第8話 魅惑の小瓶
二人はとりあえず近くのカラオケボックスに入って休むことにした。
咲は今朝から何も食べていなかったことを思い出して、から揚げとたこ焼きを注文した。
叶恵はメニューを眺めながら、フライドポテトとミックスピザを追加する。
咲がオレンジジュースを飲みながら食事が来るのを待っていると、叶恵がふふっと笑った。
咲が「何?」と尋ねると、叶恵は咲の肩にもたれかかって「だって、私たちアウトローっぽいじゃない?」と言って吹き出した。
お腹を抱えて笑う叶恵に、咲もつられて笑う。
「そうかもね。学校サボってカラオケボックスで暇つぶして、クラブの開店を待ってるなんて、確かにアウトローだ」
二人が笑い合っていると、配膳ロボットが食事を運んできた。
咲がそれを受け取ってテーブルの上に並べる。
湯気を立てているから揚げとたこ焼きを見ながら、咲は不思議と胸が軽くなっていることに気付いた。
さっきまで、この世の終わりみたいに落ち込んでいたのに、今は叶恵と笑い合っている。
咲は叶恵の笑顔を見つめながら、たこ焼きを串で刺して口に運んだ。
食事を終えた後、叶恵は咲にもたれ掛かったまま眠ってしまった。
毎晩ILLUSIONで朝方まで過ごしていたせいだろう。よく見ると目の下にクマができている。
(やっぱり、クラブ通いは止めた方が良いのかな)
叶恵の寝顔を見ながら自問する。
叶恵は楽しそうだけれど、このまま通い続けることが良いことだとは思えない。
はっきりとした理由は分からないが、あそこで行われていることは、おそらく違法性があるのではないかと思う。
けれど、無理矢理叶恵をクラブから引き離したとしても、またすぐに戻ってきてしまうだろう。
咲は答えの出ない問答を心の中で繰り返して、次第に叶恵と共に眠りに落ちた。
***
店の外からは、ようやくネオンが灯り始めた繁華街の、どこか浮足立ったざわめきが微かに聞こえてくる。
あと数時間もすれば、壁際のスピーカーから地鳴りのような重低音が響き、天井から無数のレーザーが降り注ぐ。
けれど今はステージのレーザーや派手なメイン照明はすべて眠り、広い店内は深い闇に沈んでいた。
ただ、バーカウンターの奥に並ぶボトル棚のバックライトだけが、琥珀色やエメラルド色の瓶を怪しく透かしている。
クラブのオーナー、久我はカウンターを挟んだ向こう側の男に厚みのある封筒を差し出した。
濃紺のスプリングコートを羽織った男は、胸元からガラスの瓶を取り出してカウンターの上に置いた。
男のどこか浮世離れした繊細な顔立ちは、同じ男とは思えないほどの気品を漂わせている。それは久我が思わず気圧されるほどに美しいものだった。
久我が瓶を手に取ると、中に入っていた液体は薄桃色から薄紫色へと色を変えた。
瓶に見入っている久我に、男は「希少品なので、次にいつ手に入るか分かりません。今回はもう一本持参しましたが、どうなさいますか?」と尋ねた。
久我は薄紫色に変化した瓶からようやく目を離し、ごくりと唾を飲み込んだ。
その目は、すでにこの妖しい液体がもたらす魅惑の時間にとらわれている。
「……いる。それも買い取らせてくれ」
久我はカウンターの下に手を伸ばし、先ほどと同額の入った新たな袋を滑らせた。
男はその細い指先で中身を確認すると、冷徹な美しさを湛えた瞳で久我を捉える。
「もし、次に入手できた場合は札束がもう半分、上に載ることになりますが、またお持ちしますか?」
久我は考える間もなく即答した。
「構わない。手に入ったらすぐに持ってきてくれ」
男はすうっと目を細めて射貫くような鋭い眼差しでオーナーを見つめる。
「念のために確認しておきますが、観賞用としてご使用いただいているのですよね?」
久我は頬に冷たい汗が伝うのを感じながら深く頷いた。
「もっ、もちろん。これは観賞用としてきちんと飾っている。あまりにも美しいから、寝室にたくさん飾りたくなったんだ」
男は優美な笑みを浮かべると、静かに胸元からもう一本のガラス瓶を取り出した。
「それでは、これで楽しい夜をお過ごし下さい」
久我は男から受け取った2本目の瓶を光にかざして傾けた。
すると薄紫色から薄緑色へと変化する。
「では、私はこれで」
男はそれだけ言い残すと、静かにネオンが灯り始めた街へと消えていった。




