序章 燃え落ちた指先
※今回は流血・戦闘描写を含みませんが、残酷な描写が少し入ります。
記憶は朱。
または鼻の奥を刺すような臭い。
流れてくる煙。
手を引かれて外に出た。
眼前は燻る事なく勢いを増していく炎。
嘲笑われるように顔を熱気が舐めた。
ボクは走っていた。
大人も獣も風も星も、炎なんか追い付けないくらい必死に走っていた。
繋いだ手の温もりを救おうと必死だった。
少女が息を切らしながら声を上げたのでようやく歩を緩めると、少女は汗を垂らしながら先をやや早足で先導し始める。
「もう、これ以上行けないよ」
ボクはそう言って休憩を促す。
「でもきっと。木を伝って、火はここまで来るかもよ」
彼女は何かに怯えるように正面を向いたままだ。
「っ、ハァ……父さんと母さん達、あとで会おう、先に出ろって言ってたよね」
龍星が落ちたと逃げる途中で耳にした。
松明に当たったんだと。
確か、ボクらが産まれた日もそれは空を流れたと言う。
「……誰も居ない。みんなばらばらになっちゃった、ね」
彼女はようやく歩みを止める。
「……うん。ボク達だけだ」
そう言って息を整えるためにボク達は草の上に腰を下ろした。
「ねえ__」
こっちを見た彼女と顔を見合わせた。
走るのに必死だったから、二人して顔が煤で汚れていることに今更気づいた。
「あは、真っ黒」
「ふふ、ほんとだ」
お互い微笑み合うと、さっきまでの疲れが小さくなった気がした。
「それで、何かあった?」
ボクが促すとキミは頷き口にする。
「私、村で見たんだ」
彼女の瞳に黒い影が一瞬過った。
「炎の奥に」
瞬きをする。
白と赤色の両目。
「周りは赤くて眩しかったけれど、ううん……黒だった」
ボクと同じ瞳。
「あれは……」
風が止まった。
しん、と静けさがひと呼吸。
だが何かが羽ばたく様な音と、遠くからぱちぱちと木が爆ぜる音にかき消されてしまった。
「……行かなきゃ」
ボクは気付いた。
動物じゃない何かがボク達に近付いていた。
「でもどこに」
耳は草を踏む音を聞き分ける。
キミはまだ分かっていないようだったが、立ち上がるように手を引いた。
「__行こう」
「……うん」
不安そうに辺りを見回すキミを立たせて一度抱きしめる。
そしてまた手を繋いで走り始めた。
*****
ざっざと膝丈まである草を踏み越え走る。
後方からは変わらず足音が追ってきていたが、不思議なほどに会話などは何一つ聞こえて来なかった。
「キミは前を行って。ボクが後ろ守るから__」
「うん。……ありがとう」
キミは崖に沿って走り出す。
ボクは後ろをチラチラと見ながらキミの盾になるように後をついて行く。
汗が額を流れて目に入るのを袖で拭う。
木を避け泥を踏もうともスピードは落とさない。
「転ばないでね」
「大丈夫だよ。キミの方こそ__」
「転ばないってば」
「この前だって」
「知らないって」
冗談めいた会話をするが、お互いに心はそこまでの余裕はない。
背後の気配は間違いなく速くなっていた。
もう直ぐにでも捕まってしまう。
どこかに追い詰められていると気づいた時には遅かった。
「あっ……」
目の前でキミは立ち止まった。
眼前には迂回できないほど大きく削れた地面。
ゴクリと生唾を飲み込む。
背後は見なくとも退路が塞がれているのは分かりきったことだ。
少し背の低いキミを抱きしめて振り返る。
黒い服と布切れのようなマントを羽織った五人が立っていた。
だがボクと彼女の姿を見ると次々と跪く。
今まで感じていた気持ち悪さは当たっていた。
__殺気がないのが、逆に怖い。
そう。彼らからは一切の感情が読めなかったのだ。
空気が乾燥している。
喉の奥が熱く焦げたようで、何度唾を飲み込んでも潤いはしない。
キミはボクの腕を握りしめる力を強めた。
「なんでなの……」
彼女は振り絞った様な声で彼らに話しかけた。
だが返事はない。
これ以上、下がることもできなければ進むこともできない。
ならば彼らの目的を問いただそうと、彼女は意を決したように再度口を開いた。
「なんで、追いかけるの……!? だれ……!」
「……………………」
彼らは変わらず黙ったままだったが、一人がおもむろに立ち上がり、フードを脱いだ。
明るい色をした茶短髪が風に揺れる。
仮面は付けたままだったが、雰囲気が少し和らいだ様な気がした。
「王よ……我々と共に来ていただきたい」
「おう……よ?」
彼の発言に釣られてボクも口を開いた。
その言葉の意味がボクには分からなかった。
おう、と言った?
