第289話 共同戦闘評価 フツミハシラ
防衛省地下会議室。
正面の大型モニターには、水門ダンジョン六層で記録された映像が静止していた。岩影鳥の首へ戸張の戦斧が食い込み、その左右では特殊部隊の隊員たちが次の動きへ移っている。
会議室に集められたのは、防衛省、自衛隊、内閣官房、異常空間対策部門、警察庁、研究機関の関係者だった。後方の壁際には補助席まで追加され、映像分析班や装備担当、医療関係者も端末を開いている。
戸張と六人が六層へ入ったことを知っていた者は多い。だが、ボスとの戦闘映像を事前に見ていた者は限られていた。
「十七秒戻してください」
映像が巻き戻る。岩影鳥が踏み込み、戸張が半歩だけ右へ流れる。同時に右側の二名が大型弩の射線を移し、左では盾持ちが嘴の向きを変えるため前へ出た。音声による指示はないが、七人の動きは途切れず繋がっている。
「通信記録」
「音声指示なし。ハンドサインなし。事前取り決めなし。少なくとも映像と通信記録からは確認できません」
「部隊側の証言は」
「『撃てると判断した』ではなく、『戸張氏が抜けると判断した』です」
一時停止された画面には、大型弩から放たれた大槍が、戸張の通り過ぎた空間を抜けて岩影鳥の翼の付け根へ突き刺さる瞬間が映っていた。
前列の一人が、資料から顔を上げる。
「今の距離で撃ったのか」
小声だったが、室内にはよく通った。別の席からも、息を吐く音が聞こえる。
「戸張氏は振り返っていません」
「はい」
「発射も見ていない」
「はい」
「それでも射線を空けています」
質問した官僚は、返事を聞いても画面から目を離さなかった。
戸張の速度や反応は、これまでの模擬戦と提供映像でも確認されている。人間の範囲から外れていること自体は、ここにいる大半が承知していた。
今回、彼らが驚いているのは別のところだった。その戸張のすぐ後ろへ、味方が躊躇なく大槍を通している。
「部隊が戸張氏へ合わせただけではありません」
三宅一等陸尉が言い、次の箇所を示した。
岩影鳥が身体を振る。盾持ちは真正面から受け止めず、盾を斜めへ当てて嘴の向きを僅かに逸らした。巨体の踏み込みが崩れた先へ槍が入り、遅れず戸張の戦斧が続く。
七、八メートルある身体が目に見えて傾き、後方席から「動かした」と声が漏れた。
「部隊が岩影鳥を動かしています」
映像分析班の一人が、卓上端末へ別角度の映像を表示する。
「盾の接触時間は一秒未満です。正面から止めたわけではありません。頭部の向きを外し、前脚の着地点をずらしています」
「それだけで、あの巨体が崩れるのか」
装備担当の問いに、分析官は少し身を乗り出した。
「その僅かな崩れを作るために、六人が動いています。盾で向きを変え、槍で脚を抑え、射手は次の射線を確保する。戸張氏の攻撃が通ったのは、その一連が成立した直後です」
画面では、岩影鳥の脚へ槍が入り、その傷口を戸張の戦斧が広げていた。分析官の声には、普段の報告より明らかな熱が混じっている。
「戸張氏の攻撃力だけで成立した戦闘ではありません。部隊は敵の姿勢を崩し、攻撃位置を作り、射線を管理しています」
「戸張氏も、それを使っている」
「はい。途中から明らかに六人の動きを取り込んでいます」
戸張は岩影鳥から目を離さないまま、盾で向きを変えられれば空いた位置へ入り、大型弩が構えられていれば自分から射線を外す。槍が脚へ入った時には、迷わず同じ箇所へ戦斧を重ねていた。
「合流初日でしたね」
内閣官房側の出席者が確認する。
「はい」
「共同訓練は」
「ありません」
「通常個体を数体処理しただけで、ここまで合わせたと?」
三宅が頷くと、会議室の後方で椅子が軋んだ。驚きを隠す必要のない者は、画面へ身を乗り出している。研究者の一人は自分の端末で再生速度を落とし、同じ場面を繰り返し戻していた。
「次をお願いします」
