迷宮管理者
フェリシアはゆっくりと祭壇へと近づいていった。
もうあと10mほどくらいまで近づいたところで、祭壇前の人影がゆっくりと顔を上げた。
と、その時、フェリシアの真後ろで何か気配を感じた。
咄嗟に風魔法の爆風を作り出し、横方向に自身を吹き飛ばした。足で地を蹴ったくらいでは足りない時の緊急回避手段だ。ちょっと痛かったが、どうにか距離を取れたようだ。
見れば、先ほどまでフェリシアが立っていた場所の真後ろに新たな人影があり、そして祭壇の前にいた人影も一瞬で間合いを詰めていた。両方とも巨大な鎌を手に持ち、それを振り下ろしたところだった。回避していなかったら、前後からあの大鎌で切り刻まれていただろう。
この二体が試練の迷宮最下層を守る番人のようだ。恐らくこの番人を倒さないと、迷宮攻略は完了にならないのだろう。
フェリシアは考えこむ前に火属性の火球の魔法を使った。短距離で放たれた二つの火球は超高速で番人へと向かっていったが、着弾する直前に番人の姿が消えた。
え? ……と思う間もなく、フェリシアの視界の端で何かが動いた。
「っ!」
まだ緊急回避の風魔法は準備できていない。フェリシアは全力で身を投げ出した。
そこを大鎌が通り過ぎていった。
背中と左腕に大鎌がかすった。傷は浅いが、対物理障壁を貫通した上に、ちょっとかすっただけでもこれとは、恐ろしい切れ味だ。
フェリシアの姿勢は崩れていた。ここで追撃が来たらかわせない。我武者羅に、狙いも定めず火球を放った。
火球は何かに当たることなく直進して、天井に当たった。番人の姿はどこにも見当たらない。
(やばい……転移魔法か……)
瞬時に居場所を変えてしまう転移魔法は「失われた魔法」のひとつに数えられ、現代ではこれを再現できた者は皆無である。それをこの番人は平然と使いこなしていた。しかも、見たところ、予備動作が一切なしに発動している。
「くっ!? このっ!!」
致命傷こそ免れても、毎回どこかしら切られてしまう。
転移から攻撃、そして離脱までがあまりにも素早すぎる。一流の剣士などであれば対応できるのかもしれないが、魔導師のフェリシアにはかなり厳しい。たとえ思考加速をしていても、姿が見えてから反撃するのでは遅すぎる。
厄介なことこの上ない。
(それならば……)
番人は機を窺ってるのか、少しの間攻撃が止んだ。その隙に、フェリシアはとある魔法を組み上げ始めた。
魔法が完成し、後は待つばかり。そして……。
ド! ドンッッッ!!
フェリシアのすぐ真横と真後ろで気配が湧いたと思った瞬間、そこで巨大な爆発が起きた。
爆発によって、フェリシアは吹き飛ばされてゴロゴロと転がっていき、壁にぶつかってようやく止まった。
「うぐっ…………いっ……たぁ……」
全身あちこちをぶつけて、猛烈に痛んだ。爆風に乗るために、わざと物理障壁を弱めていたせいもある。この分だと何箇所か骨にヒビも入っていそうだ。もっとも、間近であの爆発を受けて、この程度の怪我で済んでいれば幸いである。
番人は二体とも爆発の直撃を受け、全身を引き裂かれていた。無生物系だったのか、血液などは見当たらないが、頭や手足などが方々に散らばっていた。大鎌も床に投げ出されている。
しばらくしても再び動き出す気配はない。
「ク……クククク……『ざまぁ』っ!! ……ですわ」
全身煤けて服もボロボロになりながら、フェリシアは吼えた。少々下品な言い方をしてしまったことを恥じ入りながら。
フェリシアが使ったのは、地雷の魔法だ。
