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 ティミオス学園において、生徒間のいざこざは日常茶飯事である。

 故に、教師陣も大ごとにならない限り動くことはない。ここでは自分に振りかかる火の粉を、どう振り払うかも勉強の一環。自分の身は自分で守るのが原則なのだ。しかし限度というものはある。誉れある学園の風格を貶める、行き過ぎた行為には厳罰が下される。

 例えば今、アイネアが置かれている状況が、まさにそれであった。




 昨日、アイネアはパルメナを伴って貴族街を散歩していた。居心地の悪い学園生活の息抜きにと、美味しいお菓子を食べに来たのだ。


【ユニアス様をお誘いしなくて、よろしかったのですか?】

「ええ。日頃のお礼に何か贈り物がしたいの。一緒に来たら意味が無いでしょう?」

【ご一緒にカフェに行かれるだけで、お喜びになると思いますよ?】

「そうかしら?ではまた今度、誘ってみるわ」

【是非そうなさってください】

「でもわたしは、パルメナと二人でも十二分に楽しいわ」

【身に余る光栄です。お嬢様】


 そんな感じでのんびりと菓子屋巡りをしていた時だった。


「あら?あの方、どうなさったのかしら」


 アイネアは道の端で蹲る老人を見つけた。フードを被っているため、性別はわからないが、杖を持つ手が震え、膝をついている様子は只事ではない。急いで駆け寄り声をかける。


「ご気分が悪いのですか?すぐに誰かを呼んで参りますから、少しだけご辛抱を…」


 アイネアが丸まった背中に手を伸ばそうとした瞬間、血相を変えたパルメナが二人の間に割って入った。老人が被ったフードの下から、鈍く光る刃が見えたからだった。パルメナは素早く凶器を握る手を抑え、そのまま捻り上げる。老人は痛みに耐えられず、短剣はその手から滑り落ちた。

 いったい誰がこんな真似を、と怒りに任せてフードを剥ぎ取った。その下から現れたのは、老人と呼ぶにはまだはやい、中年の男だった。ボサボサの頭に、数日間剃られていない髭が不潔そうだが、着ている服は割りかし良いものに見える。

 とにかく応援を呼ぶべく、パルメナはアイネアから貰った笛に手を掛けた。しかしそれを吹くよりも先に男が怒鳴る。


「かかれ!お前達!この娘を殺せ!!」


 怒鳴り声に反応し、物陰から武器を持った男達が飛びかかってきた。数は五人。人数で言えば、圧倒的に不利な状況である。


「パルメナ、笛を」


 アイネアの短い呼びかけに、パルメナはひとつ頷くことで答えた。笛をアイネアに投げて寄越すと、自分は落ちていた短剣を拾い、猛然と男達に立ち向かっていった。


(今度こそお嬢様をお守りする…!)


 パルメナは積んできた修行の成果を遺憾無く発揮する。瞬きしている間に一人目の腹に回し蹴りを繰り出し、その勢いを殺さず二人目、三人目と急所に攻撃を叩き込む。鍛え抜かれた一撃が決まると、敵は呻き声を上げながら地に伏していく。

 アイネアはというと、受け取った笛を使い、独特の抑揚をつけて音を響かせていた。三年前の事件の折、ユニアスが吹いていたのと同じ音色である。


「こいつっ!?」


 吹くのを止めさせようと、中年男がアイネア目掛けて突進してくる。しかしアイネアは冷静だった。襲われるのは二度目、しかも今度は頼もしい護り手が一緒なのだ。怯む理由はどこにもない。

 アイネアは持っていた日傘の柄を引き抜くと、襲ってきた相手の喉元に向けた。自衛用に作った仕込み武器だ。パルメナに強く推されて所持していたのだが、役立つ日が来るとは。アイネアにはパルメナのような戦闘技術は無いが、一瞬でも敵の動きを止められれば、それで充分だった。二人を同時に相手取っていたパルメナがすかさず、こちらも服の下に隠し持っていた投げナイフを放った。


