表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
寄生虫と行く現代ダンジョン  作者: 脳タリン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

184/420

第184話 ダンジョンの殺意

 五層は、入口から静かだった。

 静かすぎた。

 四層までは、まだ分かりやすい気配があった。敵の足音、呼吸、石を擦る音、何かが動いた後の湿った臭い。危険はあったが、危険がそこにいると分かるだけの情報もあった。

 五層には、それが少ない。

 代わりに、通路そのものが嫌な沈黙を持っていた。

 グラントは大楯を前に出し、半身で進む。四層の報酬として持ち帰ったそれは、見た目の圧に反して、扱えないほど重いわけではない。ただ、狭い通路で構えるには大きすぎた。角度を誤れば壁に引っかかり、後ろの視界も塞ぐ。

 コールは黒い槍を低く構え、グラントの左後方についた。エレナは後列で負傷対応と記録を兼ね、ケイレブは床と壁ばかり見ている。

 それが、五層に入ってからの基本隊形だった。


「止まれ」


 ケイレブが言った。

 グラントの足が止まる。

 コールも止まった。エレナは一拍遅れたが、すぐに膝を落として後方を確認する。


「床?」


 グラントが聞いた。


「床と壁。たぶん両方」


 ケイレブは膝をつき、足元の石板を指した。

 石板の継ぎ目に、乾いた泥のようなものが詰まっている。自然に溜まった汚れにも見えるが、継ぎ目の一部だけが妙に細い。


「この線、踏むと沈む。沈んだら、右の壁穴が開く」


「槍?」


 コールが壁を見る。


「杭だと思う。金属じゃない。骨か木か、何か硬いもの」


「解除できる?」


「できるかもしれない。でも、解除しようとして近づくと、こっちの線に触る」


 ケイレブが別の継ぎ目を指した。

 最初の線から半歩ずれた位置に、さらに細い溝がある。


「罠を避けるために近づくと、別の罠を踏むようになってる」


 エレナが息を吐いた。


「性格が悪い」


「性格があるならな」


 コールが短く返す。

 グラントは大楯の角度を変えた。盾で右側を塞げば、杭が出ても止められるかもしれない。ただ、そうすると後ろの二人が見えなくなる。


「盾で受ける」


「やめた方がいい」


 ケイレブが即座に言った。


「理由は」


「右を塞ぐと、左に寄る。左に寄ると、あの石が沈む」


 指された先に、小さな石があった。

 小石にしか見えない。だが、周囲の砂の乗り方が不自然だった。置かれているのではなく、そこだけが薄く被せられている。


「踏まなくても、蹴れば動く。動いたら何が起きるかは分からない」


「戻るか」


 グラントが言った。


「戻るには、さっきの角をもう一度通る」


 エレナが後ろを見た。


「そこにもあった?」


「なかった」


 ケイレブは答えた。


「なかった、はずだ」


 その言い方で、全員が黙った。

 確認していない場所がある。見落とした可能性がある。五層では、その差がそのまま死に近づく。

 コールが舌打ちした。


「前進も後退も罠か」


「今のところ、横も罠だ」


 ケイレブは淡々と言った。

 冗談の余地はなかった。

 彼はチョークで床に小さく印を付け、さらに壁に布テープを貼った。矢印ではなく、短い線と点を組み合わせた記号だった。方向を示す印は、間違って読まれると危険になる。

 グラントはそれを見てから、低く言う。


「人数を増やしていたら、ここで詰まっていたな」


「詰まるだけで済めばいい」


 コールが返した。


「先頭が止まる。後ろが止まる。最後尾は理由を知らない。誰かが体勢を変える。誰かが声を出す。誰かが助けようとする。そのたびに踏む場所が増える」


 エレナが言った。


「大人数で安全にする場所じゃない」


「大人数をまとめて殺す場所だ」


 グラントの声は平坦だった。

 その言葉を口にした直後、後方で小さな音がした。

 紙を裂くような音だった。

 エレナが振り向く。

 さっき角に貼った布テープの端が、壁から消えていた。

 最初は剥がれただけかと思った。だが、テープの切れ端が床に落ちていない。壁の隙間に、白っぽい小さな影が入り込むのが見えた。


「何かいる」


 エレナが言った。


「大きさは」


「手のひらくらい。テープを持っていった」


 コールが槍を向けかけた。

 グラントが短く止める。


「追うな」


 コールは止まった。

 正解だった。

 白い影が入った隙間の下に、細い糸のようなものが一本だけ張られていた。追って一歩踏み込めば、まず触る。


「目印を消すやつがいる」


 ケイレブが言った。


「罠だけじゃない。帰り道も触ってくる」


 エレナは唇を噛んだ。

 入口からここまで、彼らは慎重に進んでいた。印もつけていた。戻る道も確認していた。その前提が、いま一つ削られた。

 グラントは後ろを確認し、次に前を見た。


「ここで引くか」


「まだ入口から深くない」


 コールが言った。


「深くないから引ける」


 グラントの返事に、コールは反論しなかった。

 四層を越えたからこそ、分かることがある。進めるかどうかと、進むべきかどうかは同じではない。

 彼らは少しずつ後退した。

