第236話 最優先
相沢千紘、二十五歳。国家公務員として働き始めてからはそれなりに時間が経っており、行政文書の扱いや役所特有の仕事の進め方にも、ようやく慣れてきたと思っていた。
最初に配属された部署で一通りの仕事を覚え、先輩や他部署とのやり取りにも困らなくなってきた頃、新設部署への応援という名目で突然席を移された。それから大して間を置かずに正式な異動辞令が出て、千紘は異常空間回収品管理班の職員になった。
名前だけを聞いた時には、少しだけ期待していた。ダンジョンから持ち帰られた未知の武器や不思議な道具を扱う部署なら、テレビでしか見たことのないポーションや、モンスターが残す魔石を間近で見る機会もあるかもしれない。
そんな気持ちが残っていたのは、最初の二日くらいだった。
「相沢さん、管理番号RK―二三一七の写真、まだ登録されてない。それと二三一八と混ざってるから気をつけて。片方は一層甲虫型、もう片方は二層の未分類節足型」
「はい、今やってます。二三一八の方を先に修正しますね」
「頼む。あと研究二課から魔石三点が返却されてるから、封印番号を照合して収納し直してくれ。警察預かりの短剣は明日の再検査で一時出庫、それと北海道の管理窓口から提出品が十二点追加」
「……分かりました。順番にやります」
机の上には未処理の書類が積み上がり、画面には登録待ちの電子データが並んでいる。その横の大型モニターにも、撮影室から送られてくる新しい画像が途切れることなく追加されていた。
回収品管理班が扱う物を大きく分ければ、魔石、モンスター由来の素材、武器や防具、それにポーションなどの特殊品になる。分類だけを見れば単純だが、問題は一つの回収品について記録しなければならない情報があまりにも多いことだった。
たとえば魔石一個でも、単に「魔石」と登録して棚へ入れるわけにはいかない。回収された異常空間と階層、倒した生物の仮称や体長、外見的特徴に加え、魔石そのものの大きさ、重量、色、透明度、表面状態まで記録する必要がある。
そこへ過去標本との比較、回収日時、回収者、提出者、輸送経路まで加わる。研究機関へ貸し出されれば、いつ、どこの機関へ、誰の承認で移動したのかも追跡しなければならず、現物が戻ってくれば再び封印番号と状態を確認することになる。
千紘の画面にも、一件の登録画面が開かれていた。
【回収品分類:魔石】
【管理番号:RK―二三一八】
【回収地点:○○県管理異常空間・第二層】
【推定由来生物:節足型・仮称アカアシ】
【個体特徴:六脚、暗褐色外殻、推定体長〇・八メートル】
【魔石外観:灰白色、不透明、楕円形】
【重量:四十二・三グラム】
【備考:同一個体群由来と推定される標本六件あり】
その下には由来生物の記録が紐付けられ、過去に回収された類似標本も参照できるようになっている。どんな生物からどんな魔石が出たのかという組み合わせを蓄積しなければ、同種なのか、階層によって性質が変化するのか、あるいは似た外見でも別種なのか判断できないからだ。
制度が始まったばかりの頃は「灰色の魔石」「青い魔石」「大きな魔石」という程度の記録でも仕方がなかったらしい。しかし提出数が増えた今では、そんな分類をすれば後から誰かが過去資料を全部調べ直す羽目になる。
「相沢さん、二層甲虫型の魔石だけど、写真を差し替えてくれ」
先輩職員の大森が、こちらを見る余裕もないまま声をかけてきた。
「昨日、再撮影しましたよね。何か問題がありました?」
「色見本が入ってない。それで撮り直した方は、今度は比較用の定規が旧規格だった」
「……またですか。分かりました、修正に回します」
千紘は一度だけ目を閉じてから、修正待ち一覧へ追加した。
回収品の写真にも細かな規定があり、正面や背面だけ撮ればいいわけではない。必要に応じて左右や上下から撮影し、大きさを比較するための定規と、正確な色を残すための基準色票、管理番号が読める札まで一緒に写さなければならない。
刃物なら刃と柄、接合部を分けて記録し、防具なら表裏だけでなく留め具や破損箇所も残す。特殊な紋様や加工があれば拡大撮影も必要で、未知の物体だからこそ、後になって「あの部分を撮っていなかった」では済まされなかった。
しかも、現物をいつまでも管理班の手元へ置いておけるわけでもない。研究機関へ送られる物もあれば、警察や自衛隊が検証する物もあり、所有者へ返却される物や、国が一時的に預かっているだけの物も混ざっている。