別の場面へ切り替わる。
岩影鳥が翼を振り上げ、戸張が懐へ入った。大型弩担当は射撃姿勢を維持しながら一度見送り、戸張が抜けた直後に大槍を放つ。槍は翼の付け根へ深く刺さった。
「今の場面、最初は撃てたのでは?」
警察庁側の出席者が尋ねた。
「戸張氏が近すぎました」
「その後は撃っている」
「抜ける位置を読んでいます」
警察庁の男は、映像を見たまま口元を引き締めた。
「読み違えれば、味方を撃つ距離です」
「その通りです」
「よく撃てるな」
防衛省側の席から漏れた声には、批判より驚嘆が強かった。
三宅も、その反応を否定しない。
「現場の六人も危険性は理解しています。ただし、戸張氏なら避けられると期待して撃ったわけではありません。彼がそこから外れると判断した上で、射撃を実行しています」
その違いを理解した者から、表情が変わった。
戸張の超人的な回避能力へ賭けたのではない。戸張の行動を読み、味方の攻撃を重ねた。怪物じみた個人戦力を後ろから眺めるだけの戦闘ではなかった。
「現場側の評価を」
防衛大臣に促され、三宅は回答を急がず、映像を終盤まで進めた。
岩影鳥の片脚が崩れたところへ、盾持ちが正面を外し、槍が翼の付け根を抑える。大型弩の一射で頭部が流れた瞬間、戸張が地面を蹴った。
次のフレームでは首元へ到達し、振り下ろされた戦斧が太い首へ食い込んでいる。岩影鳥は二歩よろめき、浮遊岩の陰へ倒れ込んだ。巨体が床を叩いた衝撃で記録用マイクが震え、画面全体が大きくぶれる。
映像の中では、戸張が倒れた岩影鳥へ近づき、六人は既に周囲の警戒へ移っていた。
再生が終わっても、しばらく誰も口を開かなかった。
「……これが、六層のボスか」
最初に息を吐いた異常空間対策部門の責任者へ、記録担当者が答える。
「現場では六層ボスとして討伐しています。報告書上の分類は大型個体です」
「分類上の大型個体が、あれですか」
研究機関の一人は画面を見上げたまま、興奮を隠さず続けた。
「骨格の推定だけでも、地上生物の範囲から外れています。あの重量で跳躍できる筋出力も、着地時に潰れない関節構造も、こちらの想定を超えている」
「それを七人で倒した。しかも、損耗なしで」
「装備の破損と疲労はありますが、人的損耗はありません」
その返答で、映像の派手さに目を奪われていた者たちも現実へ戻った。
七、八メートルある怪物と近接戦闘を行い、一人も欠けずに帰還している。戦果として異常なのは、倒したことだけではなかった。
三宅は資料へ視線を落とした。
「今回確認できたのは、戸張氏の強さだけではありません。あれほどの個人戦力を、部隊側が戦術へ組み込めることです」
画面には、岩影鳥へ向かって散開する七人の姿が残っている。
「戸張氏一人でも討伐できた可能性はあります。特殊部隊六名だけでも、時間をかければ撃破できたかもしれません。ただし、どちらの場合も被害と消耗の予測が難しい」
「今回の戦闘では?」
「戸張氏が突破し、部隊が敵を動かす。六人が作った隙を戸張氏が使い、戸張氏が崩した姿勢を部隊が次へ繋げています。どちらかが一方的に援護したのではなく、七人全体で討伐手順を組み上げています」
防衛大臣は画面から三宅へ視線を移した。
「再現できますか」
「今回と同じ六名であれば、精度は上げられます」
「他部隊では」
「現時点では保証できません。今回の六名は戦闘中に戸張氏を観察し、自分たちの配置と役割を修正しています。誰にでも再現できる技能ではありません」
映像分析班が、戦闘序盤と終盤の立ち位置を重ねた。開始直後には戸張から一定距離を取っていた六人が、終盤には戸張の進入位置を前提として大型弩の射線と盾の誘導先を組んでいる。
変化が画面上へ線で表示されると、会議室のあちこちから声が上がった。
「ここまで変えていたのか」
「戦闘の最中に?」
「報告書だけでは分からんな」