 そうして五分と経たないうちに、全員が地面に沈んだ。騎士団が到着した時には、とっくに片が付き、縄に縛られていた。

 アイネアは、老人のフリをしていた男に近寄ると、静かに問い掛けた。


「…以前、わたしを拐おうとしたのは貴方ですか」

「ちっ違う!!これは……これはレーサンテス家の娘から命令されて仕方なく!そう、仕方なくやったんだ! 本当だっ!」




 この一件はすぐさまティミオス学園に報告され、次の日には全生徒の知るところとなった。とりわけ目立つ令嬢達なのだ。大騒ぎどころの話ではない。

 この話を耳にして、ひどく動揺した者が二人いる。一人はユニアスだ。温厚な彼にしては珍しく、「危険な真似はしないでくれと言ったじゃないか!」と声を荒げていた。アイネアがまたしても悪漢に襲われたと聞いた時、心臓が握り潰されるような感覚を味わったのだ。安堵のあまり、やや刺々しい口調になってしまったのも無理はない。

 もう一人、動揺を隠せなかったのがビルガである。白昼堂々レーサンテス家の手の者がアイネアを襲ったという情報が学園内を巡った際、彼女は顔色を失くしていたのだ。考えれば当然かもしれない。ビルガが家の権力を使い、不仲のアイネアを襲わせたと仮定するなら、企てが失敗し悪事が日の下に晒されたのだから。というより、誰だってそう思うだろう。学園側も同様の意見であり、ビルガは拘束されることが決まった。


 その決定がなされた時、アイネアとビルガはまだ教室にいた。

 二人が対峙するのはもはや見慣れた光景であるが、今日のビルガは様子がおかしかった。青白い顔のままのビルガは、どこか危ない雰囲気を漂わせている。アイネアも普段より表情が固いのだが、傍目には変わらないように見えた。


「…さぞ、小気味よいでしょうね?アイネア様」

「そのようには思いません」

「聖人を気取らずとも、こういう時は高笑いなさった方がいっそ清々しいですわ」

「わたしは、この度の一件にビルガ様、及びレーサンテス家は関与なさっていないと考えています」

「…ああ、なるほど。そうやって優しい人間を演じることで、更に私を追い落とそうとなさるのね。さすが賢くていらっしゃる」


 ビルガは不気味に笑った。いつもの艶やかな微笑みが嘘のような、歪んだ笑い方だった。アイネアの背中に薄ら寒いものが走る。


「アイネア様の勝ちですわ。ですが…負け犬だって最期に噛み付くくらいはできますのよ!!」


 ビルガの白い手には、机上に放られていたペーパーナイフが握られていた。彼女の台詞と鬼気迫る表情、そして振りかざした得物から、これから何が起きるのか悟った生徒達は悲鳴を上げる。ほんの僅かな間、硬直していたアイネアだったが、ビルガの行動の意味に気付くと鋭い声を出した。


「だめよ!!」

「!!」


 結局、ビルガの凶刃がアイネアを傷付けることはなかった。

 振り下ろされようとしている腕にアイネアが制止の手を伸ばした、まさにその直後、ビルガを拘束するためにやって来た教師と騎士によって取り押さえられたのだ。

 これが決定打となり、審議をするまでもなくビルガは退学処分が下された。これまで黙認されてきたアイネアへの執拗な嫌がらせも、糾弾の対象となった。聴取を受けた生徒達は、ビルガが一方的に嫌っていたと言うほかなかった。ビルガが突っかかっていくところは目撃しても、アイネアの方から仕掛けたところは誰も見ていないからである。




 以前にも増して噂の中心人物となったアイネアは、レーサンテス伯爵と対面する機会を得た。娘のしでかした不祥事を詫びるべく、学園の応接室で伯爵はアイネアに向かって低頭していた。

