第234話 先行到達者
グラントの緊急報告が終わるより先に、帰還区画の隔壁が閉鎖された。
警備要員が周囲から退避し、防護装備を着た医療班と検査班だけが四人へ近づく。ケイレブは負傷した腕を固定され、そのまま簡易隔離室へ運ばれた。残る三人も武器と装備を一時的に預け、身体検査と付着物検査を受けることになった。
通常の帰還手順にも含まれている検査だったが、今回は扱いが違う。
六層で未知の生物と接触しただけでなく、別のダンジョンから来た可能性が高い人間と会話している。
その事実が報告された時点で、現場の判断だけでは処理できなくなっていた。
ハウンド・スリーの四人が使用した転移地点も、即座に立入禁止となった。
床に浮かんでいた光の円は、四人が帰還した後も消えていない。計測装置を向けても、通常の光や熱とは異なる反応が確認されるだけで、仕組みまでは分からなかった。
帰還から二十分後、遠隔会議用の大型画面にミリアム・ヴォス特別補佐官が映し出された。
現地責任者、軍の担当官、分析部門、医療責任者が接続し、隔離室にいるハウンドの四人も別々の端末から参加する。
最初に求められたのは、口頭での説明ではなかった。
「記録映像を最初から再生してください」
ミリアムの指示で、六層へ入った直後からの映像が共有された。
森の中を進む四人。
複数方向から接近する狼型。
銃撃を受けても即座には止まらず、隊列へ食い込んでくる個体。
ケイレブが腕を負傷し、撤退経路を探している最中に、木々を押し倒しながら接近してくる巨大生物。
映像の中でコールの大口径弾が命中する。
着弾によって体表の一部が弾けたものの、巨大生物の進行速度はほとんど変わらなかった。
「ここで使用した弾薬は?」
軍側の担当官が尋ねる。
コールが隔離室から答えた。
「現行装備で持ち込める中では、最も威力の高いものだ。弱点へ正確に当てられれば結果は違ったかもしれないが、正面から動きを止めるのは難しい」
「黒い槍は使用しなかったのですか?」
「接近する前に潰される。使える距離まで入る状況じゃなかった」
映像が進む。
巨大生物が突進を始め、四人が左右へ散ろうとした直後、画面の端に白い人影が入った。
最初は、人間ほどの大きさにしか見えない。
顔も体も白い何かに覆われ、装備らしい装備は確認できなかった。
その右腕が変化する。
映像が一時停止され、分析部門が拡大と低速再生を行った。
細い糸のようなものが重なりながら腕全体を覆い、元の太さを大きく超えて膨張していく。腕だけではない。右肩から胴体、脚部へ何かが連動し、打撃の瞬間には全身で巨大な質量を支えているように見えた。
白い拳が巨大生物の側面へ当たる。
直後、突進していた巨体が進路を外れ、地面を削りながら横へ倒れ込んだ。
会議に参加していた者たちは、すぐには何も言わなかった。
映像には音も残っている。
衝突音だけを聞けば、車両同士が正面からぶつかったようだった。
「攻撃後の対象は?」
ミリアムが尋ねる。
グラントが答えた。
「生存しています。白い人型は追撃しませんでした」
「なぜ巨大生物は逃げたのですか?」
「分かりません。こちらへ向き直った後、白い人型の背後を見て反応しました。そのまま森の奥へ逃げています」
映像が再開される。
巨大生物は立ち上がった後、白い人型と正面から向き合っている。その状態で急に動きを止め、何も映っていない森の奥へ顔を向けた。
次の瞬間には、明らかな逃走へ転じている。
分析官が映像の明度を上げ、木々の間を拡大した。
枝葉がわずかに動いている場所はある。
しかし、それだけだった。
巨大生物が何を見たのかは確認できない。
「白い人型が、周辺の生物を制御していたという判断の根拠は?」
「本人が認めています」
グラントが答えた。
「少なくとも、周辺にいるものは指示に従うと説明しました。その後、扉へ移動する間は一度も襲撃を受けていません」
エレナが自分の記録端末から、移動中の測定結果を共有する。
「完全に生物がいなくなったわけではありません。複数の反応が一定の距離を維持しながら、私たちの移動に合わせて動いていました」
「護衛されていたということですか?」
「敵対する生物を近づけないようにしていた可能性があります。ただし、姿を確認できたわけではありません」
ケイレブは発言しなかった。
映像越しでも、あの森で感じたものは再現できない。
白い人型が黙り込んだ瞬間に周囲の意識が集まり、それが銃を下げた後で弱まったことも、数値や映像だけでは説明しきれなかった。
会議では、その後に交わされた会話も確認された。
白い人型は簡単な英語には直接答えたが、複雑な内容はスマートフォンを介して伝えている。画面には相手が見せるために用意した文章だけが表示されており、入力時の情報は残っていなかった。