「えっと、ボク……違うよ……」
腕の中の彼女が身震いした。
男と目が合ったのか。
怖いのを見ないように手を彼女の顔の前に持って行く。
「……伝承にある通りの特徴を確認」
「でんしょう……?」
それも聞いたことがない言葉だった。
たまに来る行商人のおっさんからも聞いた覚えはない。
「伝承についての記録を参照__」
「なんだよ」
「七月七日、龍星降ル。__」
「やめろって」
「燃エル村ヨリ__」
「だからなんなんだよ……」
二羽ノ鴉出ル__」
「聞いてないんだって……っ」
もどかしさとわけがわからなさで握り拳を震わせる。
鴉だとか王だとか、伝承の話で頭はこんがらがっていた。
「我々__」
「ボク達は、ただの……狩人の家に生まれたんだっ」
分からない話を聞くのは嫌いだ。
さっきよりも少し大きめの声で抵抗するも、男は話を聞こうとしなかった。
「我々は、オートナイト。我々は、王命を遂行する。あなた方鴉は、王の__」
つらつらと話していた男が何かを言いかけた時だった。
腕の中の彼女がくるりとこっちを向いて、抱きついたまま崖の先にボクを押し倒した。
視界が大きく傾く。
__此処から先は今でも鮮明に覚えている。
その場所は村の近くで一番高い場所で、周りの木よりも高い崖は空と森を一望出来る場所だった。
崖の下は生い茂る木々で見えず、視界の果てまで続く森に、未開の地であることだけは確かであった。
真上に見える満天の星空。
長い尾を引く龍星。
直ぐ目の前に降ってきた石。
そう、龍星が落ちてきたのだ。
気付いた素振りは見せなかったが、彼女が動いたのはまさにボクらの間に落ちる直前だった。
重力に任せて自由落下が始まる。
__その時。
黒い布のような物が崖から延びてきてボクの体に巻き付いた。
「__!!? がっ……カフッ」
「濡鴉!?」
崖の途中に逆さまに叩きつけられ胸の空気が押し出された。
肩と脇下を強打して一瞬目眩がした。
しかし掌の熱がそれを阻む。
「ぐっ、澪嗚、キミは……大丈……」
「何?! もしかして……あの野郎よくも!」
いつもの喧嘩っ早さで怒りで声を荒げた彼女に、思わず苦笑した。調子が戻ったようだったから。
ぶらりとぶら下がった森の約二十メートル上空。
逆さまの世界。
彼女はかろうじて手の先にぶら下がっている。
このまま上に引き上げられて一緒に捕まってしまうか。
それでもいい。
二人一緒なら。
だがそう未来は明るくない。
先ほどの衝撃で力が抜けて、手を繋いでいるのさえやっとだ。
もう一方の手を持って行こうにも彼女のぶら下がっている方の腕は重力に引かれ届きそうになかった。
どうか。
どうか。
どうか。
お願いだから、ともう一度指に力を込める。
彼女も必死にしがみついて来ようと顔を顰める。
組んでいた指は徐々に滑り始める。
彼女が自分の体を持ち上げる程の体力があるとは思わない。
ああ、どうしてボクらは子供なんだろう。
あの時、父さんの言うことを聞かずに一緒にいれば。
今、この手でキミを持ち上げられるだけの力を持っていれば。
ボクが、大人だったらこんな事は__!
