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寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


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第194話 到達の後

五層へ続く階段を、先行戦闘部隊の最後尾が上り切った。

狭い石造りの通路へ出た兵士たちは、左右の壁と天井、足元を順番に確認する。四層までと比べて空気が乾いていた。壁面には一定の間隔で細い溝が走り、床には石板が隙間なく並んでいる。

先頭を進む兵士が、右手を上げた。

隊列が止まる。

後方から続いていた足音も、順番に消えていった。


「第五層への到達を確認」


現場指揮官が通信機へ報告する。

少し間を置いて、四層側に設置された中継器から応答が返った。


『映像を受信した。階層表示は確認できるか』


「表示らしきものはありません。構造は人工的です。通路幅は約三メートル。現時点で敵影なし」


指揮官の前では、工兵二名が長い棒を使い、最初の石板を一枚ずつ調べていた。押しても沈まない。隙間へ刃を差し込んでも、内部で何かが動く感触はなかった。

それでも誰も足を踏み出さない。

五層について得られている情報は、アメリカの民間探索者が公開した短い映像だけだった。

罠が多い。

帰路に付けた印を消す生物がいる。

その程度しか分かっていない。


「第一班、前進」


工兵の合図で、盾を持った兵士が石板へ足を乗せた。

何も起きない。

二歩目。三歩目。

後ろの兵士たちも、間隔を空けて続いた。

五層到達部隊は、ここへ来るまでに二十七名を失っていた。死亡確認済みが十一名。搬送中の重傷者が十六名。別の部隊も同じ四層攻略へ挑み、撤退している。

今回投入された人員は、攻略戦闘部隊だけではない。

罠を処理する工兵、負傷者を運ぶ救護要員、弾薬や水を運ぶ補給班、通信中継班、交代要員。四層から五層へ続く経路の各所にも、帰還支援のための部隊が残されている。

国家規模の支援を投入して、ようやく到達した五層だった。


「前方、分岐」


先頭から報告が入った。

通路は三十メートルほど先で、左右へ分かれている。右側から微かな音が聞こえていた。硬いものが、石の表面を細かく引っかくような音だった。

指揮官は携帯端末へ表示された隊列を確認する。

先行戦闘部隊は三十二名。工兵を含めた第一梯団は、すでに五層へ入り終えている。第二梯団となる救護・補給部隊は、まだ階段の途中だった。

規定では、五層へ到達した時点で入口付近を確認し、階層構造と危険性を記録して撤退する。

事前に決められていた。

指揮官自身も、その命令へ署名していた。


『現地指揮官。到達映像は受信した』


通信の向こうから、上級司令部の声が届く。


『階層内の安全区画を確保できるか』


「現時点では判断できません。分岐まで進み、周辺を確認する必要があります」


『五層到達だけでは、常設経路の構築はできない』


指揮官はすぐには答えなかった。

間違った指示ではない。

到達地点だけを撮影して撤退すれば、五層へ入ったという記録は残る。しかし、次の部隊は同じ場所から、何も分からないまま調査を始めることになる。

安全に人員を待機させられる場所。

物資を集積できる空間。

後続部隊が展開できる幅。

それらを確認しなければ、到達を攻略成果へ変えることはできない。

だが、五層の調査は最初から任務に含まれていなかった。


「分岐まで進みます」


指揮官は答えた。


『どこまでだ』


「左右の通路を短距離確認し、待機可能な区画がなければ撤退します」


通信の向こうで協議する声が遠く聞こえた。

明確な許可は返ってこなかった。

代わりに、別の声が入る。


『現場判断を認める。ただし、損耗を増やすな』


許可ではない。

中止命令でもなかった。

指揮官は前進を命じた。

先頭の盾兵二名が分岐へ近づく。工兵が床と壁を確認し、その後ろを射撃要員が進んだ。

右側の通路を覗いた兵士が銃を構える。


「敵影。三体」


通路の奥に、犬ほどの大きさの生物が三体いた。

胴体は盾を伏せたように平たく、灰白色の甲殻が何枚も重なっている。左右から三対の短い脚が伸び、先端の鉤爪で石床をつかんでいた。頭部らしい膨らみはなく、甲殻の前端に並んだ細い裂け目だけが、青白く湿った光を返している。