装備担当の一人が、隣の席へ顔を寄せる。
「大型弩の評価だけで終わらせるところだった」
「装備が良くても、撃つ人間があれを読めなければ意味がない」
淡々と進むはずだった評価会議は、映像を見た者たちの間で別々の問題へ広がり始めていた。戸張の速度だけでなく、短時間でそれへ対応した六人の適応能力、六層生物の規模、そして人間側が高階層で勝利した事実が、これまで別々だった議論を一つの机へ集めている。
中国スタンピードの映像を見た時とは違った。あちらは現代戦力が押し潰される記録であり、今モニターに残っているのは、人間側が勝ち筋を作った映像だった。
防衛大臣が卓上を指で一度叩くと、室内の声が収まった。
「今回の六名について、継続評価を」
「既に開始しています。身体能力の伸び、判断速度、役割転換、長時間活動時の精度を個別に見ます」
「六人全員を?」
「全員です。その上で、別枠の候補を三名まで絞ります」
前列の何人かが資料をめくり、内閣官房側から問いが出た。
「三名?」
三宅は最後のページを開く。
「六層へ到達できる部隊を作るだけでは、その先へ進めません。今回の戦闘によって、圧倒的な個人戦力と、それを運用できる部隊の組み合わせが有効だと確認できました」
「戸張氏の再現を目指すのですか」
「不可能です」
即答だった。
「戸張氏の能力構造は、こちらで把握できていません。装備、身体能力、魔術、その他の未申告要素が、どこまで関与しているかも不明です」
「なら、三名は何の候補です」
三宅は一度、防衛大臣を見た。許可を確認してから答える。
「保管中のスクロールを含む、特殊能力付与対象の候補です」
会議室が再びざわついた。
これまで研究資料として保管されていた一本を、人間へ使う。可能性として考えていた者はいたが、正式な人員選定へ進むと聞かされた者はほとんどいなかった。
「能力の内容も分かっていないはずです」
「はい」
「使用後に戻せる保証もない」
「ありません」
「それを隊員へ使うのですか」
医療関係者の声には、はっきりと警戒が混じっていた。
三宅は、決定事項であるかのようには答えない。
「使用を決めたわけではありません。候補者を選び、適性、健康状態、本人の意思、使用後の管理体制を検討します」
「本人の同意は当然として、退職後はどうする」
「能力の帰属も決まっていません」
「家族への説明は」
「そこまで含めて、先に制度を作る必要があります」
六層で戦える個人を意図的に作るという構想は、戦闘力の話だけでは終わらなかった。能力を得た人間が任務を外れた後も生活を続ける以上、国家がその力をどこまで管理できるのか、本人の意思とどう両立させるのかを避けて通れない。
映像に映らない問題の方が、会議室では重くなり始めていた。
防衛大臣は最後の資料を引き寄せた。表紙には事務的な正式名称と、その下に内部呼称が印字されている。
高階層対応中核戦力育成計画。
フツミハシラ計画。
「名称まで決めたのか」
内閣官房の一人が僅かに眉を上げた。
「仮称です」
「由来は」
三宅は資料を閉じる。
「三名の候補者と、国家戦力の中核を担う者という意味です」
布都御魂と三柱を重ねた名称だが、国家の剣となる三人を作る計画だと、この場で言葉にする必要はなかった。
防衛大臣は表紙をしばらく見たあと、顔を上げる。
「候補選定を進めてください。ただし、使用を前提に話を進めないこと」
「承知しました」
「本人たちを装備品のように扱うな」
三宅は短く間を置いてから頷いた。
「はい」
モニターには討伐直後の七人が映っていた。戸張は岩影鳥の死体へ向かい、六人は周囲の警戒と装備確認へ散っている。誰かを中心に整えられた隊形ではなく、それぞれが必要な仕事へ移っただけの光景だった。
「最初から、もう一度」
防衛大臣の指示で、六層ボス戦の映像が冒頭へ巻き戻された。