使用された端末の機種を特定しようとする意見も出たが、防護物に覆われた手と画面の一部しか映っていない。購入地域や所有者へつながる情報は得られなかった。
映像から確実に分かるのは、相手が人間用の機器を使い、その操作に慣れていたことだけだった。
「相手は、自分を人間だと認めた」
ミリアムが確認する。
「はい」
「所属や氏名は?」
「答えていません」
「あなたたちのことは知っていた」
「そう話しています」
「一方的に接触できる手段も持っていると?」
「約束が守られていれば、向こうから連絡すると言われました」
ミリアムは少しの間、画面の中のグラントを見た。
「あなたは、それを可能だと考えていますか?」
「可能かどうかではなく、可能だという前提で行動します」
「理由を聞かせてください」
「できないと決めつけた場合の損失が大きすぎるからです」
グラントは迷わず答えた。
「我々は、相手が六層の生物をどこまで動かせるのか知りません。六層以外にどのような活動手段を持っているのかも分からない。できないと判断して約束を破り、後から監視されていたと分かるより、最初から見られているものとして扱うべきです」
軍側の担当官が口を挟む。
「約束の具体的な内容を、もう一度確認します。ハウンド・スリーの四人は六層へ戻らず、ほかの人間を案内しない。その代わり、相手は一度だけあなたたちの依頼を受ける」
「正確には、受け入れられない内容であれば拒否できる。依頼の完了を判断するのも相手です」
「契約としては、あまりにも相手側へ有利では?」
「契約書を作ったわけじゃない」
コールが答えた。
「巨大生物を殴り飛ばした直後の相手と、森の中で交わした約束だ。対等な交渉だったと言うつもりはない」
「では、強要されたと?」
「お願いの形をした命令だった」
グラントが引き取った。
「それでも、我々は受け入れた。助けられた後で条件を聞き、話し合った上で約束しています」
別の担当者が資料を開く。
「ハウンド・スリーが戻らないのであれば、別の部隊を編成することは可能です。皆さんが直接案内せず、記録された経路だけを使用するなら――」
「それは案内したのと同じだ」
グラントが遮った。
「我々が持ち帰った経路、映像、戦闘記録を使って別部隊を送り込めば、言葉の上では案内していなくても、実質的には我々が連れていったことになる」
「しかし、六層が複数のダンジョンと接続しているなら、国家安全保障上、調査を止めることはできません」
「調査を止めろとは言っていない。俺たちの情報を使って、俺たちが入った入口から六層へ向かうことに協力しないと言っている」
「第五層までの攻略記録も提供しないと?」
「既に提出した記録を回収しろとは言わない。だが、六層へ到達するための新しい部隊に助言することはない」
会議室の空気が変わった。
ハウンド・スリーは政府機関の部隊ではないが、攻略に必要な支援の多くを国から受けている。その関係を考えれば、任務方針に正面から異議を唱えることは簡単ではない。
それでもグラントは態度を変えなかった。
「あなたたちは、今後このダンジョンの攻略を中断するつもりですか?」
ミリアムが尋ねた。
「中断ではなく、終了します」
「六層へ戻る手段が存在していても?」
「だからこそです」
グラントは三人へ一度視線を向けた。
「ケイレブの治療と全員の休養が終わり次第、ハウンド・スリーは別のダンジョン攻略へ入ります。この入口から先へ進むことはありません」
「別のダンジョンを選ぶ理由は?」
「我々は探索者です。一つの入口へ固執する理由はない。約束を破らずに活動を続けるなら、攻略対象を変えるのが最も明確です」
コールが壁へ背中を預けたまま続ける。
「ここに残って毎日あのワープを見ていたら、誰かが使えと言い出す。俺たち自身も、何があるのか確かめたくなるかもしれない。それなら、離れた方がいい」
エレナも同意した。
「別のダンジョンを進めれば、階層接続が六層だけの現象なのかを比較できます。調査としても無意味ではありません」
ミリアムはすぐには返答しなかった。
ハウンド・スリーをこのダンジョンへ残せば、六層への再進入を求める意見は必ず出る。
本人たちが拒否していても、支援停止や契約の変更を材料に圧力をかけようとする者は現れるだろう。
その状態を続けるより、別の攻略対象へ移した方が、約束を守りながら戦力を活用できる。
「移動先については、候補をこちらで提示します」
ミリアムが言った。
「ただし、正式決定はケイレブの治療結果と、今回の検査が終わってからです」
「それで構いません」
グラントが答えた。
その時、帰還区画を映していた別画面で動きがあった。
防護服を着た検査要員が、床に残る光の円へ計測器を近づけている。
「転移地点の検証を開始します」
現場責任者が報告した。
ハウンドの四人が帰還した後も、光の円に目立った変化はない。
