第204話 次に起きること
三枝久人が最初に思ったのは、自分たちの予想など当たらない方がよかった、ということだった。
前回と同じように内閣府の建物へ入り、受付で身分証を出してスマートフォンを預け、持ち物検査を受けた後、案内役の職員に連れられて静かな廊下を進む。床も壁も、通された会議室の机も以前と変わっていなかったが、三枝たちを迎える職員の目には、前回にはなかった切迫感が宿っていた。
以前は、少し変わった分野の人間から参考意見を聞くという距離が残っていた。今回は違う。職員たちは三枝たちを、現実に起きた事態を事前に予測していた人間として見ており、その期待が視線の一つ一つに含まれているように感じられた。
会議室には、前回とほぼ同じ顔ぶれが集められていた。現代ダンジョンものを長く書いてきた古参作家、迷宮攻略漫画の原作者、ダンジョンを題材にしたゲームシナリオを手がけてきたライター、ダンジョン管理ものを書いている若手のWeb作家、探索配信ものを当てた作家など、今回はダンジョン系の作品を主に扱ってきた者だけに範囲が絞られている。
「なんだか、前より扱いが重くなってませんか」
隣に座った若い作家が、前方の職員に聞こえない程度の声で言った。
「気づかないふりをしていたんですが、やっぱりそう見えますよね」
三枝も声を落として返した。
向かい側に座るゲームシナリオライターは、前回のようには笑わなかった。
「前に出した話のいくつかが、そのまま現実に出てきましたからね」
内部のモンスターを放置すれば個体数が増え、その影響で深い場所にいた個体が浅い階層へ押し出され、最終的には入口から地上へ流出するかもしれないという話は、創作の中では珍しくない。スタンピードという呼び名も、書店へ行けば何冊もの作品で見つかり、Web小説を探せば似た展開はいくらでも出てくる。
それが現実になった。
三枝は、手のひらに薄く汗がにじんでいることに気づいた。自分たちは未来を見たわけでも、異常空間の仕組みを解明していたわけでもない。ただ、長年積み上げられてきた物語の型から、起こり得そうな破局を洗い出しただけだった。
それでも今は、当てた人間として見られている。
前方の扉が開き、村瀬が数人の職員とともに会議室へ入ってきた。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
村瀬は一礼した後、席に着く前に出席者を見渡した。
「最初に申し上げます。中国国内で発生したとみられる事案について、政府として確認できている情報は限られています。流出映像の真偽、発生原因、現地の被害状況についても、現時点で断定できる段階にはありません」
机の上には、前回よりも薄い資料が置かれていた。
情報が少ないから薄いのか、それとも存在する情報の大半が開示できないから薄いのか、三枝には判断できなかったが、どちらにしても中国側の情報封鎖が極めて強いことだけは伝わってきた。
「ただし、入口周辺から複数種の異常生物が地上へ流出したこと、一定範囲が占拠されたこと、入口付近への大規模攻撃後に、それまで確認されていなかった大型個体が出現した可能性が高いことについては、複数の情報から裏づけが取れています」
誰も口を挟まなかった。
「前回の意見聴取において、先生方からは、内部個体の増加が浅い階層への押し出しを招き、その結果として入口からの大量流出が発生する可能性があるとの指摘がありました。現在、一般にはスタンピードと呼ばれ始めている事象です」
村瀬の視線が、三枝たちへ向けられる。
「今回の件には、その想定と一致する部分がありました」
三枝は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
褒められているわけではないと分かっていても、言葉は重かった。自分たちが口にした可能性の先で、現実に多くの人間が死に、今も占拠された地域に取り残されている者がいるかもしれない。
「本日は、今後、次に警戒すべき事象について、改めて意見を伺いたいと考えています」
会議室の空気が、前回よりも明確に固くなった。
若いWeb作家が手元の資料を見つめたまま、慎重に口を開いた。
「先に確認してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「今回の件を受けて、間引き論は政府内でも再検討されているんですか」
村瀬は、すぐには答えなかった。
「検討対象には入っています。ただし、内部のモンスターを定期的に減らせば安全になると断定できる材料はありません」
「それはそうだと思います」
若い作家は頷いた。
「中国の施設には軍が継続的に入っていたはずです。完全に封鎖されたまま放置されていた場所ではありませんから、少なくとも浅い階層の個体は、ある程度定期的に減らされていた可能性が高いと思います」
迷宮攻略漫画の原作者が、その意見を引き取った。
「だとすれば、今回の流出を単純な個体数増加だけで説明するのは難しいでしょう。間引き不足とは別に、何らかの発生条件が加わったと考えるべきです」
「どのような条件を想定しますか」
村瀬の問いに、何人かが黙って考え込んだ。
三枝は、資料の端を指で押さえながら口を開いた。
「人間側に、まとまった死者が出た可能性です」
職員たちの視線が一斉に集まる。
「詳しい仕組みは分かりません。ただ、ダンジョン内部で多数の人間が短時間に死亡したことが、内部の状態を急激に変える引き金になった可能性はあると思います」
「死亡そのものが影響したということでしょうか」
「死体に反応したのか、流れた血が影響したのか、あるいは多数の人間が一度に内部へ入ったこと自体に意味があったのか、今の段階では判断できません。ただ、普段の間引きでは起きない出来事が内部で発生したのだとすれば、候補の一つとして考えるべきだと思います」