__今でも後悔しかない。
子供の自分がこれ程まで無力で無価値で無意味な存在であると。
実感した。
思い知らされた記憶だ。
黒い布のような物はボクの腕を伝ってミォーゥアの指先に近づこうとしていた。
それはわずかに残った希望だったかもしれない。
「ルゥーィア……私、ね__」
もう少しで。
黒い布は彼女の手に触れると思った。
バシッ、と空間に亀裂が入った様な音がした。
そして全ての時が何倍にも引き伸ばされたかの様に、ゆっくり、ゆっくりと流れが遅くなった。
「な……に……?」
汗が頬を伝う。
不思議と重さを感じなくなった片手に、思わず力を緩めそうになった。
呼吸をするのも忘れてしまって、三秒。
『友よ』
その声は体の芯を揺らすように響いた。
『鴉達よ。今はまだ。その時では無い』
大きな黒鳥……鴉だ。鴉がミォーゥアの手の上にとまった。
そしてもう一匹の鴉がボクの頭にとまって顔を覗き込んできた。
『我と共に行こう。片割れよ『我と共に在ろう。片割れよ』
「ミォーゥア……いやだ、嫌だ……離れたくないよ……一人は嫌だ、キミが居ないと……っ」
しかし彼女は何かを悟ったように、しかし苦しげに口を開いた。
鴉に気を取られていた視線が彼女に定まる。
「__ルゥーィア。わたし、私、ね」
「…………」
目が合った。
ミォーゥアは今にも泣き出しそうな表情だった。
必死に空気を吸うようにパクパクと口を動かしていた。
「ルゥーィアの、ことッ__あい、してる」
そのひと言に、かっと指先から伝わった熱が頭に登った。
同時にガチャンと何かが合わさる音がして時が再び動き出した。
「待ってる、から……!」
ズルリと指が滑った。
ボクの指は空を引っ掻いた。
何も、掴めるものはなかった。
急に軽くなったもので、じわじわと持ち上がっていた布が勢いよく引っ張られる。
彼女は悲鳴も上げずに黒い点になり落ちていった。
どうか。死なないで。どうか生きていますように。
少しでも痛くありませんように。
ミォーゥア、ミォーゥア、ああ、ミォーゥア。
そればかりが頭を巡る。
カアカアピイピイと森から鳥たちが一斉に飛び立った。
それすら遠くて、虚しくなった。
布に持ち上げられ、先ほどの地面に座らされる。
「王を守るのが我々の務め。下も直ぐに捜査させます。__王よ。我々と共に……どうか」
黒服の一人から手を差し伸べられる。
ボクはもう、村の事も自分のこともどうでもよくなった。
彼女の落ちる寸前の表情が何度も何度も脳に浮かぶ。
彼女の熱い掌の、先ほどまであった熱が冷めていくのが怖くて、必死に握り拳を作っていた。
「う……ん……」
ほぼ無意識に漏れた言葉を肯定と受け取った黒服の一人はボクを片腕に座らせるように持ち上げた。
何気なく行われたその行動すら嫌味のように思えてならなかった。
ああ、なんて色味のない空なんだろう。
さっきまであんなに美しく輝いていたじゃないか。
だんだんと記憶の中の星空さえも曇って見えた。
耳鳴りと視界の狭窄が酷い。
まるで台風の中に放り込まれたような、暴風の唸りのような音が響いている。
__ああ。
これはボクの悪夢。
いつまでも、いつまでも繰り返す。悪夢。
そのままボクは彼女の幻聴を聞きながら意識を失う。
悪夢はこれにて終わり。
そして明日がやって来る。
キミのいない明日が__。
読んでくださりありがとうございました。
次回は執筆中のためお時間いただきます。