最初に無人機が近づけられた。
車輪式の小型機が光の中へ進入する。
何も起きなかった。
無人機は円の反対側まで通過し、そのまま停止した。
「物体だけでは反応しない可能性があります」
検査担当者が言う。
「生体への反応を確認します」
安全索を装着した要員が光の円へ片足を入れる。
グラントが使用した時のような発光の増加はない。両足で中央へ立っても、要員の姿はその場に残ったままだった。
「反応なし」
「もう一名、交代してください」
体格の異なる要員が試したが、結果は変わらない。
医療班の一人、警備要員、五層まで同行経験のある探索者も順番に確認した。誰が中央へ立っても転移は起こらず、床の光にも変化は見られなかった。
「ハウンド・スリーの装備を持たせてください」
軍側から指示が出る。
回収済みの予備装備を検査要員が身につけ、再び円へ入る。
それでも反応はない。
「装備の識別ではありません」
エレナが映像を見ながら言った。
「六層へ到達した人間を記録している可能性がある」
「四人だけが使用できるということですか?」
「現時点では、そう見えます。ただし、私たち全員が同じ条件を満たしているため、個人単位なのか、攻略隊単位なのかまでは分かりません」
「確認のため、四人のうち一人に再度使用してもらうことは?」
担当者の提案に、グラントは首を横へ振った。
「断る」
「入口側から使用した場合、五層へ移動するだけかもしれません」
「その先に六層へつながる扉がある。約束をした直後に、動作確認のため戻るつもりはない」
「帰還目的の使用は認められていたのでは?」
「五層からこちらへ帰るために使うことと、こちらから五層へ入ることは違う」
グラントは床の光を映す画面を見た。
「今ここから使えば、目的が検証でも、俺たちは再び六層へ近づくことになる」
誰もすぐには反論しなかった。
無人機にも、ほかの人間にも反応しない。
ワープは存在しているが、現時点ではハウンド・スリーの四人にしか利用できない。
政府側が新しい部隊を送り込もうとしても、この近道は使えなかった。
「第五層まで正規経路で攻略する部隊を送る案は残ります」
軍側の担当官が言った。
「それを止める権限は、俺にはない」
グラントが答える。
「だが、俺たちは協力しない」
「白い人型から得た一度の協力を、国家的な危機へ使うよう求められた場合は?」
「提案を聞くことまでは拒まない」
「最終判断は?」
「四人で決める」
グラントはケイレブ、コール、エレナを順番に見た。
「誰か一人の判断でも、政府の命令でも使わない。俺たち四人が必要だと決め、相手も受け入れた時だけだ」
ケイレブは固定された腕を見下ろしたまま、静かに頷いた。
コールも笑わなかった。
エレナは記録端末へ、その条件を正式に入力する。
ミリアムは四人の反応を確認した後、現地責任者へ指示を出した。
「転移地点を封鎖してください。ハウンド・スリー以外が使用できないという検証結果を記録し、追加実験には私の承認を必要とします」
「了解しました」
「六層への新規部隊派遣は?」
軍側の担当官が尋ねる。
「保留です」
「しかし――」
「到達したばかりの四人が全滅しかけ、現在の装備では巨大生物を止められなかった。さらに、現地へ先行到達している正体不明の人間から、再進入しないよう明確に求められています」
ミリアムの声は落ち着いていた。
「何も分からない状態で新しい部隊を送ることは、調査ではありません。損失を増やすだけです」
会議は一時中断となった。
映像、装備、計測結果は最高機密区分で分析される。ハウンド・スリーの四人は検査終了まで隔離を続け、ケイレブはそのまま医療施設へ移送されることになった。
画面が順番に消えていく中、コールがグラントへ声をかけた。
「次はどこへ行く?」
「まだ決まっていない」
「森以外がいい」
ケイレブが言った。
冗談なのか本気なのか、声だけでは分からなかった。
コールは少し迷った後で笑う。
「砂漠はどうだ?」
「今は何でもいい。周囲から見られていない場所ならな」
「ダンジョンでそれを求めるのは難しいぞ」
エレナが端末から顔を上げた。
「候補の中には、地下湖型と岩山型があったはずよ」
「水中は嫌だ」
コールが即座に答える。
「では、岩山型だな」
グラントは隔離室の向こうにある帰還区画を見た。
床の光は、透明な遮蔽板と警備要員に囲まれている。
自分たちだけが利用できる六層への経路。
世界で最も価値のある入口の一つになるかもしれないが、ハウンド・スリーが再び使うことはない。
「次の攻略先は、ここから離れた場所にする」
グラントが言った。
「この入口で得たものは十分だ。俺たちは別のダンジョンへ進む」
光の円は残っていた。
しかし、そこへ入れるはずの四人は、すでに次の入口を見ていた。