三体とも、腹を床すれすれまで下げたまま隊列へ正面を向けていた。

武器にあたるものは見当たらない。

一体が脚を細かく動かし、後方へ滑るように下がった。


「逃がすな」


指揮官が命じるより早く、先頭の兵士が発砲した。

銃声が石の通路へ反響する。

弾丸を受けた一体の甲殻が割れ、身体が横へ弾かれた。残る二体は一斉に向きを変え、六本の脚で石床を引っかきながら奥へ走る。

盾兵と射撃要員が追い、工兵もその後へ続いた。


「前へ出すぎるな。分岐から二十メートルまでだ」


指揮官が追従する。

逃げた二体は、低い姿勢のまま石床へ張りつくように走った。一体が後部の甲殻へ銃弾を受け、脚をもつれさせて壁へ衝突する。

最後の一体も通路の奥へ追い込まれた。

兵士が引き金を引いた。

乾いた音だけがした。

弾切れではない。

銃口の前で、細い石壁が床から突き上がっていた。

盾のように現れた壁へ弾丸が当たり、破片が飛び散る。最後の一体は、その向こうへ姿を消した。


「停止!」


指揮官の声で、追撃していた兵士たちが足を止めた。

工兵が前へ出る。

床から出た石壁は、人の胸ほどの高さしかない。表面には新しく削れた跡があり、両端に細い隙間が見える。


「罠か」


「その可能性があります」


工兵は周囲の床を調べた。

追撃中に踏んだ石板のうち、一枚だけが僅かに沈んでいる。


「起動板を確認。後退してください」


隊列が少しずつ分岐側へ戻る。

石壁は動かない。

壁の隙間にも、床の下にも変化は見られなかった。


「不発か」


兵士の一人が言った。

工兵は答えず、石板の周囲へ印を付けた。


「作動した結果が、あの壁だけとは限りません」


「解除できるか」


「構造が分かりません。踏み直さない方がいい」


指揮官は、沈んだ石板を迂回するよう指示した。通路幅は狭いが、一人ずつ壁際を通れば戻れる。

その頃、第二梯団が五層へ入り始めていた。

救護要員が担架を運び、補給班が水と弾薬を積んだ背負い籠を降ろす。通信班は階段付近へ新たな中継器を設置し、四層側との通信状態を確認していた。

第一梯団の兵士が分岐から戻ってくる。

交戦で負傷した者はいない。

甲殻を持つ小型モンスター二体を倒し、一体を逃した。

初めての戦闘としては、悪くない結果だった。


「右通路は罠あり。左通路を確認する」


指揮官が命じると、副官が近づいた。


「撤退命令は」


「出ていない」


「継続命令も出ていません」


「待機区画を確認するだけだ」


副官は階段側を見る。

後続部隊が五層へ入ってきている。狭い通路へ人員と物資が集まり始めていた。


「先に後続を止めるべきです」


「五層側へ集積点を作る。四層の通路へ置いておくより安全だ」


「安全かどうか、まだ確認できていません」


指揮官は、沈んだ石板を振り返った。

罠は見つけた。

作動も確認した。

犠牲は出ていない。

危険性を把握した上で進むなら、無謀ではない。ここで撤退すれば、二十七名の損失と引き換えに得られるのは、五層へ足を踏み入れたという事実だけになる。


「左を十メートル確認する。それで終わりだ」


副官は反論をやめた。

左通路へ工兵が入る。

床を一枚ずつ調べ、壁の溝へ細い器具を差し込む。右側の罠と似た起動板は見つからない。


五メートル。


八メートル。


十メートル。


何も起こらなかった。


「もう少し先に、広い空間があります」


工兵が奥を照らした。

通路の先で、壁が左右へ広がっている。

十メートルという制限を越えていたが、そこまで行けば集積点に使えるかどうか確認できる。

指揮官は前進を命じた。

その瞬間、右通路の奥で石が落ちる音がした。

全員が振り返る。

先ほど床から突き出した石壁が、ゆっくりと沈み始めていた。


「罠が戻るぞ」


工兵が声を上げる。

沈んだ石板も、元の高さへ戻っていく。

指揮官はそれを見て、判断した。


「再作動する可能性がある。右通路を封鎖対象とする」


異変は、それだけに見えた。

罠は一度作動し、一定時間後に元へ戻った。

右通路へ入らなければいい。

左通路の確認を進めれば、待機場所を確保できる。

誰も、最初に踏まれた石板が別の仕掛けまで動かしていたとは気づかなかった。

五層へ入った第二梯団は、階段と分岐の間へ密集していた。


担架を置く場所を作るため、補給物資が壁際へ積まれている。通信要員は中継器の調整を続け、救護班は四層から運び込まれた負傷者の状態を確認していた。

最初の低い振動を感じた者は、機材の動作音だと思った。

次に、通路の前後で石が擦れる音が響いた。

第二梯団の中央にいた兵士が、天井を見上げる。


「何の音だ」


階段側の壁から、厚い石板が落ちた。

五層と四層を繋ぐ通路が塞がれる。

ほぼ同時に、分岐側でも石壁が床から立ち上がった。後続部隊の前後が完全に閉じられる。


「罠だ!」


通信へ叫び声が入る。

指揮官が分岐へ走った。

立ち上がった石壁の向こうで、銃声と悲鳴が重なる。工兵が壁の隙間へ器具を差し込もうとしたが、先ほどの石壁とは厚さが違った。


「第二梯団、状況を報告しろ!」


『閉じ込められた! 前後の通路が――』


音声が途切れる。

地面が大きく揺れた。

壁の向こうから、何かが崩れる轟音が響く。

床だった。

閉じ込められた区画の石板が、中央から順番に落下していく。人員、担架、弾薬、水、通信機材がまとめて暗い穴へ呑み込まれた。

落下音はすぐには止まらなかった。

下には別の空間がある。

かなり深い。


「壁を破壊しろ!」


指揮官が命じる。

工兵が爆薬を取り出す。

副官が腕を掴んだ。


「待ってください。内部構造が分かりません」


「後続が落ちた!」


「壁を壊せば、残っている床まで崩れる可能性があります」


「生存者がいる!」


石壁の向こうから、かすかな声が聞こえていた。

叫びではない。

助けを求める声だった。

指揮官は通信機を握り直す。


「司令部、第二梯団が罠を受けた。多数が下層空間へ落下。通路は前後を閉鎖されている。救助部隊を要請する」


返答はすぐに来なかった。

四層側の中継器も、落下した第二梯団とともに失われている。

雑音の後、弱い音声が返る。


『被害規模は』


「不明。第二梯団の大部分です」


『撤退経路は』


「五層と四層の接続部が閉鎖されています」


『開放できるか』


「工兵が確認中です」


石壁の下部から、赤い液体が流れ出した。

血だった。

細い溝に沿い、指揮官の靴元まで伸びてくる。

壁の向こうでは、まだ生存者が助けを求めている。

そのさらに下、落下した空間の奥から、何かが動く音が聞こえ始めていた。

一体ではない。

濡れたものを引きずる音が、暗い底でいくつも重なっている。

五層到達の報告が中国国内の司令部へ届いてから、まだ一時間も経っていなかった。


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