攻撃魔法としてはだいぶ複雑な構成のものである。事前に空気を超高温、超高圧で封じ込めておき、感知範囲に何か物体が入ってくると、空気を一気に解放し爆発を起こす。爆風だけでなく、土魔法で生成した破片を指向性を持たせて飛び散らせることもできる。番人の体を引き裂いたのもこの破片によるもので、極めて殺傷能力が高い。指向性つきで設定していたので問題なかったが、そうでなければフェリシアも無事では済まなかっただろう。
相手が大鎌の間合いまで転移してくるのならばと、予想される範囲、自身もダメージを受けるほどの至近距離にこの地雷を並べて設置しておいたのだ。そして、自身を餌に、番人が転移してくるのを待った。
普通は戦闘中に仕掛けるようなものではないし、強力なので、これをすぐ傍で爆発させようなどというのは正気の沙汰ではない。
味方のパーティがいるところではとてもではないが使えず、フェリシアが単独だからこそ使えた手だった。
そして、自滅覚悟のフェリシアの狙いは見事に当たり、番人を撃破できたのだった。
爆心地には異常な魔力を放つ奇妙な板切れが落ちていた。手のひらより大きいくらいで、材質は不明。表面には見たこともない奇怪な紋様がびっしりと描かれている。
これが遠征隊の目的である『賢者の護符』なのだろう。文献の記述と概ね合致している。
「ま、これは私には必要ありませんわね」
フェリシアはそう言って、部屋の片隅に放り投げた。持って帰ったところで、盆暗王子の手柄にされるだけなので、そんなことをしてやるつもりは欠片もない。
それよりも今は、管理者権限を取得するほうが大事だった。
フェリシアは部屋の中央の祭壇に近づいた。
これが管理者用の端末なのだろうか。フェリシアはそっと触れてみた。
すると、まばゆい光があふれ出し、辺りを包み込んだ。
まぶしすぎて何も見えなくなり、フェリシアは身構えた。
ややあって光が引いていき、気がつくとフェリシアは柔らかい日差しが差し込む緑の庭園の中に立っていた。
「これは……?」
見覚えのある場所だった。王城内にいくつかある庭園のうちの一つのはずだ。以前にも何回か来たことがあった。
迷宮の奥底から転移させられたのだろうか。
その割りにいくらか不自然さもあった。辺りは静まり返っていて、風の音も鳥のさえずりも聞こえない。人の気配もまったく感じられない。
いや、いつの間にか、庭園の中央に人影があった。
「殿下……?」
そこにいたのは、アーロン王子だった。
なぜ王子がここにいるのか。上の階層に置いてきたはずなのに。
「我が愛しきフェリシア、よく来てくれた」
不自然にも、恐ろしく穏やかな微笑みを浮かべて、優しくフェリシアを呼んだ。
ぞわっと、フェリシアの全身を鳥肌が覆った。
ありえない。あの王子がそんなことをするなど、天地がひっくり返ろうとも起こりえない。見てくれだけはいいが中身すっからかんな王子が、こんな理知的な瞳をするはずがない。
王子は甘い雰囲気を漂わせて、フェリシアに向けて手を差し伸ばした。
フェリシアはゆっくりと王子に歩み寄って……
……右手を握り締め、全力で王子の顔面に拳を叩き込んだ。魔法による身体強化つきで。
「ぶへあっ!?」
奇妙な悲鳴をあげて、王子の体が飛んだ。
すかさずフェリシアは追撃して蹴りを入れ、左手で胸元を掴みあげてさらに殴る。
「ぶはっ、ひぐっ、ちょ、まっ、いた、痛い、や、やめ!」
「好きでもっ(ゲシッ)ないのにっ(ボゴォッ)婚約っ(ドスッ)させられっ(ガスッ)政略だからっ(ドンッ)我慢してきたっ(ガンッ)と……、いうのっにっ(ブシュッ)! あなたはっ(バシンッ)何っ(ゴスッ)勝手っ(ズシャッ)してやがりますかぁッ(ドコォォンッ)! 嫉妬ぉっ(ベシッ)!? 婚約破棄ィ(ドカッ)!? 寝ぼけるなぁッ(ズバァァァンッ)!!
