の大小や関係性を争わず、管理窓口へ確認すること
日時、入口、団体名、発言内容、管理窓口の回答を運営へ報告すること
確認前に相手団体名を外部へ公開しないこと
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相手が自主的に譲ると申し出た場合についての一文は、入れるか迷った末に残した。自主的に譲ったのだから問題ない。そういう形でも慣行はできる。
掲示前に事務担当へ確認を頼むと、数分後に返信が来た。
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事務担当
厳しくないですか?
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槙野は短く返した。
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槙野
それが看板の重さというものです
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送信した後で、少し考えた。篠宮なら、どう返信しただろうか。




