第239話 探索者ギルド
槙野は、政府発表の映像を止めたまま画面を見つめていた。ほんの少し前まで動いていた手が完全に止まり、画面に表示された制度概要だけを何度も目で追っている。
――登録探索者団体制度。
一定の条件を満たした探索者の団体を、公的な組織として登録する。既存の互助組織や攻略団体からの移行も可能で、団体単位での行政手続き、公的依頼への参加、共同施設整備への支援などが検討されている。
文字は読めているし、内容も理解できる。だからこそ、槙野はすぐに動けなかった。
「……え」
小さく声が漏れた。
数秒置いてから、停止していた映像を少し戻してもう一度再生する。
『政府は、探索者による自主的な活動組織の増加を踏まえ――』
間違いではない。速報記事だけが先走っているわけでもなく、政府が正式に発表している。
槙野は映像を止め、今度は政府の公開資料を開いた。そこにも同じ内容が書かれており、とりわけ既存団体からの移行を想定しているという一文を確認したところで、再び手が止まった。
「……本当に?」
もう一度読む。
既存団体からの移行。その意味を頭の中で確かめるように画面を見つめている間にも、スマートフォンが何度か震え、互助会の連絡用グループには通知が溜まり続けていた。それでも槙野は、すぐには手を伸ばさなかった。
槙野には、ずっと憧れていたものがある。
探索者が集まり、情報を交換し、仲間を探し、新人を育てる。個人ではできない仕事を組織で引き受け、探索を続けるための仕組みそのものを支える。
探索者ギルド。
そんな組織を、本当に作ってみたかった。
もちろん、現実にダンジョンが現れたからといって、昔から思い描いていたようなものがそのまま成立するとは考えていなかった。探索者資格は国が管理しており、回収品には申告が必要で、事故が起きれば責任の問題が生じる。人を集めれば金の管理も必要になり、契約、個人情報、安全管理と、組織が大きくなるほど避けて通れないものは増えていく。
だから槙野は最初からギルドを名乗らず、まずは互助会として探索者同士が助け合える場所を作り、必要な仕組みを一つずつ足してきた。いつか制度が追いつくなら、その時に本当の組織へ変えていけばいい。そう考えていた。
その「いつか」が、画面の向こうから突然現れた。
「……来たな」
槙野は静かに息を吐き、ほんの少しだけ口元を緩めた。その時間は長く続かず、すぐに姿勢を戻すと政府発表の全文を保存し、概要記事ではなく公開されている原文を確認し始める。
登録条件はまだ未確定。申請開始時期も未定で、既存団体からの移行は想定されているものの、人数、会計、管理体制、安全教育などの具体的な基準は今後公開される予定となっている。
「ここはまだ決まってない。こっちも検討段階……」
槙野は確認した内容をメモへ移していった。政府資料、内閣府の関連ページ、発表会見の質疑を順に確認し、報道各社の記事も開いていく。元資料以上のことが書かれていないものは閉じ、推測と確定事項を分けながら、今分かることだけを拾っていった。
その途中で、ようやくスマートフォンを手に取る。
互助会の連絡用グループには、すでに大量の投稿が並んでいた。
『槙野さん、見ました?』
『これうち対象ですよね?』
『既存団体から移行できるって書いてある』
『槙野さん生きてます?』
『ギルマス就任おめでとうございます』
最後の一文で槙野の指が止まり、「まだ何も決まってないって」と思わず口に出してから返信を打つ。
『見てます。あとギルマスにはまだ就任してません』
すぐに反応が返ってきた。
『まだ』
『そこ否定するところそこなんです?』
槙野はそれ以上付き合わず、続けて投稿した。
『詳細条件はまだ出てません。今出ている情報だけで勝手に動かないでください。こちらでも確認します』
浮かれて申請の話を始めるには早い。登録条件次第では今の互助会の運営方法を大きく変える必要があるかもしれず、法人格が求められる可能性もある。所属者の管理方法や会計の透明性について、今より厳しい基準が設けられることも考えられた。
槙野は、自分たちがこれまで作ってきた資料を開いた。
参加者の記録、活動履歴、新人向けにまとめた注意事項、探索中に得られたノウハウ、回収品の扱い、緊急時の連絡方法。最初は必要になるたび、その都度作ってきたものだったが、人数が増え、扱う情報が増えるたびに整理し直してきた。
それらを改めて眺め、槙野は小さく呟く。
「思ったより、あるな」
何もないところから始めるわけではない。むしろ自分たちは、制度が存在しないうちから必要だと思ったものを先回りして作ってきた。ただ、それで十分かは別の話だった。
槙野は新しいメモを作り、現状の運営体制と政府が公表した制度案を照らし合わせ始めた。まだ正式な募集すら始まっておらず、急いだところで申請できるわけではないが、今のうちに自分たちの足りない部分を確認しておくことはできる。
しばらくして、スマートフォンに着信が入った。
「はい」
『槙野さん、今大丈夫ですか?』
「大丈夫です」
『さっきの制度なんですけど、やっぱり応募するつもりですよね?』
槙野は少しだけ間を置いた。答え自体は、政府発表を見た瞬間からほとんど決まっている。
「条件を確認して、申請できるならします」
『ですよね』
「ただ、まだ制度の詳細が出てません。今からギルドになったつもりで話を進めるのは早いですよ」
『そこは槙野さんらしいですね』
「現実にするなら、そこはちゃんとしないと駄目でしょう」
槙野は画面に表示された政府資料へ視線を戻した。
憧れていただけなら、好きな名前を付けて今日からギルドを名乗ることだってできた。それをしなかったのは、欲しかったものが看板だけではなかったからだ。
探索者が集まり、継続して活動できる組織。人が増えても崩れず、新しく入ってきた者を受け入れ、経験を次へ残していける仕組み。そして、それを一時の集まりで終わらせず、本当に運営していくことまで含めて、槙野が目指していた探索者ギルドだった。
『じゃあ、本当にギルドになるかもしれないんですね』
「そうですね」
槙野は答え、少しだけ間を置いてから静かに続けた。
「ようやく、目指せるところまで来たのかもしれません」
通話を終えると、また通知が増えていた。制度についての質問や申請条件の予想、自分たちが対象になるのかという確認が続く中、そのうち一つの投稿から少し違う話題が広がり始める。
『そういえば、正式に登録するなら名前どうするんです?』
さっきまで制度の条件について話していた何人かが、それをきっかけに次々と反応し始めていた。