……いいでしょう、婚約破棄、望むところですわ。私としても盆暗王子など願い下げです。
ですが……その前にっ! 一発っ! 殴らせてっ! もらいますわっ(ドッゴォンッ)!!」
一発、と言う前にすでに何発も殴っている。
フェリシアはこれまでの鬱憤を晴らすかのように、乙女にあるまじき言葉遣いで節をつけてゲシッゲシッと、王子の姿をした何かに暴行を加え続けた。
偽者だと確信しているので、そりゃあもう容赦がなかった。攻撃魔法を使わないのは、手ごたえがないからだ。
まあ、たとえ偽者であっても王子を殴るのはいささか風聞が悪いのだが、ここには他に誰の目もないようであるし。
迷宮の中には、人に甘い幻想を見せて惑わせ、虜囚とする罠があるという。この庭園も恐らくそうしたものの一つなのだろう。
しかし、何をどう勘違いしたのか、幻想に現れたのは王子だった。フェリシアにとっては(ちょうどいい鬱憤晴らしの意味で)歓喜こそすれ、これでは到底甘い夢にはなりえないだろう。
「はあッ……はあ……はあ……」
「ね、ちょっと、待って、お願いだからっ」
「ふんっ」
散々殴って、殴り疲れたところで、フェリシアはようやく止めた。
幻影だからなのか、あれだけ殴っても偽王子の顔は綺麗なままで、ダメージの痕跡はなかった。
「ここは何? 最後の試練?」
「いえ、管理者の資格は番人を倒した時点で認められています。ここは案内のための、いわば余興みたいなものです」
「なんだって殿下に化けたりしたの?」
「その方がフェリシア様が嫌がりそうだったので」
そんなことを王子の姿でにこやかに言うのが猛烈にイラっときて、フェリシアはもう一発追加で殴った。それでも平然としていてまったく堪えてなさそうなのが、余計に腹立たしい。
「それで、私は試練を乗り越えたということでいいのかしら?」
「はい。おめでとうございます。これであなたは試練の迷宮七代目迷宮管理者です」
*
大広間からフェリシアが出て行って、そろそろ二四時間が経過しようとしていた。
意識不明だった三名はすでに意識を取り戻していた。回復したMPで治癒をかけたことで、骨折したままだった者もどうにか動けるレベルまで回復していた。
あとは、フェリシアから連絡があるかどうかだが……。
「フェリシアさま、大丈夫だろうか……」
「まだ連絡はないのか」
「ああ……」
自分たちが安全に避難できるかという心配はもちろんある。しかし同時に、あの悪役然とした少女を案じて、やきもきしてもいた。
そんな時、唐突にどこからともなく音声が響いてきた。
『フェリシアです。管理者権限を取得できましたわ』
「「「「「お……おおおおぉぉぉ!?」」」」」
『もう魔物は撤退させて、罠も解除しました。これで全員安全に帰れます』
「「「「「おおおおぉぉぉ~~~ッ!!」」」」」
通信機からではなく、迷宮そのものから直接音声が伝わってくる。管理者になったからこそできる芸当なのだろう。
護衛たちは皆一様に歓喜した。
と、そこに水を差す者が役一名。
「貴様が本当に管理者になったのなら、『賢者の護符』も手に入ったのだな?」
『……まあ、そうですわね』
「ならば貰い受けに行くぞ。おとなしく引き渡せ」
『……護符は最下層の床に捨ててあります。欲しければご自由にどうぞ』
どこまでいっても、傲慢な王子であった。そして、譲ってもらいましょう、などと言っていた聖女見習いはニコニコしている。
護衛たちは一様に疑問に思った。そんなに簡単に渡していいのか、と。その疑問が解消されるのは、王都に戻ってから数日後のことである。
「伝説のアイテムを捨てるとは何事か。まあいい。行くぞ」
「行くって、最下層にですか?」
「もう魔物も罠も大丈夫なのであろう? 何を心配する必要がある」
「それはそうですが……」
もう危険はないということで、まだ回復しきっていない者はこの場で待機し、それ以外の体調に問題ない護衛たちを引き連れて、王子らは最下層へと向かった。
最初はおっかなびっくりだったが、本当に魔物や罠がないのを理解してからは大胆に移動した。そして、さして迷うことなく、さっくりと最下層の大部屋にたどり着いた。
部屋は規則的に並ぶ柱と、奥の壁に設けられた扉以外は何もなかった。
護符は強力な魔力を放っているので、隅のほうに落ちていたのを見つけるのは簡単だった。
「これが『賢者の護符』か」
「アーロン、おめでとう」
「殿下、とうとうやりましたね」
目的の護符はあっさり見つかり、王子ら仲良し五人組は喜んだ。これを持ち帰れば、万事うまくいく。そう思って疑わなかった。
一方、護衛たちはフェリシアを探したが、まったく見当たらない。
「フェリシア様は、今どちらに?」
『その部屋のさらに奥にいるけれど、人外魔境になってるので絶対に入ってこないようにね』
部屋の奥というと、据え付けられている扉があって、張り紙がしてある。