中でも神経を使うのが、将来的に所有者へ返却する予定の回収品だった。探索者が命懸けで持ち帰った武器や防具の中には、研究や安全確認のため一時的に預けられているだけで、所有権そのものは探索者に残っている物も少なくない。
それを紛失したり、別の物と取り違えたり、検査中に傷を付けたりすれば大問題になる。そのため管理番号と封印番号だけでなく、収納場所や出庫記録、立会者まで残し、返却時には搬入時の写真と現物を照合して傷の位置まで確認する必要があった。
「前に一件、鞘を逆向きに入れたまま返却しかけたことがあったらしいよ」
隣の席から聞こえてきた話に、千紘は画面を見たまま答えた。
「それ、鞘くらいって思いそうですけど、やっぱり駄目なんですよね」
「本人しか分からない傷が付くかもしれないし、そもそも鞘の方に何か効果がある可能性だって否定できないからな」
「そう言われると、本当に何一つ雑に扱えないですね」
「だから俺たちが死んでるんだよ」
笑い話のような口調だったが、周囲から笑い声は上がらなかった。
それでも武器や防具は、まだ用途を想像できるだけましだった。剣なら何かを切るための物で、盾なら攻撃を防ぐための物だろうという程度の推測はできるが、困るのは形を見ても何に使うのかさえ分からない回収品だった。
金属とも石とも判別できない塊や、触れるとわずかに温度が変わる板、何も入っていないように見える小瓶に、用途不明の紋様が刻まれた輪まである。開封方法の分からない箱が、そのまま厳重な保管庫へ送られた例もあった。
そうした特殊品について、管理班の職員が勝手に試すことは当然禁止されている。危険性が分からないだけでなく、封を解いたことで消失した例や、触れた人間だけが何らかの変化を感じた事例まで報告されているためだった。
単なる装飾品に見える物でも、装着した途端に外れなくなる可能性さえ否定できない。そのため特殊品は非接触検査を優先し、生物、化学、材料、物理、医療など、それぞれの分野を扱う研究機関へ委託されることになる。
どの分野に分類すればいいのか分からない物は、さらに面倒だった。複数の研究機関による合同検査となり、移送のたびに承認と記録が必要になるため、未知の価値がありそうな品ほど管理班の仕事も増えていく。
「管理番号SI―八十八、委託先が変更になりました。材料研究所から物理研へ移すそうです」
少し離れた席から報告が上がると、担当職員が手を止めずに理由を確認した。
「何か出たのか?」
「表面分析中に重量変化が確認されたそうです。〇・四グラム程度ですが、条件を変えて三回測定しても再現したとのことです」
「接触検査は?」
「まだ非接触だけです」
「なら隔離区分を一段上げて、移送まで現状維持で」
千紘は聞こえてきた会話を意識から追い出し、自分の作業へ戻った。この部署では一日に何度も「それ、本当に同じ建物に置いておいて大丈夫なのか」と思う話が飛び交うが、その全部を気にしていたら仕事にならない。
もっとも、最近は気にする余裕があるかどうか以前に、単純に仕事量に追いつけていなかった。
全国で正式な探索者が増え、管理された異常空間への入場回数が増加すれば、当然ながら持ち帰られる物も増える。魔石だけで一日に数十件届くこともあり、牙や爪、外殻、皮、骨といった低層由来の素材まで含めれば、その数はさらに多くなる。
以前なら一つ持ち込まれるだけで部署中が集まったという武器類も、今では毎週のように届いている。短剣や片手剣、槍、盾、防具など種類も増え、中には現代の工業製品と比較して明らかに優れた性質を持つ物まで混ざり始めていた。
当然、それらを全部同じ区分で扱うことはできない。既知品や類似品として処理できる物もあれば、完全な新規品、危険性未確認の特殊品、返却予定品、国有化済みの物、研究機関へ貸与中の物まであり、分類と所在を維持するだけでも相当な人手を取られていた。
「最初は楽しかったんですよ。ダンジョンから出てきた本物のアイテムを見られるって」
昼食代わりの栄養補助食品を開けながら千紘が言うと、大森は書類をめくったまま顔も上げずに返した。
「今はどうなんだ?」
「何を見ても、最初に『これどう記録するんだろう』って考えるようになりました。武器を見ても感想より管理番号が先です」
「立派な職業病だな」
「全然うれしくないですけどね」
袋から一本取り出して齧りながら、千紘は小さく息をついた。就職活動をしていた頃の自分に、この仕事の内容を説明しても、きっと実感は湧かなかっただろうと思う。