 つらつらと並べられる謝罪を、アイネアは途中で止める。


「捕らえた犯人はレーサンテス伯爵家から依頼されたと告白したそうですが、それは事実ですか?」

「いいえ。誓ってそのような依頼は出しておりません。罪人の戯言です」

「そうでしょうね。ですがあの犯人…リット子爵とはお知り合いですね?」


 リット子爵とは、三年前にアイネアを誘拐した犯人だと疑ってきた人物だ。ずっとバラダン家が監視と捜査を続けてきた相手でもある。今回の件も子爵の犯行だろうとアイネアは踏んでいた。アイネアが子爵の顔を知っていればもっとはやく片付いたのだが、こればかりは仕方がない。しかし、本当のことを白状するのは時間の問題だろう。

 ほぼ断定するような言い方に、伯爵は思わず口ごもった。どこから我が家の秘密…リット家との隠れた繋がりが漏れたのか、バラダン家の娘はどこまで知り得ているのかという焦りが見える。顔立ちもそうだが、やはり仕草もビルガと似ていないとアイネアは思った。


「犯人達を罰するのは法廷にお任せします。わたしが要求したいのは、ただ一つ。ビルガ様の処遇についてですわ」

「…アイネア嬢のお心のままに」

「その言葉に偽りはありませんか」

「…いかなる処断であろうと必ず。どうぞお申し付けください」


 未遂だったから良かったものの、感情のままに刃物を向けた罪は重い。加えて以前からの嫌がらせ。調べによって、アイネアとライリーの件は、ビルガの自作自演だったと判明している。伯爵に弁解の余地はなかった。


「では、ビルガ様をレーサンテス家から断絶し、今後一切の関与をしないと誓ってください」

「なんですと…!?」


 家族からの絶縁、それは貴族の娘にとっては死ぬことと同義でもあった。ビルガ・レーサンテス嬢は、ただのビルガとなり平民へと下げられ、絶縁した家族の方には醜聞がついてまわることになる。予想される未来に伯爵は狼狽した。


「刃物を持って攻撃してくる方を、自分から遠ざけるのはおかしいと仰いますか?」


 こてり、と小首を傾げるアイネアは無表情であった。そんな風に言われてしまったら、伯爵とて大人しく従うより道は無い。

 誓約書の署名をもって、ビルガは伯爵令嬢ではなくなった。書状を受け取ったアイネアは長椅子から立ち上がり、頭を抱えた伯爵にきっぱりと告げた。


「これでこの件は終わりです。二度と蒸し返すような真似は致しませんし、見舞金も不要です。それでは失礼させていただきます」


 ビルガから受けた仕打ちを、家からの絶縁という形で返したアイネア。その所業は"氷の令嬢"という渾名に拍車をかけることとなり、こうして二人の美しい令嬢の対立は幕引きとなった。




 何の飾りも無い質素な服を着て、みすぼらしい馬車に揺られているのは、レーサンテス伯爵家の令嬢として栄華を極めていたビルガである。綺麗な赤髪はそのままだが、整った顔には覇気が無く、勝ち気だった目は落ち窪んでいた。これからビルガは、どこか見知らぬ土地へと放り出される。冬も近付いているこの時期に、世間知らずの令嬢がどうやって生きていくのか。


(…なによ。大人しそうなふりをして、心の中では怒り心頭だったんじゃない)


 正確な日付は数えていなかったが、馬車に乗せられてから、かれこれ五日くらいは経っているだろう。よほど遠くへ捨てやりたいという、アイネアの怒りの表れだとビルガは考えていた。

 もはやすべてが虚しかった。今までの努力も、そのために諦めた夢も、何もかもが無駄であったのだ。必死に積み上げてきたものは空虚でしかなく、呆気なさすぎて涙も出なかった。


 ようやく馬車が止まったのは、ビルガが想像していたよりも遥かに穏やかな場所だった。間違っても、恨みを抱く人間を送り込むような所ではない。信じられないとばかりに立ち尽くすビルガ。そこへ、とある人物がやって来た。


「あ、貴方は…?」

「私はバラダン家の家令をしております、バートと申します。お嬢様からの命令を受けて、お迎えにあがりました」


 今度こそ、ビルガは言葉を失った。

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