『STAFF ONLY
従業員専用につき、関係者以外立ち入り禁止
迷宮管理者フェリシア・フォン・カーツウェル』
と、大きく書かれていた。
従業員って何? 人外魔境って何? と護衛たちが疑問に思っていると。
何を思ったのか、聖女見習いがトコトコと歩いていって、奥の扉に手をかけた。
「おじゃましま~す」
あっ、と護衛らが思う間もなく、聖女見習いは扉を開けてしまった。
扉の奥もまた広い空間で、そこには夥しい数の魔物がぎっしりと詰まっていた。
そして、中の魔物たちは一斉にギロリと視線を扉に向けた。
いかに鈍感な聖女見習いといえど、さすがに剣呑な空気を感じ取ったのか、引きつった笑みを浮かべて、
「おじゃましました~」
パタリ、と扉を閉めた。
『迷宮内の魔物を全部、一時的にそこに集めてあるから、入ったら死ぬわよ』
従業員とはつまり、迷宮の中で働く魔物たちのことか。
迷宮を管理する側ともなると、一般人とは思考がかけ離れてしまうのかもしれない。護衛たちは考えることを放棄した。
「フェリシア様はどうされるのですか?」
『私は迷宮のメンテナンスもしなければいけないので、しばらくこの迷宮に引きこもります。もう婚約だのなんだのめんどくさいことに付き合う必要もなくなりましたしね。
私の両親や国王陛下にはよろしく言っておいてください』
新しいおもちゃを手にした子供のような弾んだ声で、フェリシアは答えた。
本人が楽しんでるみたいだし、まあいいか、と護衛たちは納得することにした。
*
欠員が一名出たものの、遠征隊は無事に王都へと帰還した。
そして、偉業を達成したとして、王子は意気揚々と国王に報告に上がった。
「これが『賢者の護符』です」
「うむ、ご苦労であった」
虚・九割五分、実・五分くらいの割合で、王子は内容を大幅に盛って探索を語った。最下層も自力で攻略したことになっていた。
その場はそれで済んだのだが、後日―――
「俺はなぜ護符が使えないのだ?」
「殿下には所有権がないのです。所有権がなければ使えません」
「どういうことだ?」
「『賢者の護符』の所有権が与えられるのは、最下層の番人を倒した者のみです」
「それは……」
「殿下、正直におっしゃってください。番人を倒したのは殿下ではなく、フェリシア嬢ですね?」
それは宮廷魔術師の鑑定によって発覚した。
フェリシアが単独で撃破したため、王子は護符の所有者として認められなかったのだ。
せっかくの『賢者の護符』も、使えないのでは意味がない。それだけでなく、王子自身が成し遂げたわけではないということが明らかになってしまった。
さらには、王子の活躍として説明されたほぼすべてがフェリシアによるものであり、王子が迷宮で何をやらかしたか、あるいは責任を放棄して何もしていなかったかが、護衛らの詳細な供述によって暴露された。
勝手に婚約破棄などと言い出してカーツウェル公爵家を激怒させたことに加えて、王への虚偽説明が決定打となった。王であっても、これは庇いきれない。
その結果、王子の功績は一切が取り消され、めでたく廃嫡の運びとなった。
最終的には王位継承権は剥奪、王家直轄地の片田舎で蟄居を命じられることとなり、以後、彼が表舞台に立つことはなかった。命で贖うことなく済んだのは国王の温情である。
王子の取り巻きであった三馬鹿も、王子と一緒になって馬鹿をやらかしたとして、それぞれ廃嫡もしくは勘当となった。
一方、聖女見習いエマは、婚約破棄などの騒動に関して主導的立場にはなかったとして、一ヶ月の謹慎という軽い処分で済んだ。
そもそも王子が誑かしたのが元凶だったのだ。彼女自身は良く言えば純粋で天真爛漫、悪く言えば頭の足りないかわいそうな子でしかなかった。
彼女の態度にはおよそ軽く流せないものが多々あったが、それは王子がそのような態度を取るよう指示していたのが原因だったことが明らかになっている。王族の指示であれば逆らいようがあるはずもなく、責を負うべきは王子だった。
その後、彼女は蟄居王子付きの侍女役に立候補し、他に候補者などいなかったため、そのまま採用。甲斐甲斐しく王子の世話をしてそれなりに幸せに暮らしているという。
そして、フェリシアはといえば―――
「もう王妃教育とか受けなくていいし。怠惰な生活って、なんて素敵なのかしら……」
ほとぼりが冷めてから一度は実家に帰ったものの、今後について家族と意見が合わず、また貴族社会に辟易していたのもあって、あっさりと出奔。迷宮に居を移した。
遠征隊撤退のために臨時休業にしていた迷宮を通常営業に戻し、冒険者らの相手をしながら、迷宮の産み出す資源で儲けていた。
その後もずっと、迷宮の奥底で引きこもり生活を満喫したという。
お読みいただきありがとうございます。
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