 来た道をそのまま戻るだけのはずだった。

 だが、三つ目の印が見つからない。

 ケイレブの顔が変わった。


「印がない」


「剥がされた?」


「違う。壁の傷もない。場所が違う」


「迷った?」


 エレナが聞く。


「迷ってない」


 ケイレブは即答した。


「迷ってない。通路の形が同じすぎる」


 その言葉の直後、天井の色が少しだけ動いた。

 全員が止まる。

 薄い甲殻のようなものが、石と同じ色で天井に張りついていた。胴体は平たく、脚は長い。蜘蛛ほど丸くなく、蜥蜴ほど厚くもない。そいつは彼らを見ていたわけではない。

 天井から垂れた細い糸を、前脚で器用に引いていた。

 切ったはずの糸が、ゆっくりと張り直されていく。

 外したはずの楔が、壁の穴へ押し戻される。

 少し沈んでいた床板が、元の高さへ戻る。


「……あいつだ」


 ケイレブが呟いた。


「罠を直してる」


「作ってるんじゃないのか」


 コールが聞く。


「たぶん違う。元からある仕掛けを、使える状態に戻してる。こっちが避けたもの、触ったもの、解除したものを戻してるんだ」


 天井の生き物は、こちらへ襲いかかってこなかった。

 ただ、作業を続けている。

 それが、かえって嫌だった。

 敵意を向けてくる獣なら、倒せばいい。だが、あれは倒すべき敵というより、ダンジョンの一部に見えた。人間が通った後を整え、次の人間を殺す準備を戻す器官。

 コールが槍を握り直す。


「撃つか」


「届くか?」


「届く。でも、落ちた先が罠の上なら終わる」


 グラントは一秒だけ考えた。


「撃たない。位置だけ覚えろ」


 天井の影は、糸を引き終えると横穴へ滑り込んだ。

 すぐに追える距離だった。

 誰も追わなかった。

 追えば死ぬと、全員が分かっていた。

 しばらく、彼らは動かなかった。動けなかったのではない。動く前に、床、壁、天井、背後、印、糸、音を一つずつ確認する必要があった。

 その確認に時間がかかる。

 時間がかかるほど、別の何かが目印を消す。

 目印が消えるほど、戻る道に自信が持てなくなる。

 五層は、前へ進む者だけでなく、戻ろうとする者にも手を伸ばしていた。

 十分ほどかけて、彼らは入口側の比較的広い場所まで戻った。

 そこで初めて、グラントは大楯を床に置いた。置く時も、床を叩かないようゆっくりだった。


「名前を決める」


 コールが言った。


「今?」


 エレナが眉を寄せる。


「今だ。呼べないものは共有できない」


 ケイレブが天井の方を見たまま、低く続ける。


「あの薄いやつは、切った糸を張り直した。外した楔を押し戻して、動いた床板も元の位置へ戻してる。罠を解除前の状態に戻してるんだ」


「じゃあ、罠の――」


「リセッター」


 エレナが言い切る前に、コールが切った。


「それで」


 グラントが即答する。


「早くない?」


 エレナが睨む。


「そんなことはない。今ここで悩む時間が惜しいだけだ」


 グラントの返事は短かった。

 コールは天井から目を離さずに言う。


「リセッター。罠を戻すやつだ。解除したものを、もう一度使える状態にする」


 次に、壁際を走った小さな影へ視線が移る。さっき床に付けたチョークの印が半分ほど削れていた。テープの端も消えている。


「あっちは?」


 ケイレブが言った。


「あれは――」


 エレナがまた口を開く。


「イレイサー」


 コールが先に言った。


「それで」


 グラントがまた決める。


「私に言わせる気ないでしょ」


「今はない」


「今は?」


「戻ってからなら聞く」


「絶対聞く気ないでしょ」


 コールは短く息を吐いた。


「イレイサー。印を消すやつだ。チョーク、テープ、ライト、布。帰り道の目印を消す」


「そのまますぎる」


 エレナが言う。


「そのままでいい。叫んで分かる名前がいい」


 コールは黒い槍を握り直した。


「リセッターとイレイサー。見つけたら位置を言え。追うな。追わせるために姿を見せてる可能性もある」


 誰も異論を挟まなかった。

 名前が決まったからといって、安全になるわけではない。それでも、同じものを同じ名前で呼べるようになっただけで、少しだけ状況を掴める。

 グラントは入口側を見た。


「今日はここまでだ」


「撤退?」


 エレナが聞いた。


「確認終了だ」


 グラントはそう言い直した。


「五層は、四人でも多い時がある。十人なら安全になるという考えは捨てる。人数を増やせば、踏む足も、消える印も、助けに動く手も増える」


 コールが頷いた。


「道が狭い。罠は連動してる。後ろまで情報が届く前に、誰かが動く」


「そして、リセッターが戻す。イレイサーが消す」


 ケイレブが続ける。


「ここは、隊列を長くした分だけ危ない」


 グラントは大楯を持ち直した。


「帰るぞ。五層は逃げる相手を追ってくる場所じゃない」


 そこで一度、言葉を切る。


「逃げる道を、先に殺してくる場所だ」


 彼らは入ってきた時よりも遅い速度で、五層から戻った。

 誰も勝ったとは言わなかった。

 ただ、全員が生きていた。

 その日の成果としては、それ以上を求めるべきではなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