村瀬は、隣に座る職員と短く視線を交わした。
三枝は、それ以上の説明を加えなかった。創作上の理屈なら、死体を食べたモンスターが成長する、血の匂いで深層種が動く、ダンジョンが犠牲を資源として取り込むといった設定はいくらでも作れる。
しかし、現実の事象をそこまで断定する材料はない。前回よりも頼られている今だからこそ、分からないものを物語の理屈だけで埋めてはいけないと強く感じていた。
白髪交じりのベテラン作家が、腕を組んだまま口を開いた。
「発生原因に別の条件があったとしても、間引きそのものは必要だと思います」
「理由をお願いします」
「内部を閉じたままにすれば、変化を知る手段まで失われます。浅い階層の個体数が増えていないか、深い階層にいた種類が上へ移動していないか、縄張りや活動範囲に変化がないかを確かめるには、定期的に人が入り、観測を続ける必要があります」
「間引きに、内部観測の役割も持たせるということですか」
「そうです。目についたモンスターを倒して数を減らすだけでは足りません。継続的に人が入り、内部の変化を記録し、異常があれば早い段階で撤退や避難へ移れる状態を維持するところまで含めて考えるべきです」
ゲームシナリオライターが頷いた。
「完全封鎖した場所では、異常の有無すら確かめられません。内部を見る画面を消し、警告を受け取る手段まで失った状態に近いと思います」
村瀬は、その言葉を書き留めた。
「つまり、個体数を抑えることに加えて、内部変化を追跡する役割も間引きに持たせるべきだということですね」
「はい。ただ、それだけで防げない発生条件が存在する可能性は残ります」
三枝が答えると、村瀬は小さく頷いた。
「次に警戒すべき事象として、内部変化の見落としと、通常の間引きでは対応できない発生条件の両方を考える必要があるということになります」
「それに加えて、今回の件で最も大きいのは、スタンピードが現実に発生したことだと思います」
三枝は、職員たちの反応を確かめながら続けた。
「これまでは、入口からモンスターが大量に出てくる事態を想定に入れたとしても、それが本当に起こるかどうかは分かりませんでした。ですが、少なくとも一度は実際に起きた以上、創作でよく使われる展開だからという理由だけで、似た破局を除外することはできません」
「どこまで可能性を広げるべきだと考えますか」
「全部に備えるのは不可能です。ただ、創作で繰り返し使われてきた破局を一覧にして、その中から現実に観測できる兆候を抜き出すことはできると思います」
三枝はそこで一度考え、断定にならないよう言葉を選んだ。
「入口への攻撃をきっかけに深い階層の個体が出てくる可能性や、占拠範囲が時間とともに広がる可能性、人間側の対応を繰り返し受けた個体が行動を変える可能性、あるいは一つの異常空間で起きた変化が別の入口にも影響する可能性など、今の時点ではすべて想像にすぎません。ただ、スタンピードも少し前までは同じように、創作上の想定として扱われていました」
職員の一人が口を開いた。
「可能性を広く取りすぎれば、政策として扱えなくなります。あらゆる事態を想定し、すべてに同じ水準で備えることはできません」
「分かっています」
三枝は頷いた。
「物語の展開を現実の仕組みだと決めつけるつもりはありません。ただ、作中で破局の前兆として描かれる現象を、現場で確認できる項目に変換することはできます。群れの動きが急に統一される、通常は深い場所にいる種類が浅い階層で確認される、入口付近の個体が奥へ戻らなくなる、倒した個体や遺体の扱いが変化するといったものです」
若い作家が続けた。
「入口の形状が変わる、内部の通路が以前と違う場所へつながる、活動時間や再出現までの間隔が変化するといったものも、観測対象にはできると思います」
「そのような変化を、創作上の破局例と対応させて整理するということですね」
「はい。創作の名称や設定を信じる必要はありませんが、危険な変化を見落とさないための発想としては使えると思います」
村瀬はしばらく黙って資料へ目を落とした後、顔を上げた。
「整理します。今後の間引きには、個体数の抑制と内部状態の継続観測という二つの目的を持たせる必要があります。一方で、今回の発生には通常の間引きだけでは防げない条件が加わった可能性があり、その候補として、内部で多数の人間が短時間に死亡した事態を考慮するべきだという意見が出ました」
誰も異論を挟まなかった。
「さらに、創作上で繰り返し描かれてきた破局を参考にしながら、現場で確認可能な兆候を観測項目として整理する必要があるということですね」
村瀬は会議室を見渡した。
「先生方には、引き続き協力をお願いしたいと考えています」
三枝は、思わず視線を落とした。
以前なら、有識者と呼ばれること自体をどこか滑稽に感じ、帰宅した後で知人に話せないのが惜しいとすら思っていたかもしれない。しかし今は、次に何が起きるかを考える役として頼られていることが、ただ重かった。
自分たちが書いてきた物語では、周囲に信じてもらえなかった警告が当たり、予言者や学者が正しさを証明する場面は珍しくない。主人公の側に立っていた人物なら、認められたことを誇らしく感じるように描かれることもある。
現実では、一度当たれば次も答えを求められる。何も分からないまま口にした仮説が政策へ影響するかもしれず、外した時だけでなく、半端に当たった時に何が起きるのかまで考えなければならない。
「では」
村瀬が静かに言った。
「次に起こり得る事態について、引き続き意見を出していただけますでしょうか」
三枝は、まだ何も書かれていない白い紙へ目を落とした。
そこへ最初の一行を書くことが、前回よりもはるかに難しく感じられた。