最近では国内だけでなく、海外から提供された回収品情報との照合作業まで増えている。同じような魔石が別の国でも確認された、似た構造の武器が異なるダンジョンから見つかった、透明なポーションに近い液体が別地域でも回収されたとなれば、過去の記録まで遡って比較し直す必要があった。
「相沢さん、休憩中?」
紙束を抱えた課長補佐に声をかけられ、千紘は栄養補助食品を持ったまま振り返った。
「見れば分かると思いますけど、一応そうです」
「食べながらでいいから聞いてくれ。今夜、追加の搬入が入ることになった」
「その時点でもう休憩じゃないですよね。何点ですか?」
「まだ確定してない」
その返答を聞いた瞬間、千紘は露骨に顔をしかめた。
「その言い方、嫌な予感しかしないんですけど」
「その予感はたぶん合ってる」
「どこから来るんですか?」
「国内だ」
「それくらいは分かります。誰が持ち込んだんですか?」
課長補佐は一瞬だけ言葉を選ぶように間を置いた。
「機密案件だ。詳細は伏せる」
その言い方だけで、千紘はなんとなく察した。名前は出されなくても、管理班の中で話題になるような探索者は限られている。
正式五級として国側の調査協力にも参加している探索者で、提出される物の階層推定が既存記録から外れることが多く、以前にも研究部門が騒ぐような高階層由来の生体素材を持ち込んだ人物。最近では、既存の低層回収品とは明らかに性能の異なる武器をまとめて提出し、その検証結果を受けて自衛隊の試験運用計画まで動き出している。
名前を出されなくても、「またあの人か」と思い当たる程度には有名になっていた。
「前に持ち込まれた武器、まだ整理が全部終わってませんよね」
「終わってない。試験結果との紐付けも途中だ」
「その状態で、今度は何を持ってくるんですか?」
「追加の装備品と魔石、それに素材だ。量そのものは、前回ほど無茶じゃない」
その一言で少しだけ安心しかけた千紘は、念のため続けて聞いた。
「どれくらいですか?」
「大型のワンボックス一台。荷室の大半が埋まるくらいだと聞いてる」
「……それを『無茶じゃない』って言える時点で、だいぶ感覚がおかしくなってません?」
「前回と比べればな」
「前回を基準にしないでください」
それでも、二台も三台も来るわけではないと分かっただけましだった。千紘が栄養補助食品へ手を伸ばし直したところで、課長補佐が持っていた紙束の一番上を差し出してきた。
「ただし、今回は量より中身が問題だ」
「……やっぱり続きがあるんですね」
「高階層由来と推定される回収品が中心で、装備品、魔石、生物素材のいずれも既存資料との比較を急ぐよう指示が出てる」
紙の上には赤い文字で【最優先】と押されていた。
「到着後、可能なものから即時受領検査。特に装備品と魔石は既存データとの照合を最優先。未知の特性や既存品との顕著な差異が確認された場合は、関係研究機関へ即時連絡。生物素材についても保存状態を確認後、研究部門へ優先配分だ」
千紘は最後まで読んだ後、もう一度最初から確認した。
「これ、大型ワンボックス一台分の大半が優先対象ってことですか?」
「そうなる」
「普通、こういうのって何点かだけ最優先にして、残りは通常処理に回しません?」
「普通ならな」
「今回は?」
「どれが重要なのか、まだ分からない」
その返答で、何が問題なのか理解した。
既知の低層品なら、外見や回収地点からある程度の優先順位を付けられる。しかし今回届く物は、そもそも比較対象そのものが少なく、どれが単なる素材で、どれが既存技術を大きく超える物なのか、受け取って検査するまで判断できない。
つまり一台分すべてを、最初から重要物として扱わなければならなかった。
「……今、未処理って何件残ってましたっけ」
大森が自分の画面を確認して答える。
「通常処理待ちが百八十七。研究機関からの返却待ちが三十四、写真差し替えが二十一件。それと明日の通常搬入が四十件前後だな」
千紘は机の上に積まれた書類と、画面に並んでいる登録待ち一覧を交互に見た。
「そこへ大型ワンボックス一台分が追加されて、中身はほぼ全部優先検査ですか?」
「そういうことになる」
「人、足りてないですよね?」
「足りてない」
「増員は?」
「申請は出してる」
「いつからですか?」
「三か月前」
「来ました?」
「来てない」
予想通りの答えに、千紘は黙って椅子へ深く座り直した。
「せめて今日届く分は保管だけして、明日から順番に処理するとか無理なんですか?」
「それができれば俺もそうしたい。ただ、高階層品は既存品との性能差を早急に確認したいらしい。特に装備品と魔石は受領したものから検査へ回す」
「今ある百八十七件はどうするんです?」
「待ってもらう」
「明日の四十件は?」
「予定通り来る」
「研究機関から返ってくる分も?」
「来るな」
千紘は少し考えた後、大森へ顔を向けた。
「これ、増員が来るより先に私たちが分裂できるようになった方が早くないですかね」
「どういう結論だ」
「私が二人になれば仕事が二倍できます」
「その場合、片方は新種の異常現象として管理対象になるんじゃないか」
「じゃあ駄目です。仕事増えるだけじゃないですか」
「よく気づいたな」
大森が小さく笑ったところで、千紘の端末に新着通知が表示された。
【搬入予定時刻変更】
予定より四十分早い。
「……どうして最優先の物って、予定より早く来るんですかね」
「遅れるよりいいだろ」
「受け入れる側の準備を考えなければそうですね」
千紘が通知を閉じようとした時、今度は机の内線が鳴った。大森が電話を取り、何度か短く返事をした後、受話器を置いて課長補佐へ顔を向けた。
「搬入品の詳細が一部更新されました。要冷蔵と隔離扱いの素材が含まれるそうです」
「量は?」
「全体量に変更はありません。同じ車両に積載済みです。ただ、受領後に通常保管へ回せない物が何点かあります」
千紘はその会話を聞きながら、嫌な予感に従って尋ねた。
「それって、私たちの仕事としてはどうなるんですか?」
課長補佐が資料へ視線を落とした。
「搬入と同時に区分確認。要冷蔵品は保存状態を記録して研究部門へ連絡、隔離対象は撮影と外観記録を最低限済ませて専用保管へ移す」
「つまり?」
「手順が増えた」
「量は増えてないのに?」
「増えてない」
「仕事だけ増えた?」
「そうなるな」
千紘はしばらく黙ってから、まだ半分ほど残っていた栄養補助食品を袋へ戻した。
「私、異動してきた時に聞いたんですけど、この部署って今後人員拡充する予定なんですよね」
「予定はある」
「その『予定』って、ダンジョンの完全解明とどっちが先ですか?」
「難しい質問だな」
「即答してくださいよ」
今度は周囲から小さな笑い声が上がった。
その時、課長補佐が手元の資料をもう一度確認しながら、千紘の机へ一枚の紙を置いた。
「相沢さん。悪いけど、到着前に前回提出分の管理記録を出しておいてくれ。今回の装備品と比較する可能性がある」
「今からですか?」
「今から」
「どの記録を?」
「前回の高階層武器関係、全部」
千紘の表情が止まった。
前回提出された武器について、撮影記録、寸法、重量、材質分析の途中経過、自衛隊で行われた試験結果、現在の保管場所や貸出状況まで含め、今回届く物とすぐ比較できる状態へまとめろという意味だった。
今夜届く荷物は大型ワンボックス一台分しかない。
だが、その一台に載っている物の多くが、既存の分類そのものを書き換える可能性を持っている。
「課長補佐」
「なんだ?」
「一台分なら何とかなるかもって、さっき一瞬だけ思った私を返してください」
「俺も最初はそう思った」
「じゃあ最初から喜ばせないでくださいよ!」
管理班のあちこちから笑い声が上がったが、誰一人として手は止めなかった。
誰か一人だけが忙しいのではなく、部署そのものが増え続ける回収品に追いつけなくなりつつある。その中へ今夜、量だけなら大型ワンボックス一台分という、決して異常とは言えない規模の搬入が追加される。
ただし、その中身は別だった。
既存の低層回収品とは明らかに異なる可能性がある装備品に、分類照合を急ぐ必要のある魔石、保存条件から確認しなければならない生物素材。そのどれもが、最初から「後で見ればいい」と棚へ置いておける物ではなかった。
相沢千紘は二十五歳にして、異常空間回収品管理班という仕事について一つだけ確信し始めていた。
大変なのは、大量に届く時だけではない。
たった一台で来ようが、箱が数個しかなかろうが、その全部に【最優先】と書かれていれば、結局やることは何も減らない。
「……最優先って、もう少し選ばれた物に使う言葉じゃないんですかね」
誰にともなく漏らした千紘の声に、大森がキーボードを叩きながら答えた。
「その意見は上に送っとくか?」
「最優先でお願いします」
大森が吹き出し、千紘も少しだけ笑った。
その直後、画面の隅に搬入車両の到着予定まで残り三十七分と表示された。




